7月、イギリス・ロンドンの会員制クラブ「ソーホーハウス(SOHO HOUSE)」で、シリアを離れ英国にたどり着いた人々の“その後”を追ったドキュメンタリー映画「アライズ イン エグザイル(Allies in Exile)」の上映会が行われた。
「アライズ イン エグザイル」は、俳優でUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の親善大使を務めるケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)らが設立した「難民映画基金(Displacement Film Fund)」の第1弾支援作品の一つ。同基金は、避難を余儀なくされた映像作家や、そうした人々の経験を伝えてきた映像作家の活動を支援しており、ユニクロ(UNIQLO)も創設パートナーとして深く関わっている。
本作を手掛けたのは、シリア出身のジャーナリストで映画監督のハサン・カッタン(Hasan Kattan)と、共同監督を務めた友人のファディ(Fadi)。2人がカメラを向けたのは、英国の亡命者向けホテルで過ごした日々だ。家を離れ、家族とも離れ、故郷を失ったあとに待っていたのは、長い“待つ時間”。“シリア”や“難民”という言葉は、ニュースの中で繰り返し使われてきた一方で、その言葉だけでは、そこにいる一人ひとりがどんな人生を生き、何を失い、何を抱えながら日々を過ごしているのかまでは見えてこない。「アライズ イン エグザイル」は、そんな大きな言葉の内側にある、一人の人間の時間を記録した約40分のドキュメンタリー作品だ。
トルコと日本にルーツを持つ私にとって、”中東”や”難民”という言葉は、幼い頃から決して遠いものではなかった。地理的に中東情勢の影響を受けやすいトルコでは、自宅の近くにもシリアから逃れてきた人々が暮らす地域があり、難民をめぐるニュースにも自然と関心を持つようになった。それでも、当時の私にとって彼らは、あくまで日常の風景の中にいる“誰か”だった。そんな感覚が変わったのは、2年前にロンドンへ移り住み、自分自身が“移民”という立場になってからだ。
もちろん、自らの意思でロンドンへ渡った私と、戦争によって故郷を離れざるを得なかったハサンの状況はまったく異なる。それでも、どこから来たのか、なぜそこにいるのか、という一人ひとりの背景が抜け落ち、ただ”移民”や”難民”という言葉で一括りにされてしまうことへの違和感には、共感する部分もあった。
これまで難民問題に関心を持ちながらも、実際に当事者からその経験について話を聞く機会はなかったが、今回ロンドンでの上映会でハサンへのインタビューに恵まれ、彼自身の言葉とともに本作を紹介する。
“シリア”や“難民”という言葉の扱われ方
ハサンはシリアでジャーナリストとして活動し、自国で起きていることをカメラに収めてきた。彼が見てきたのは、戦争によって変わっていく故郷だけではない。自分の知る人々や故郷がメディアによってどのように伝えられ、やがて伝えられなくなっていくのかという変化でもあった。
「最初はシリアのことが毎日のようにニュースの一面で報じられていた。でも、時間が経つにつれて記事は減っていき、人々もそこから消えていく。いつの間にか、数字や統計として扱われるようになっていったんだ」。
2011年、アサド政権による反政府デモへの弾圧をきっかけに始まったシリア内戦。戦争が長期化するにつれ、ハサンが特につらく感じたのは、メディアの関心が人々の死や、より衝撃的な映像へと向かっていったことだったという。死や破壊が映し出される一方、その状況の中で人々がどのように生きているのかには、十分な目が向けられなくなっていった。
ニュースに並ぶ死者数や避難した人の数。その数字の向こうには、家族や友人がいて、仕事があり、それぞれが思い描いていた未来を持つ一人の人間がいる。彼がドキュメンタリーという表現へと向かった背景には、そうした“シリア”や“戦争”という大きな言葉の中からこぼれ落ちていく、一人ひとりの物語を残したいという思いがあった。
一人の人間に焦点を当てることで、家を失うこと、待つこと、悲しむこと、友人と笑い合うこと、それでも希望を持ち、自分の人生を立て直していくこと。それが一体どういうことなのかを感じてもらいたかったのだという。
カメラを向ける意味の変化
戦争下のシリアでジャーナリストとして活動していた頃、ハサンにとってカメラを回すことには明確な目的があった。死や破壊されていく街を記録し、世界に実情を知らせること。それがいつかこの状況を終わらせることにつながると信じていた。
しかし、どれだけ撮影を続けても状況は変わらず、毎日のように人が亡くなっていく。その現実を前に、ハサンは次第に「自分はなぜこれを撮っているのだろう」と自問するようになり、やがてカメラを向ける意味も変わっていった。
世界を動かすためだけではなく、ここに確かに生きていた人たちの記録を残すために撮る。自由への希望のもとで、多くのものを犠牲にした人たちが忘れられないように、記録し続けようと思うようになった。そして、自らがシリアを離れたあと、カメラの意味はさらに変わっていく。
「戦争中は、立ち止まって何かを感じている暇なんて存在しない。ただ動き続けなければならない。生き残るためには、動き続けるしかなかったんだ」。
2024年に英国へ渡り、亡命申請の結果を待つ生活が始まると、それまで一時停止していた感情が一気に戻ってきた。英国の亡命者向けホテルで続く“待つ時間”。そこで14年来の友人であるファディと再びカメラを回すことは、何年ものあいだ止めていた感情に、2人で向き合うことでもあった。戦時中にカメラを回していたのは、世界に知ってもらうためだった。しかし、待っている時間にカメラを回したのは、自分自身のためだった。撮ることは、ハサンにとって、その時間を生き抜くために必要な方法になっていた。
“難民”という言葉の先にある、一人の人間の時間
「アライズ イン エグザイル」が映すのは、戦争から逃れる瞬間ではなく、そのあとに続く時間だ。戦地での描写は冒頭の数分にとどまり、その後に映し出されるのは、ひたすら“待つ”日々だ。ハサンとファディは、戦争下のシリアでともに出来事を記録してきた。時を経て、英国の亡命者向けホテルで再びカメラを回す。しかし、そのカメラの先には、爆撃や戦闘ではなく、“待つ”という日常があった。
亡命申請の結果を待ちながら、いつこの場所を出られるのか、これからどこで暮らすのかも分からない。それでも毎日は続いていく。映画には、友人同士で話し、笑い、過去を振り返る時間が映されている。先の見えない不安を抱えていても、その間に人生そのものが止まっているわけではない。
ハサンは映画の中で、「誰も難民になることを望んでいるわけではなく、自分や家族が生きるために、それしか道がなかった」と語る。「アライズ イン エグザイル」は、難民を“社会問題の中にいる人”として外側から見つめるのではなく、その言葉がつけられる以前から続いている、一人の人間の時間の中へと観客を連れていく。
物語を残すこと、そして“知ろうとする”こと
ニュースでは、一つの出来事に与えられる時間は限られている。次のニュースが起きれば、世界の関心もまた移っていく。しかし、ニュースから姿を消したあとも、その人の人生は続いている。
「戦争が終わったからといって、すべてが終わるわけではない。トラウマは続き、その後に向き合わなければならない問題がある。すべての物語には時間をかける価値があり、すべての人生は記憶されるべきだと思う。犠牲になった人々の人生は、ニュースの数秒間だけで終わるものではない」
だからこそハサンは、カメラを通して一人ひとりの物語を残そうとする。そして、本作を通して彼が求めているのは、観客に一つの答えを提示することではない。まず、自分たちに興味を持ってほしいのだという。
「ニュースの見出しや先入観だけで誰かを判断するのではなく、その先にいる人を見ること。家を失い、それまで築いてきた生活から切り離され、もう一度人生をつくり直すことが一体どれほどのことなのかを考え、周りの人と話すきっかけにしてほしい」。
現在、世界ではかつてない規模で、人々が住んでいた場所を追われる事態(displacement)が起きている。ハサンは、これに向き合うための最初の一歩は共感から始まると考えている。私たちを分断する力よりも、人間同士が共有しているものの方が大きいと信じている。
彼の話を聞きながら印象に残ったのは、難民問題について「何を考えるべきか」という答えを提示することよりも、まず目の前にいる人を知ろうとする姿勢だった。
誰かを“シリア人”、“難民”、“移民”といった言葉だけで捉えるのではなく、その人がどこから来て、どんな経験をし、何を大切にしているのかに興味を持つこと。世界で起きているすべてのことを理解するのは難しい。それでも、知らない誰かをすぐに判断するのではなく、「この人はどんな人生を生きてきたのだろう」と想像してみることはできる。「アライズ イン エグザイル」が残そうとしているのは、まさにそのための時間なのかもしれない。
東京国際映画祭へ
「アライズ イン エグザイル」は、10月26日から11月4日まで開催される第39回東京国際映画祭にて、「難民映画基金」が支援する他4作品とともに日本初上映を迎える。
ロンドンの上映会は華やかに彩られ、集まったのは映画やカルチャーに関わる人々。シャンパンを片手にスクリーンを見る人たちの前に映し出されていたのは、遠く離れ、もう戻ることのできない母国の記憶と、故郷や家族と離れながらも懸命に生きようと英国で暮らす人々の“待つ時間”だった。
シリアからトルコを通り、英国へ。彼らがたどってきた道の中で生まれたこの映画は、ロンドンで上映され、今度は海を渡って東京にやってくる。華やかなロンドンの会場で見た、シリアから続く彼らの物語。それが次に映し出されるのは、東京のスクリーンだ。遠い場所で起きている“シリア”や“難民”の話としてではなく、その中にいる人たち自身のことに、少しでも興味を持って見てもらえたらと思う。