PROFILE: トーマス・ルフ/写真家

ギャラリー小柳の開廊30年を記念し、ドイツの写真家トーマス・ルフ(Thomas Ruff)の個展「Two of Each」が12月13日まで開催中だ。同ギャラリーでは、2014年の「ma.r.s. and negatives」以来、11年ぶりの展示となる。今回は代表作の「Substrate」「negatives」に加え、日本初公開となる「flower.s」「untitled#」を含む4シリーズから各2点をセレクトし、1980年代から続くルフの創作を横断的に紹介。アナログとデジタルを往還しながら、写真の枠を拡張し続けてきた彼の創造性を感じさせる内容となっている。
オープニングに合わせて来日したルフに、展示意図やデジタル時代の写真表現、生成AIへの考えを語ってもらった。
“2つ並べる”ことで見えてくるもの
――「Two of Each」は、これまでに発表してきた4つのシリーズ「Substrate」「negatives」「flower.s」「untitled#」から2点ずつ展示するというスタイルだが、どんな意図でこの構成になったのか?
トーマス・ルフ(以下、ルフ):展示作品はアツコ(ギャラリー小柳代表の小柳敦子)と一緒に選びました。今回は自分の作品全体を見渡すような構成にしたいと話していたんです。そこで、過去の作品に改めて目を向けて、初期から現在までのシリーズを織り交ぜることにしました。「flower.s」と「untitled#」の2シリーズについては、日本では初公開になります。
「相談を進める中で、各シリーズから1点では少ない。ぞれぞれのシリーズを語るのに2点の方が伝わる」という話になりました。1点だけでは、作家の意図や流れが見えにくい。音楽もそうで、1曲ではよく分からなくても、2曲聴くとそのミュージシャンのセンスや考えがつかめることがありますよね。同じように、今回の展示でも2点を並べることで、シリーズの本質や世界観がより立ち上がってくると考えました。
――1990年代から活動を続ける中で、写真のメディアはどう変化したと感じているか?
ルフ:5ギガの画像ファイルをインターネットでやり取りできる今から考えると、自分が学生時代に始めた写真はフィルムを使い、暗室で現像とプリントを行うものでした。とてもアナログでスローなメディアだったと言えますね。手法も流通の仕組みも、今とはまったく違っていましたから。
90年代の中盤から2000年ごろにデジタルカメラが登場しましたが、当時のデジタルカメラは解像度が低く、フォトショップのようなツールを持っていてもデジタル写真を扱うことはできませんでした。そこで私は、4X5インチカメラで撮影し、そのネガをスキャンしてフォトショップで処理するという手法を選びました。写真をデジタル化するというやり方は、新しいレンズを手に入れたような感覚でしたね。
――自身の作品にはどんな影響があったか?
ルフ:自分の作品は常に、写真の成り立ちや在り方を追求するところから始まっていると思います。1枚の写真がどう撮られたものか、どんな形式で保存されているのか。あるいは、その写真と人々との間でどんな関係をつくるのか。そうした興味が根底にあり、「Portraits」や「Stars」「Nights」といったシリーズが生まれました。
この関心は、デジタル化が進んだ00年以降も変わりませんでしたが、同時にデジタルファイルそのものの構造にも興味を持つようになりましたね。その結果、「nudes」や「Substrate」の制作へとつながっていきます。デジタル化によって、コンピューターのブラウザが自分にとってのもう1つの制作現場に。私はダークルーム(暗室)と対比して「ライトルーム」と呼んでいます。
――それぞれのシリーズ作品について教えてほしい
ルフ:「Substrate」は、カラフルでサイケデリックな印象ですが、元の素材は写真ではなく、日本の漫画なんです。このシリーズには、当時の自分が感じていたインターネットの在り方が投影されています。情報や知識があまりにもあふれているため、全てを手に入れることはできない。そういったノイズや騒々しさを表現しました。
アナログとデジタルに加え、両者を融合させるという試みもあります。その代表が「flower.s」シリーズ。自分の庭の植物をライトボックス上で撮影し、マン・レイ(Man Ray)やクリスチャン・シャド(Christian Schad)の作品によく見られるソラリゼーションの技法をデジタルで再現しました。写真のコンポジションについて改めて考えたシリーズでもありますね。
世界の捉え方と創作の起点
――自身の創作活動を通して、どんなことを世の中に発信・共有したいと考えている?
ルフ:自分が意地の悪い人間だということは、あまり共有したくありませんね(笑)。作品には、どれも自伝的な要素があると思っています。私はごく普通の生活を送り、建築やインテリア、周囲の人々など、身の回りの環境からさまざまな影響を受けながら制作しています。良いことも悪いことも、好き嫌いもある。そのままが作品に反映されていると思います。
何かに気付き、それが頭から離れなくなると制作を始めます。15年ほど前に出合った出来事が、突然ふっと浮かび上がり、「今このテーマに取り組もう」とスイッチが入ることもある。こうした感覚は、きっと私だけのものではありません。だからこそ、自分の世界の捉え方を少しでも多くの人に面白がってもらえたらうれしいです。
――生成AIが新たな時代のキーワードであり、アートの領域にも及んでいる。このテクノロジーについてどう感じるか?
ルフ:個人的に、生成AIはばかげた存在だと感じています。AIが作成したものを面白いと感じたことが一度もありません。既存のイメージを取り込んでいるに過ぎない存在が、果たして“すでにあるもの”を超えられるのでしょうか?私にとってクリエイティビティーとはまだ見ぬ何かを生み出すこと。AIにそれは不可能だと思いますね。
テクノロジーはいつもより快適な何かをもたらしますが、同時に私たちがそこで何かを失っているという事実も見逃せません。かつては存在した感覚や感性、ものの見方などが失われていく。しかしもっと危険なのは、失われていることにすら気が付かないことです。
――写真の見方や捉え方についてはどう考えているか?
ルフ:私たちはアートや写真を見るとき、目で見るのではなく“脳”で見ています。ステレオスコピック写真を撮ることができるカメラを持っていますが、これは2つのレンズで撮影し、2つのイメージが重なり合うことで3D画像が生まれる。脳内でイメージを形作っているという良い例だと思いますね。
つまり、作品を見るとき、その人がこれまで経験してきたことやルーツ、文化的背景が必ず作用しているということ。それぞれの自分の視点で作品を見つめ、そのプロセスを通して世界を見ていると思います。
――コンセプチュアルな作品は、難解だと捉えられることも少なくない
ルフ:時に現代アートは難しいとされます。多くの人が「理解できるだろうか」と恐れを抱き、理解できないと感じた瞬間に、その場を離れてしまうこともあるでしょう。それはとても残念なことです。私なら「アートは、その場で即座に理解しなくてもいい」と言いますね。急がなくて良い。ただ、見ることが大事です。
最初は殻の中に閉じこもっているように、何も見えないかもしれません。でもあるとき、何かがトリガーになって、殻が割れることだってある。そしてその割れ目が大きくなっていくほどに、今まで見えなかった世界が見えてくる。そうなったときは、また作品の所へと戻れば良い。好奇心を失わないことが大切です。