ファッションデザイナーを含む若手クリエイターが集結するイベント「フォーティ ディグリーズ ジャパン」が5月9、10日の2日間、東京・原宿の代々木第一&第二体育館で開かれる。発起人は、下地毅TSIホールディングス社長CEOと、アートクリエイターを支援するACGの橋谷建代表。2人は1996年、イギリス・ロンドンで開かれた「フォーティ ディグリーズ(FORTY DEGREES)」に参加して、さまざまな刺激を得たという。閉塞感が蔓延する時代に未来を切り開こうとする若手クリエイターを応援するため、ファッションとアート、ダンス、ゲーム、ミュージック、そしてデザインの6カテゴリーで出展アーティストを募り、出展ブースは全てが埋まった。2人が参加した「フォーティ ディグリーズ」とは、どんなイベントだったのか?また「フォーティ ディグリーズ ジャパン」で若い世代にどのような体験をしてほしいのか?2人に聞いた。
WWD:2人が1996年に参加したという「フォーティ ディグリーズ」とは、どんなイベントだったのか?
橋谷建ACG代表(以下、橋谷):あのとき、私は商社で働いていて、「タンク・ガール(編集部注:イギリスでカルト的な人気を得たコミック)」のように、今でいうマンガやアニメに着想源を得たファッションブランドをやろうと考えていた。そんなとき、世界中からさまざまな若手とカルチャーが集うらしい「フォーティ ディグリーズ」の存在を聞き、(下地毅TSIホールディングス社長CEOに)「一緒に出る?」と聞いた。
下地毅TSIホールディングス社長CEO(以下、下地):彼は「フォーティ ディグリーズ」に出るついでに会社を辞め、誘われたときは金髪になっていた(笑)。そのとき私は、上野商会が手掛ける「アヴィレックス(AVIREX)」のチーフデザイナー。いろんなことをやりたがる性格なので、一緒にブランドを立ち上げて「フォーティ ディグリーズ」に出展したくなったが、2足の草鞋をはくことはできず、自分も契約社員になって、休みを取得して「フォーティ ディグリーズ」に参加した。
WWD:結局誕生したブランドは?
下地:あのとき海外では“ヤクザもの”のグラフィックが人気だったので、「ジャパニーズ・マフィアとして売り出しちゃえ」とサブカルの要素を強くした。ファッションの世界では「ウォルト(W<. 今もパリメンズでショーを開くウォルター・ヴァン・ベイレンドンクが93年に発表したブランド)」が人気だったので、リフレクターとか塩化ビニールを使った洋服を作りたかった。
橋谷:ブランド名は、(高倉健にインスピレーションを得た!?)「タカクラ(TAKAKURA)」。会社名は、田原俊彦の「ハッとして! Good」から「HAT AND GOOD」になった。完全にノリ。「フォーティ ディグリーズ」に出展すると、誰も田原俊彦を知らないし、「HAT AND GOOD」って言っても、なかなか伝わらなかった(笑)。
下地:書道に凝っていた人が出展を仲介してくれたので、渡英の前日、彼の家に行って習字をたくさんもらい、「フォーティ ディグリーズ」では自分達のブースの壁に習字を貼りまくった。今を思えば「クール・ジャパン」の走りみたいなことがしたかったんだと思う。
「カッコいい」か「クールじゃない」
「白黒がハッキリしていてよかった」
WWD:96年の「フォーティ ディグリーズ」は、どんな雰囲気だった?
橋谷:あのときのイギリスは景気が悪くて、天気だけじゃなく雰囲気も“どんより”していた。会場ではみんなマリファナを吸っていて、出展料を払っていないヤツも勝手にサンプルや作品を持参して、気づくと勝手に壁に飾っている。何もかもがデタラメだった。
下地:ファッションショーでは、モデルが勝手にサンプルをピックアップして、好きなスタイルでランウエイを歩いていた(笑)。
橋谷:スポンサーが付いていたショーなのに、モデルが僕らのところに来て、最後は「タカクラ」のピカピカのスタイルでランウエイを歩いていた(笑)。でも、モデルがサンプルを返しに来ない(笑)。
下地:帰国してから商品を発送してもお金が振り込まれないなど色々あったが、「バーニーズ ニューヨーク(BARNEYS NEW YORK)」などがオーダーしてくれて、嬉しかった。まだファクスの時代の話。プロになって以来、いろんなことが曖昧でメリハリのない世界に慣れていたが、「フォーティ ディグリーズ」はそれぞれが独自の価値基準でハッキリ決めつけるのがよかった。答えは「カッコいい」か「クールじゃない」のどちらか。日本での暮らしは経済的には幸せだったけれど、「こういうのが欲しくてやっていたんだ」と思い起こさせられた。
橋谷:ビームスなどは96年の「フォーティ ディグリーズ」をチェックしていたけれど、団体で動いたり、最初に「日本人?」と聞かれて背景から入られたり。一方海外の人は集団で動かない。ペンキを塗りたくったコートを遠くから見ていたオジさんは、だんだん近づいてきて、いきなり「なんだ、コレ?」と聞いてくる。日本人は生い立ちや成り立ちを気にするのに、海外の人はいきなり「これがクールだ」と言ってくる。それが面白かった。石橋を叩く姿勢は、クリエイター側も変わらない。でも「フォーティ ディグリーズ」では、無茶して、色々やっても、どうにかなることを学んだ。すごく影響を受けたので、「フォーティ ディグリーズ ジャパン」で若いクリエイターには同じような気持ちを感じてほしい。
下地:隣のブースは「フライターグ(FREITAG)」だった。当時からトラックの幌を再利用しており、2人で創業した兄弟を「エラいね」「カッコいいね」って話してたら仲良くなって、最終的には2人を(フライから始まるから)“金曜日兄弟”って呼んでた。「マハリシ(MAHARISHI)」を知ったのも、「フォーティ ディグリーズ」。売れてないけれど、当時から異彩を放っていた連中、面白いことをやっていた人たちが成長していく姿は素直に素敵だった。
WWD:「フォーティ ディグリーズ ジャパン」では、そんなチャレンジ精神を楽しんでほしい?
橋谷:今の若い世代は、リスクを冒すことを嫌がり、“こぢんまり”している人も少なくないように思える。「やり切れば、その先には何かあるよ」を感じてほしい。
下地:今回は出展費用をすごく下げた。「フォーティ ディグリーズ」では当時30万円くらいを支払った記憶がある。内装に凝る余裕がなくて、夜中にロンドンを歩き回り、粗大ゴミを拾ってブースを作った。30代前半に何をしてるんだろう?って思うこともあったけれど、「フォーティ ディグリーズ」は今も強烈な思い出。1つのきっかけになれば、と思う。だから業界人には、ぜひ見に来てほしい。未来の才能を見つけて、青田買いしてほしい。ファッションとアートがコラボして、何か面白いことが生まれれば。昔出版社が大きなイベントを開いていた頃、私のお目当ては端っこのイラストレーターだった。若い頃から頑張って絵を描いている人たちと、「アヴィレックス」でも一緒にモノ作りをしてきた。人との出会いは、ブランドの宝になる。
橋谷:自分の殻を破るきっかけを探し、日本人的にはわけわかんないイベントに参加することを決めた人は、絶対にいいヤツ。大事にしたい。
下地:インバウンドで東京の街は栄えているけれど、果たして盛り上がっているのか?それでよかったのか?との思いもある。俺らは「フォーティ ディグリーズ」である意味“怪我もした”けれど、今思えば宝。出展者も来場者も、30年前の俺らのように楽しんでくれたら。