
PROFILE: Kanako Yoshida/メイクアップアーティスト
人気メイクアップアーティストとして、パリを拠点に活動するKanako Yoshida。2025年末から新たにスタートしたのは、メイクとは全く異なるおにぎりのケータリングサービス「パニギリ(PANIGIRI)」だった。
一見意外にも思えるその挑戦は、彼女の仕事の幅を広げただけでなく、働き方や仕事への向き合い方を少しずつ変えていったという。「キャリアの柱をメイク、サロン、ケータリングの3本にすることで、気持ちも少しラクになった」とKanako。長年培ってきた感覚や経験を生かしながら、彼女は今、ファッションと食の間を軽やかに行き来している。
これまで積み上げてきたキャリアと、パリで生まれた余白
WWD:これまでどんなキャリアを歩んできたのか、簡単に教えてください。
Kanako Yoshida(以下、Kanako):20代前半はロンドンとパリでメイクの技術を磨き、その後の約6年間は東京で活動していました。31歳になった頃、東京での毎日はすごく充実していたのですが、ふと「このままのルーティーンで35歳を迎えたら、自分が思い描く未来とは少し違うかもしれない」と感じたんです。
そこで一度立ち止まり、もう一度渡英することを決めました。その再渡英のタイミングで、コレクションの現場や、当時「シャネル(CHANEL)」のクリエイティブメイクアップ&カラーデザイナーだったルチア・ピカ(Lucia Pica)のアシスタントとして経験を積む機会に恵まれたんです。
メイクの仕事は、私にとってやりがいが大きく、魅力的なもの。30代でこうなっていたい、という姿を思い描きながら走ってきた結果、目の前の仕事をこなすだけじゃなく、自分がそこに関わらせてもらう意味を見出せるようになりました。
WWD:では、現在は?
Kanako:ロンドンで数年間を過ごした後、今はパリを拠点に活動しています。フランスは時間の流れがどこかゆったりしていて、目まぐるしく働いていた頃とは違い、心の余裕を持てるようになりました。2023年には、ヘアスタイリストのTAKAIさんと一緒に、代官山にヘアサロン「アンダーカレント(undercurrent)」もオープン。サロンの運営とメイクアップアーティストとしての活動を続ける中、残った時間で何ができるだろうと考え始めたんです。
母のひと言から始まった、「おにぎり」という新しい挑戦
WWD:メイクから食の世界に向かったのはなぜだったのでしょうか。
Kanako:キャリアの幅を広げるとしても、アーティストのマネジメントなど、同じ業界の中で何かをするんだろうなと思っていました。たまたま帰省したとき、母が少しつまらなさそうにしていたのが気になって。「数カ月パリに遊びにおいでよ」と誘ってみたんです。
そうしたら、母が「パリでおにぎり屋さんをやってみたい」と突拍子もないことを言ってきて(笑)。最初は冗談だと受け取っていたのですが、「おにぎりなら出来る。確かにありかもしれない」と自分の中でしっくりきたんですよね。
飲食で働いた経験はもちろんないし、全く考えもしていなかったアイデアでした。でも、母のひと言をきっかけに、現地での需要や可能性を考えたら、現実味を帯びてきて。パリの飲食事情や、必要な準備について調べるようになりました。
ただ、未知の業界に飛び込むのは不安もあったので、友人や知人には「母とおにぎり屋さんをやろうと考えているんだよね」と、繰り返し話していました。言葉にしていくうちに、自分の中でも輪郭が少しずつはっきりしてきたのです。
“母の味”のポップアップが教えてくれた、飲食の面白さ
WWD:「パニギリ」について教えてください。
Kanako:実店舗を持たない、おにぎりのケータリング屋さんです。母と一緒にやるので、コンセプトは“母の味”、店名は8歳の友だちが提案してくれたパリの「パ」と日本の「ニ」におにぎりを掛け合わせて、「パニギリ」にしました。私たちが普段から食べている食材に限定し、お米は土鍋で炊こうと決めました。母が率先して、土鍋でご飯を炊く練習をし、おにぎりやサラダ巻きのレシピを何パターンも考えてくれました。
こちらが何も言わなくても、自分の役目を探して動くのは、そう簡単なことではない。そんな母の姿を見て、うまくやれるチームになりそうだなと思えたんです。海外で新しい挑戦を一緒にしてくれようとする母のフットワークの軽さや行動力に、度々救われました。
WWD:25年12月6~7日に、パリの人気カフェでポップアップを開催しましたが、どのような経緯で実現したのでしょうか。
Kanako:昨年の夏、仲のいい日本人の友だちから「おにぎりのポップアップをやってくれる人を探しているカフェがある。佳奈子ちゃんを紹介してもいい?」と聞かれたのがきっかけです。実績もなく、ただやりたいと言い続けていただけだけど、「候補のうちの1人として、紹介してくれるならぜひ」と言ったら、そこからとんとん拍子で話が進み、12月の出店が決まりました。
また、「ポップアップの出店が決まったんだよね」と別の友人に話したら、今度は「おにぎり屋さんでバイト経験のある人がいるよ」と新たな仲間をつないでもらえたりもしました。
WWD:実際にポップアップをやってみて、どんな発見がありましたか?
Kanako:週末はいつも混み合う人気のカフェが会場だったこともあって、知り合いだけでなくローカルのお客さんもたくさん立ち寄ってくれました。お昼時には、「こんな行列は見たことない」と言われるくらい列ができて驚きました。2日で600個くらい売れて、私も朝から夕方までおにぎりを握り続けました。
インスタグラムで自分がフォローしている人のうち、ヨーロッパ近郊に住んでいる知人にDMを送ったんです。今回来られなかったとしても、まずは「パニギリ」を認知してもらうことが大事だと思って。そうしたら、来られない人たちが私の投稿をリポストしてくれたんです。「行けないけれど応援したい」と思ってくれることが、私にはすごく新鮮で、食の世界って参加型なんだと感じました。
食べることは誰にとっても身近だし、興味を持っている人も多いから、面白いことをやろうとしている人がいたら応援したい、誰かに紹介したいという気持ちが生まれやすいんだと思います。
例えば、これがおにぎりではなく、私のメイクを体験できるイベントだったら、どうしても“私自身”に人が集まる形になるので、私にどれだけ求心力があるかが重要になります。メイクの仕事は、名前や技術に評価が集まりやすく、食のように誰もが自分ごととして入り込めるわけではないんですよね。それがメイクとの大きな違いで、飲食業の可能性と温かさを感じました。まだ始まる前の段階から、大きな気づきを得られた気がして、胸が熱くなっていました。
ファッションの仕事で培った感覚が、飲食にもつながった
WWD:大反響のポップアップを終えて、「パニギリ」の次なる活動は?
Kanako:26年1月には、いつもメイクアップを担当している「キディル(KIDILL)」から、26-27年秋冬メンズ・コレクションのバックステージ用に「昼食をお願いできる?」と声を掛けてもらいました。母ともう一人のスタッフと、ビュッフェ形式の食事を50人分用意。同時期に日本のクライアントがパリに来る予定もあったし、メイクとして関わるショーもいくつかあったので、このタイミングでケータリングにも力を入れてみようと思いました。
母には2月頭までパリに残ってもらって、自分たちに何ができるのか、この1カ月で試してみようと話しました。年明けすぐにお弁当のリファレンスを用意して、これまで仕事をしてきたプロダクションや知り合いにメールを送ったり、イベント関係の友人にも声をかけたりして広報活動も。そうしたら、2月頭までに16件のオーダーが入ったんです。予想以上の注文で自分でも驚きました。
WWD:ケータリングを行う上で、大事にしたのはどんなことですか?
Kanako:ケータリングって、バックステージや撮影の合間みたいな、忙しいときに食べることが多いんですよ。例えばショーの準備でばたばた働いて、やっと落ち着いてケータリングを取りに行ったら、自分の分が残っていない……みたいなこともよくあって。そんな実体験から、最初にいくつか取っておいて、手が空いたタイミングで自由に食べられる個包装にしようと考えました。
個包装なら一度に食べ切らなくてもいいし、小腹が空いた時にもつまみやすい。イベント用にフィンガーフードとして出す時はひと口サイズにしたり、リクエストに応じて色合いを考えたり。シチュエーションに合わせて提案するようにしています。
キャリアの柱が増えたことで「自分にも人にもやさしくなれた」
WWD:ポップアップとケータリングサービスを経て、Kanakoさん自身に変化はありましたか?
Kanako:気持ちの面で大きな変化がありました。メイクアップアーティストとしての活動と代官山のヘアサロンの運営、それから「パニギリ」を軌道に乗せていくこと。キャリアの柱を3本にしたことで、メイクに頼りすぎていた意識が分散され、肩の力を抜いて向き合えるようになりました。大丈夫だと分かっていても、「仕事が来なかったらどうしよう」「クライアントの期待に応えられなかったらどうしよう」と考えてしまうことはやっぱりあって。そこに異業種の柱があるだけで、プレッシャーが軽減して、気持ちも少しラクになった気がします。
もちろん、これまでメイクにかけてきた熱量が下がったわけではなくて。20~30代は、メイクの仕事に一球入魂という感じで、高い熱量を持って時間も費やしてきました。けれどこれからは、ずっと気負ったままでいなくても発展していけるだろうな、と思っていますね。
今までとは違うチームで、新しいワクワク感を得られたのも大きい。ファッションやメイクアップの世界にいると、出会う人が限られるし、思考回路の似ている人が集まりやすいと感じていました。でも、食を通じて出会う人たちとは「何がおいしかったか」とか、「どんなカフェとコラボしたら楽しそうか」とか、違うベクトルの話ができるんです。そんな場を持てたことで、メイクの仕事も今まで以上に楽しみながらやれるようになった気がします。
WWD:人との関わり方にも変化はありましたか?
Kanako:飲食をやっていると、イレギュラーなことは絶対に起きるし、今の「パニギリ」も、得手不得手の違うメンバーが集まって助け合いながら進んでいます。クレームなどもなく無事に完走できたという経験は自信になったし、「完璧じゃなくてもいいんだ」と思えるようにもなったんです。
自分の名前を背負って仕事をすることの多いメイクの世界では、熱量の高さから周りにもつい期待しすぎてしまうこともありました。でも、ポップアップやケータリングサービスをやってみて、メイクの現場とはまた違う日常の延長線上にある手助けや共感が、すごくありがたいことだと改めて感じたんです。
その経験は、本業であるメイクの仕事にも良い変化を与えてくれました。メイクは表現力で勝負する世界なので、求めるクオリティーに一切妥協はしません。ただ、これまでは言語化が苦手で、自分の熱量をどう伝えるかに苦労してきたんです。今ではセミナーでの経験も相まって、相手の状況を汲み取りながら「なぜそれが必要なのか」を伝えるためのアドバイスの引き出しが、以前より明らかに増えたと感じています。
メイクと食を行き来しながら、じっくり育てていきたい
WWD:「パニギリ」としての今後の展望は?
Kanako:1~2月に手応えを得られたので、バックステージのケータリングは今後も増えていけばいいな。今は、6月のパリ・メンズ・ファッションウィークに向けて、体制を整え直しているところ。母にも長期でパリに滞在してもらえるよう、準備を進めています。
できたらまたポップアップもやりたいです。多くの人に食べてもらえる場をつくれたらいいなとも思っていて。単独でのポップアップはもちろん、フランスはファッション以外にも、ワインやチョコレートなど色んな催事があるので、いつか楽しいコラボができたらいいな、とも考えています。