PROFILE: 成田詠子/国連人口基金(UNFPA)駐日事務所所長

サステナビリティの議論は、これまで環境課題を軸に進んできた。しかし今後、同等の重みで問われるのが「人的資本」の観点だ。ファッション産業は、労働力の多くも消費者の多くも女性が占める。本来なら女性の権利や選択肢をめぐる論点こそ、この産業の持続可能性の中核にあるはずだが、環境ほどには業界の共通言語になっていない。この空白を埋める手がかりを、世界中の女性・少女の性と生殖に関する健康と権利(SRHR)を担う国連人口基金(UNFPA)駐日事務所の成田詠子所長に聞いた。浮かび上がったのは業界が自分の位置を測る「北極星」のような視点。結果として、人権とは何か、という最も根本的なところから話が始まった。
イエメンの「アンダーグラウンド・パーティー」で見たもの
WWD:イエメン、バングラデシュなどでの経験の中で、現在の視座を形作った出来事を教えてください。成田詠子 UNFPA駐日事務所所長(以下、成田):2つ思い浮かびます。イエメンとバングラデシュ。どちらも少女や青年といった若者から学ばされたことでした。
イエメンに赴任したのは、アラブの春の時期です。安全上の危険度が高く、私たち国連職員も外を歩けない状態でした。ただ、UNFPAはユースとの関わりが非常に強く、彼らをステークホルダーとして活動しています。そんな中で、お忍びで「私たちのアンダーグラウンド・パーティーに参加しないか」と誘われたんです。
WWD:怖くなかったですか。
成田:「アンダーグラウンド・パーティーって何?」と思いました(笑)。行ってはいけないかもしれないと思いつつ、一緒に活動している若者たちからの誘いでもある。しかも夜なんですよ。迷った末に、一人で行くことにしました。ドライバーさんなど一部には報告しましたが、かなりグレーゾーンでの参加でした。
どんなことをしているのかと身構えて行ったら、10代の女性や20代の男性が集まっていて。そこで一番驚いたのは、詩でした。
WWD:詩ですか。
成田:詩のリサイタルだったんです。イエメンでは、思春期に入った青年と少女は一緒にいられません。イスラム教の教えのもとで高校も別々ですし、男女が共学することはほとんどない。それを破って、男女で詩を発表していた。
アラブの春は、イエメンではユースの活動から始まりました。ノーベル平和賞を受賞したタワックル・カルマンさんの活動も、ユースが出発点です。その場で若い人たちが、どういう社会を築きたいか、どういう夢があるかを詩で表現していた。これが彼らにとっての自由だったんですよね。
「活動」とは街頭でデモをするようなものだと思っていたので、驚かされました。でもこれも、ある意味レボリューションなわけです。世間一般には、若者が集まるととんでもないことが起こるというイメージがある。でも実際には、若い人たちだからこそ平和や夢を語れる。国連職員である私でも、常に彼らの声を聞くことが重要ではないか、これがイエメンで学んだレッスンズ・ラーンドでした。自分たちがここにいていい、という存在の定義。その必死な思いを、平和的な詩で語っていました。
15歳の少女に「もっと調整してください」と言われて
成田:もう一つの経験はバングラデシュです。災害の多い国で、特に北部のマイメンシンで、私たちは国連世界食糧計画(WFP)と一緒に災害プロジェクトを行っていました。そのサイトで、人道支援の要職にある方々を招いて成果を披露するイベントがありました。受益者である青年・少女も呼んで。UNFPAはそこで生理用品を配布していました。コロナ禍でしたので、本部のハイレベルな職員はオンラインで。その場で受益者の少女の一人に「このプロジェクトをどう思いますか」と聞いたんです。当然、意義があると確信させてもらうつもりでした。実際それは言ってもらえた。ただ、その少女はこう付け加えました。
「WFPとUNFPAが一緒に物事をやるんだったら、もっと調整をよくしてください」。
WWD:どういうことですか。
成田:効率性を上げてくれ、と。WFPが配っているものはこっちの館、UNFPAはあっちの館。両方行かないといけない。「でも私、学校に行っているんです。そんな時間はありません」と。
その場のみんなが真っ青な顔になりました(笑)。国連同士が話をして、右手と左手のやっていることを互いに分かるようにしなさい、というお叱りです。それ以降、WFPとは少し違う形でプロジェクトを進めました。
その意見が15歳から出てくるのは、強烈でした。受益者の立場に立つとは、恩恵を受けるだけではない。フィードバックという重要な役割もある。プロジェクトは一方通行ではないんですよね。
「支援する側」と「同じ社会を生きる当事者」
WWD:成田さんは以前、(世界女性デーを記念して民放の女性アナウンサーとお話をした特別企画で)ご自身が「パートナーがいる」と付け加えた背景に、日本社会の「ひとりぼっちがいけない」という見えない圧力があったと語っています。世界の女性の選択肢のために発言する一方、ご自身も日本社会を生きる一人の女性です。この二重の立場をどう捉えていますか。成田:開発の仕事に携わって22、23年目になります。その間に、私自身の考え方も変わってきました。
始めた頃は、素直に世界を助けたい、何か貢献できればという思いが強くありました。その思いは今も強い。ただ、それは「What I do」なんですよね。変わってきたのは「How I do」——どういうやり方で、というところです。
若い頃は、私は国連の職員であり、国連の仕事をやっているという感覚でした。2000年からのミレニアム開発目標(MDGs)を推進し、達成するお手伝いをする。MDGsは開発においてとても重要な役割を果たしました。ただ、2015年に持続可能な開発目標(SDGs)へ変わって、目標が8つから突然17に増えた。その違いは何かというと、MDGsは発展途上国のための開発なんです。
SDGsは、途上国も先進国も含めた世界全体の開発になる。語る領域が全世界になる。これは多分、私の中でもそうなったなと思うんですよね。最初は途上国。だけれども今は、自分も、自分が住んでいるところも、その目標に向かう側の一員だと。
具体的には、「パートナーがいる」と付け加えた自分です。自分もそういう社会的プレッシャーを感じたから、そう言い、そう対応した。男女共同参画を進めていこうという流れの、そのギャップに自分もはまっていた。そういう自分に気がつくことが重要だったかなと思います。
WWD:8から17へという、より大きな世界を取り込むメッセージが先にあった。国連はある意味その枠組みを「作る側」でもありますが、根本の考え方が変わると、作る側自身も影響を受けるものなんですね。
成田:そうですね。日本にもすごく関連することじゃないか、と感じました。平等や水の問題はピンとこないかもしれない。でも気候変動は、今年の状況を考えてもとても関連する。
WWD:つまり成田さんご自身も、SDGsが示す「誰もが当事者」という視点を体現しているんですね。
グローバルサウスと日本の「選択肢のなさ」は、つながっているのか
WWD:グローバルサウスでは水や教育、生理の貧困などが課題になる一方、日本にも生理の貧困やジェンダーギャップがあります。女性が直面する「選択肢のなさ」は、どこまで共通しているのでしょうか。成田:直面しているジレンマは、ある意味とても相対的だと思います。バングラデシュにはきれいな水が飲めない少女がたくさんいる。イエメンには学校に行けない子どもたちがまだいる。それに比べれば、日本にそういう選択肢の壁はない。
ただ、人権の上では普遍的です。イエメンの少女でも、バングラデシュの少女でも、生理の貧困から学校に行けない日本の女の子でも、本来あるべき人権が侵害されている、受け取れていないという発想は変わりません。
世界人権宣言——UNIVERSAL DECLARATION OF HUMAN RIGHTS——には、守られるべき人権がすべて書かれています。そこから漏れている割合は、女性が多い。そこは本当にユニバーサルです。それがどう表れるかが、水がなかったり、教育が受けられなかったり、生理の貧困だったりする。
WWD:守られるべき人権を受け取れていないのは、世界中どこでも女性のほうが多いのでしょうか。
成田:一概には言えないのですが、どのセクターを取っても女性が脆弱であるというデータはよく出ています。
ただ、日本も世界経済フォーラム(WEF)による2025年のジェンダーギャップ指数を見ると148カ国のうち118位です。ここ5年ほどで上がってはいると思うんです。それでも118位はかなり下のほうにある。それが今の日本の、ジェンダーに対する現実ですよね。
「人権って、何なんですか」
WWD:ここで超根本的な質問になりますが、人権って、何なんですか。
成田:普遍的で、(他人に)分けられないものです。あなたに私の人権を半分あげるから私は50%しか持っていません、という分け方はできない。個々に帰属するものであり、同時に普遍的。誰にでもあるものです。
WWD:生まれたときからもう持っている。何の権利ですか。
成田:世界人権宣言に書かれている権利です。生まれてきたすべての人が、性や人種、肌の色、教育レベル、宗教などの違いをもって差別されてはならない。その中で私が一番痛感するのは、尊厳です。ディグニティ。一人ひとりの尊厳が守られていること。とても難しいことなんですけれども。
WWD:課題の表れ方は違っても、人権という一本の糸でつながっている、と。
成田:その通りです。
「優しさ」ではなく「当然のこと」
WWD:日本では女性の課題が「福祉」「配慮」「思いやり」の枠で語られがちです。「権利」「選択肢」として語ることとの違いを、どう説明されますか。
成田:本当に難しい。いつもビクッとするんですけれども。人権は普遍的で分けられない、すべての人にある権利です。優しさに思えるかもしれないけれど、優しさではない。当然のことなんです。
では優しくないのかというと、皆さんの人権が満たされれば、感情的には気持ちのいいものだと思うんです。優しさを感じるかもしれないし、感じないかもしれない。ただ、人権自体が優しさかと言われたら、それは違う。
WWD:これは感想ですが、ハラスメントの話にもつながる気がします。「君のためを思って」という言葉がよく出てきますよね。君のためを思って強く言っているんだ、と。でもそれは、もしかしたら権利を侵害しているかもしれない。その狭間で現実世界は揺れているような気がします。
成田:そうだと思います。その交差するところをまとめようとすると、とても複雑になる。ただ、世界人権宣言に基づいた権利は世界で合意されていて、すべての人にあるべき権利です。そこから外れるものは権利を侵害している、というのが一番はっきりした認識ですね。
理解において、たまに間違ってしまうのは「私オンリー」になってしまうときです。ミー、ミー、ミー、というか。私の幸せが私の人権だ、と。でも人権宣言の根底には、必ず「相手を傷つけない」ということがある。相手の人権を奪ってまで自分の人権を主張することはできない。分けられないものですから。
例えば集会を開く。これは宣言の中の権利です。たとえ政治的に反対の意見でも、自分にとってそぐわない主張だと思っても、その集会を開く権利は守られなくてはならない。
ファッション産業について。バングラデシュで見た、答えの出ない会議
WWD:バングラデシュは日本のファッション産業にとって重要な生産地です。2013年、ダッカ近郊でラナ・プラザの崩落事故が起き、1100人以上が犠牲になりました。この産業がサステナビリティに取り組み始める、ひとつのきっかけとなった事故です。現地で見た女性たちの姿は、私たちが「サプライチェーン」という言葉から想像するものと、どう重なり、どう違っていましたか。成田:この質問をいただいたとき、いろんな思いがぶわーっと湧いてきました。私自身は縫製工場に足を運んだことはないのですが、バングラデシュを出る前にもう一度、ラナ・プラザに近しいような火事があったんです。
火事の後に開かれた集会のような場に私も参加しました。ダッカは行政区が分かれていて、ノースとサウスで市長が違うのですが、市長らが話をして。本当に難しいなと思った体験でした。
あるグループは「こういう若者に職業があること自体が嬉しい。だからそんなに責めるな」と言うんです。極端ですが、縫製工場は若者たちの就労の場であり、それを責めてはいけない、と。一方で環境保護の団体は「火事以前の問題として、燃えやすい布やアクリルを使うことが問題だ」と言う。そして人権擁護団体の人たちは「もっと労働環境をよくしましょう」と言う。
意見が飛び交って、収拾がつきませんでした。最終的にどうなったのかも、言語の壁もあって分からないままです。ただ、見る人によっていろんな見方があるよね、と。
私たちUNFPAから見れば、少女もどの人も同じ人権を持っているのだから、労働環境は人権に沿って基準を変えていかなければならない。そこは強く感じました。サプライチェーンだけの問題ではないんですよね。人間の問題なんです。
WWD:単純に「誰が悪い」とは言い切れない問題だったわけですね。
「女性が作り、女性が買い、しかし女性が決められない」産業
WWD:ファッション産業の労働力の多くは女性です。しかし企業のトップは圧倒的に男性。「女性が作り、女性が買い、しかし女性が決められない」産業ともいえます。UNFPAから見て、この構造はどう映りますか。
成田:どの産業を取っても、トップはまだ男性がはるかに多いのだと思います。ただ、従業員の数からしてファッション業界はあまりにも女性が多いから、そこが目立つ。でも男女共同参画は重要ですよね、というところは変わらない。
ただ、従業員が女性で、意思決定層が男性という構造は、その国の文化でしかない。場所が変われば、例えばイエメンでは下着屋さんもみんな男性なんです。
WWD:逆に言えば、女性が多いからこそ変わる余地も大きい。
成田:そこは本当に期待したいですし、できると思います。
企業パートナーシップは、“ディール”ではなく“フレンド”メイキング
WWD:パナソニックとのプロジェクトをはじめ、日本企業との協働を進めてこられました。実務を通して見えてきた、日本企業と国連機関の連携における「うまくいく条件」を、率直に教えてください。
成田:私も日本に帰ってきて4年近いので、まだ毎日ラーニングで、失敗もしながら学んでいる途中なのですが。日本の企業さんとうまくいく条件を考えると、焦らないことです。
現代的な考え方として、ディールメイキングがありますよね。それも必要だと思うんです。ただ、国連と連携するのは基盤が違う。何をディールしているのか、というところですよね。私たちの目的は、ゆくゆくは地球が持続可能になっていくこと。目先のディールだけではやっていけないパートナーシップになる。だからこそ、焦らないことが重要だと思います。
WWD:対等で、互いに益を得る。ただし短期的なビジネス上の利益とは違う、と。
成田:そうですね。私の上司であるUNFPAのディエネ・ケイタ事務局長もよく言うんですけれども、企業さんとの連携で重要なのはフレンドメイキングではないか、と。今回は連携につながらないかもしれないけれど、次は何かで一緒にできるかもしれない。長期的に考えていくところと、本質的なところでつながっていくところだと思うんです。
中外製薬とのパートナーシップ、フィジーやブータンでの子宮頸がん対策
WWD:ファッション・ビューティ産業はUNFPAとどんなことができるのでしょうか。成田:支援金・拠出金という形も本当にありがたいことで、積極的に募っています。ただ、それオンリーではない、ということです。
WWD:実際にウィンウィンだと思っている取り組みの例を教えていただけますか。
成田:中外製薬さんとパートナーシップを組んでいて、ご拠出をいただいています。中外製薬さんは、フィジーやブータンで子宮頸がん予防と早期発見・早期治療のための啓発活動と、そのためのワクチン接種や検査と早期治療のための取り組みを支援してくださっています。
中外製薬さんは、もともとがん領域に強い製薬会社ではありますが、子宮頸がんだけをやられている製薬会社さんではないんですよ。でも、そこでつながっているのは価値観なんです。女性が健康であることは、中外製薬さんにとっても重要な課題です。中外製薬さんとしては本業の専門領域と重なりのある課題に対して、UNFPAを通した「社会貢献」により、ブータンやフィジーで暮らす女性の健康、ウェルビーイングに貢献してくださっている。そして中外製薬さんも、そうしながら新たな学びの機会を得ていると。
昨年、駐日事務所は中外製薬さんと一緒に年始にはフィジーへ、年末にはブータンへ現場視察を行いました。そこで現地の妊産婦のお母さんたちや医療現場で働く人々との対話を通して、中外製薬の担当者の方からも新たな気づきがいろいろとあった、と。そしてもしかしたら、フィジーやブータンでの取り組みや経験から日本の医療現場や製薬会社も学ぶこともあるかもしれない、と。もともと「パートナーシップをやるからこういうことが得られますよ」という話ではないんです。あくまでインスピレーションですが、そういう機会は結構あるようです。
「ビジネスにおけるSRHRのためのパートナーシップ」という入り口
WWD:もしあるファッションブランドの経営者から「UNFPAと組みたい」と相談されたら、どんな対話をされますか。成田:「ビジネスにおけるSRHRのためのパートナーシップ(The Coalition for Reproductive Justice in Business)」が一つの入り口です。UNFPAと企業の関係は、賛同を表明する「メンバー」から、自社で動く「サポーター」、UNFPAと共に活動する「チャンピオン」まで、段階があります。
私たちはESGに関する指標を作成しましたので、それを基に取り組んでいただく。女性の健康に目を向けることで効率性や生産性が上がるというROI(投資対効果)を見ていただいて、社会と女性たちのウェルビーイングを一緒に向上させていきましょう、と。この理念に賛同していただく形です。
「明日」ではなく「今日」、自分とのミーティングを
WWD:ファッション・ビューティ業界で働く読者が、自分の選択肢を広げるために今日からできることを一つ挙げるとしたら?
成田:思ったのは、明日ではなく今日から、ということ。まず最初にすることは、今ある選択肢は何なのかを考えること。そのあとに考えるのは、その選択肢と自分の考えが合っているか。そこに選択肢があることと、それが自分の選択肢だと思えることは、全然違いますから。
WWD:成田さんが実践していることは?
成田:「自分とのミーティング」です。パジャマ姿でソファに座って、自分と話す。無になるのではなく、考える時間です。同僚や本部とのミーティングはよくするのに、自分とのミーティングはあまりしないですから(笑)。