PROFILE: 髙橋慎志フォーティファイブアールピーエムスタジオ社長

天然藍を使った本藍染めで知られる「45R」を手掛けるフォーティファイブアールピーエムスタジオは9月8日、東京・銀座5丁目に銀座本店をオープンした。4フロアからなるビルを丸ごと借り切り、1階には約300年前の古民家の柱を据えた。店内の木組みは、什器倉庫のある滋賀県で4フロア分をいったん仮組みし、銀座に運び込んだという。約30年前、社長自らが500〜800ドルのジーンズを携えてニューヨークに乗り込み、今や海外売上高が国内に並ぶ規模に成長した。コスパやタイパが重視される時代に、なぜこれほどまでに手間と時間をかけるのか。髙橋慎志社長(66)に聞いた。
300年前の柱は「タイパ」では測れない
WWD:銀座本店は、壁一枚、柱一本にまでこだわりが感じられる。
髙橋慎志社長(以下、髙橋):銀座に持ってくる前に、4フロア分の木組みを、什器倉庫のある滋賀で一度仮組みしている。それを解体して運び、銀座でもう一度組み上げた。手間もお金もかかっているが、例えば銀座のすし店の内装は坪700万〜800万円くらいすると聞く。それに比べれば、われわれがかけている費用はずっと少ない。
WWD:「45R」はこれまでも、店舗づくりにお金と手間をかけてきた。どんな考えで店をつくっているのか。
髙橋:今朝も会社で話したのだけれど、僕はコスパとかタイパとか、そういう考え方が好きじゃない。コスパやタイパを優先して、心に響かないものをつくってしまったら、それこそ無駄だし、環境にも悪い。でも、それとは違う価値観やビジネスのやり方があるんじゃないか。1階に使ったのは、探し出した約300年前の古民家の柱。お披露目会で関係者の皆さんがすごく喜んで、感動してくれたのが、とてもうれしかった。
原点のニューヨーク、「法隆寺を持っていこう」
WWD:海外事業が好調だ。今では売上高の半分近くを海外が占める。
髙橋:海外事業の原点は、約30年前に進出したニューヨークの店だ。当時は国内事業の調子も良く、このまま続けていれば何の苦労もないというタイミングだった。ただ、海外で通用しなければ、いずれ駄目になるという危機感があった。それに、自分が年を取ってからの挑戦は絶対にきつい。だから若いうちに店を出したかった。
WWD:現地の反応はどうだったのか。
髙橋:市場調査に行ったとき、バーでたまたま隣り合わせた人たちに「何をしに来たんだ」と聞かれた。「ジーンズの店を出しに来た。商品単価は500〜800ドルだ」と答えたら、即座に「帰った方がいい。そんな高いジーンズが売れるわけがない」と言われた。向こうではウォルマートに行けば10〜20ドルのジーンズが山積みで、当時の売れ筋も40〜60ドルほど。仲の良いニューヨーク駐在の商社マンからも「絶対に売れない」と言われて、かなりカチンときたのを覚えている(笑)。
だったら、むしろ本気で、ジーンズと同じくらい「日本」を打ち出そうと考えた。店舗をどうするか京都の大工集団と話し合い、「それなら日本の原点である法隆寺だろう」と。法隆寺の回廊を再現しようと、信楽焼で壁をつくった。そのために信楽に登り窯までつくった。
WWD:店を開いてみて、どうだったのか。
髙橋:実は1年目は苦しかった。お客さんは「何だろう」と入ってきて、口をぽかんと開けたまま出ていく。最初はそんな感じだった。でも2年目から、じわじわと数字が上がってきた。
もちろん試行錯誤もあった。米国にはさまざまな体格の人がいるから、サイズをもっと増やすべきだというアドバイスも受けた。でも、そんなことをしたら在庫過多になってしまう。結局、ワンサイズ大きな商品を加えるだけにとどめ、基本的にはわれわれのサイズ感でやることにした。小さなことに見えるかもしれないが、あのとき本当にサイズを増やしていたら、たぶん今、会社はない。先行事例がなかったからこそ、一つ一つ、できることとやるべきことを積み上げていった。
海外の伸びは「戦略よりスタッフ」
WWD:コロナ禍以降、海外売上高が大きく伸びた。何が成長につながったのか。
髙橋:ものづくりばかりが注目されがちだけれど、実際には現地のスタッフが育ってきたことが一番大きい。展示会のたびに海外の販売スタッフにも来てもらい、ものづくりについて丁寧に勉強会を重ねてきた。ディスプレーの方法を伝え、コーディネートの勉強会もする。
今朝の朝礼でも海外担当者から、香港と日本を行き来するお客さまに「どこの店に行っても、同じように気持ちのいい接客をしてくれる」と褒めていただいたという報告があった。こうした積み重ねが、売り上げという分かりやすい形で表れている。
WWD:海外事業は、国内に並ぶ規模になった。
髙橋:実は約30年前、ニューヨーク進出時にタキヒヨーの元社長、滝富夫さん(編集部注:米国で「ダナ・キャラン(DONNA KARAN)」の創業を支えた経営者の一人)から「国内と同じくらい数字は行くよ」と太鼓判を押されていた。僕はその言葉をずっと信じてきたし、実際に言われた通りになった、というのが正直な感想だ。
WWD:日本製にこだわることの意味が問われた時期もあった。
髙橋:郊外のショッピングモールや地方の路面店へのチェーン展開で成功する企業が出てきたころだ。日本のアパレル業界全体で海外生産が急拡大していたけれど、僕らにはできないし、僕らの生きる道ではないと思った。この道でいい、と。ただ、苦しかったし、時代とうまくかみ合っていないとも感じていた。事業だから、いいときもあれば悪いときもある。今はいい時期だと思う。
藍染めを「つらい、苦しい、儲からない」から変える
WWD:本藍染めに力を入れてきた。2024年10月にニューヨークに開いた「藍職人いろいろ45」では、1232ドル(約18万円)のデニムパンツや740ドル(約11万円)のTシャツが売れ、開店から5カ月間の客単価は約1787ドル(約26万円)だった。
髙橋:本藍染めの製品は生産数に限りがあり、売れたからといってすぐに追加できるわけではない。藍は日本文化の中でも最も大切なものの一つだと僕は思っている。ただ、藍染めに限らず、日本の工芸は「つらい、苦しい、儲からない」という世界だ。それでも多くの職人たちが、今も懸命にものづくりに取り組んでいる。
儲からないのは、ただ染めるだけでは土産物になってしまい、高い値段を付けられないから。しかも、やぼったく見えてしまう。一方で藍染めの現場に行くと、海外からの評価や関心の高さに驚く。多くの外国人が学びに来ていて、日本の藍染めについてもかなり詳しい。大手ラグジュアリーブランドが提携するケースも増えてきた。
海外から高く評価され、本当に素晴らしいものなのに、日本人自身が無関心だったり、その価値に目を向けていなかったりするのではないか。そんなジレンマをずっと抱えてきた。「藍職人いろいろ45」では、藍染めをファッションという現代のライフスタイルに落とし込むことで付加価値を高め、相応の価格で販売し、次の世代につなぎたい。「つらい、苦しい、儲からない」という藍染めのイメージを、もっとポジティブなものに変えたいんだ。
WWD:福島県川俣町では、藍の栽培から染色までを一貫して手掛ける計画も進めている。
髙橋:よく知っているね。名古屋にあった工場を福島に移した際、現地のパートナーから少し離れた丘の上にも第二工場があると聞いて、見に行った。すると、カレンダーは3月11日のまま、時計は2時46分で止まっていた。2011年の東日本大震災で被災し、そのままになっていた。
目の前の畑には一面に菜の花が咲いていて、いい場所だなと思っていたら、その畑は工場の従業員の実家の土地だという。だったら、ここを藍畑にして、第二工場を工房にしよう、と。農業なんてやったことはなかったけれど、そう決めたら自治体や周辺の農家など、いろいろな人が協力してくれた。第二工場には京都から古民家を移築して工房にする予定で、来年6月の完成を目指している。
WWD:生産規模はどのくらいになるのか。
髙橋:藍の収穫量は年間1トンを見込んでいて、デニムに換算すると約1500本分を自社で染められるようになる。畑の周囲にも空いている土地があるので、まだまだ増やせる。
意外だったのは社員の反応だ。新工場のスタッフを募集すると、多くの人が手を挙げてくれた。アパレル会社に入ったのに福島で農業なんて、と言われるだろうと思っていたのに、店長クラスのベテランから新人まで次々と「やりたい!」と。新卒採用でも、農業をやりたいことを志望動機に挙げる人がいた。時代の変化を感じるね。
4勝5敗、「やめなきゃ失敗じゃない」
WWD:前例のない挑戦を続けてきた。失敗や挫折はなかったのか。
髙橋:諦めなければ失敗じゃない(笑)。とはいえ、失敗もたくさんしている。ロンドンやハワイからは撤退したし、国内でも不採算店舗を閉めたことがある。振り返ってみても、4勝5敗くらいかな。
WWD:最後に、銀座本店の売り上げ目標は。
髙橋:年間10億円が目標。でも、たぶんもっと上、その倍くらいは行くんじゃないかな。
写真で見る「45R」銀座本店
PHOTOS:HIRONORI SAKUNAGA