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変わるロシアのファッション “おそロシア”の先入観を払拭するため首都モスクワを取材

 ロシアほど疑惑に満ちた国がほかにあるだろうか。政治的な疑惑は数知れず、オリンピックが開催されるたびに国家ぐるみの大規模なドーピング疑惑が浮上する。2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが干渉したとされるロシア疑惑はいまだ解明されぬままだ。「たやすく笑顔を見せることが低俗である」という文化が根付いているため無愛想な印象を抱かれており、映画などでもロシア人は冷徹に描かれることが多い。筆者も政治的印象と先入観だけで勝手に“おそロシア”観を持っていたが、だからこそ引かれる側面もあり、2020年春夏シーズンのメルセデス・ベンツ・ファッション・ウィーク・ロシア(MERCEDES-BENZ FASHION WEEK RUSSIA)に参加するため初めてロシアを訪れた。

 ロシアは世界最大の国土を有するものの、大半が極寒地域のため、人間が住むのに適しているとされるのは国土面積の23%だ。全体の国土面積は日本の約45倍、人口は約1億4500万人と日本を少し上回る程度である。18年度のGDPランキングによると経済規模は世界12位(日本は3位)。世界的な日本企業といえば三菱自動車、パナソニック(PANASONIC)、ユニクロ(UNIQLO)などの名が浮かぶが、世界的なロシアの企業は?と問われてすぐに答えられるだろうか。実際のところロシアは製造業が発展途上国並みで、国の経済を支えているのは輸出の60%以上を占める石油や石炭、貴金属といった天然資源である。ここ数年で小麦の輸出量は伸びたものの、微々たるもの。天然資源依存型の原始経済から脱却して経済や産業の近代化を進めようとするも、ソビエト連邦崩壊から約30年後の現在も数字的に大きな変化は見られない。

数々の巨大建造物の威圧感に驚き

 ソビエト連邦時代の名残りは経済だけでなく、首都モスクワ市内に多く見受けられた。まず驚いたのは、とにかく建築物が巨大であるということ。高層ビルは東京の方が圧倒的に多いものの、ここでいう巨大とは高さではなく、横幅や扉の大きさ、1フロアの高さなど全てがとにかく大きくて威圧感を覚えるほどだ。これはソビエト連邦時代の建築に見られる特徴で、国家の権威と共産主義の偉大さを表現し、労働者を鼓舞する意図があったためだという。特に、第2次世界大戦時に最高指導者として旧ソビエト連邦を主導したヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(Joseph Vissarionovich Stalin)体制の時代に建てられた建築物は“スターリン建築”と呼ばれ、モスクワにある7つの代表的な建物は観光名所でもある。さらに、街中を歩いていると角を曲がるたびに銅像や絵画に出くわす。兵士の絵や肖像画などのほか、銅像に関しては大きいものから名も刻まれていない小さなものまでとにかく街中に溢れており、愛国心を強調する共産主義国家の意図が感じられた。

 巨大な建物と無数の銅像が並ぶモスクワ市内だが、車線と歩道が広く、木々も多いため都会ならではの息苦しさはなかった。しかし、公道が8車線あっても交通量が多く、常に渋滞がひどい。モスクワは首都であるにもかかわらず高速道路は一本もなく、インフラ整備の遅れが顕著である。ロシア企業家産業家同盟(ロシアの経団連に相当する組織)が2013年に発表した報告によれば、ロシアで活動する外国企業はロシアにおけるビジネス障壁として、50%が形式主義的な許認可手続き、42%が汚職、37%がインフラ整備の遅れを挙げている。インフラ未整備は経済成長促進を妨げる要因の一つとして政府も認識しているが、財源がネックとなって予算の優遇措置ができない状況が続いている。

若い世代の台頭で変化の予感

 このような経済問題や不安定な情勢、閉鎖的な貿易環境はロシアを拠点にするデザイナーにとって障壁である。しかしここ10年でロシアのファッション産業は変化をし始めている。その理由はポスト・ソビエトと呼ばれる、ソビエト連邦崩壊前後に生まれた若い世代の活躍にある。彼らを代表するのが「ゴーシャ ラブチンスキー(GOSHA RUBCHINSKIY)」や、世界の主要百貨店やショップにアカウントを持つ「ウォーク オブ シェイム(WLAK OF SHAME)」と「ヴィカ ガジンスカヤ(VIKA GAZINSKAYA)」だ。「ロシアのファッション産業は未開、もしくは開拓が始まった第一段階」と語るのは、11年に「ウォーク オブ シェイム」を立ち上げたアンドレイ・アルティモフ(Andrey Artyomov)だ。「ロシアは政治や経済的な問題でブランドや会社を立ち上げるのが容易ではないうえに、市場が小さいために成長の見込みが薄い。しかしここ10年で、世界がロシアのデザイナーに注目するようになった。さらに最も大きな変化は、ロシア人が自国の若手ブランドに強い興味を示すようになったことだ。僕がブランドを始めた8年前には、想像すらできなかった」。ロシア版「ドーバー・ストリート・マーケット(Dover Street Market)」と称されるコンセプトストア「KM20」の創業者オルガ・カープット(Olga Karput)も、アルティモフの意見に賛同する。「09年にオープンしてから、ロシアの消費者の変遷を体感してきた。ファッションは上流階級者の娯楽ではなく、自身を表現する一つの手段であることや、アートとの結び付き、コミュニティーに属することの喜びなど、さまざまな面が多くの人に知られるようになった。具体的な変化といえば、性差が曖昧になり、『ラフ・シモンズ(RAF SIMONS』『マーティン ローズ(MARTIN ROSE』『ア コールド ウォール(A COLD WALL)』などのブランドを男女ともに支持していることだ」とカルプットは説明した。ロシアでは13年に同性愛宣言禁止法が可決されており、一般的には性差について寛容ではないとされているが、ファッションの分野においてはジェンダー・ニュートラルの思想が進んでいるようだ。これはメルセデス・ベンツ・ファッション・ウィーク・ロシアに参加してショーを開催したブランドにも見られた傾向である。

若い世代は自国の無二の魅力に気づくべし

 ロシアのファッション産業は開拓が始まったばかりだが、未来は明るいように思う。なぜなら、ロシアには他国にない独特の美意識と感性があるからだ。街中には美術館や劇場がたくさんあり、ロシア構成主義やロシア・アヴァンギャルドなど歴史の中で築かれた独自の美術様式が数多く存在する。バレエやオペラといった舞台芸術も盛んで、立派な国立劇場での鑑賞チケットは約1200円という安価で手に入り、国民にとって芸術鑑賞がいかに身近であるかがことさらに分かった。また、ロシアにおいて最大の宗教とされるロシア正教の教会の建築や内部の色彩は非常に独特である。文学においても、ドイツの国際市場調査機関の調査によると、ロシア国民は世界で2番目に読書時間が多いという。言語的思考が創造性に与える影響は大きいと筆者は考えており、ロシア語やキリル文字といった独自の言語を守り続けているのも強みになり得る。ファッション産業を成長させるには教育が必要だが、モスクワには5年前にイギリスの大学と提携してアート&デザイン英国学校「HSE大学」が設立された。

 独特の美意識や豊かな歴史といったクリエイションに必要な要素はそろっており、あとはロシアの次世代がその魅力に気付くことだけだと思う。そのためには、いったん国外に出て自国を客観視するのもいいだろう。「共産主義時代の影響で閉鎖的な思想や反移民感情がいまだロシアには残っている」とパリ在住10年のロシア出身の友人は話すが、上の世代や古い概念に対抗するパンクな精神を持ったポスト・ソビエトに期待したいものだ。今回初のモスクワ渡航で美術や歴史といったロシアのさまざまな魅力と現地の人々と交流を持ったことで“おそロシア”のイメージは一気に払拭された。現地まで実際に足を運んで体験することの重要さをあらためて感じた次第だ。

ELIE INOUE:パリ在住ジャーナリスト。大学卒業後、ニューヨークに渡りファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。2016年からパリに拠点を移し、各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビュー、ファッションやライフスタイルの取材、執筆を手掛ける