嘘つき、自己中心的、女たらし——三拍子揃った“最低男”が、持ち前の卓球スキルと行動力で人生逆転を狙う! 映画「アンカット・ダイヤモンド」(19)などで知られるジョシュ・サフディ(Josh Safdie)監督が、実在の卓球選手マーティ・リーズマンの人生に着想を得て作り上げた映画「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」(以下、「マーティ・シュプリーム」)の日本での公開が3月13日にスタートした。
第98回アカデミー賞では作品賞を含む9部門にノミネートされており、とりわけ悪辣(あくらつ)だがどこか憎めない主人公マーティを演じたティモシー・シャラメは主演男優賞の最有力候補として期待されている。また日本が舞台となる本作の終盤は、上野恩賜公園で3日間かけて撮影されたことも注目ポイント。本作の公開を記念して来日したジョシュ・サフディ監督に、本作の制作プロセスや魅力についてたっぷりと伺った。
1950年代のニューヨークが舞台
——卓球という競技は、本作と同じくニューヨークを舞台にしたあなたの監督デビュー作「The Pleasure of Being Robbed」(08)にも登場しますよね。映画を撮る上でそれほど卓球という競技に惹かれるのはなぜなのでしょうか?
ジョシュ・サフディ(以下、ジョシュ):卓球というスポーツは非常にテンポが早く、高い集中力と正確さ、反射神経が要求されます。ADHDだった子どもの頃の私にとって卓球は、常に「動け!動け!動け!」と湧き上がってくるエネルギーをある意味で瞑想のようにコントロールする手段となりました。だからこそ昔から卓球をすることも、そしてそれを撮ることも好きなんです。「テーブルテニス」と言いますが、テニスというよりチェスのようなスポーツだと感じています。
——これまで現代の映画を撮り続けてきた監督にとって、1950年代が舞台となる本作は初の”時代劇”ですね。その時代設定は監督のクリエイティビティーにどのような影響を及ぼしたのでしょうか?
ジョシュ:現代を舞台としたこれまでの映画で、私は「現実をそのまま借りられる」という大きな特権を享受してきました。実際の場所に行ってそれを現実として撮影できたし、俳優の個性をそのままキャラクターの魅力として使うこともできた。なんだったらニューヨークの街に出て撮影し、通行人が気づかないままカメラを回すことだってできました。例えば「アンカット・ダイヤモンド」ではアダム・サンドラーが噴水に放り込まれる場面を、本物の通行人が目撃して自然な反応を示す。そんな“本物の瞬間”を撮影することができたんです。つまり監督として、これまでは現実そのものに頼ってきたと言えるでしょう。
現実のあらゆる物事は、無数の決定の積み重ねによってできています。ここにあるテーブルやペン、コーヒーの置き方、あなたが着ている服、照明に使われているスイッチ——その全てが選択された結果、存在する。今この空間で我々が見たり聞いたりしているものだけでも何百万という選択が関わっていることでしょう。ところが時代劇の場合、その全ての選択をつくり手側が決めていかなければなりません。しかも現実と同じく、偶然の選択の積み重ねによってそうなっているように見せる必要がある。
だから私はまず映画の世界を作り上げてから、それを解体し、もう一度組み立て直すという手順を踏みました。その過程で、ジャック・フィスク(プロダクションデザイナー)やアダム・ウィリス(セットデコレーター)を、いわば「キャラクターを形づくる存在」として考える。すると彼らは道具や素材、そして自分たちの専門的な言語を使って「その人物なら世界をどう装飾するか」を考えて表現してくれるのです。ただ闇雲にやるのではなく、徹底的なリサーチに基づいてね。というのもこの映画は正確に言えば”時代劇”ではなく、1952年に撮影された“現代映画”のようなものですから。
ファッションのこだわり
——美術もそうですが、ファッションやメイクでも見事に1950年代を構築していましたね。とりわけクローズアップで撮られた時のマーティの眼鏡や荒れた肌の質感が印象に残っています。
ジョシュ:ファッションで時代や人物を構築する上で重要だったのは、衣装デザイナーのミヤコ・ベリッツィの存在です。私たちは「グッド・タイム」(17)から仕事を共にしていますが、互いに共通認識として持っているのは「服が人を形作る」ということ。服はその人の物語を語るんです。例えばファッションに無関心な人は見ればすぐ分かるし、お洒落な人もそれは同じ。貧しい人は5年前に買った服を着続ける一方で、裕福な人は先週買った真新しい服を着ている。そういう違いが衣装に表れるんです。
キャラクターを設計していく作業は映画制作のあらゆる段階で行われますが、ミヤコと仕事をするとき、私はその作業が一番好きなんです。俳優をレンタル倉庫や古着屋から持ってきた2000着ほどの服を並べたところに連れていく。すると俳優たちはその中を歩き回りながら1952年という時代を体感することができるし、私たちは彼らがどんな服に惹かれるのかを見ることができる。そこで彼らが手に取るものが、演じるキャラクターの性格になるんです。それで試着を重ねて、決まったらその服を新たに作り直す。古いものは使えないし、場合によっては新品でなければいけませんから。
ティモシーに関して言えば、私が興味を持ったのは彼の「男らしさの感覚」でした。それを衣装でどう見せるかを考えて、スーツを着せて肩幅を強調するようにしたんです。また彼が演じたような当時のロウアー・イーストサイドの貧しい人たちは、ズボンの幅が広かった。ラッパーがダイヤのチェーンを身につけるのと同じ発想です。当時は布を多く使えること自体が一種の贅沢だった。だからズボンが太い。そういうアイデアがキャラクターを形成していくんです。
また彼の眼鏡や肌の質感からも、彼が人生のハンディキャップを背負わされ、アウトサイダーとして生きてきたことを感じさせたかった。彼の眼鏡はとても度が強いんです。だからティモシーには、まず+6.5のコンタクトレンズを入れてもらい、その上から-6.5の度数の眼鏡をかけてもらいました。そうすることで視力がかなり悪くなったような効果が生まれる。だけどかけている眼鏡はスタイリッシュですよね。なぜならマーティはスタイリストですから。そこには彼の美学と誇りがある。そういう発想から、マーティというキャラクターは作り上げられていきました。
「アメリカンドリーム」の描き方
——監督はプロダクションノートで「マーティは第二次世界大戦後のアメリカの傲慢さを表す人物」だと語られていますね。彼は息子を亡くしたミルトンや強制収容所に入ったベラのように、戦争による負の影響を感じさせない。勢いがあって、いわば「アメリカンドリーム」の象徴のようでもあります。監督はマーティを通じて、アメリカという国やアメリカンドリームをどのように描こうと考えたのでしょうか。
ジョシュ:マーティのキャラクターで重要なのは、戦後の物語でありながら彼は年齢的に戦争に参加していないということです。つまり彼は戦争そのものを経験してはいないが、アメリカの勝利とそこから生まれた自信だけは継承した。戦後のアメリカに起きたことというのは、いま私たちが知っているアメリカの始まりです。謙虚さが失われ、過剰な自信が生まれていったのです。アメリカにとっては非常に特別で、興味深い時代でした。
ただマーティにとって「アメリカンドリーム」という約束は、幻想でもありました。アメリカンドリームとはゴールではなく、人を突き動かす動機なんです。目的ではなく、手段と言ってもいい。そして何かを追い求めることには危険が伴う。(川口)功人が演じるエンドウや上野恩賜公園に集った人々は、アメリカンドリームのまやかしを目の当たりにしている。人が何かに取り憑かれるということがどういうことなのかを目撃しているんです。同時にエンドウの中にヒーロー像を見出し、彼に自分たちの夢や信念を投影している。それはとても危険なことです。ただ同時に、それは人々に自由をもたらすものでもあった。それは自分の力で道を切り開くという、個人主義的な精神ですから。
戦後に見られたのは、非常に強いアメリカ的個人主義の始まりであり、アメリカ的な優越意識の始まりであり、そして“受動的な植民地主義”の始まりでもありました。例えば日本に対するアメリカの占領も、表向きは「助けるため」だという幻想がありましたが、実際には占領だった。そしてその構図は、20世紀を通して世界のあちこちで見られるようになっていく。
そう考えると、アメリカンドリームというのは非常に強力な物語なんです。資本主義もまた強力な物語です。そしてマーティが自分自身を信じるということも、やはり一つの物語なんです。彼はユダヤ人ですが、ベラのようにホロコーストを経験していません。家族には犠牲となった人がいるかもしれないが、彼自身は勝利だけ経験し生き延びた。ホロコーストを経てもユダヤ民族が生存したということは、強さを持ったユダヤ人の誇りの始まりです。誇りを持った民族といえば日本人もそうですよね。私は歴史家ではないので詳しいことはいえませんが、日本には長い誇りの歴史があるのは知っています。そしてその誇りが個人として現れたのがエンドウという人物です。彼は卓球の大会のためにイギリスに渡って優勝する。そこには誇りがあります。そしてその誇りは、見る者を奮い立たせる力があるんです。
ティモシーの新たな一面を引き出す
——「グッド・タイム」のロバート・パティンソンや「アンカット・ダイヤモンド」のアダム・サンドラーがそうであったように、監督は俳優のそれまで見せなかった表情や演技を引き出すことに長けていますよね。今回はティモシー・シャラメがそうでした。
ジョシュ:映画とは本質的には全てドキュメンタリーだと思うんです。だってカメラで人を撮れば、その姿がそのまま映りますよね。いつか人類が滅びた後に別の知的生命体が私たちの映画を見つけても、きっとそれがフィクションか否かは判断が付かないでしょう。だから映画を撮る上で大切なのは、被写体がどういう人間なのかを理解することだと思うんです。その人のありのままを見つめ、そこから生きたキャラクターを作り上げていく。
監督兼脚本家である私の仕事の一つは、俳優の中にある本質的な部分を見つけ、そこに触れる方法を探すことだと考えています。俳優を自分のビジョンに合わせて曲げるのではなく、私が俳優に合わせていく。その結果として、その人の新たな一面が可視化されるのです。役者が演じるキャラクターを自己表現の「肖像」にする、とでも言いましょうか。私はそれを、主役だろうが台詞が一言しかなかろうが関係なく、全ての俳優に対して行います。
——監督は経験豊富な俳優に加え、演技経験のないキャストを起用することを好みますよね。本作で言えばケビン・オレアリーやタイラー・オコンマ(タイラー・ザ・クリエイター)がそうです。そのことは作品にどのような効果を及ぼしているのでしょうか?
ジョシュ:「俳優が決められたように動かないかもしれない」ということは、作品に解放感をもたらします。照明を当てて、カメラを向けても、演技経験のない俳優は時折決められていない方向に歩く。それは計画上正しいことではないので撮影監督のダリウス(・コンジ)は「床に線を引いて、行くべき方向に歩かせろ」と言うんですが、私はそうしません。俳優が別の方向に行きたがるなら、それが彼らの自然な衝動だからそれを尊重したいんです。だから私たちは照明を動かすか、あるいは俳優が照明から外れてしまうことを受け入れる。それによってリアリズムが生まれるんです。それは俳優同士の関係のあり方にも通じると思っています。
日本で撮影した理由
——監督はこれまでずっとニューヨークを舞台とした物語を撮り続けてきましたが、本作では日本も舞台となります。監督にとってニューヨークではない場所で撮影することに、どのような意味があったのでしょうか?
ジョシュ:私は基本的に、自分がよく知っていることについての物語を語るのが好きなんです。私はニューヨークをよく知っている。だからある意味では、自分の世界はかなり限られているとも言えます。ただこの映画のラストについてはきちんと日本で撮りたかった。私は日系アメリカ人を撮りたいわけじゃない。日本の人たちを撮りたかった。そこには明確な違いがあります。周囲からは「必要なのはラストのロケーションだけなのだから、ニューヨークでも再現できる」と言われましたが、私は「日本に行くのは場所のためじゃない。人のためなんだ」と答えました。映画作りは、全てがそういう決断の積み重ねであり、そうすべきだと魂で感じ取るんです。
私はこれまでに5回、日本に来ています。実は私の曽祖父も日本に住んでいたことがあって、東京でステーキレストランをやっていました。また叔父は1954年に東京でバル・ミツバ(※ユダヤ教の成人式)を行っています。それから曾祖父は、日本の少女を養子にしてアメリカへ連れて帰ったこともありました。しかもそのことを祖母には黙ってね。飛行機を降りると、彼はトキコという小さな女の子を連れていて、祖母に向かって「今日からこの子がお前の妹だ」と言ったそうです。その話は新聞にも載って、大騒ぎになりました。かなり珍しい話ですから。
ただアメリカには強い反日感情が残っていて、彼女や家族は嫌がらせを受けました。結局ニューヨーク州北部へ移り住むことを余儀なくされたそうですが。そんなこともあり、私はずっと日本に特別なつながりを感じてきました。日本という場所を撮影して、もっと知りたいと思っていたんです。実際にその土地に行って映画を撮ると、その場所をまったく違う形で理解できることもありますからね。
OPNとの音楽づくり
——本作は「グッド・タイム」と「アンカット・ダイヤモンド」に続きワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(OPN)ことダニエル・ロパティンに音楽を依頼していますね。どのようなやり取りをしながら音楽を作り上げていったのでしょうか?
ジョシュ:私が映画を作るとき、脚本を書くよりも前に必ずやることがあります。それはプレイリストを作ること。例えば今回の「マーティ・シュプリーム」のために作ったプレイリストは、全部で21時間くらいあります。(Spotifyでつくったプレイリストをこちらに見せながら)こんな風にいろいろな音楽を集めていて、日本の音楽もかなり入れました。例えば矢吹紫帆や細野晴臣、清水靖晃のような。私は日本の電子音楽や80年代のアンビエントがとても好きなんです。この映画のラストが日本なので、その空気に触れたかった。それでこういう音楽をプレイリストにまとめて、ダン(OPN)と共有しました。日本以外の音楽もたくさん入っています。フランク・シナトラ、ピーター・ガブリエル、ジョン・マーティンなど。あとはマーク・アイシャムやパトリック・オハーンなど特に80年代の電子音楽が多いですね。
なぜ80年代の音楽を使いたかったかというと、実はこの映画は1986年のマーティの視点から語られる物語だからです。彼は孫を肩に乗せて、ティアーズ・フォー・フィアーズ(Tears for Fears)のコンサートで「Everybody Wants to Rule the World」を聴きながら、自分の若い頃を思い返している。誰もが世界を支配したがっているが、実際にできる者は限られていると悟るんです。勝者がいれば、敗者もいるように。
また80年代は文化が初めて自身の反復を試みた時代だと考えています。80年代は、50年代の文化を再演していたのです。そこには、未来が過去に取り憑き、過去が未来を追いかけるような、どこか幽霊めいた感覚があるんです。批評家のマーク・フィッシャーはそれを「ホーントロジー」と呼びました。ダン=OPNはまさにホーントロジカルな音楽の王様なんです。彼が生み出したヴェイパーウェイヴというジャンルは、80年代の音楽を取り出し、それを幽霊のような感覚で再文脈化するものですから。同時にこの映画もまた、どこか“取り憑かれた”ような作品だと思っています。
だからダンとはまず、そうした音楽を一緒に聴きながらキャラクターについて議論していきました。彼が最初に頭に思い浮かべたのは「マレット(打楽器を演奏する際に用いられるバチのこと)」だったんです。棒の先端に球体が付いた形状——つまり卓球からイメージしたのでしょう。それを念頭に置き、彼は音楽を作り始めました。実際の演奏で作るのか、それともシンセサイザーで作るのかという話もしましたが、最終的には両方を使うことにしました。方向性としてはニューエイジ音楽です。ニューエイジは感情に強く働きかける音楽だと思っているからで、その点はダンともよく話しているところです。
最終的に彼は作った音楽をスタジオに持ってきてくれて、私と8週間一緒に作業しました。これは映画制作の中でも私がとても好きな工程の一つです。なぜなら、それはもう一本の脚本を書くようなものだから。まず脚本を書く。それから映画を編集する。編集は第二の脚本です。そして最後にサウンドトラックを作る。それは第三の脚本なんです。
※以下、本作のストーリーに関わるネタバレを含みます。
マーティの成長
——これまで監督が手掛けた作品の主人公は、どん詰まりから抜け出そうと衝動的に突き進んだ結果、さらに状況が悪化してもといた場所に戻る「負の円環」に組み込まれた人物がほとんどだったように思います。ところが本作に限っては、オープニングの受精卵がラストに赤ん坊になるように、主人公は明確に成長し、人生が前に進んでいる。監督の中でどのような変化があり、マーティの成長を描こうと考えたのでしょうか。
ジョシュ:前作「アンカット・ダイヤモンド」は完成までに10年もの年月を要しました。制作しているあいだはずっと「この映画は実現しないだろう」と言われ続けていたんです。だから私は強い信念を常に持ってそれに取り組まなければいけなかった。当時は毎日が切迫していました。頭の中には映画のことしかなくて、それが私の人生の目的になっていたんです。毎朝目を覚ますと、その日のToDoリストを書き出して「これをすれば夢に一歩近づける」と自分に言い聞かせていました。それは生産的ではありましたが、いざ映画を完成させたときに達成感はまったく感じなかったんです。祝う気持ちも湧かず、ただ目的を見失ってしまっただけ。
それで私は、自分がどれほど執念に取り憑かれ、目的に支配されていたのかを振り返るようになりました。ふと周りを見回すと、私は一人きりだった。私を信じてくれていた恋人もいましたが、それでもそう感じたんです。でも同時に、自分の信念や目的に影響を受けた人たちの存在にも思い至ったんです。そして数カ月後、私は恋人と結婚しました。娘が一人生まれ、その後さらにもう一人が生まれた。そこで私の中で何かが大きく変わったんです。
それまで私は、人が本当に変わることができるとは信じていませんでした。でも今は信じています。変わるためには謙虚さとそこへ至るための解決策も必要です。一つの章を終えなければ、次の章は始まらないですから。この映画は、まさにそういう意味での「成長物語」だと思っています。人によってはスポーツ映画やコメディ、アクションだと言う人もいる。どれも正しいとは思いますが、本質にあるのは成長の物語。この映画で描かれるのは、マーティが大人になっていく過程です。プロダクションデザイナーのジャックは脚本を読んだときに、「この映画で素晴らしいのは、マーティが変化することだ」と言ってくれました。
映画で最初に流れる楽曲は、ティアーズ・フォー・フィアーズの「Change」です。そこで聞こえるのは「Change=変化」という言葉だけ。そして次に流れるのがアルファヴィル(Alphaville)の「Forever Young」。人は永遠に若いままではいられませんが、若い心は持ち続けられる。その感覚は持ち続けていたいんです。なぜなら若い心を保ち続けられれば、人はいつまでも柔軟でいられるから。
また私が特に興味を持っていたのは、少年が大人へと成長していく過程に加え、生命の始まりを描くことでした。マーティは卓球こそが自身の夢だと思っている。でも実際には、それは人生の始まりなんです。だから冒頭、受精卵がピンポン玉へと変わる。彼は自分の夢と遊んでいるんです。
PHOTOS:MASASHI URA
◾️「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」
◾️「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」
3月13日TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
監督・脚本:ジョシュ・サフディ
出演:ティモシー・シャラメ、グウィネス・パルトロウ、オデッサ・アザイオン、ケビン・オレアリー、タイラー・オコンマ(タイラー・ザ・クリエイター ラッパー)
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2025年/アメリカ/英語/149分
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