ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)が「ディオール(DIOR)」で2度目となるオートクチュール・コレクションを発表した。どうやらクチュールは、創業デザイナーの花々への愛と、ジョナサンの琴線に触れる彫刻家らによる作品との融合がポイントのようだ。彼は今回、米国の彫刻家のリンダ・ベングリス(Lynda Benglis)とタッグを組み、前回のクチュール、もしくは「ディオール」ウィメンズのプレタポルテで顕著だったロマンティックなムードとは一線を画した。花々は今回「可憐」というより、その生命力である種の「逞しさ」さえ感じさせる。
ジョナサンとリンダのタッグは、今回が初めてではない。彼は「ロエベ(LOEWE)」の時も、ジュエリーの制作やキャンペーンへの出演を依頼したほか、金属彫刻をランウエイに置いたこともある。
以前からの彼女のファンであるジョナサンは、「ベングリスは天才。彼女のフォルムの捉え方にはある種、『筋肉質』とも言える力強さがある。時代を先取りしすぎていた存在で、功績がようやく認識され始めたのは、最近10年のことだ」という。そして今回は、蜜蝋(みつろう)やラテックス、磁器、あるいは扇子といった素材を用いたベングリスの実験的な作品をデザインの出発点とした。例えばベングリスのまるで金属をプリーツ加工したかのような彫刻「ゴリアテ」は、総プリーツのシルバーラメにさらにドレープを寄せて大きなリボンを描いたドレスで表現した。カラフルな紙や金網を使った彫刻作品からは、シルバーネットにメタリックな生地やシフォンを何層もパッチワークしたアヴァンギャルドなスカートを作っている。
ベングリスは1974年、「アートフォーラム」誌に太ももの間に巨大なディルドを挟んだ白いサングラスだけの全裸の女性を登場させ、波紋を呼んだ。ジョナサンはその姿さえ、ビーズ装飾でホログラムのように描いている。
「ディオール」でアヴァンギャルドは、
「驚愕するかもしれないが、やがて魅力に気づく」
こうしたアヴァンギャルドな先進性やリスクを恐れない大胆さは、数々のニューシルエットを生み出したり、新しいビジネスのありようによって瞬く間に世界を股にかけるブランドへと成長した「ディオール」の根底にも流れているのではないか?きっとジョナサンは、こう考えたのだろう。今回のコレクションは、前回のオートクチュールを、ベングリスを思わせる大胆さでアップデートしている印象もある。例えばバー・ジャケットは、フリンジがシダの葉のようなグリーンのツイードから、テレビの砂嵐を思わせるグレーの斑点が霞のような白いシフォンの裾へと溶け込んでいくデザインまで多彩。花々のムードは今回、庭園というよりは亜熱帯のジャングル。そんな植物と戯れる鳥も、さえずる小鳥というよりは咆哮に近い声を出す大鳥というイメージだ。ビバルディの「四季」から脈打つようなアンビエントに変わったBGMも、前回の「花のような女性像」には違う姿もあることを想起させる。
またムッシューが1948年に発表した、台形シルエットのコートにプリーツ加工を施して「アリゾナ」と称したトラペーズ・コートは、まさにベングリスとの共通点だろう。プリーツは徹頭徹尾、今回のキーディテールとなった。ニットにプリーツ加工を施したり、生地を細く長く切り出して丁寧に貼り付けることによってプリーツのような躍動感を手に入れたり。これまでのローウエストに大きなリボンをあしらったジャケットなど、プリーツを刻むことでデビュー以来の「ディオール」のスタイルコードを拡張している。
「ディオール」には、あくまで「可憐さ」を欲する人は多いだろう。賛否はあるかもしれない。しかしジョナサンはウィメンズのプレタポルテのデビューコレクション(2026年春夏シーズン)で「Do you dare enter…the House of Dior?」、「あなたは、『ディオール」というメゾンに、足を踏み入れる勇気がありますか?」というフレーズを投げかけ、「誰もが意見を持っている。騒がしいけれど、このブランドに関わった人たちは皆、そうした意見の嵐に巻き込まれてきた」と話した。ジョン・ガリアーノ(John Galliano)を含む歴代のデザイナーたちを踏まえ、「最初は驚愕するかもしれないが、やがて魅力に気づくだろう」とも話した。今回のオートクチュールは、まさにそんな存在ではないだろうか?デビュー以来、ジョナサンのビジョンは一貫しており、勇気を持って継承・革新していこうという覚悟は深まったように思えた。