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maya ongakuが語る新作「Nothing Space Music」 海外ツアーを経てたどり着いた「音」と「沈黙」の思想、そして「音が難しくなっていく」ことへの反発

PROFILE: maya ongaku

PROFILE: (マヤオンガク)2021年、江ノ島の海辺の集落から生まれた園田努、高野諒大、池田抄英による3人組バンド。魂のルーツを超えたアーシーなサイケデリアを奏でる地元ミュージシャンの有象無象の集合体。その名の由来は、古代文明からではなく、視野の外にある想像上の景色を意味する新造語。「自然発生」と表現する、非生物から生物が生まれるとされる現象の集大成が「maya ongaku」の原点である。23年5月に1stアルバム「Approach to Anima」をGuruguru BrainとBayon Productionよりリリースし11月にEU/UK TOUR、12月に国内TOURを行った。24年8月にEP「Electronic Phantoms」を発表。25年4月、初となるUS TOURを敢行。6月にはEU/UK TOUR、8月にCHINA TOUR、9月に再びUS TOUR、10月にASIA TOURを成功させている。今年1月に公開したシングル「Maybe Psychic」のMVがSNSを中心に国内外で大きな話題となる。7月に「FUJI ROCK FES’26」出演し、8月に待望の2ndアルバムをリリース。

初めてmaya ongakuにインタビューをしてからはや3年。江の島の近く、海辺のコミュニティーに流れる豊かな時間の中で育まれてきた彼らの音楽は、今や日本のインディー・シーンをはるかに超え欧米やアジア各地で大きな支持を得るなど、そのスケール感をどんどんと増しつつある。そうしたツアー体験を経てリリースされる2ndアルバム「Nothing Space Music」には、バンドとしてのこれまでの蓄積が芳醇な形で記録されているのはもちろんのこと、今までにない思慮深さと繊細な手つきをもって表現された「音を鳴らすこと」と「沈黙」への根源的な問いが、その奥深くに刻まれている。 まごうことなきこの傑作を手にした3人のメンバー——園田努、高野諒大、池田抄英に話をきいた。

長期の海外ツアーを経て感じたこと

——ヨーロッパやアメリカをツアーで回った経験は今回の作品を作る上でも大きかったのかなと思うのですが、端的に海外ツアーはみなさんにとってどういう体験でしたか?

園田努(以下、園田):ひたすら疲れた、という記憶ですね(笑)。楽しいですけど、大変ではある。

池田抄英(以下、池田):目まぐるしくて、日々を「こなす」感じもあったよね。

園田:1本1本に命を懸けられなくなってくる、というのもあるし。

高野諒大(以下、高野):続けているうちに体力を温存するようになってくる。

園田:そうだね。セットリストもあまり変えずに、同じものを仕上げていく感じになってくる。ヨーロッパでは十数本、アメリカも西海岸と東海岸でそれぞれ十数本ぐらいあって。

——移動もありますしね。かなり過酷ですよね。「NiEW」で園田さんが連載していたツアー日誌を読んでいて、その辺りのリアルさがひしひしと伝わってきました。

園田:包み隠さず書きましたからね(笑)。実際、休みはほとんどなかったです。去年は特にスケジュールがタイトで、帰ってきたらフェスがあって、すぐアメリカへ行く、という感じだったから、本当に隙間がなかった。

——一方で、その土地ならではの演奏体験もありますよね。

園田:お客さんの空気は、箱によっても都市によっても違います。現地のプロモーターが僕たちの演奏を「どういう音楽として見せたいか」という意志が、ポスターや会場の作り方に現れるんですよ。すごくチルな現場もあれば、普通のライブハウスもあるし。

池田:そうそう。

園田:ストックホルムでは、下のフロアに「Yogibo」のすごくおしゃれな版みたいなものが並んでいて、みんな寝そべって観ていました(笑)。

——一方で、ワイワイと騒ぎに来る人もいる?

園田:めちゃくちゃいます。ドイツではエレクトロニック・ミュージックの文脈で聴かれている感じがするし、北欧ではもう少しチルな、あるいはスピリチュアルなアジア文化的な文脈で聴かれている感じがある。国によって違いますね。アメリカでは割とインディー・ロックの文脈に近かった。ニジェールのエトラン・ドゥ・レール(Etran de L’Aïr)と一緒にやったときは、アジアとアフリカ文化を組み合わせたライブ、という感じでしたけど、別の日は「サブ・ポップ(Sub Pop)」のバンドと一緒だったりして、インディー的な受け取られ方でした。

——今回の作品の資料に書いてあって特に興味深かったのが、そうした演奏経験を通じて、音を出すこととは一体何なのかという根源的な思考が高まっていった、という点でした。

園田:それは特に僕が深く考えるようになりましたね。さっきも言ったように、演奏の本数が多くなるほど、一本一本がファストフードを消費していく感じになってしまっているんじゃないかという感覚があったんです。それこそ「こなす」という感じ。年間を通じて3日に1回以上のペースでライブをしていたので、そういう音楽との向き合い方と、自分が本当にやりたい音楽との向き合い方が、どんどん乖離していく感じがあって。

——演奏している最中に、自分たちを冷静に俯瞰してしまうような?

園田:ライブ中は楽しいときは楽しいんです。もちろん、みんなで食べていくために必要なプロセスでもある。でも、やりすぎることで、演奏がどんどん軽くなっていないか、という感覚があったんですね。演奏自体が悪くなっていったということではなくて、自分たちの気持ちの問題ですね。

池田:前のEP「Electronic Phantoms」の基本曲のテンポも速くて低音も強めだし、ノれるような曲が多い。お客さんはその演奏を初めて聴くけど、自分たちは毎日やっている。満員の箱でこちらの気分も盛り上がっているときはいいけど、そうじゃない日に「アゲアゲの曲をあらかじめ決められた通りにやっている」、という感じになると……。

高野:お客さんが20人ぐらいしかいない会場もありますから。そういうときは、確かに演奏しながら自分たちを俯瞰してしまう瞬間がありました。

——ツアーをルーティーン的に続けるバンドが語る感覚としては、それって確かにによくあることかもしれないですよね。でも、そこからさらに一歩進んで、新たな制作にあたって、音のあり方そのものを異なる形で受け止るべく創作面のシフトチェンジにまで持っていったというのは、やはり稀なことだと思うんです。どうしてそこまで根源的なところまで行きたくなったんでしょう?

園田:うーん、そうですね。そもそも僕らは、クラブ・ミュージックを通ってきたわけではない。僕らが好きな音楽は、クラブ的なものとは対極にあるものだったりする。それなのに、だんだん自分たちのやっていることがクラブに近くなってきた感じもあった。しかも、「踊らせる」といっても、低音を大きくして四つ打ちにすれば、人を踊らせること自体はある程度できると思うんです。それが「踊り」を伴った音楽のあり方の最上級の状態だとは全然思えないんですよ。踊るにしてもじっくり座って鑑賞するとしても、もっと別の音楽のあり方があると思うというか。

——条件反射的に「こうすれば踊るよね」という解を「1+1=2」みたいな形で提示するのは違う感覚を探っていった?

園田:まさにそうですね。

——それはシンプルに「原点回帰」みたいな感覚なんでしょうか。それとも、新たな経験があったからこそ、そういう根源的な問いへと進めた?

園田:新たな経験の影響はもちろんあります。その上で改めて「音楽」をやりたい、という気持ちでした。

制作の全プロセスでこだわり続けた新作

——今回のアルバムを聴いて驚いたのは、前のEP(「Electronic Phantoms」)に比べて如実に生感のあるサウンドになっているということです。グリッドに沿った反復の運動も少し抑えられて、より流動性が高いように感じました。

園田:そうですね。ただ単に「今回は反復的な構造を多用すべきではない」と決めたわけではなくて、曲に対して適材適所で考えたというのが正しいと思います。

——前作EPでは、機械の律動に人間の演奏を合わせるようなところもありましたよね。

園田:はい。当時はシンセを触るのが楽しい、という体験が先にあって、その快感のまま一気に作る感じが強かった。でも今回は、ただ気持ちいい音を出すだけではなくて、音楽的に「これだ」と思えることを、みんなで丁寧に考えて追求しました。

——メロディーや一つ一つのフレーズの練り上げに精度が明らかに上がっている気がします。歌メロもそうですし、各楽器のフレーズも。

園田:歌メロは、僕がデモの段階で練っています。弾き語りの時点で、ある程度曲として完成している状態にしておきたかったんです。今まではバンドのアンサンブルによって強度が加わって、そこで初めて形になることが多かったけど、さらにその上へ行きたかった。逆に言えば、弾き語りの段階でそういうクオリティーにしておかないと、アンサンブルを付け足しでごまかすことになりかねないんですよ。アンサンブルももちろん丁寧に作ったけど、その前のゼロから曲を作る段階から、最後まで丁寧にやる。歌メロも含め、制作の全プロセスでこだわり続けました。

——あえて抽象的な表現をすると、「曲っぽさ」というか、「ソング感」がすごく上昇しましたよね。いろいろな意味を含む言葉ですけど、「ポップ」と言ってもいい曲もある。

園田:うんうん、そうですね。

——しかもその「ソング感」が、ただ完成度の追求に内向しいていくわけではなくて、マルチモーダルな感覚に開かれている印象です。

園田:漠然とそういう感覚を意識しながら作っていました。弾き語りの段階から、いろいろな概念や色のイメージが浮かんでいたので。僕には、音を聴くと色が見えるような共感覚的な能力はないですけど、例えば「この響きは青だ」みたいな確信がありました。

——非常に風通しがよくて滑らか。シングル「Maybe Psychic」のMVが出たときは、今後は文字通りこういうカルト的でサイキックな路線で行くのかなと思っていたので、その違いに驚きました(笑)。あの振り切り方も素晴らしかったですけど。

園田:あれは、ある意味冗談的な感じでした(笑)。でも、あれがあったからライトに聴いてくれる人も増えたので良かったと思ってます。そうやって興味を持った人たちに、次はもっと練り上げたものをぶつけたいという気持ちだったので、作戦は成功したかなと(笑)。

「沈黙」とはなにか?

——以前のEP時のインタビューでも明言されていましたが、スピリチュアリティというのは引き続き大きなテーマなんですよね。

園田:それはもう一番巨大なテーマですね。曲を作る段階だけじゃなくて、生活の中に入り込んできている。

——池田さん、高野さんも、そういう感覚は以前より研ぎ澄まされている?

池田:みんな、「ちゃんと」スピリチュアルだよね。

高野:スピリチュアルなものを、特別なものではなく、生活の中で感じられるものとして捉える感覚は、ファーストの頃から今に至るまで徐々に身近になってきたと思います。

園田:必ずしもバンド経験の中だけで起きたことではないですね。例えばバンドの演奏の中でもシンクロニシティー的なことが起きたりするけど、そういう出来事がなくても、もっと自然にスピリチュアリティを感じる。

——だとすると、そういう感覚を音楽として表現するにあたっても、より一層音という存在の根源について考えるようになったということなんでしょうか。

園田:そうかもしれない。

——こういうことを考えていると、全ての音の等価性みたいなものに思考が誘われていくようなところはありませんか。例えば、一人の人間として、「主体的に音を鳴らす」みたいなことが、あらゆる音や音のない状態――それを「沈黙」と表現してもいいかもしれませんが――に対していわば特権的すぎる行為なのではないか、といった風に。

園田:わかります。

——主体としてなにがしかの音を意図を持って鳴らした瞬間に、その音を中心としたヒエラルキーを自明のものとして受け取ってしまい、その他の音の存在や「沈黙」はその下位に置かれてしまう、という。

園田:まさに。

——例えば、今年リリースされた電子音楽ユニット=ヴィジブル・クロークス(Visible Cloaks)の新作「Paradessence」などは、そうした発想をかなり思弁的な方向で発展させて興味深い成果に結びつけているように感じたんですよ。一方、今回のmaya ongakuのアルバムは、もっとスピリチュアルな次元からそういう発想へ向かっているように思いました。

園田:そうだと思います。より感覚的なレベルで捉えようとしているというか。例えば、ドローンを一つの現象として捉えるなら、それを主体として「演奏」する以前に、どんな場所にも、あらゆる音が存在していると思うんです。周波数やデシベルの違いはあるけど、この場所にも、あの場所にも、あらゆる音がある。僕らはその中から、自分たちなりに音を「選んで」能動的に聴いている。

——そこにはポジティブな意味でもネガティブな意味でも「精神」の介入がある。

園田:そう。本来音というのはもっと包括的な何かとして、すべての場所に存在している。そうだとしたら、「沈黙」とはどういう存在なのか。静かな場所とうるさい場所が対比されてはじめて「沈黙」という概念が受動的に理解されるわけではなくて、発想を逆転して、こちらの能動的な聴き方や認識の仕方によってこそはじめて現れる「沈黙」というものがあるんじゃないか、と考えるようになったんです。

——資料によれば、「Nothing Space」というのは、「単なる無ではない。過去・現在・未来、あらゆる時間の記憶が漂い、空と海、陰と陽、音と沈黙といった境界が溶け合う広大な場所」と説明されていますね。

園田:はい。そういう空間の中で音や「沈黙」をどう聴き出していくのか、という。

——本来的に「音そのもの」や「沈黙」が独立したものとしてあるのではなく、僕らが認識したり聴取したりすることで、音や「沈黙」が立ち現れる、という発想ですね。

園田:そうかもしれない。音に限らず光も同じだし、「存在」とされているあらゆるものは基本的に全てそうなんだと思います。そう自覚できるのであれば、逆に「無」である沈黙も存在し得るし認識しうる。かつてジョン・ケージが「沈黙は存在しない」と定義したことも、そういう認識のあり方で、別の角度から捉え直せる可能性がある。逆に言えば、静かな音楽を作ればただちに「沈黙」を見つけられるわけではないんです。ノイズやシューゲイザーの中にも、「沈黙」はあるのかもしれない。

——ではその上で、今回は具体的にどのような方法で「沈黙」を表現しようとしたんでしょうか?

園田:とっかかりとしては、自分たちが考える「沈黙」的なものとは何だろう、と曲を作りながら考えていったんです。でも、それを音楽という形で直接表現するのは不可能だと思い直したところがあります。であれば、発想を転換して、聴く人に「沈黙とは何か」を共に考えさせるものを作るべきなんじゃないか、と考えるようになりました。

——なるほど。

園田:音楽家として「沈黙そのもの」を表現することはできない。それはある種の諦めでもある。けれど、歌詞やいろいろな音のレイヤー、換気するイメージやフォルムまで含めて、その限界を突破できないかと考えたんです。

——その軌跡自体を「表現」として記録しておく、という。

園田:はい、だからこれはその不可能性への挑戦への第一歩みたいなものです。

——単純に長い休符を入れればそれが即座に「沈黙」を表現しました、ということになるわけではない、と。

園田:そうです。まさにジョン・ケージの「4分33秒」も、沈黙そのものを表現できたわけではない。でも、沈黙について考えさせてくれた。そのバトンをどうつないでいくか、ということを考えました。

「僕らは『入口』であっていい」

——そういう方法を原理的な方向へ突き詰めていくと、音楽的にも前衛性の強い響きになりがちだと思うんです。でも今回のアルバムは、むしろ逆に、柔和で「ポップ」な聴き心地へ向かっている。それが面白いなと思いました。

園田:確かに、「思想的に成熟すると、音が難しくなっていく」というのはありますよね。そこへの反発もあると思います。

——どんどん禁欲的になっていくことへの反発?

園田:はい。難しい音楽をやっている人たちのことも理解できるし、もちろん大好きだけど、それを僕らがやる必要はないと思うんですよ。(ヤニス・)クセナキスや(モートン・)フェルドマンが、すでにそれ以上には突き詰めがたい形でやっているわけだから。

——園田さんに限らず、池田さん、高野さんがステージ上で出す音を聴いたり実際の演奏の様子を見ていても、演奏の快楽性にすごく忠実な人たちだなという印象があります。

一同:(笑) 。

園田:だからこそ、自分たちがいま音楽シーンの中でどういう位置にいて、どう伝えられるかは、ものすごく考えています。僕らは「入口」であっていいと思う。

——ポピュラー性は絶対に手放さない。

園田:ともすると、みんな「出口」、つまり最終的な到達点でありたいと思うかもしれない。でも僕らは「入口」でありながら、聴き手がどこまで行っても「こいつ、ずっとついてくるな」と思う存在になりたいんですよね。僕はビートルズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかを起点にして音楽にハマっていったわけですけど、その後に実験音楽に触れたり、そういう音楽を解説する本をたくさん読んだりしても、ビートルズやヴェルヴェッツっていうのはずっと自分の側にいるんですよね。しかも、ずっと素晴らしい。それがポップ・ミュージックの最も成功した形だと思っていて、自然とそこを目指している感じがあります。

——池田さん、高野さんは、メンバーとしてどうですか。そういう園田さんの思考に沿って表現自体を難解化していく方向もあるとは思うんですけど、やっぱり自分自身の演奏の快楽性を重視しているところがある?

池田:僕は演奏していて気持ちいいことしか求めていないですね(笑)。今されていたような会話はすごく緻密ですけど、僕はめちゃくちゃシンプルで、自分が演奏していて楽しいことを、お客さんにも共有したい。それが一番いい状態だと思う。演者とお客さんが一つになる、ということをやり続けたいですね。

——それが結果的に、さっき言った「入口」であり続けることにもつながる?

園田:本当にそう。それはものすごく正しい。そう感じている抄英がいるから、このバンドなんです。

高野:僕も基本的には、快楽性の高い音のほうが身近ですね。突き詰めた結果、聴きづらい表現になることのほうが、僕にとっては音を出すうえで難しい。音楽が自分の手元から離れていく感じがするんですよ。

——「これは自分の音じゃない」と感じてしまう?

高野:そうですね。

音が作る景色の共有

——抽象的な話が続いてしまったので、実際の制作法についても伺えればと思います。各曲はどうやって作り上げていったんですか? これまでのセッション的な作り方を踏襲した形だったのか、それとも……。

園田:今回は、すごく譜面的な作り方をしたよね。以前はフリースタイルで合わせていた曲もあったけど、今回は、その中間ぐらいをきちんと狙いたかったんです。特にベースもかなり譜面的ですね。

高野:そうだね。元の曲自体が強かったから、音階から音を入れるタイミングまで、一つ一つ正解を探す感じでした。

——ハーモニー的にも深化したように感じます。目まぐるしいコードの展開をしているわけではないけど、各フレーズの配置やボイシングによって、全体に流動性が生まれている。

園田:でも、音楽理論は全然わかっていないです。相変わらずコードもあまりわからない(笑)。

池田:知らないからこそ出てくるものもあるよね。これ、理論的にはろくわからないけどいい感じの響きだよね?っていう。

園田:もしかしたらそれで僕ら独特な感じになっているのかもしれない。カート・コバーンがコードをわかっていたのか、わかっていなかったのかという議論がありますけど、僕らは本当にわかっていない(笑)。抄英が少しわかるぐらい。

池田:でも、聴けば合わせられる、というぐらいだよ。

園田:その分、といったらいいのか、「いまの音が、どういう景色を作っているか」ということに関しては、すごく慎重に考えています。

——先ほど出たマルチモーダル性、共感覚性についての話と通じていますね。

園田:そう。そこには3人で共有しているイメージがある。でも、その響きに何という名前が付いていて、理論上どこに置くのが効果的なのかは、まったくわかっていない。

——皆さんにインタビューする度に指摘している気がするけど、maya ongakuはやっぱりジャム・セッション上がりのバンドだから、その辺りの感覚が自然と研ぎ澄まされているのかなと感じます。

園田:本当にそうだと思います。みんなで音を出しながら探る。頭の中に音が浮かんでいて、それをそのまま置き換える能力はないから、実際に音が鳴っていないとわからない。

——すぐに答えを欲してしまうような精神性とは反対なんでしょうね。やりながら探っている感じが、先ほど話してくれた「沈黙」を巡るコンセプトとも必然的につながっているように感じます。

園田:そうですね。

「Nothing Space Studio」での制作

——具体的なプロセスとしては、まず園田さんが一旦全曲のデモを作ったんですか。

園田:3人それぞれが旅行に行くタイミングが少しずれていて、僕が帰ってきたら二人がいない、という期間があったんです。その間に、弾き語りとドローンのようなデモを作りました。基本的にはほぼ全曲。最後の「Permanent Waves」だけ弾き語りなのでデモは作る必要はなかったですが。

——あれはすごくいい曲でしたね。

園田:ちょっと泣ける感じがありますよね。それ以外の、アンサンブルがある曲は、僕の弾き語りの音源があって、そのファイルにみんなが音を重ねていく感じでした。

——作業場所は?

園田:去年の秋から湘南に新しく場所を借りていて、そこで録音しました。「Nothing Space Studio」という名前を付けて。

高野:そこが、もともとヤマハ音楽教室か何かで、防音された部屋があったんですよね。それを直したり、防音されていないところを工事したりして、スタジオにしました。

園田:100平米ぐらいあって、ちゃんとレコーディング・スタジオになれるポテンシャルがある場所です。

——コンソールやアウトボードも持ち込んで?

園田:いや、コンソールは欲しいですけど、高くて買えない(笑)。基本的にはパソコンを持っていって、モニター・スピーカーを置いています。マイクを一本買ったり、ケーブルを買ったり、本当にそのレベルです。録音もミックスも、ほぼそのスタジオだけでやりました。

——これも毎回言っているけど、そういう環境とは思えないほど音がいいですよね。純粋にすごいと思う(笑)。

園田:自分じゃわからないけど……まあ、体裁としてはプロの一歩手前ぐらいのスタジオにはなりました。工事にめちゃくちゃお金がかかりましたけどね。

高野:エアコン、内装、防音工事に一番お金がかかりました。残ったお金でプリアンプを買ったり。制作費はほぼその辺りの費用に消えた(笑)。

園田:100平米あるから、空気を録り放題なんです。元々防音室だったので天然のリバーブが強いわけではないけど、広いと音の密度感が全然変わるんですよ。その空気をできるだけ使いたかったし、アルバムのコンセプトとも一致していました。最初から「この場所で、このコンセプトで」と決めていたわけではないけど、結果的にこうなるようになった。それも、ある種スピリチュアルな体験ですよね。

——概念が先にあるのではなく、実際の場所に立って音を出す体験からイメージや概念がせり上がってくる?

園田:そうですね。こういうアルバムにしたい、という漠然としたものはあった。でも、あえてそれをメンバーに言葉で共有はしなかったんです。共有したのは曲だけ、音楽だけで、リファレンスもゼロでした。遠回りしたような感じはあるけど、それがすごくよかったんだと思います。

歌詞とメロディーの関係性

——歌と歌詞についても伺わせてください。今回は、これまで以上に「歌もの」として魅力的に響いてきました。どの曲も歌詞も、これまで話してきた体験や思想とどこかでつながっているように感じます。自然にこういう言葉が出て来たのか、最初から内容を決めていたのか、どちらでしょう?

園田:歌詞は、すべてのアンサンブルがまとまった後、最後の歌入れのときに一気に書きました。

——へえ!

園田:だから、ある意味では一瞬の出来事なんです。どの曲も言われていることがほぼ同じになったのは、その時期にまとめて書いたからでもあると思います。といっても、当日にいきなり書くわけではなく、その週はずっと考え続けていました。頭の中で漠然と作りつつ……本当に必要になるまで書けないタイプなんです。

——響きとしてふわっとしているようでいながら、言葉の働き方はすごくシャープですよね。

園田:無駄のないものにしたかったんです。歌詞を書く前からめちゃくちゃ考えていたので、曲ごとに主題がずれることがないですし。文章の意味が矛盾しないようにも構築した。今回は、かなりソリッドな内容にできたと思います。

——曲と曲が繋がり合ってますよね。例えば「Thinkingscape(思考風景)」は、論理だけで展開される思考への違和感の表明と受け取ることもできるし、「Flowing(流体思想)」は、ではそういう固定的な考え方から離れた思想とは何なのかということが具体的に例示されているように感じました。

園田:「Flowing(流体思想)」は、このアルバムの思想を一つにまとめるような曲ですね。だからアルバムの真ん中に置いているんです。本当はもっと説明的な歌詞にしようと思ったけど、メロディーがきれいだったので、できるだけメロディーへ寄り添いましや。

——歌詞を文学的意味の集積として読むのか、あるいは音声としての組織性から捉えるのか、という2つの方向があると思うんですよね。今回の作品はかなり後者に寄っていっているように感じました。端的に言って、響きが音楽的。

園田:実際、音韻的なところはものすごく気にしています。歌っていて気持ちよくない言葉は使えない。音楽なのでメロディーが一番優位です。言葉は、何よりもメロディーを補助する「音」でなければいけない、ということをルールとして決めています。

——そのうえで、文学的な意味と、なるべく近い響きを探す。

園田:そうです。その2つを両立できないか、ということをすごく頑張りました。

——一般的に批評の世界では、どうしても歌詞を「読む」ことへ傾いてしまうわけなんですが、そうすると取りこぼすものがある。でも、「Flowing(流体思想)」で歌われていることは、いま話した感覚そのものでもありますね。音、色、意味の次元が、明確な境界で区切られていないということが、音楽的にも、文学的な次元でも表現されているという。なかなか高度な試みだと思います。

園田:そうですね。それをメロディーが横断してくれる。意味の次元を横断するメロディーに寄り添うことが、歌詞を書くうえでも大事でした。

音楽と生活

——園田さんはかなりの読書家でもありますよね。読んだ本から得たものも、思考の蓄積になっている?

園田:どうだろう。確かに読むのは好きです。この1、2年は、中沢新一さんやベルクソンの本を読んでいました。でも、本を読んでインスピレーションを得るというより、自分が考えていたことを言葉にしてくれる人を探していた、という感じです。「友達を発見した」みたいな気分で読む。中沢さんを読んでいても、もちろんおこがましいですけど、「友達を発見した」という感じがする。

——そのうえでいざ表現をするときに、本を介した思考のキャッチボールから何かが抽出されてくるという感覚ですか?

園田:表現の中におのずと入ってくる、という感じですね。詩を書くときに直接本からヒントを探すことはしません。詩を書くときは詩に向き合うべきだと思っているので、できるだけ直接の影響を受けないようにしているつもりです。でも、毎日のように本を読んでいるわけだから、影響がないはずはないと思います。

——しかし、こうやって皆さんに会って話をするたびに思うのは、「この人たちは人間のスケールが大きいな」ということです(笑)。何をきれいだと感じるか、何を素敵だと感じるか、そういう話から受け取る感覚のありようが大きくて広い。まさにそれが音からも聴こえてくるわけですが。

園田:年中一緒にいるけど、生活についての細かい話とかは、確かにあまりしないかもしれない。例えば個人として恋愛の悩みがあって、その悩みを元に音楽を作る、ということはないもんね。

池田:ないね(笑)。

園田:僕にとって、音楽と生活とはもちろんつながっているけど、実際的な生活の悩みやうれしかったことを、そのまま持ち込む場所ではない。もっと大きな……。

——さっき話していような「沈黙」に関する思考を注ぎ込む場所として……。

園田:そうです。いまこの場で鳴っている都市の生活音と、自分たちが作った「音楽の場」には、隔たりがあるんです。普通の生活があって、みんなの悩みや喜びがあって、それとは違う場として音楽が存在している。でも、いつかそれが統合されたら、もっといいとは思う。ただし、狭い個人的な世界の中で統合するのではなくて、自分のスケールそのものが大きくなって、音楽と融合できればいいなと。音楽をこちらへ引き込んで、自分の小さな生活の中で作るのではなく、自分のほうがもっとほどけていって、音楽と一緒になるというか。未来には自分たちがもっと豊かになって、音楽ぐらい豊かになって、音楽と一緒になれたらいい。

——日々汲々としながら過ごしている僕からすれば、みなさんすでにかなり「豊か」だと思いますけど(笑)。

園田:それはまあ、大都市のシステムの中で生きている人と比べれば豊かに見えるだけで(笑)。もっと何かがあると思う。もっと土着的な存在として、共同体の感覚の中でアートが生まれていた時代のような感覚で、音楽を作れたらいいなと思います。

——それを伝統音楽とか芸術音楽のフィールドではなく、ポップスのフィールドでできたらなおいい、と?

園田:本当にそうです。それができて、お客さんも楽しんでくれたら、本当にすごいことをやっていると胸を張って言えると思う。そこへ行けたらいいですね。

2nd Album「Nothing Space Music」

◾️maya ongaku 2nd Album「Nothing Space Music」
デジタル盤は2026年8月7日にリリース
CDは2026年8月12日にリリース
価格(CD):2750円
Tracks
1. Vanishing Waves(消滅していく波たちへ)
2. Astral Echoes(反響とゆらめき)
3. Thinkingscape(思考風景)
4. Flowing(流体思想)
5. Hisoku Blue(秘色の青)
6. In Nothing Space(真空にて)
7. You are Silence(あなたは沈黙)
8. Permanent Waves(消滅しない波へ)

◾️LIVE SCHEDULE
9月5日 福井ONE PARK FESTIVAL’26 at 福井市中央公園特設会場
10月10日 SHIN ON SAI at 新宿文化センター

Nothing Space Music TOUR 2026
10月16日 金沢 アートグミ
10月17日 長野 上田映劇
10月18日 山梨 MANGOSTEEN HOKUTO / 万珍酒造
11月7日 北海道 モエレ沼公園 ガラスのピラミッド
11月22日 名古屋 Live & Lounge Vio
11月23日 京都 磔磔
11月24日 神戸 KOBE QUILT
11月25日 岡山 蔭凉寺
11月27日 福岡 ROOMS
11月28日 熊本 NAVARO
12月9日 東京 恵比寿ガーデンホール

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