
「エルメス(HERMES)」とほぼ同時期にフランス・パリで馬具工房として産声を上げたレザーグッズブランドがある。それが、1838年にルーヴル宮殿の厩舎に隣接する小さな工房として創業した「レトランジュ(LETRANGE)」だ。現在率いているのは、「もともと家業を継ぐつもりは全くなかった」と話す7代目当主のセバスチャン・レトランジュ(Sebastien Letrange)。彼自身もそうだったように、約190年にわたるメゾンの歴史は、巡り合わせと時代に応じた変革の連続だった。
13歳からサドラー(鞍職人)として経験を積み、弱冠21歳で工房を立ち上げたオーギュスト・レスピオ(Auguste Lespiaut)は、王室御用達の職人としてサドルを作る一方、乗馬中でも片手で使えるライター付きのシガーケースを開発するなど早くから馬具の枠を超えてレザーグッズの可能性を探求。王侯貴族だけでなく、画家のウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene Delacroix)や作家のヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo)といった文化人も顧客だったという。その後、創業者の娘婿であるアルマン・レトランジュ(Armand Letrange)が65年に事業を継承。「卓越を極め、なおその先へ挑み続ける」をモットーに、新しい生活様式や移動手段に対応した製品開発によって事業を広げるとともに89年のパリ万国博覧会では金メダルを受賞するなど、工房からブランドへと発展させた。
第二次世界大戦中の1942年には、セバスチャンの曽祖母にあたるアンリエット・レトランジュ(Henriette Letrange)が夫の死を受け、すでに国内有数のレザーグッズメーカーとなっていた「レトランジュ」の経営を引き継いだ。当時はまだ、女性が企業のトップに立つことが異例だった時代。男性中心の業界だけでなく社内からも反発を受けながら、7回の世界⼀周と数多くのトランクショーを通じて国際的な知名度を高めた。そして戦後の革不足を背景に、シャツやプレタポルテにも進出。彼女が退任した75年以降は高級シャツ製造へ事業の軸足を移したが、2007年にブランドは休止した。
その再興のきっかけとなったのは、14年。当時広告エージェンシーを経営していたセバスチャンは、あるきっかけから家族の歴史を掘り下げる中で、その素晴らしさを再発見したという。そして「ディオール(DIOR)」でバッグデザインを手掛けていたマティアス・ジャケメ(Mathias Jaquemet)をアーティスティック・ディレクターに迎え、18年にパリの百貨店ギャラリー・ラファイエットへの出店から再出発した。ブランドの哲学として掲げるのは、「Heritage with a Twist(ひねりを効かせたヘリテージ)」。アーカイブをそのまま復刻するのではなく、受け継がれてきた伝統と革新の精神を生かしながら、既存のバッグにはないような構造を追求している。
再始動後はパリに加え、ドーハとドバイに直営店を構え、ムンバイとニューヨークにも販路を拡大。26年3月には、日本初のブティックを阪急うめだ本店6階に開いた。ロゴに頼ることなく、アーカイブに由来する3つ並んだ小さなドットをシグネチャーにしたバッグは、そのユニークなデザインと卓越したクオリティーで、審美眼を持つ顧客から支持を得つつある。ヴァンドーム広場の近くに構える旗艦店で、セバスチャンに再興までの道のりから、ブランドの哲学やモノ作りへのこだわり、日本市場での展開、今後の展望までを聞いた。
42歳で決意した家業の再興
WWD:まず一度は途絶えた「レトランジュ」再始動の背景を聞かせてほしい。
セバスチャン・レトランジュ(以下、セバスチャン):私は若い頃、3年間をかけて車で世界一周しながら、リポーターをしていた。その旅の途中、メキシコシティーで「マリテ+フランソワ・ジルボー(MARITHE + FRANCOIS GIRBAUD)」のフランソワ・ジルボー(Francois Girbaud)と偶然出会ったんだ。車の屋根にテントを載せて寝ていたら、ある朝、フランスのナンバープレートを見つけた彼が窓を叩いてきてね……。10代の頃に彼のブランドのバギージーンズを履いていたから、名前を聞いて驚いたよ。その数年後パリで再会し、以来、友情を深めてきた。
そして歳月を経て、広告エージェンシーを経営していた時に「マリテ+フランソワ・ジルボー」の40周年記念本に携わることになった。そこでブランドの歩みに触れる中で、「自分の家族にも素晴らしい歴史がある」と気付いた。それから家族の歴史やアーカイブを調べ始め、誰も継ぐつもりがないのなら自分がやろうと決めたんだ。それが42歳の時だった。曽祖母のアンリエットも、本来ブランドを率いるはずではなかったが、夫を戦争で亡くし、1942年に同じ42歳で経営を引き継いだ。そんな偶然に、不思議なつながりを感じたよ。世界を旅していなければジルボーに出会わなかったし、彼のアーカイブを調べることもなかった。そして、それがなければ家業を継ぐこともなかっただろう。
WWD:ブランドが掲げる「Heritage with a Twist(ひねりを効かせたヘリテージ)」とは?
セバスチャン:「レトランジュ」には、約190年にわたるサヴォアフェールとクラフツマンシップの伝統があるけれど、アーカイブのバッグをそのまま再現したいわけではない。それは、他のブランドの方がうまくやるだろう。私が大切にしているのは、創業以来のクリエイティブで革新的なDNAをどう生かし続けるかということ。例えば、“アタシャン(L’ATTACHANT)“は縫製をほぼ用いず、レザータブを差し込んで組み立てている。一方、“ヴィザヴィス(LE VISAVIS)“は大きな一枚革でボディーを形成し、その上に馬の体にサドルを載せるようにダブルフラップを配した構造で、鞍職人だった創業者へのオマージュを表現している。アーカイブを形として模すのではなく、技術や考え方に変換することが、私たちにとっての“ひねり“だ。
WWD:その“ひねり“を実際のデザインへ落とし込むマティアス・ジャケメ=アーティスティック・ディレクターは現在、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」や「スキャパレリ(SCHIAPARELLI)」の仕事もしている。「レトランジュ」で彼に求める役割は?
セバスチャン:マティアスに声をかけたのは、彼がまだ「ディオール」で働いていた時だった。伝えたのは、「世界で最も素晴らしいバッグコレクションを作りたい」ということ。マーケティング分析をして「売れる商品」を作るというアプローチではなく、クリエイションにおける完全な自由を与えたんだ。彼はそれを「デザイナーにとって夢のような環境」と受け止め、「レトランジュ」に参画してくれた。
WWD:「レトランジュ」では、大きなロゴの代わりに3つ並んだドットのカットワークを控えめにあしらい、バッグ自体のデザインと構造の独創性、職人技に裏付けられたクオリティーで勝負している。現在のラグジュアリー市場をどのように見ているか?
セバスチャン:10年前、3つのドットだけをシグネチャーにすると決めた時は、「ロゴのないラグジュアリーバッグなんて売れない」と散々言われた。当時の市場は、確かにそうだったと思う。しかし、この1、2年で状況は大きく変わった。ビッグブランドや大きなロゴ、声高な表現に対する飽和感があり、消費者のニーズも変化している。特にトップエンドの顧客にとって、ラグジュアリーとは価格やブランド名だけではなく、本当に意味のあるモノでなければならなくなっていると感じる。私たちは、声高に主張しない。ただ、自分たちにできる最高のモノを作るだけだ。
「知られていないこと」が強みに
WWD:阪急うめだ本店では、名だたるラグジュアリーブランドと並んで特選フロア「HANKYU LUXURY(阪急ラグジュアリー)」にブティックを構えている。出店の経緯は?
セバスチャン:きっかけは、昨年パリの旗艦店に阪急のラグジュアリー担当者が来てくれたことだった。それからとんとん拍子で出店の話になり、実現までわずか4カ月ほどだったよ。急ピッチで計画を進めるのは大変だったが、多くのブランドが出店を望む場所から素晴らしいオファーをもらい、断る理由はなかった。店舗は私自身が細部までこだわった最新コンセプトで、今はパリの店より好きなくらいだ。棚も一般的な商品棚ではなく、本棚やアートを置く場所のように考えた。ロゴを外したら別のブランドに置き換えられるような空間にはしたくなかったんだ。
そしてオープン初日、阪急の人たちに「お客さまはブランドについて、どういう反応ですか?」と聞かれた。それで正直に言うべきか悩みつつも「正直、誰も『レトランジュ』を知りません」と答えたら、阪急の人たちは「それこそ私たちが求めていたことです」と喜んでくれた。世界的に知られたブランドだけではなく、お客さまがまだ知らない特別なモノを紹介したいという考えには驚いたよ。
WWD:実際に訪れてみて感じた日本の市場や顧客の印象は?
セバスチャン:オープン後は15日間、毎日店頭に立った。「日本は成熟したラグジュアリー市場だからロゴは必要ない。見せびらかす必要はないが、最高のモノは欲しい」といった声を聞いたことが、印象に残っている。そして、阪急の店舗で最初にバッグを買ってくださったのは、女性ではなく60歳くらいの男性経営者だった。選ばれたのは、フランスでは女性からの支持が高い「アタシャン 10:30」。購入時には誰かのためなのかは聞かなかったが、翌日にその方が実際に購入したバッグを持って店に戻ってきて、初めてご自分用だったと分かった。フランスでは経験したことのない反応で、日本市場は本当に違うと感じた。
WWD:パリでの再始動後、着実に他国にも拡大している。現在の成長をどう捉え、今後ブランドをどのように発展させていくか?
セバスチャン:今はとてもエキサイティングな時期だ。ラグジュアリーに求められることが大きく変化しているのは、私たちにとって追い風になっているからね。ただ、特にアジアではもっとブランドの認知度を高めていく必要があると思う。実際に店で手に取ったり、背景を知ったりすれば購入につながるケースは多く、製品に対する反応には手応えを感じている。また、ビジネスは順調に伸びている一方、需要に生産が追いついていない部分もある。認知度の向上だけでなく、それに合わせて生産体制も整えていかなければいけない。
日本では、まず阪急うめだ本店をできる限り成功させたい。そのために、少なくとも今後半年は頻繁に来日するつもりだ。大阪が軌道に乗れば、日本で他の店舗を開くことも考えている。何よりも「守破離」や「職人」「こだわり」「改善」といった考え方や美意識が根付く日本には、レトランジュ家の哲学と深く通じる部分があると感じる。だからこそ、私たちにとって日本は単なる市場ではなくブランドにとっての次章であり、とても大切だ。