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クリエイターたちのお仕事変遷 仕事が絶えないあの人の、“こうしてきたから、こうなった” 亀恭子編

 転職はもちろん、本業を持ちながら第二のキャリアを築くパラレルキャリアや副業も一般化し始め、働き方も多様化しています。だからこそ働き方に関する悩みや課題は、就職を控える学生のみならず、社会人になっても人それぞれに持っているはず。

 そこでこの連載では、他業界から転身して活躍するファッション&ビューティ業界人にインタビュー。今に至るまでの道のりやエピソードの中に、これからの働き方へのヒントがある(?)かもしれません。

 第2回目は、数々の女性ファッション誌で活躍するスタイリストの亀恭子氏が登場。1通の応募用紙をきっかけに、航空会社の会社員からスタイリストの道を歩むこととなった亀氏のストーリーを追いました。

WWD:短大卒業後は航空関連の会社へ就職されたのですね。学生時代からの夢だったのですか?

亀恭子(以下、亀):短大に進学する際、「航空会社や旅行会社っていいな」というふんわりとした憧れの気持ちから英語英文科を選びました。その思いのままJAL系列の航空会社に就職し、お客さまのフライトやホテルの手配をする仕事をしていました。

WWD:オフィスは私服でしたか?

亀:そうですね。ファッションに関しては比較的自由な職場でした。へそ出しやビーチサンダルはさすがにNGでしたが。「キャンキャン(CanCam)」や「JJ(ジェイジェイ)」などいわゆる赤文字系の雑誌が扱う、きれいめなファッションが好きでしたね。

WWD:スタイリストになるきっかけは何だったのでしょう。

亀:「キャンキャン」の巻末に付いていたスタッフ応募シートでした。「おしゃれのポリシー」とか「この秋、真っ先に買いたいもの」など、今考えると「ちょっと面倒」って思ってしまいそうなことも喜々として書いていましたね。「興味のある仕事の分野」という項目では、編集とライターアシスタント志望の箇所にチェックを付けました。確か、スタイリストには印は付けていなかったと思います。「スタイリストは体力もいるだろうし、大変そう」という勝手なイメージもありましたし。

しばらくして「読者参加型の企画に協力してもらえませんか?」と編集部から声を掛けてもらうようになりました。撮影現場に何回か足を運ぶようになった頃、のちに私の師匠となる渡辺佳恵さんから「スタイリスト、向いていると思うの。頑張ってみない?」と電話があったんです。渡辺さんはスタイリストではなく、当時「キャンキャン」などで活躍中のフリーライターで、その後ファッションディレクターとして雑誌全体を見る立場の人でした。「社会人を経験し、洋服が好きなあなたが作るスタイリングはきっとリアルで読者の共感を得られるし、説得力があると思う」。戸惑う私の背中をそう言って押してくれました。

実戦でのスタイリストデビュー

WWD:それからどのようにスタイリストとしてデビューを?

亀:いきなりの実戦デビューだったんです。今思うと、ものすごい“ばくち”ですよね。普通に考えれば服飾系の学校卒業者や、すでにスタイリストのアシスタントとして頑張っている若手を起用するかと思います。今でもスタイリストは師弟制度のような下積み時代を経てから独立するのが一般的ですしね。当時(2001年ごろ)の「キャンキャン」は、“エビちゃん・もえちゃんブーム”※1の少し前。メイン読者は大学生と社会人1〜2年目の女の子でした。赤文字系ではその頃「ジェイジェイ(JJ)」が一番売れていて、「キャンキャン」編集部としては新しい風を吹かせたかったのかもしれません。

※1.雑誌「キャンキャン」の専属モデル(当時)であった蛯原友里と押切もえがカリスマ的な人気となり、誌面で2人が着た服は飛ぶように売れ社会現象となった

WWD:会社員からスタイリストへ。大きな決断でしたよね。

亀:そうですね。「社会人3年目に転機を迎える」なんてよく言われますが、まんまと私にも(笑)「環境を変えたい」という気持ちがむくむくと湧き上がってきました。でも、その変えたい気持ちの先が何なのかは見えていませんでした。制度的に何かと守られている会社員を辞め、保証のないフリーランスの道を選ぶことにも大きな不安もありました。何度も迷いましたが、「やらずに後悔するくらいならやってから結論を出したい」——そう強く感じました。こうして、半年間は会社に所属しながら隔月でスタイリストの仕事をするという“二足のわらじ”スタイルでこの道に進むことに決めました。

WWD:最初に手がけたページはどのような内容だったのですか?

亀:2001年の夏の号で、赤色をテーマにした企画でしたね。ブランドへのアポ入れ※2からリース※3の仕方、撮影現場での振る舞いなど、すべて師匠にフォローしてもらいながら行いました。プレスの人からしてみたら「この子、誰?」という感じだったと思います。余裕はなかったけれど、何十体ものコーディネートをそのときは比較的すんなりと組むことができたんです。小泉里子さんや山田優さんなどキラキラとしたモデルたちに囲まれて、「大変だけど、楽しい!」と。高揚感に包まれてその日を終えました。

※2.企画に合う衣装があるかどうかを各ブランドに電話で確認をすること
※3.撮影の数日前から実際にプレスルームを回り必要な衣装を集めること

WWD:無事にデビューを飾ったのですね。

亀:でも、次の撮影から早速挫折。「キャンキャン」では一つの企画で30〜40体とコーディネートを組むわけですが、スタイリングはすべてやり直し。以降の仕事もダメ出しと直しを繰り返して、コーディネートのチェックが終わるのが撮影開始前ギリギリということもありました。心身ともにつらかったけれど「そんな簡単にいくはずないよね」と、どこか冷静な自分がいました。コーディネートが思うように組めないということに加え、人間関係でもつまずきましたね。編集部内でも撮影現場でも、冷たい視線を向けられることもありました。下積みもないポッと出の人がプロとして仕事しているわけですから。ゼロからというより、むしろマイナスからのスタートだと感じていました。このときの経験があるので、撮影現場で肩身の狭そうなアシスタントさんを見ると放っておけなくて、つい絡んじゃいます(笑)。

WWD:つらい環境でもスタイリストとしてやっていきたいと思えたのはなぜでしょうか。

亀:最初の撮影現場で感じた「楽しい」という気持ちが大きかったんです。それをまた味わいたかった。厳しい現場の中でも助けてくれるスタッフの方がたくさんいましたし、友人たちも応援してくれました。衝動的で思い切りのいい性格のように思われがちですが、実は慎重派です(笑)。人知れず悩んで、悩んで、悩み抜いた末、会社に辞表を出しました。「自分で選んだ」というこの経験は、つらいときの“踏ん張り”になっていたと思います。

ピンチ、のち独り立ち

WWD:晴れてスタイリスト一本でいく決意を固めたのですね。

亀:はい。デビューしてからずっと、師匠が編集を手がけるページのスタイリングを私が担当するという状況でした。師匠が仕事を振ってくれているから、私には仕事があったんです。さまざまな現場を経験させてもらいましたが「一人じゃ何もできないな」と感じていました。コーディネートもいつしか読者にではなく、師匠に気に入られるものを意識している自分がいました。そのことに薄々気づいていたけれど、どうすることもできずにいただいた仕事をこなすようになっていました。

こうして、スタイリストとして3年ほど経ったとき最大のピンチが訪れました。師匠とちょっとしたことでもめたことをきっかけに決別することになったんです。当然、私の仕事は文字通りゼロに。「辞めちゃおうかな」——そんな気持ちが何度も頭をよぎりました。でも、少しずつではありますが編集スタッフやお付き合いのあったブランドの方々が声をかけてくれるようになりました。「いただいた仕事を丁寧に全力でやっていくしかない」「どうせ辞めるなら惜しまれて辞めたい」——そう覚悟を決めました。

WWD:大きな転機ですね。

亀:これが本当の独り立ち、ある意味“親離れ”ですね。フリーでやっていくためには、ある程度“その人っぽさ”を売りにしないといけないと思うんです。でもそれまでの私には“らしさ”というものがなかった。組んだコーディネートを師匠に見てもらい、指摘されたことを足したり、引いたり……。結果として、スタイリングは師匠の色に染まっていたと思います。決別することはつらかったけれど、私にとって必要なターニングポイントでした。乗り越えることができて本当によかった——今はそう思えますね。

WWD:それからの仕事スタイルはどのように変わっていったのでしょう。

亀:「キャンキャン」を中心に「アネキャン(AneCan)」※4でもたくさんお仕事をさせてもらいました。どんどん人気者になってゆくモデルたちと雑誌を作る一部でいられたことは大きな喜びでしたし、刺激的でした。同時に、ブランドとのコラボレーションや百貨店のトークイベントなど、お仕事の幅も広がっていきました。

20代後半は毎日のように早朝から深夜まで働いていました。私自身、「20代での苦労は買ってでもしろ!」と思っていた節もあったんですよね。「マイナスからのスタートなんだから、人一倍頑張らなくちゃ!」と自分に言い聞かせていたようにも思います。でも今振り返ってみると、それは山のように仕事があったというよりも、仕事のこなし方や結果の出し方を分かっていなかっただけなんだと思います。

※4.「キャンキャン」の姉妹誌として2007年に創刊。現在は休刊

WWD:そうだったんですね。

亀:実は、29歳の時に体を壊したことがありました。当時はとにかく必死で、仕事はご飯を食べるための“ライスワーク(Rice-Work)”だと思っていました。でも体調を崩したことで、「なぜ働くのか?」ということを立ち止まって考えることができました。それで見つけた答えは「人生を豊かにするための一つのパーツとして、この仕事をずっと続けていきたい」ということ。“ライス”ではなくて、“ライフワーク(Lifework)”だな、と。それまでは、月の仕事の本数が少し減るだけで焦っていました。けれど、仕事はあくまで人生の一部であって全てではない——そう思えたら気持ちがずっと楽になりました。今は子どももいますから、仕事が緩やかな日があれば「息子とたくさん遊べる!」と気持ちを切り替えることができます。「がむしゃらに働く=いい結果」ではないということを、身をもって学べた気がしますね。

WWD:仕事への向き合い方やプライベートの変化がある中でキャリアを重ねてきましたが、ご自身の強みをどのように分析していますか?

亀:師匠からは何度も「亀ちゃんの強みはね、リアリティーよ」と言われました。「モードな世界ももちろん素敵。けれど、『実際にまねしたい!』と読者に思われるようなスタイリストであってほしい」と。モードなお洋服が1〜2歩先ならば、私が提案するスタイリングは半歩先。そのことを意識し続けていたら、それが個性になったのだと思います。リアリティーに飽きてしまって柄や色にハマった時期もありましたけどね。基本的にはミーハーですから(笑)。

WWD:亀さんがスタイリストを始めた頃に比べて、いま求められるスタイリスト像は変わってきていますか?

亀:雑誌がトレンドをけん引していた頃よりも、ファッションも考え方も多様化していますよね。年齢も経験も重ねてきたせいもあるかと思いますが、最近はより「亀さんなら何を選びますか?」といったパーソナルな部分を求められるようになっていると感じています。私の年齢やライフスタイルに近い企画をいただくことも多いですね。

WWD:今後、力を入れたいことはありますか?

亀:実はこれといった夢はないんです。目標を決めてしまうと、それがうまくいかなかったときに焦って空回りしてしまう自分の性格を自覚しています。それよりは、目の前に与えられたことを精一杯頑張ること。たまたまかもしれないけれど、そうしてお仕事に恵まれてきました。その時々にいただく仕事や出会う人が、自分にとって必要なものなんだと思うようにしているんです。私が転職した時代に比べて、最近は働き方も変化に富んでいますよね。今仕事で悩んでいる人は、逆にうらやましいと思っています。悩むということは“選択肢がある”ということですからね。

WWD:日によって変わると思いますが、一日の流れを教えていただけますか?

亀:午前中からリースに回り、夕方に打ち合わせをしコーディネートチェックをする日もあれば、早朝から撮影に出る日も多いです。早朝撮影でなければ6時半に起きます。息子の通う幼稚園は週に2回お弁当の日があるので、その日は6時起床です。昼過ぎに息子を迎えに行き、そこから今度はアフタースクールに送ります。夕方の迎え時間に私が間に合わないときは、義母やシッターさんにお願いをすることもありますね。

物事に順位はつけない

WWD:目まぐるしい毎日だと思いますが、エネルギーの源は何でしょう?

亀:私、物事に順位をつけないタイプなんです。もちろんその時々で優先順位は変わりますが、家族も友達も仕事も同じくらい大切に考えています。どれも諦めたくなくて、同じだけ熱量を注ぎたいんですね。それが私にはちょうどいいバランスなんだと思います。仕事ばかりしていた20代の頃は、仕事がうまくいかないとものすごく落ち込んでいました。それは仕事に100%懸けていたからだと思います。今は子育てもありますし、いい意味で分散できているんだと思います。

WWD:最後に、これからファッションの仕事を始めたいと思っている人へアドバイスをお願いします。

亀:「ファッションはパッション!だよね」と話している友人がいて、「本当にそうだな」と納得したことがあります。韻を踏んでいるから照れ臭いんですけど(笑)。ファッションって、好きという気持ちも含めてエネルギーの必要なジャンルだと思うんです。トレンドの移り変わりも早いですしね。仕事にするなら、洋服を見たときの「オシャレ!」「かわいい!」と感じた自分の心の動きに敏感でないといけない。でも逆に、情熱さえあれば壁にぶつかっても簡単にはへこたれないと思うんです。悩んでいるなら一回飛び込んでみるのはどうでしょう。ちゅうちょしている間にどんどん変化していってしまいますから。スタイリストの仕事に関していうと、「大変だけど、その分楽しいよ!」。そう伝えたいですね。