
東京都の最西端に位置する東京都の村・檜原村(ひのはらむら)。都心から車で90分の場所にある、自然と向き合い働く林業ベンチャー「東京チェンソーズ」が、都市と森をつなぐ挑戦を続けている。2006年に創業し、「誇りを持って働ける環境をつくること」と「新しい林業への挑戦」をテーマに掲げ、林業の在り方を変える事業や、都会の人々が森をより身近に感じられるための活動も行ってきた。森林資源の新たな価値を生み出し、都市と森の接点をつくる試みは各方面から高く評価されている。来年で20周年を迎える同社代表の青木亮輔に、都市と森林のつながりを「流域」という視点で捉えながら、都市の人たちに森との接点を届けるなかで考える「持続可能なくらし」の本質を聞いた。
PROFILE: 青木亮輔/東京・檜原村「東京チェンソーズ」代表/林業家。

――20年の間で、林業や自然をめぐる社会の意識も大きく変わってきたと思います。都市と森をつなぐという視点で、特に印象的だった出来事を教えてください。
青木亮輔(以下、青木):創業当初、「チーム・マイナス6%」という政府の取り組みがありました。地球温暖化対策の一環で、今のSDGsや脱炭素の動きに似た雰囲気が社会に広がっていて、多くの企業が温暖化対策に取り組もうとしている時期です。その流れの中で特に印象に残っているのは、東京都の「未来ビジョン懇談会」が開催されたことです。
東京でさまざまな分野の専門家が集まる中、森林や林業の分野で声がかかりました。都庁の会議室で、小池都知事も交えて、月に1回か2ヵ月に1回のペースで1年間続いた意見交換の場でした。そのとき、「林業関係者がこうした議論のテーブルに並ぶ時代になった」と実感し、とても衝撃を受けました。
もう1つの転機は、林業や森の暮らしに関心を持つ都市の若い人たちが、現場に実際に足を運びはじめたことです。特に林業のドキュメンタリー映画やSNSの広がりの影響もあって、「林業ってカッコいい」「こんな世界があるんだ」と思ってくれる人が増えた実感があります。
ただ、ヒット作品やメディアのトレンドに頼らず、現場で大事にしてきたのは持続的な関係性です。森に来た人が「また行きたい」と思えるような体験や、働く人同士の等身大のつながりこそが持続可能な関係性を築く鍵だと考えています。
――都市に暮らす人たちが森を身近に感じるきっかけはどんなことでしょうか。
青木:いきなり変わるよりも、そこで暮らす人たちと関わりながら何度も足を運ぶうちに少しずつ身近に感じるようになっていく方が多いですね。そのきっかけ作りのために山のサブスク「MOKKI NO MORI」やワークショップを毎月開催しています。薪を作ったり、小屋を建てる体験を積み重ねる中で、自然と森との関わりが暮らしの一部になっていく。たとえば、映画館や美術館にふらっと立ち寄るように、森にも気軽に足を運んでもらえたらうれしい。普段はSNSで見ていた自然も、実際にその場に身を置くことで、違う感覚が芽生えるんですよね。
こうした機会が一度ではなく何度かにわたって繰り返されることで「またあの森に行きたい」とか「この前話した人は元気かな?」と訪れる人たちの中に少しずつ愛着が育っていきます。そうした時間を少しづつ積み重ねていく中で、檜原村が「第2のふるさと」のような存在になってくれたら嬉しいですね。
――本質的な変化につながったと感じられる瞬間はありますか?
青木:都市から通ううちに、「この森を次の世代にも残したい」と自分の言葉で語ってくれる人がいます。そんなふうに森との関わりを自分ごととして捉え始めたとき、確かな意識の変化を実感します。本質的な変化を感じるのは、関係性が一方的ではなく双方向になったときですね。それに「関係人口」という言葉には当初から少し違和感があって、人を関係の数でカウントするのではなく関係の質や中身をしっかり育てていかないと持続性は生まれないと思っています。
――23年からは企業向けのチームビルディングや新入社員研修の受け入れも開始されています。
青木:きっかけは、この土地を活用しながら元気な森を一緒につくっていきたいという思いでした。企業にとって元気な森が自分たちの暮らしや事業活動とつながっていると実感し、森とのつながりを身近なものとして受け止めてもらうことを目的にしています。企業ごとに研修内容をカスタマイズして、一緒にプログラムをつくっていきます。熱心な担当者は「森の中で学びたい」「森の経済性を知りたい」といった明確な目的があることが多いですね。の場合は、森林の価値をどう高めるかや木材の生産・利用について学びながら、実際の展示会などで使用する木材の加工といった物づくりのワークショップも行っています。
多摩地域の企業向けの新入社員研修では、チームビルディングに加えて「地域貢献」をテーマにしています。実際に村をハイキングしてもらい、村を俯瞰することで「ここも自分たちの営業先で、仕事とつながっている」と感じてもらえるようにしています。
最近「流域思考」が注目されていますが、企業研修を通じて山側の地域にも関心を持ち、人が来てくれたり、お金や情報の循環が生まれています。まるで人の体のように、森林のすみずみまで血が巡るような状態をつくっていくことで、たとえ人口が減ったとしても健全な森を維持していけるはずです。
森を通じて見えてくる、社会の再設計と持続可能な経済のかたち
――都会と森に暮らす人との間に、森に対する感覚に違いを感じることはありますか?
青木:ここでは自然中心の生活ですが、都市生活者にとって森は遠い存在です。都市部で木工品の販売やワークショップを行う「森デリバリー」では、「東京にこのような森林が存在することに驚かれることもしばしばです。中には、親の「自分が自然に触れたことがないから、子どもにどう体験させればいいかわからない」という声もあります。
――都市での生活はをどのように感じられますか?
青木:最近はテレワークなど、新しい働き方によって少しずつ社会も変わりつつあると思います。とはいえ、都市だけでなく檜原村も人口の増加と高度経済成長時代に作られた社会の仕組みをそのまま維持しようとしていることもあり、いろいろな歪みが生まれています。
だからこそ、社会のあり方やインフラ、街や村づくりの在り方、仕組みについても、人口減少の時代に合わせてよりシンプルで無理のない形で整えられるように変わっていくべきではないかと考えています。
――そのためにはどのようなアプローチが考えられますか?
青木:重要なのは、地域の価値をどう高めていくかです。林業でいえば森林の価値を最大化すること。その延長に村全体の価値も高めていく必要があると思っています。たとえ人口が減っても、その変化に負けない強い村づくりを目指したい。それができれば、村を応援してくれる人も増えてくるはずです。
企業研修のような取り組みは山の維持にもつながりますし、伝統芸能なども町の人が関わることで守られるかもしれない。観光とは違った形で、都市部の生活者が居場所を持てるようになる可能性もあります。そうしたつながりが生まれれば、会社が地域を守る力を持つことができると思います。
最近は、各地域で林業や農業に従事者が議員になるなど、現場を知る人が政策に関わることの重要性を感じています。現地に暮らしていても、林業のことが分からない人が多くなった結果、ちぐはぐな政策が生まれてしまっている現状がありますので、特に森林が多い自治体では、現場の感覚を持った人が地域を引っ張る存在になるべきです。
――世代ごとで自然との関わり方に違いがあるのでしょうか?
青木:私たちが運営する「東京美林倶楽部」のシニア世代には、「自分たちは、自然を壊しながら生きてきた」という思いを持ち、「自然に恩返しがしたい」と話してくれる方がいます。改めて森との関わりを持とうとする姿勢にある種の覚悟を感じます。
高度経済成長の開発が最優先だった時代は、自然は楽しむものではなく、使うものという感覚が一般的でした。当時も今のようなアウトドア人気は高かったものの、車の普及とセットで訪れたオートキャンプのブームで、山へ行くというより車で乗りつけて、バーベキューを楽しむような自然消費のレジャーを楽しんでいました。
一方、今の若い世代や子育てを終えた世代には、時間の流れに寄り添い自然の中で静かに過ごしながら「間」を楽しむ価値観が根付いているように思います。それぞれの世代がそれぞれのペースで、森との距離を少しずつ縮めていけたらその先にきっと新しい関係性が育つと思います。
――SDGsという言葉が広く浸透した一方で、現場ではその枠に収まりきらない実践もあると思います。
青木:最近、チームでよく使うのは「本当の持続可能性」という言葉です。SDGsというパッケージよりも、それぞれの現場で「本当に続けていけるか?」「次の世代に残せるか?」と問い続けるほうがリアリティがあります。あとは大きな構造ではなく、日々の暮らしや仕事のなかで小さな循環のほうが、手触りがあって確かだと思います。
――森で暮らし、働くことのどこにおもしろさを感じていますか?
青木:林業の現場は、すごくアナログなようで実は変化の連続なので飽きる暇がありません(笑)。気候も木の成長も人の動きも、毎年少しずつ違う。そういう“揺らぎ“をどう扱うかはいつも学びの連続です。最近は、林業や森に関わる他業種の人たちとのコラボが増えていて「こんな発想があるのか!」と驚かされることも多い。そういう化学反応がおもしろさの源かもしれません。