PROFILE: 村上彩斗/写真家

“ファッション”とは何か。流行、先鋭的な佇まい、奇抜な装い──。定義と解釈は、突き詰めるほど多岐にわたる。その問いを出発点に、U30の写真家たちがそれぞれの視点で“ファッション”を捉える。その言葉から何を連想し、どの瞬間を切り取るのか。制限を設けず、作品と本人の言葉を通して、若き写真家の感覚と世界観を記録する連載【Young Lens on “Fashion”】。
第2回には、村上彩斗が参加。ホームレスや子どもなどの身近な他者にフォーカスしたZINE「TAWAI MAGAZINE」への参加や、上京した若者の期待や不安を捉えた「東京 上京」などの自主プロジェクトを通して、被写体が抱く微かな感情をポートレートと自身の言葉で写しとってきた。村上が着目したのは、制服と私服。歯科衛生士やエディター、書店員など異なる職に就く4人の被写体を通して、統制と自由を行き来する感情の揺らぎをすくいとる。
統制と自由

ファッションというテーマで撮影していいといわれて、僕はふと制服と私服の対比を見てみたいと考えた。
大学を卒業してからろくすっぽ働きもせず、こうして写真を生業としているわけで、スーツに袖を通すことは冠婚葬祭でしか機会がない。30代手前にして、いまだにスーツに慣れない。スーツを着ることが何かの通過儀礼のような感覚はいまだに自分の中にある。


スーツとは、なんだろうか。規則正しく出勤して、会社の一員であると自己表明している制服という記号。久々に朝早く起きてコーヒーを買いにコンビニに行くと、スーツ姿の人たちが地下鉄の入り口に吸い込まれていくのを見て、ああ今日は平日だったとぼんやりとそれを眺めたりする。
彼に会ったのはちょうど一年前。ファッションスタイルが個人的に好きで、「仕事は何やってるの?」と聞いたら「スーツで出勤してるよ、普通のサラリーマン」と言っていて、ギャップに驚いた。その経験があってこの企画を思いついた。


個人のアイデンティティーが集団の中の装いによってゆらぐ。
制服と私服で着る人の人格は全く異なるだろう。二項対立のファッションに合わせた人格が本人に統合されて、1人の人間として生きていく感覚は自分にはわからない。
僕が高校生の時、学校では制服を着ていたのだけれど、私服のファッションがスナップされて雑誌に載ったことがあった。その話題が高校の友人の中で広がると、周りからの目が少し変わった気がした。その感覚だろうか。
撮っていて気がついたのは、制服の撮影をしていると、皆一様にかしこまった立ち方をしていること、私服の時はそれぞれ力が抜けていたりポーズをとっていたりする。僕の使ったカメラは写真一枚を撮るために幾つかの手順を踏まなければシャッターが押せないもので、つまりモデルにとっては撮影されるまで時間が与えられることになる。ある人は談笑したり、ある人はポーズを迷ったり、ある人は髪型を気にしたり。制服の時は皆一様にポーズを変えようとしなかったのがとても面白い。

僕はぶかぶかな服が好きだ。一説によると、自分のコンプレックスを隠すためにオーバーサイズの服は好まれるとあるが、きっと違って心にゆとりができるように大きなサイズはあると思っている。ルーズな方が動きやすい。


つまるところ、人格なんて完成しない建築なのかもしれない。ファッションの中でゆらいでどこにも着地しないでいるもの。その人格が本人の人格と乖離して元に戻れないことが苦痛になるのかもしれない。
書店員の羽鳥さんに「正装は閉塞感がある?」と、僕の勝手な制服についてのイメージを聞いてみた。



彼は「閉塞感は全くないです。きっとそれは、僕が楽しく働かせてもらってるからだと思います」と言っていた。
制服の中にも自分らしさを見つけ出して人々は働いてるのかもしれない。

MODEL:TAKUTO MINAMI @mnmtkt0712, MIYU, ANNA TAKENAKA @reaction_paper, HIROMI HATORI @hiromi_hatori
PHOTOS:AYATO MURAKAMI
SPECIAL THANKS:DAIKANYAMA TSUTAYA BOOKS