PROFILE: アン・キャロライン パラザン/ゲラン ヘッド オブ アート・カルチャー・アンド・ヘリテージ

「ゲラン(GUERLAIN)」は9月1日、ブランド最高峰のフレグランスコレクション“ラール エ ラ マティエール ”の新作“ベチバーフォーヴ”(50mL、3万6190円/100mL、5万270円/200mL、7万1940円)を発売した。同製品は、19世紀の英国人作家ラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling)の小説「ジャングル・ブック」から着想を得て、ベチバーを主役にフィグやパイナップルのフルーティーなアクセントが効いた香りに仕上げた。コレクションを象徴するスクエアボトルは、ジャングルな植物をイメージした鮮やかな緑で彩った。“ラール エ ラ マティエール”の開発に携わり、現在はメゾンの文化事業を統括するアン・キャロライン パラザン(Ann-Caroline Prazan)=ゲラン ヘッド オブ アート・カルチャー・アンド・ヘリテージに、「ゲラン」が芸術家支援や文化活動を続ける理由を聞いた。
創業当時から続く
芸術との深いかかわり
WWD:改めて、「ゲラン」とアートのつながりは?
アン・キャロライン パラザン=ゲラン ヘッド オブ アート・カルチャー・アンド・ヘリテージ(以下、パラザン):創業者のピエール・フランソワ・パスカル・ゲラン(Pierre-Francois-Pascal Guerlain)が1828年に仏パリに最初の店舗をオープンした時から、フレグランスや化粧品は中身だけでなく、ボトルや箱まで美しく仕上げる必要があると考えていました。そこで彼は当時の最高の芸術家たちと協力し、非常に美しい香水瓶を生み出しました。化粧品の入れ物に美しい絵を描くだけでなく、ブティックの内装や広告デザインにおいても芸術家と協働しました。つまり「ゲラン」と芸術家の絆は創業時から非常に深く、その後も「ゲラン」は代々、パトロンやコレクターとして芸術家を支援し、コラボレーションを続けてきたのです。今も昔と変わらぬ姿勢を貫いています。
WWD:1800年代にコスメティックブランドが芸術家と化粧品作りをするのは珍しかった?
パラザン:当時はとても珍しいことでした。まさに、アートとのかかわりが「ゲラン」と他ブランドを差別化する要素となっていました。もちろん人々は最高の処方の化粧品を買いに来るのですが、それだけではありません。まるで宝石のように美しいボトルを手に入れたいのです。そして今なお私たちは、製品を宝石のように考え、開発し続けています。創業当初はシンプルなデザインから始まりましたが、2年後には四角いボトルが誕生し、それが“ラール エ ラ マティエール”コレクションのインスピレーション源となりました。その後もフランスの国旗を模したボトルなど、実にさまざまな美しいボトルが登場しました。「ゲラン」のお客さまは今も昔も「ゲラン」のバラエティー豊かな美しいボトルが「ゲラン」の魅力の一つであると考え、大切に所有し続けてくださっています。それらは細部に施された金細工や彫り模様が素敵なものです。
ヘッド オブ アート・カルチャー
・アンド・ヘリテージの仕事とは
WWD:ご自身はゲラン入社後、マーケティング領域を中心に20年以上にわたりキャリアを重ねた後、2021年に文化事業トップであるヘッド オブ アート・カルチャー・アンド・ヘリテージに就任したが経緯は?
パラザン:当時のゲランのCEOだったヴェロニク・クルトワ(Veronique Courtois)に長くマーケティングを続けてきて、もっとチャレンジしたい、変化が欲しい時期に来ていると言ったんです。すると彼女は1年でマーケティングの仕事を終わらせるように私に言いました。確かに私は“ラール エ ラ マティエール”や“アクア アレゴリア”シリーズなどに当初からかかわっていましたし、最後までやり遂げなければならない仕事を抱えていました。その後、彼女は私に「あなたのために特別な役職を用意する」と言いました。私はとてもラッキーだったんです。しかもクリエイションやアーティストとのコラボレーションの仕事も続けさせてもらえることになりました。何か新しいものを作ることは、私にとって空気を吸うように自然なことの一つです。私の人生にとって大事なものはフレグランス、それから「ゲラン」、その次がアートなので、本当にラッキーなうれしい仕事です。
WWD:新しい役職であるヘッド オブ アート・カルチャー・アンド・ヘリテージとしての仕事内容は?
パラザン:世界中にある「ゲラン」のブティックやスパ・ウェルネス施設のアーティスティックディレクションの仕事を与えてくれました。それから世界中の展覧会のキュレーションを担当しています。芸術、現代アート、写真なども手掛け、世界中の主要美術館と提携し、共同企画による展覧会も数多く行ってきました。例えば、昨年9月から今年1月まで、東京・六本木の森美術館で開催された「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」に協賛しました。20世紀を代表するアーティストの1人であるルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)は「ゲラン」の香水“シャリマー”を愛用していたことで知られています。
そのほかにも、パリ市立近代美術館のエキシビションやスイス・バーゼルで開催される世界最大級のアートフェア「アート・バーゼル」とのコラボレーションの企画も担当しました。そのほかにも「ゲラン」の歴史やアートに関する書籍、コレクターズアイテムとなる書籍も制作しています。それから、ブランドの歴史にかかわる400点以上もの貴重なアーカイブの管理もしています。また、プレスやジャーナリスト向けだけでなく世界中の「ゲラン」関係者向けのツール、社内向けの雑誌や書籍も制作しています。記事を通して、「ゲラン」の歴史や遺産、家族、ブランドが大切にしているものを語るものです。私は社内の人々を教育し、「ゲラン」の未来を築く手助けをしています。なぜなら、自分たちが働く会社のルーツを知らなければ、最善の未来を想像することはできないと思うからです。
“とりあえずやってみる”精神の
オープンマインドなチーム
WWD:広範なプロジェクトを進める原動力は?
パラザン:成功するためには優秀なチームが必要です。私には非常に優秀なチームがついていて、チームワークがあるからこそ、多岐にわたるタスクを進めることができています。私だけではなく、チームメンバー全員が情熱的でエネルギッシュで行動力がありオープンマインド。とりあえずやってみようというマインドセットで常に仕事をしています。私にとってこれは仕事ではなく、情熱なのです。常に既存の枠を超えて考えるようにしています。私が挑戦したいと思うとき、ゲラン家のことをよく考えます。「彼らはこんなことをするだろうか?」と自問するんです。もちろん、彼らは多くの挑戦をしてきました。だからこそ、私たちは創造性や卓越性において、これからも大胆であり続けなければなりません。細部までが私にとって重要です。
ですが確かなことは、優れたチームがなければ何も成し得ないということです。私は「ゲラン」を家族のように思っていますし、気軽に話し合える環境があります。私の直接の上司である現CEOのガブリエル・サンジュニ・ロドリゲス(Gabrielle Saint Genis Rodriguez)が近くで支えてくれていますが、彼女の存在もとても大きいです。まず私をとても信頼して任せてくれていることにすごく感謝をしています。私がやりたい、やるべきだと思うことを自由にやらせてもらえています。そして彼女には私も遠慮なく自分が思い付いたクレイジーなアイディアを伝えられます。そうした関係性にもすごく感謝しています。
「企業がやるべきことと真逆」を貫く
芸術家とのコラボレーション
WWD:“大胆””クレイジー”というキーワードも挙がったが、手がけた企画で特に印象に残っているものは?
パラザン:1912年に3代目調香師ジャック・ゲラン(Jacques Guerlain)ジャック・ゲランが創作した“ルール ブルー”は、私も大好きな香水なのですが、2022年に“青の芸術家”として知られるイヴ・クライン(Yves Klein)の展覧会が金沢21世紀美術館で開催されました。このときにイヴ・クライン・アーカイブスと共同で特別なブルーのボトルをデザインしました。ボトルは鮮やかで深い青の顔料“インターナショナル・クライン・ブルー”をまとっており、2年をかけて、顔料をボトルに載せる方法を開発したのです。逆さハート型ボトルにはブランドの名前や製品名は一切載せず、完全に青一色だけ。企業がやるべきこととは真逆で、完全にクレイジーです。もちろん中身は“ルール ブルー”のエッセンスですが、本質は芸術品です。
もう一つは、韓国出身の画家であり、現代で最も国際的に有名な芸術家の一人、李禹煥(リ・ウファン)とのコラボレーションです。私が彼の傑作と出合ったのはニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館なのですが、私は彼の絵画が本当に大好きで、瞑想するかのようにその絵の前に立って、そのパワーや絵のエモーションを取り込んだほどです。李禹煥とコラボレーションしたいと周りに話をしたときは、無理に決まっていると口々に言われました。名だたるラグジュアリーブランドが全て断られているのだから、どうせ無理だよと。それでも私は会いたいと伝えたんです。なんとかして「ゲラン」のことを彼に伝えたい。「ゲラン」とアーティストは昔から非常に深い関わりがあることを伝えたかったのです。そして幸運にも、南仏とパリのオフィス、2度にわたり会う機会を得られました。パリにある私のオフィスに来てもらったときは、ライブラリーや私のデスク周りにある芸術の本や作品を見てもらいました。それらを全部見た後、数分間お互いに何も話さない静かな時間が流れて沈黙の後、彼が歌いだして、そして「分かった、一緒にやりましょう」と言ってくれたんです。その瞬間は、それはもう本当に最高の思い出の一つです。私にとって李禹煥は芸術家であるだけでなく、哲学家であり、1人の人としてとても素晴らしいのです。
最近では、フランスの画家アンリ・マティス(Henri Matisse)のご家族を通したコラボレーションもあったんですが、ご家族に会えるまでもとても大変でした。でもついに、私たちは初めてお会いすることができて、そして私は「ゲラン」について伝え、「どうか『ゲラン』を信頼してください」と言いました。その結果として共にできた冒険は、本当に素晴らしいものでした。プロジェクトを通して、私は1年以上の期間、マティスという芸術家の人生、彼が好きだった花や彼の世界に没頭することができました。マティスや李禹煥などの芸術家とこのように活動することは、他のブランドではできないことだと自負しています。
「文化なくしてラグジュアリーなし」
現代の若者が求めるものとは?
WWD:そうしたコラボレーションやさまざまな文化事業は、新しい顧客との出会いやセールスにもつながるか。
パラザン:文化なくしてラグジュアリーは成り立ちません。それは確信しています。「ゲラン」はファッションブランドではなく、カルチャーブランドです。現代において、特に若い世代は真実を伝え、誠実で、本物のブランド、そして文化に裏打ちされたブランドから学びたいと強く求めています。 だからこそ「ゲラン」はまさに理想的なブランドなのです。創業以来、ほぼ200年にわたり、私たちはフレグランス、スキンケア、メイクアップのみを手掛けてきました。靴もサングラスも服も作らない。私たちが最も得意とする分野にのみ集中している。今日、人々はこれまで以上にそれを求めていると思います。私たちがアーティストとコラボレーションするのは、それが今流行っているからではありません。それは創業当初から今日まで途切れることなく受け継がれてきた伝統の証だからです。つまり、「ゲラン」というブランドは伝承される“メゾン”であり、ゲラン家が心の礎となっているのです。
文化事業やコラボレーションは確かに低収益なビジネスかもしれません。開発やその展開には膨大な時間を要します。けれども生まれるコラボ製品の生産数はごくわずかです。時には顧客から「もっと作ってほしかった」と言われることはありますが、数を限定することを徹底しています。希少であること、唯一無二であることが本当に重要だからです。例えるなら、流れ星のように現れてはすぐにいなくなってしまい、もうそれをつかむことはできないということです。
28年の200周年記念では
世界中のアーティストとタッグ
WWD:今後計画しているプロジェクトは?
パラザン:今準備をしているのは、28年の200周年を記念するものです。私の役割を考えると本当にクレイジーな仕事になりそうなのですが、きっと素晴らしいものになると思います。まだ多くをお話しできませんが、「ゲラン」の歴史や、ビューティ業界にもたらしてきた革命にフォーカスしたり、世界中の有名なアーティスト、日本はもちろんアメリカ、ヨーロッパ、中国など世界中の有名アーティストとのコラボレーションも考えています。もう少し近い時期では、本の発売を準備しています。「ゲラン」が“初めて成し遂げてきたこと(House of 1st)”をテーマに美容業界にもたらしてきた革新の軌跡を辿る本で、世界中で販売する予定です。
10月の終わりには、「アート・バーゼル・パリ」があります。今回は愛をテーマに、映画監督のヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)による素晴らしい映像作品を発表するほか、有名アーティストによる限定版の“シャリマー”も登場します。なぜかというと、”シャリマー”が今年で100周年なんですが、この香水には愛の物語が背景にあるので、それと関連したエキシビションを展開する予定です。それから仏パリのシャンゼリゼ通りにある「ゲラン」の本店ブティックで、エキジビションを開催する予定です。コンテンポラリーアーティストやデジタルアーティストと組んで制作し、若い人にも楽しんでもらえそうな、すごくポップでクレイジーな空間になる予定です。