PROFILE: チェンウェン・リン/写真家

アジアを拠点に活動するフォトグラファーは、何を考え、どこにレンズを向けるのか? 各国の伝統を背景に、自身の創造性を発揮するアジア人フォトグラファーが、今面白い。第1回目に登場するのは、台湾でジャンルを横断した発信を続ける写真家、チェンウェン・リン(Chien-Wen LIN / 林建文)。ファッション写真を入り口に、写真家、DJ、そしてクィア・カルチャーの担い手として、活動を拡げている。「見過ごされてきた文化や人々に光を当てたい」。チェンウェンが語る、クィア・アイデンティティーと写真、そして台湾のクリエイティブシーンの現在とは?
――はじめに、写真に興味を持ったきっかけについて教えてください。
チェンウェン・リン(以下、リン): 写真に初めて触れたのは18歳の頃、大学でコミュニケーションデザインを学んでいたときでした。当時はアニメーションを専攻していたのですが、1年生で写真のクラスがあり、そこで初めて写真という表現に出合いました。
その頃に大きな影響を受けたのが写真家のナン・ゴールディン(Nan Goldin)です。当時の僕は、自分が何者なのか、自分のトラウマやアイデンティティーが人格にどのような影響を与えているのか、まだよく理解できていませんでした。そんな時に彼女の作品に出合い、鮮やかな色彩や写し出された人々の存在感に強い衝撃を受けたんです。
後にニューヨークで学ぶようになってから少しずつ「クィア」という概念を理解していきましたが、ナン・ゴールディンの写真は、それ以前から僕に大きな影響を与えていました。なぜ自分が写真を使って物語を語ろうとするのか、その原点の1つだったと思います。
ただ、大学時代から写真家になりたいと思っていたわけではありません。当時の僕はとてもシャイで、自分自身に対して居心地の悪さを感じていました。自分がゲイであることは理解していましたが、それを受け入れられていたわけではありません。写真を撮るという行為はそうした自分自身を映す作業でもあり、見つめ直すための手段でもありました。
――最初に発表した作品について教えてください。
リン:最初の作品は2012年に制作した「Things I Lost」というシリーズです。台湾では兵役制度があるのですが、その兵役に就く直前の時期に制作しました。当時はまだ写真家になると決めていたわけではありません。ただ、なぜか写真というメディアに強く惹かれていたんです。ナン・ゴールディンや中平卓馬ら、多くの写真家の作品に影響を受けていました。特に中平卓馬の作品には、社会の周縁や見過ごされがちな風景を捉える視点があり、そこに強く共感していました。
「Things I Lost」は旅の記録をまとめた作品です。兵役に入る前、日本やヨーロッパを旅していたのですが、その頃は「物事はあまりにも早く消えてしまう」という感覚について考えていました。旅先では、目の前の風景や出会いがさらに早い速度で過去になっていきます。
当時は中国と台湾の関係も不安定で、「もし戦争になったらどうなるのだろう」と考えることもありました。そうした不安や揺らぎのなかで感じていた感情を、旅の記録として残したかったんです。シンプルなコンセプトの作品でしたが、10年以上経って制作した「Fringe Taiwan」の編集や構成にも、この作品の経験がつながっていると思います。
――ニューヨークでファッション写真を学んだ後、17年にマンボー・キーとMW Studioを設立しました。どのような経緯だったのでしょうか?
リン: アイデア自体はとてもシンプルでした。ニューヨークから台湾に戻り、僕もマンボーもそれぞれ個人での制作を続けながら、ファッション・フォトグラフィーにも強い関心を持っていました。当時の台湾には「フォトグラファーデュオ」という存在がほとんどなく、ファッション写真をより実験的に捉えたいと思っていたんです。そして、自分たちの異なる視点を商業写真に持ち込めないかと考えていました。ファッション写真を実験的なサンドボックス(遊び場)であり、芸術実践の場として捉えていたのです。
写真は本質的にコラボレーションだと思っています。もちろんフォトグラファーのアイデアは重要ですが、それだけではありません。エディターやスタイリスト、雑誌のチームとどのように対話しながら1つの作品を作り上げていくのか、そのプロセスそのものに価値があると思っています。
マンボーとは12年頃から親しい友人でした。僕たちは同じクィアコミュニティーに属していますし、世界の見方にも共通点があります。ただし、その表現方法は異なります。最終的なビジュアルの作り方やイメージの立ち上げ方はそれぞれ違う。でも、その違いを並べた時に、同じテーマや視点を共有している。その化学反応こそが面白いのです。
MW Studioがドラァグクイーン・アーティストのニンフィア・ウィンド(Nymphia Wind / 妮妃雅)とコラボレーションした作品。ニンフィアは今年、ニューヨークのプライド・パレードでパフォーマンスも披露した。その他のコミッションワークはMW StudioのInstagramで見ることができる。
PHOTO:MW Studio
――MW Studioが撮るファッションビジュアルには、強いストーリー性が感じられます。作品の背景にあるコンセプトや世界観はどのように構築しているのでしょうか?
リン:商業誌の撮影は、写真家個人のアイデアだけで成り立つものではありません。通常は、これから撮影するモデルや俳優、あるいはその号のコアとなるコンセプトについて、担当エディターと深く話し合い、僕たちの視覚言語を通じてどのようにコラボレーションできるかを模索します。毎回アプローチは異なりますが、共通しているのは「お互いに深くコミュニケーションを取ること」であり、どちらか一方が「主役」になることはありません。
撮影においては、台湾のローカルな風景を取り入れることを大切にしています。当時の台湾のファッション写真はスタジオ撮影が主流でしたが、僕たちは外で撮ることを好みました。スタジオはセットで完結するため完璧にコントロールできますが、そのぶん偶然性や驚きが少ない。台湾の街には独特の色彩や空気感、寺院など、その土地ならではの個性があります。それをファッションと結びつけたいと思っていました。
印象に残っている仕事の1つが、20年に「ヴォーグ タイワン(Vogue Taiwan)」で俳優のルー・イーチン(陸弈静)を撮影した企画です。編集者のニコール・リー(Nicole Lee)とレスリー・サン(Leslie Sun)が、僕たちに可能な限りの自由を与えてくれました。撮影はコロナ禍の初期で、誰もが「この先どうなるのか」を考えていた時期でした。ルー・イーチンという存在がもたらす世代性と、社会全体に漂っていた不確実性を重ね合わせながら、世の中に疑問を投げかけたいと思い、生まれたストーリーです。
――写真家として生きていこうと決意したのはいつ頃だったのでしょうか。
リン:それについて話すには、自分の過去について触れなければなりません。16歳の頃、とても親しかった同級生に恋をしました。自分の気持ちを伝えたところ、返ってきたのはとても残酷な言葉でした。「お前は醜い」「そんな資格はない」と。その経験は長い間僕の中に残りました。16歳から24年まで、自分が何者なのか確信を持てない時間が続いていたと思います。その間、唯一できたことが写真を撮ることでした。写真を通して自分自身を整理し、自分を理解しようとしていたんです。マンボーと出会い、一緒に制作を始めたことも大きな支えになりました。
ですが、本当の意味で写真を自分の表現として選んだのは24年です。その年に親しい友人を2人亡くしました。その出来事をきっかけに、自分自身の人生を振り返り、彼らへの追悼としても、自分自身の芸術実践としても、写真と向き合いたいと思うようになりました。
写真は僕にとって、自分を整理するための方法です。長いあいだ、僕は写真の中で第三者として世界を観察していました。でも今は、ここで話しているように、一人称で自分自身について語ることができます。その変化はすごく嬉しいことです。
――19年以前の写真で構成された「All Stories Begin from Chaos」と、19年以降の生活や周囲を記録した「Fringe Taiwan」という2作品について、そのコンセプトを教えていただけますか?
リン:「All Stories Begin from Chaos」は、僕が現在の制作に至るまでの出発点のような作品です。タイトルの通り「すべての物語は混沌から始まる」という考えが根底にありました。当時の僕は人生のなかでも非常に混乱した時期を過ごしていて、自分が何者なのか、何を信じるべきなのかもわからなかった。作品そのものも、その状態を反映しています。今振り返ると、あの混沌があったからこそ現在の自分の表現につながっていると思います。
一方、「Fringe Taiwan」はまったく異なる地点から生まれました。制作を始めた当初、僕は自分の感情を表現したいと思う気持ちを認めたくなかったんです。長いあいだ、自分自身に対して「社会の被害者なのだから不幸であるべきだ」という境界線を引いていました。でも同時に、この15年間でたくさんの美しい瞬間も見てきた。その美しさを記録し、誰かと共有したいという気持ちが少しずつ大きくなっていったんです。
友人の死によって、人生の本質にはさまざまな段階や状態があること、そしてその儚さを痛烈に意識させられました。レンズを通して日常生活を記録することで、一人の人間として、台湾人として、そしてゲイとしての自分自身の生命の状態の変化や軌跡を理解しようと試みたのです。
――「Fringe Taiwan」のタイトルに込められた意味は?
リン:まず、「Fringe」という言葉には周縁や境界という意味があります。この写真集をまとめる際に意識したのは「台湾とは何か」「ゲイであるとはどういうことか」、そして「台湾人として生きる感覚とは何か」という問いでした。
台湾という存在そのものが非常に特殊だと思っています。歴史的な事情によって国際社会のなかで曖昧な立場に置かれてきましたし、コロナ禍では世界保健機関(WHO)の枠組みからも排除されていました。そうした経験を通して、自分の中で台湾人としてのアイデンティティーが強く意識されるようになったんです。
一方で、同性婚が台湾で合法化されたのは19年でした。それ以前、多くのクィアの人々は社会の周縁に存在していました。
「Fringe Taiwan」では、この2つの感覚を重ね合わせています。台湾という存在の周縁性と、クィアとして生きることの周縁性。そのあいだにある感情や経験を記録したかった。
――「Fringe Taiwan」では台湾の日常風景と、自身のアイデンティティーを映すドキュメンタリーが隣り合わせに並ぶ構成も興味深いです。編集において意識したことはありますか?
リン: 作品をセレクトする際、あえて台湾国内で撮影した写真だけを厳選しました。最終的に目指したのは明確な物語ではありません。人生そのもののような流れを作りたかった。毎日の生活のなかで、私たちはさまざまな出来事に出合いますよね。その多くは一見すると些細なものですが、ときに深く心に残る瞬間があります。写真集もそうした体験に近いものにしたかったんです。
大学時代にアニメーションを専攻していたため、写真集のシークエンスについて考えるときに、映画の編集やストップモーション(コマ撮り)に近い思考プロセスを取り入れました。読者が左から右へめくっても、右から左へめくっても物語として成立する構造にすることで、時間軸の上を移動する身体的な感覚を再現したかったのです。それは僕の人生経験のアーカイブ・パラパラマンガのようであり、生から死へのプロセスを記録したものでもあります。一見するとランダムなペアリングに見えるかもしれませんが、それは僕たちが日常で現実を体験する感覚そのものです。何気ない日常の瞬間と、後になって思い返すと強烈な記憶として残っている深い体験が並んでいるのです。
――あなたの写真は、鮮やかな色彩と、柔らかく曖昧な輪郭が、どこかイノセントな美しさを醸し出しています。
リン: 僕にとってこの作品は、「自分自身の人生をこれまでとは違うレンズで見つめてもいいんだ」と自らに言い聞かせるきっかけであり、過去を整理するために必要なステップでした。長い間、僕は過去のトラウマから自分を被害者のポジションに置き去りにしていました。内なる批判的な声がいつも響いていて、「お前はまだ足りない」「完璧じゃない」と自分のすべてをジャッジしていたのです。あの暗い時期、僕にとっての唯一の出口は、強迫観念のように日常生活を記録し続けることと、大酒を飲むことだけでした。
しかし、クラブカルチャーやパーティーシーンで身体が完全に解放される感覚を経験したことで、すべてが変わりました。僕たちが生きている中で感じる枠組み(フレーム)の多くは、実は自分自身で課したものだったと気づいたのです。今、僕はようやくそれらの枠組みをはっきりと見つめることができます。それが社会から与えられたものであれ、人生のトラウマから生まれたものであれ、今の僕には「選択する権利」がある。人生における本質的な美しさを見出すことを、僕は選びます。たとえそれが、かつて想像していたような完璧な絵の具の形をしていなくても、それは確かにそこに存在しているのです。
――「Fringe Taiwan」以降の活動について教えてください。
リン:「Fringe Taiwan」以降は、自分自身のアイデンティティーについてさらに深く考えるようになりました。その延長線上にあるのが個展「Fringica」です。
着想の1つになったのは、日本のキャラクターである「コップのフチ子」でした。何かの中心ではなく「縁(ふち)」にいる存在を擬人化したようなイメージです。
アイデンティティーについて考えることは「Fringe Taiwan」で扱ったテーマをさらに掘り下げる作業でもありました。自分自身をどう認識するのか、社会のルールやシステムをどう見るのか。そして、そこから自分の意思で一歩外へ出ることはできるのか。
重たいテーマであっても、もっと軽やかに、ユーモアを持って向き合うことができるのではないかと思っています。
――現在の台湾のクィアコミュニティをどのように描写しますか? あなたもメンバーの一人である「HomoPleasure Collective」ではどのような活動を行っていますか?
リン: 19年に台湾で同性婚法が可決されて以来、ここのクィアコミュニティーは本当に逞しく成長しています。「台湾プライド(台湾同志遊行)」はアジア最大規模のプライド・イベントとして発展しました。近年はトランスジェンダーのコミュニティーもより積極的に活動し、毎年「トランス・マーチ(跨性別遊行)」も開催されています。台湾のプライドの歴史が、「ストーンウォールの反乱」を記念して6月を中心に行われる欧米のスタイルと異なるのは、そのルーツにあります。僕たちの運動は、200年代初頭の歴史的な闘争や、可視化を求めるフェミニスト活動家たちとの結束から生まれました。最初の大きなデモ行進が10月に行われたため、今でも「台湾プライド」のピークシーズンは10月と決まっています。
「HomoPleasure Collective」では、同性愛を堂々と指す「Homo」という言葉を掲げ、台湾を拠点に、東アジア、欧米、そしてオーストラリアのクィアコミュニティーをつなぐプラットフォームを作りたいと想いから発足しました。グラフィックデザイナー、音楽家、DJ、写真家、パフォーマンスアーティストなど、メンバーのバックグラウンドは多彩。マンボー・キー(Manbo Key)、 ロー・ジーシン(Luo Jr-Shin)、ション ・ヨンペイ(Yun Pei Hsiung)、ベティ・アップル(Betty Apple)、そして僕がメンバーを務めています。「HomoPleasure Collective」は共同の芸術実践であり、現在主に、出版、展覧会、パーティーを軸として活動しています。美術館のような制度的な場所だけではなく、オルタナティブスペースやクラブなど、さまざまな場所で表現を行っています。僕にとっては、MW Studioでマンボーと培ったコラボレーションの経験が、より大きな形で延長され、昇華されたものだと感じています。
――近年、台湾のクリエイティブシーンからは多くの新しい才能が生まれ、拡がりを感じます。「HomoPleasure Collective」は「東京アートブックフェア(TABF)」にも参加されましたね。
リン: 台湾には近年、多くの新しい才能が生まれています。クリエイターたちが、「お互いに助け合い、コミュニティーを築くことこそが、グローバルな舞台での認知度を高める手段だ」という共通の意識を持っているからだと思います。台湾のクリエイティブな熱量は非常に草の根的(グラスルーツ)で、自発的な自己表現に基づいています。言葉を発したいという生の、衝動的な欲求が燃料になっているのです。
「東京アートブックフェア」に参加した際、僕たちは同じ志を持つ多くのインディペンデント・パブリッシャーと深くつながることができました。「yyin magazine」や、レズビアンにフォーカスした「淑女俱樂部(Lady’s Club)」、アートユニットの「Moro Young Book」などです。また、日本の「Loneliness Books」や、オーストラリアの「Unfounded Empathy」による「Queer PowerPoint」プロジェクトとの3年間にわたる継続的なパートナーシップなど、国境を越えた強い絆も生まれました。これは、「クィア」という概念が文化や地域の境界線を完全に超越していることの証明でもあります。
――「台湾プライド」は10月に開催されますが、世界各地が「プライド月間」とする6月に、台湾で印象的な出来事はありましたか?
リン:6月の台湾では、知識共有のパネルディスカッションや教育的な集まりが多い傾向にあります。それでも、僕たちはその時期にエネルギーを生み出したかったので、大がかりなクィアパーティー「QooPa: Beautiful SUB」を開催し、トランスジェンダーバーとの共同企画「Per Party」を行いました。
現在、台湾のコミュニティーにおける核心的な課題は、トランスジェンダーコミュニティの可視性をいかに高めるかという点にあります。国際的な政治の潮流や、トランス排除的な言説の影響を受け、トランスジェンダーの人々を取り巻く状況は厳しくなっており、ネット上での攻撃に直面することもあります。僕らが目指したいことは、「平等」と「コミュニティーの共生」をさらに可視化することです。AIの時代になり、人々はますます孤立し、外に出たがらなくなっています。だからこそ、リアルなつながりが、今の僕たちに最も必要なことなのです。
――あなたはファッション、音楽、アートの領域で精力的に活動されています。異なる分野を横断することは、あなたのクリエイティブにおいてどのような影響を与えていますか?
リン:芸術の本質はどれも同じだと思っています。異なるメディアを通して、人生の中で体験した「美」を表現し、それを分かち合うこと。ファッション、音楽、アートは互いに影響し合っていますし、特にファッションは常にアンダーグラウンドから新しい価値観を取り入れてきました。
僕自身、メーンストリームに対抗したいわけではありません。見過ごされてきた文化や人々に光を当てたいだけなんです。「Fringe」は固定された状態ではありません。周縁だったものが主流になることもありますし、主流になった瞬間に新たな周縁が生まれることもあります。だからこそ僕は、その移り変わりを観察し続けたい。主流の中へ入り込みながら、社会を少しずつ変化させる可能性を探りたいと思っています。
――最後に、あなたの作品を通じて伝えたいことを教えてください。
リン:僕は反戦主義者です。世界には常に二項対立がありますが、その対立だけでは語れないものがあると思っています。
僕が写真を通して見せたいのは、美しさの可能性です。それは理想化された美しさではありません。不完全さや矛盾、周縁にあるものも含めた美しさです。その可能性はずっと僕の作品の中心にありましたし、これからも変わらないと思います。