東京・原宿でポーズを決めるラリー・クラーク(左)とレオ・フィッツパトリック(右)
写真家・映画監督のラリー・クラーク(LARRY CLARK)は、原宿の画廊「ギャラリー・ターゲット(GALLERY TARGET)」で展覧会「TOKYO 100」を開催中だ。9月30日までの予定だった会期は、好評につき10月3日まで延長。「TOKYO 100」は、73歳のラリーがこれまで撮り溜めた写真をドラッグストアの写真現像サービスで102×152mm(4×6)サイズでカラープリントし、各1万5000円で販売するもの。キュレーターを務めるレオ・フィッツパトリック(LEO FITZPATRICK)は、ラリーの映画デビュー作「キッズ(KIDS)」で主要キャストのテリーを演じた人物だ。「東京のキッズたちに会うため」とサプライズで入場無料のレセプションパーティーを開催するなど、ラリーのキッズに対する好奇心は今も健在。セックスやドラッグ、青春など、常に若者のリアルを撮り続けるラリーとレオに迫った。
展覧会「TOKYO100」では、大きな木製のクレートを設置し、写真を積み上げてディスプレーする
WWDジャパン(以下、WWD):東京の“キッズ”についてどんな印象を持っているか?
レオ・フィッツパトリック(以下、レオ):若者に限らずだけど、ジャンルにとらわれず自分の好きなことに全力で向かう点に感心している。ロカビリーであろうと、スケートであろうと、それらにとことんコミットする、という感じ。来日する度、そういった文化的な情熱を感じるね。例えば代々木公園に行くと、色々なエリアでそれぞれ同じ嗜好を持った若者たちが趣味を楽しんでいるし。
ラリー・クラーク(以下、ラリー):それってトライアングルパークのこと?
レオ:トライアングルパークは大阪だよ。代々木公園はこの近くの公園で、ゴスロリの人やキャンディーレイバーがそれぞれの区画に集まって遊んでるところ。
ラリー:ああ、そこか。俺はトライアングルパークが出てくるスケートフィルムを観て、新幹線で3時間くらいかけて、レオと一緒に行ってみたんだ。印象深かったよ。とても小さな公園だけど若いスケーター達が集まって、そこにあるもので工夫してトリックしたりしながら遊んでるんだ。スケート用の施設なんて無いのにとっても楽しんでいる。昔のマーク・ゴンザレス(MARK GONZALES)を思い出したよ。公園の子たちはコンテンポラリー半分、マークみたいなオールドスクール半分って感じだった。「キッズ」(映画「KIDS/キッズ」)では、みんなで集まってスケーターのビデオを観るシーンがあるんだけど、そのビデオの中でマークは超長い手すりを滑り降りてるんだ。今は有名なトリックだけど、当時はまだ誰もやっていなかった。今はビルの上を飛び回ったりどんどん過激になってるけど、フツーじゃないよね。落ちたら死ぬし。とにかく、俺が言いたいのは、本物のスケーターは楽しむためだけにスケートをするってこと。今あるモノや状況で、今そこにあるものを何でも使って滑るんだ。だからトライアングルパークのキッズたちがボード1つでとことんスケートを楽しんでる姿を見て嬉しくなったよ。
WWD:キッズ(ティーンエンジャー)を撮ろうと思ったきっかけは?
ラリー:何年間もずっと写真を撮ってきて、撮りたいものは全部撮った。だから今度はフィルムを撮りたいと思ったんだ。いつもラリっててどうしようもない生活をしてたからまともにならなきゃなとも思った。ドラッグを卒業して、恋に落ちて、結婚して、子どもが2人できた。その数年後に映画を撮る決心をするんだけど、それまでは自分がテーマの作品ばかりだったから、今度は自分じゃないものを撮りたいと思った。自分はもうティーンの世界なんて全然わかんなかったから、その世界を映したかった。ある夏ワークショップをやることになったんだ。俺は先生じゃないしワークショップはやらないんだけど、「Life is Good and Good for you in New York」で有名な写真家のウィリアム・クライン(WILLIAM KLEIN)もやるって聞いたから。10日間のワークショップだったんだけど、生徒は暇だから写真でもやろうかなって感じの中年の主婦ばかり。誰かエキサイティングなティーンエイジャーはいないかなぁと思っていたら、その中にトビン・イェランド(TOBIN YELLAND)がいた。彼は、写真家として成功するんだけど、それから数年は電話越しにアドバイスをするようになって、彼が写真を送ってきては俺が批評する関係が続いた。まぁ俺の答えはいつも同じで、「もっと裸を撮れ、もっともっと裸だ」だったけど。47歳でフィルム制作のためにカリフォルニアに行って、トビンのアパートでトム・ノックス(TOM KNOX)やマーク・ゴンザレスら数人のスケーターと一緒に過ごした。その時から彼らを撮り始めたんだ。初日の夜は忘れもしないよ。寝る前にみんな着替えるんだけど、みんなトランクスで、俺だけブリーフだった。疎外感でいっぱいだったね(笑)。次の日にトランクスを買いに行ったよ。その時からずっとトランクス。快適だよ。
WWD:ラリーはどんな服装だったのか?好きなファッションは?
ラリー:トビンに「何着ればいいんだよ?」って聞いたら「何でも好きなの着ればいいよ」って言われた。昔はユニホームなんてないから、それぞれスケーターたちが好きなものを着ていた。「ディッキーズ(DICKIES)」とかね。ポロシャツ着ているヤツもいたし、汚れたTシャツを裏返しに着ているヤツもいた。俺はスケーターの着ているTシャツに惹かれて、そればかり着ていたよ。そんなに大きな市場じゃないから2~300枚しか作らなくて、すぐ売り切れてしまうんだ。「FUCK」Tシャツとか買いまくったよ。だんだんスケートの人気が出てきて、小さなスケートショップが沢山あったんだけど、スーパーリッチなナイキ(NIKE)が小さい会社をみんな買っていった。そしたら「FUCK」Tシャツなんて訴えられちゃうからそのうち無くなっちゃって、すごい変化だったね。トランクスもはいて下着は流れに乗ってたんだけどな(笑)。
WWD:レオとの出会いは?
ラリー:レオは典型的なスケーターキッズだったんだ。両親が別れて片親で育ってる子達。母親は常に働いてたから、レオは大抵1人だった。当時はチーズバーガーばっかり食べてたよ(笑)。彼も何かに不満を持ってる“Angry”な子どもだったけど、スケートになると夢中で滑り続ける。100回トリックを試みて100回転び続けても起き上がるんだよ。1つのトリックを朝から晩までやり続けて、失敗すると毎回、怒ってボードを地面に叩きつける。地面を罵倒するんだ。成功したらハッピーになって、家に帰るか友達とつるんだりガールフレンドと遊んだりする。でも怒ってる時の彼の「声」はすごかった。その「声」を通して彼に出会ったんだ。今はもう大人だからそういうことはないけど、あの「声」はとってもユニークだった。罵倒しまくって、ボードに当たり散らしてたね(笑)。そんなレオに近づいた。相当怪しかっただろうね。おっさんが近づいてきていきなり「ボードあげるよ。僕は映画を作っているんだ」って。14歳の彼からしたら知らないおっさんがボードくれるっていうし、映画に出ないかっていうし(笑)。今はもう素敵な彼女がいて生まれたばかりの子どももいる。多分子どももスケーターになるね。
WWD:昔と今で違うと感じることはあるか?
レオ:今のスケートボード社会で育ったら、自分がどうなってたかわかんないね。みんなすごい上手だからスケーターになるなんて現実味ないって思っちゃうんじゃないかな。僕たちの頃は、まだスケーター社会が成長過程だったから毎日新しいトリックやスタイルが生まれてた。スケートボードの市場全体がまだ貧しかったし、失うものはないから実験し放題。自分たちが憧れてるスケートボードの会社も社会に中指立ててたり、受け入れられなくてもとにかく主張してた。警察はいつも付きものだったけど全然気にしてなかったな。今でも僕はスケートボードを通して社会を見てる。身体的にはもうついていけないけどね。
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