PROFILE: 右:岸井ゆきの/俳優 左:宮沢氷魚/俳優
映画「佐藤さんと佐藤さん」が描くのは、同じ姓を持つ男女(タモツとサチ)が出会い、恋に落ち、結婚し、そして別れを選ぶまでの15年間だ。「別れ」という着地点を提示した上で、時系列通りに進んでいく114分間のストーリーが始まったとき、筆者は「別れの原因」を探そうとしていた。だが、大きな事件一発で別れるなんてことはもちろんない。日常の出来事や感情の動きが積み重なり、時折“ケンカ”という形で衝突し、それでも家族でい続けようと努力していた2人が迎えたラストシーンで、こう問いかけていた。「2人は、どうしていたら別れずに済んだのだろうか」と。サチが司法試験に挑戦しなければよかったのか? だとしても、タモツはなかなか司法試験に合格できなかったかもしれない。タモツが司法試験を諦めて、専業主夫になり家事と子育てをすればうまくいったのか? そうなれば、タモツの実家の干渉が始まり、また違う不協和音が鳴り始めていたかもしれない。
このような幾つもの「もしも」を想像させるリアルで丁寧な作劇は、「ミセス・ノイズィ」(19)の天野千尋監督によるものだ。前作で毎日顔を合わせる隣人同志の揉め事、いわゆる「ご近所トラブル」を躍動する人間ドラマに昇華した天野監督は、本作でも一組の夫婦のある種の対立関係を、いくつかの印象的なケンカのシーンを山場にテンポよく見せていく。佐藤サチを演じるのは「ケイコ 目を澄ませて」(22)の岸井ゆきの、佐藤タモツを演じるのは「エゴイスト」(23)の宮沢氷魚。意外にも本作が初共演だという2人に、天野監督の演出や、サチとタモツを演じて感じたこと、人間同士の「分かり合えなさ」にどう向き合っているかを聞いた。
小さな幸せにどれだけ気づいて大事にするか
——まず、脚本を読んだ感想からお聞かせください。
岸井ゆきの(以下、岸井):私にとってはドラマティックに感じる脚本でした。佐藤さん(サチ)と佐藤さん(タモツ)が出会ってからの15年間に、些細なケンカや小さなやりとりがたくさん詰まっていて。私は夫婦生活を体験したことがないので、「こんなにも日々に彩りがあるものなんだな」と思いました。ケンカの描写が突出している映画であることも、そのケンカの仕方がどんどん変容していくことも面白かったです。22歳から37歳までのサチを演じるのも楽しみでした。
宮沢氷魚(以下、宮沢):初めて読んだときに、「こんなにケンカすんのかな」、「こんなちっちゃなことでイライラするのかな」と思った瞬間があったんです。クランクインする前のリハーサルの期間に、監督の天野さんをはじめいろいろな人とコミュニケーションをとってみると、結構「あるある」みたいで(笑)。「そうなんだー」と思って、実際にタモツという人物を演じてそのシーンを迎えると、「確かにイラっとするよな」、「これはケンカになるわ」とものすごく納得できました。そういう意味でのリアリティーが脚本にありましたし、小さな幸せもあれば、ちょっとしたことでのケンカもあって、些細な出来事がたくさん並んでいて。生きているともちろん大きな転機もありますけど、そういう小さな幸せにどれだけ気づくことができるか、そういうものをどれだけ大事にできるかが、人間の関係性を保っていくと思っています。それがこの作品ではすごく丁寧に描かれているので、この世界の一員になれることがすごく楽しみになる脚本でした。
——サチとタモツのやりとりに、とても見応えがありました。濃密でありつつ、観客への押し付けがましさがなく、目を離せない生(ナマ)感があって。あのお芝居は、リハーサルで培ったものだったんですね。
岸井:リハーサルでは主にケンカのシーンをやりました。会議室にあるような長テーブルを組み合わせて、ロケセット風の小道具を使って、読み合わせだけじゃなく動きまでやって。
宮沢:やったね。“トイレットペーパー”と“願書”のシーンと…。
岸井:“お弁当箱”のシーン!
宮沢:やったやった。でも、そこで芝居を固めるということではなくて、「どういうテンションでアプローチしていこうか?」とみんなで探っていく、実験的な時間でした。そのシーンを完成させることが目的なのではなく、クランクインを迎えるにあたって、みんなの温度感を調整して合わせていく時間。その時間を経て、天野監督をはじめゆきのちゃんとのコミュニケーションが生まれたので、すごく気持ちのいい初日を迎えることが来ました。
岸井:「本読みをやったから安心だよね」、「リハーサルをやったら現場オッケーだよね」というコミュニケーションではなくて。一緒に食事に行ったりコーヒーを飲んだりする中での雑談で、お互いを知っていく時間が多分大事で。そこで人となりを知ることで、遠慮なく役に入っていけたので、大切な準備の時間だったと思います。
宮沢:うん。ほとんどただしゃべるだけだったよね(笑)。
岸井:その時間があって本当に良かったです。
——天野監督はお2人にどのように演出をつけたのでしょうか。
宮沢:「こうしてほしい」という演出ではなく、寄り添ってくれて、こっちに考える時間やゆとりを与えてくれるスタイルでした。芝居をしている中で、僕が「これでいいのかな」と悩んでいると、「今のはすごく良かったけど、んー、どうしよっか」と、一緒に考えてくれて。その中で、僕が「じゃあこれやってみてもいいですか」と提案することもあれば、天野さんから「これを足してみたらどう?」と言ってくれることもありました。で、やってみて、違ったら引き算する。お互いに生まれてきたものをうまく融合していくやり方でした。
——それはリハーサルだけでなく現場でも?
宮沢:現場でもです。たまに自分の中で答えが出ないときに、「天野さんからの答えがほしいな」と思ったこともあるけれど、そこで答えをもらったところでうまくいくとも限らないので、そこでこちらが苦しみながらも考える時間や機会を与えてくれる方でした。
岸井:リハーサルをやっても、実際にロケセットに入ってお芝居してみたらなんか違った、ということが結構あって。「こうかなと思ってたんですけど、今やってみたら違う気持ちになったので、こんなふうにやってみていいですか」みたいなことにも天野さんはすごく柔軟で、やりやすかったです。一緒に「うーん」と悩み込んでしまうこともあるんですけど。100%客観的な目で、というよりも、私たちの気持ちに寄り添って、一緒に考えてくれて、時には客観的な目線でものを言ってくれる監督でした。
初共演を経て
——お2人は初共演ですよね?
岸井:はい。当時は初対面でした。
——この2人で夫婦役を演じると知ったとき、どう思いましたか?
宮沢:すごくうれしかったです。ドラマや映画の画面から伝わる温かさや優しさが、実際にお会いしてももちろんありましたし、僕が想像していたよりもはるかに優しくてチャーミングな方でした。「この方と一つの作品を作れるんだ、なんて幸せなんだろうと」思いました。
岸井:いや~、私も氷魚さんの映画はもちろん観ていましたし、特に「豊饒の海」という舞台が印象的で忘れられなくて。舞台のセンターで白い服を着ている氷魚さんを見て、「本当に美しい人がいる!」と思ったんですよ!
宮沢:アハハ、うれしい(笑)。
——私も見ました!
岸井:見ました!? 一度ご一緒してみたいなと思っていたので、すごくうれしかったです。一緒にコミュニケーションをとる中で、やっぱり穏やかで温かくて。「氷魚さん、優しいといいな」と思っていたまんまの人でした。
宮沢:良かった(笑)。
岸井:おかげさまで現場も穏やかに進みました。
それぞれの役を演じて感じたこと
——岸井さんのサチからは前へ突き進むパワーと爆発力を、宮沢さんのタモツからは繊細さと「こうありたい自分」になれない葛藤を感じました。一緒にお芝居をしたシーンで、印象に残っていることをお聞きしたいです。
岸井:印象的なシーンが続くんですよね……(と考える)。
宮沢:そうですね……僕は道でケンカするシーンかな。
——先ほどの“願書”のシーンですね。
宮沢:僕はタモツに共感できるところがいくつかあるんです。自分の思っていることや感情を言葉にして伝えるのがあまり得意ではない、ちょっと不器用なところや、我慢して自分の中に溜め込んで、それがキャパを超えたときに爆発しちゃうところが。僕も結構そっちタイプなんですよ。だからあそこでタモツが自分で自分のことを止められなくなってしまうくらい、サチに強く当たってしまうことにすごく共感できるから、演じていてすごく苦しかったんです。タモツを演じているんだけど、ところどころ「自分も同じことをやってしまうな」と振り返ってしまって。怒っている自分がすごくかっこ悪いし、「サチになんでこんなことを言ってるんだろう」と自分がすごく惨めになって。タモツを通してもそうですし、自分自身にも返ってくるし、結構しんどいシーンでした。
岸井:私は、本当はタモツタイプなんですよ。
——え! そうなんですか?
岸井:そうなんです。(宮沢に)結構同じタイプだよね。
宮沢:うん。
岸井:言葉にするのに時間がかかってしまうし。なので私は、素直に思ったことを言えるサチが少しうらやましかったんです。それで後悔することもきっとあるだろうし、悪い方向に影響することもあるんですけど、「いいな」と思いました。サチってなんでもできちゃうじゃないですか。司法試験の勉強を軽い気持ちでやってみたら受かっちゃうし、仕事しながらの子育ても、もちろんタモツと協力しながらですけど、できちゃうし。そこにはできちゃう人の葛藤もあると思うんですけど、私はタモツの葛藤の方がやっぱり分かるから、(サチを演じるときは)「いやいや、私はパワフルにいきます!」という方向に意識的に持っていっていました。だから試写で初めて完成形を観たときに、私が演じているし、もちろん脚本で全部知ってるんですけど、エンドロールで「ごめんタモツ」という気持ちになったんです。
宮沢:アハハハ(笑)。
岸井:撮影中は「サチだからこうしなきゃ」というエネルギーで進んでいたけど、冷静になってみると、タモツに「ごめんね」って。現場では、言いたいことが言葉にならないタモツや、サチのちょっとした一言に突っかかってくるタモツがすごくリアルだったから、私もサチとして「は? 今の何?」と怒りをぶつけることができていたんだなと思いました。
——宮沢さんも完成した作品を観て、「ごめんサチ」と思いました?
宮沢:思いましたよ(笑)。タモツもタモツでいっぱいいっぱいだったと思うんですけど、もうちょっと寄り添うこともできただろうし、お互いに相手への気遣いが足りていなかったのかなって。気遣いすぎても良くないんですけど。2人で人生を一緒に歩んでいく中で、サチがいろいろな部分でアップデートして成長しているのに、タモツは自分をアップデートしきれていなかったので、そこでどんどん差が生まれてきて。アップデートにズレがあっても、そこでもうちょっとコミュニケーションを取り合っていたら変わったんじゃないかなとは思います。でも、コミュニケーションって難しいじゃないですか。本当のことを伝えるのってすごく苦しいときもあるし、聞きたくないことを聞かなきゃいけないときもあるし。そこがすごくリアルに描かれているなと思います。
「分かり合えなさ」への向き合い方
——人間がお互いを100%理解し合うことは無理だとして。お2人はそこにどう向き合っていますか? そこに答えは出ていますか?
宮沢:タモツじゃなくて僕としてですか?
——はい。
岸井:難しすぎる。
宮沢:(答えを)教えてほしい(笑)。うーん……(少し考えて)。全部自分の主張が通るはずがないですし、逆に全部を受け入れることもできないですけど……。人間関係において、“妥協”という言葉はあまり好きじゃないんですけど、自分の信念を折り曲げてでも向こうを受け入れなきゃうまくやっていけない瞬間もあるのかなぁ、悔しいけど(笑)。
岸井:あ~。
宮沢:「俺悪くないのになんで謝ってるんだろう」とは思うけど、長期的な関係性を考えると謝った方がいい、という判断です。でも自分はそれを一生忘れないからタチが悪いんです(苦笑)。相手は先へ進んで忘れているのに、こっちは「あのとき謝ったよな、俺」というのを嫌でも忘れることができないのが、苦しい。
岸井:この作品の取材が始まってから、何度か質問されたんですけど、まだ分からなくて。最初の頃は、「お互いに、自分が知らない時間を想像し合うことですかね」みたいなことを言っていたけど、インタビューしてくださる方といろいろ話していくうちに、「距離感ってめっちゃ難しい!」と思って。
宮沢:うん。
岸井:お互いに思いやることは大前提として、適度な距離感というものが重要なんだなと、ここ数日取材を受けて思い始めました。でも、お互いに好き同士だったら、近づきたいという気持ちがあるじゃないですか。少しずつでも。そのスピードや限度を誤ると、摩擦が生まれるだろうなというのは思いました。全部想像ですけど。
宮沢:アハハハハ(笑)。
——たくさんの取材を受けて、考えさせられた、と(笑)。この作品を見た人の多くも同じように考えると思います。本作には監督の実体験が脚本に自然と盛り込まれているそうですが、そういう話はされましたか?
岸井:それはもう! たくさん聞かせてもらいました。
宮沢:「本当にこの脚本みたいなケンカをするんですか?」と聞いたら、「今朝もしてきたよ」「え、そんな頻繁にあるんですか?」「あるある」みたいな(笑)。家庭でのケンカやぶつかり合う瞬間みたいなものは、すごくリアリティーを持って描いているなと思います。
岸井:天野監督、「ケンカしてもすぐに戻れる」って言ってたよね?
宮沢:言ってた。
岸井:それ、すごくうらやましいなと思います。
宮沢:そんなの、絶対無理(笑)。
岸井:そうなんだ。
宮沢:引きずりまくるよ。表面的には「もう終わり」と言っても、内心モヤモヤしていたり。長期的なことを考えると、その場しのぎのやり取りはよくないので、ちゃんとコミュニケーションをとることが大切だと思います。
——ジェンダーロールにおいても、サチとタモツはリベラルな考え方を持っているのに、タモツの実家を含む「社会」がそうさせてくれない部分がさりげなく、でも的確に描かれていて、切なかったです。お2人はこの作品を経験して、ジェンダーロールについての考え方に変化などはありましたか。
宮沢:これも言葉にするのが難しいんですけど……。前からそう思ってはいたんですけど、僕は今まで自分が当たり前だと思っていたことを、この作品を通して疑えるようになりました。その家族や家庭環境によって、いろいろなメソッド、やり方がある。「これが正解です」というものは何一つなくて。それぞれにある種の正解を導き出していくには、とにかくコミュニケーションをとることと、お互いの家族や友達など周りの理解が必要で。だからどんな関係性においても寛容に見守ろう、理解しようというメンタリティを持とうという思いは、この作品を経てさらに強まりました。夫婦やカップル、親子の関係性について、「周りがそうだからうちもそうしなきゃ」ということではなくて、自分たちがどうしたいのか、どういう生活を送りたいのかを考えるきっかけになる作品だと思います。
岸井:私もそう思います。佐藤さん(サチ)と佐藤さん(タモツ)は、「男だから」「女だから」という見え方になるとは思うんですけど、この2人はそうする方が良かったから、このスタイルになっただけなんですよね。周りの人から「お母さんが働いているから一緒にいられないのねー」と言われる場面がありましたが、周りがサチとタモツの生き方を受け入れることが根源的に大事だと思います。それはジェンダーの話ではなく、「人それぞれの生き方があるというだけの話なんだけどな」と思います。
PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI
STYLING:[YUKINO KISHII]AKIRA MARUYAMA、[HIO MIYAZAWA]KODAI SUEHIRO
HAIR & MAKEUP:[YUKINO KISHII]MISUZU MOGI、[HIO MIYAZAWA]KUBOKI(aosora)
[YUKINO KISHII]ジャンプスーツ 75万9000円/ジョルジオ アルマーニ(ジョルジオ アルマーニ ジャパン 03-6274-7070)、右ピアス 26万4000円、左ピアス 93万5000円、リング右人差し指 19万8000円、左人差し指 19万8000円/アーカー(アーカー ギンザシックス店 03-6274-6098)、その他スタイリスト私物 [HIO MIYAZAWA]ジャケット 参考商品、ドレスシャツ 12万8700円、パンツ 17万4900円、シューズ 参考商品、カマーバンド 参考商品、カフリンクス 参考商品/全てラルフ ローレン パープル レーベル(ラルフ ローレン 0120-3274-20)
映画「佐藤さんと佐藤さん」
◾️映画「佐藤さんと佐藤さん」
11月28日から全国ロードショー
出演:岸井ゆきの 宮沢氷魚
藤原さくら 三浦獠太 田村健太郎 前原滉 山本浩司 八木亜希子 中島歩
佐々木希 田島令子 ベンガル
監督:天野千尋
脚本:熊谷まどか 天野千尋 音楽:Ryu Matsuyama Koki Moriyama(odol)
主題歌:優河「あわい」(ポニーキャニオン)
配給:ポニーキャニオン
製作プロダクション:ダブ
2025年/日本/カラー/アメリカンビスタ/DCP/5.1ch/114分
©︎2025『佐藤さんと佐藤さん』製作委員会
https://www.sato-sato.com/






