ファッション

丸の内の命運を決めた「エルメス」:見果てぬ街づくりvol.1

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全国で街づくりに携わってきたビルダーズ代表の安田耕司氏による新連載をスタートする。魅力を高め、にぎわいを作る商業開発の裏側には、どんなドラマがあったのか。まずはオフィス街を華やかなショッピングストリートへと変貌させ、今や語り草になった東京・丸の内の改造プロジェクトから。(この記事はWWDジャパン2022年6月20日号からの抜粋です)

 2002年10月某日。三菱地所・SC営業部のデスクに戻ると、電話が鳴った。相手はエルメスジャポンの齋藤峰明社長。パリからだった。

 「丸の内の店舗移転の件、本社の了解を取ったよ。1、2階の140坪で進めてくれ。えっ、小さすぎる? 無理言わないで。これでも精一杯だったんだよ」

 私は胸をなでおろした。懸案だった「エルメス」丸の内店の移転増床が決まった瞬間だった。ここから仲通りの店舗誘致が勢いづいていく。

 時間をさかのぼって説明しよう。「エルメス」は1979年に日本1号店を丸の内に開き、すでに20年以上経過していた。2001年6月には銀座・晴海通りに本社機能を併設した大型旗艦店「メゾンエルメス」を開店。イタリア人建築家レンゾ・ピアノによるガラスブロックの建物は一躍、名所になった。だが銀座が評判になればなるほど、私の悩みは深まった。隣にある丸の内から撤退するのではないか——。

「何坪でも差し上げます!」

 大企業の本社が集まる丸の内は当時、土日は閑散となるオフィス街だった。ビルの1階には銀行や証券会社の店舗が軒を連ねていたが、90年代後半になると金融再編による統廃合が相次ぎ、路面の空室が目立つようになる。肝心のオフィスも森ビルなど他のエリアの新築ビルに押されていた。丸の内に何棟ものビルを有する三菱地所は窮地に追い込まれる。日経新聞には「丸の内のたそがれ」と書かれる始末だった。

 巻き返すべく三菱地所は98年、「丸の内再構築」を発表する。先陣を切った丸ビルの建て替え(02年竣工)は大成功を収めたが、まだ端緒にすぎない。私たち商業リーシングのチームは、銀行跡地にファッションブランドなどを誘致した。すると社内からは「ここは業務(ビジネス)の街なんだよ」と反対が続出した。丸の内の商業化は会社で機関決定して始めたものではない。実績を作りながら、一枚岩ではなかった社内を納得させていくしかなかった。

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