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ガス・ヴァン・サント監督が語る映画「マイ・プライベート・アイダホ」 リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーヴスが出演を決めた理由と「ニュー・クィア・シネマの再評価」

社会の中心からこぼれ落ちた人々が、ポートランドの路上で出会い、血縁によらないつながりを結んでいく。今では世界的な巨匠として知られるガス・ヴァン・サント(Gus Van Sant)の長編デビュー作「マラノーチェ」(1985)、「ドラッグストア・カウボーイ」(89)、「マイ・プライベート・アイダホ」(91)は、後に「ポートランド3部作」と呼ばれ、彼の映画作家としての原点を形づくった。

そんな初期の重要作「マイ・プライベート・アイダホ」が8月7日、「ドラッグストア・カウボーイ」が9月18日からデジタルリマスター版で相次いで劇場公開される。それらの作品はいかにして生まれ、なぜ時を経た現在も新鮮に映るのか。ヴァン・サント監督に、ポートランドという街、リヴァー・フェニックス(River Phoenix)とキアヌ・リーヴス(Keanu Reeves)との仕事、ニュー・クィア・シネマとの関係、そして現在の若い映画作家たちについて聞いた。

「ポートランド3部作」
制作のきっかけは?

ガス・ヴァン・サント©David Katzinger

——長編デビュー作「マラノーチェ」から「ドラッグストア・カウボーイ」「マイ・プライベート・アイダホ」へと至る初期3作、いわゆる「ポートランド3部作」は、どのような流れの中で生まれ、監督の中で互いにどうつながっていたのでしょうか。

ガス・ヴァン・サント(以下、ガス):長編デビュー作である「マラノーチェ」がロサンゼルスで上映されたことをきっかけにエージェントがつき、自分の企画をさまざまな相手に売り込めるようになりました。当時書いていた脚本の中には、全面的にシェイクスピアを下敷きにしたものもあり、すでに「マイ・プライベート・アイダホ」の原型が生まれていたんです。

一方で、脚本家で友人のダン・ヨストが、ジェームズ・フォーグルによる「ドラッグストア・カウボーイ」の原稿を持ち込んだのもその頃だったと思います。結果的には「ドラッグストア・カウボーイ」が先に実現しましたが、誰かが「マイ・プライベート・アイダホ」を作りたいと言ってくれていれば、順番は逆になっていたかもしれません。あの時期に大きかったのは、まず「ドラッグストア・カウボーイ」を映画にしたいという人が現れたことです。

「ドラッグストア・カウボーイ」も、一部はオレゴン州ポートランドを舞台にしています。登場人物たちは、「マイ・プライベート・アイダホ」の若者たちと同じ世界に生きていて、ダウンタウンのレストランで隣り合って昼食を取っていてもおかしくないような人々でした。「マラノーチェ」もポートランドの路上を舞台にしています。私にとって、この3作はまったく別々の物語ではありません。いずれも、同じ街の路上と、そこで生きる人々からできあがった作品なんです。

——「マラノーチェ」への反響が、続く2作を実現する足がかりになったのですね。現在では「マラノーチェ」も「マイ・プライベート・アイダホ」と同様に、初期のクィアシネマの傑作として高く評価されていますが、当時はその反響をどのように実感していたのですか。

ガス:当時の私には見えていませんでしたが、「マラノーチェ」はニューヨークのダウンタウンのアートシーンで、自分が思っていた以上に大きな反響を得ていたようです。私はポートランドに住んでいて、ニューヨークや東京のような強い情報発信力を持つ都市にいたわけではありません。好意的に受け止められていることは分かっていましたが、その反響がどこまで広がっているのかまでは理解していなかったんです。けれども、その反響が「ドラッグストア・カウボーイ」の製作と公開につながり、さらに「マイ・プライベート・アイダホ」を本格的に作ることも考えられるようになりました。それまでは企画に耳を傾け、反応してくれる人はほとんどいませんでしたからね。

——当時、監督をはじめとする若い映画作家たちは、新しい世代の登場としてどのように受け止められていたのでしょうか。

ガス:同じ頃、スティーヴン・ソダーバーグが「セックスと嘘とビデオテープ」(89)を発表し、少し後にはクエンティン・タランティーノが「パルプ・フィクション」(94)を作りました。私たちの作品は、新しい世代の声として受け止められていたのだと思います。いまの「バックルームズ」(26)や「オブセッション 災愛」(26)を見ていると、あの頃のことを思い出します。どちらも若い監督による作品で、Z世代の新しい声を体現しています。若い世代が自分たちの感覚で映画を作り、多くの観客がそれを観るために映画館へ足を運んでいる。それと同じようなことが、いま再び起きている。それはとても素晴らしいことです。「バックルームズ」や「オブセッション 災愛」がこれほど大きな話題となり、「マンダロリアン・アンド・グローグー」(26)をも上回る興行成績を記録していることは、「パルプ・フィクション」が巻き起こした現象にも少し似ています。私の映画はそこまでではありませんでしたが、「パルプ・フィクション」は多くの大作を上回る、実に大きな成功を収めましたから。

「ポートランド」には、
多様なサブカルチャーが存在していた

——「ポートランド3部作」には、社会の中心から外れた人々、そして血縁では結ばれていない疑似家族のような共同体が繰り返し登場します。この時期の監督にとって、そうした周縁の人物たちや共同体は、なぜ重要な題材だったのでしょうか。

ガス:大きな理由は、私が若い頃を過ごしたオレゴン州ポートランドという街に、さまざまなサブカルチャーが存在していたからだと思います。ポートランドは、川を通じて太平洋とつながる港町であり、鉄道の拠点でもありました。アジアをはじめとする各地との海運が盛んで、漁業や林業、港湾業に従事する季節労働者が大勢いたんです。彼らは仕事の時期に合わせて各地を移動していました。街ができた頃から、流動的な労働者の多い土地だったのだと思います。そうした性質は、私が映画を作り始めた当時にも、そして現在にも残っています。当時は季節労働者だけでなく、住む場所や生活そのものが不安定な人々もいました。社会から排除された人々や、犯罪者、元受刑者といった人々です。

「マイ・プライベート・アイダホ」の若者たちが生まれた背景には、ポートランド中心部の3番街周辺に実在した、若い男性セックスワーカーたちのコミュニティーがあります。長距離バス会社・グレイハウンドのターミナルからほど近い場所に、彼らが「キャンプ」と呼ぶ一角があったんです。後になって、年配の弁護士から、その呼び名は大恐慌期にそこにあったホームレス・キャンプの名残だと聞きました。現在のポートランドにあるテント村にも、どこか通じるものがあります。そこでは、ほど近い丘陵部に住む裕福な人々を相手に多くのセックスワーカーが金を稼いでいました。客たちは車で通りにやって来て、若者を乗せていったんです。異なる階層の人々がごく近い場所で接している、小さなサンフランシスコのような街でした。当時の私たちは、その通りにそうした歴史があったことを詳しく知っていたわけではありません。それでも、そこにいる人々や街の空気は目の前にありました。

また「ドラッグストア・カウボーイ」は、薬局強盗を繰り返していたジェームズ・フォーグルが、自身の経験をもとに書いた小説が原作です。フォーグルは服役中に、薬物の使い方や薬局強盗の手口を知りました。当初は金に換えるために薬を盗んでいただけでしたが、薬が常に身近にあったためにやがて自分でも使うようになり、依存していったんです。最初に薬局を襲ったのは、1963年のロサンゼルス郊外でした。そして「マラノーチェ」の原作者である詩人ウォルト・カーティスは、移民や季節労働者が滞在する古いホテルの近くにあった食料品店で働いていました。労働者たちは夏になると農場へ働きに出て、冬には仕事を失います。メキシコへ帰らずポートランドに残った若者たちは、街を歩き回りながら、春になって農作業が再開するのを待っていました。

というように、初期3作に登場する人々は、私にとって抽象的な意味での「アウトサイダー」ではありませんでした。意識的に周縁の人々を描こうとしたというより、彼らは皆、ポートランドの通りに実際に生きていた人々であり、その土地の歴史や環境から自然に生まれた存在なのだと思います。

リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーヴス
2大スターの共演

——すでにスターであったリヴァー・フェニックスとキアヌ・リーヴスが、当時としては非常に実験的かつ、クィアな欲望を正面から描いた「マイ・プライベート・アイダホ」に出演したことは、映画史的にも大きな出来事だったと思います。リヴァーのエージェントは出演に反対したとも言われていますが、それでも彼らがその役を選び演じたことを、監督は当時どのように受け止めたのでしょうか?

ガス:とても驚いたのを覚えています。実は私自身は2人が出演を決めたことを、本人たちから直接知らされたわけではなかったんです。当時、私たちはさまざまな俳優に脚本を送っていて、面識のあったリヴァーとキアヌにも渡していました。あなたの言う通り、リヴァーのエージェントは彼がこの映画に出ることを望んでいませんでした。それでも私たちは、リヴァーがLAのホテル、シャトー・マーモントに滞在していることを知って脚本を直接届けました。私が部屋のドアをノックして、姉のレインに渡したんです。ただ、ポートランドにも役を演じられそうな人たちがいたので、基本的にはプロではない俳優を起用するつもりでいたんです。

その後、ウェストウッドで行われた映画の上映会に出席したとき、そこにいたマイケル・アプテッド監督から突然「おめでとう」と声をかけられました。私が何のことか尋ねると、彼はリヴァーとキアヌが私の映画に出演すると教えてくれたんです。なぜそれを知っているのか尋ねると、「2人が私の映画を断ったんです。あなたの映画に出るからと言ってね」と答えました。そこで初めて、2人が出演を決めたことを知ったんです。

リヴァーとキアヌは当時、共にハリウッドで成功していた若手俳優で、数多くの仕事から出演作を選べる立場にいました。多くの監督が2人を自分の映画に出演させようとしていたんです。それでも彼らは、私の映画を選んでくれました。彼らはその直前にも一緒に映画を作っていて、もう一度共演したいと考えていたのだと思います。また「マイ・プライベート・アイダホ」を、若い監督によるカウンターカルチャー的な企画として捉えていたのでしょう。ちょうどその頃には「ドラッグストア・カウボーイ」も公開され、ニューヨークやロサンゼルスの批評家賞をはじめ、いくつもの賞を受けていました。作品が評価され始めていたことも、2人がこの企画に関心を持つきっかけになったのかもしれません。彼らは、この映画が持つ実験性や、ハリウッドの主流から外れた部分そのものに惹かれていたのだと思います。

——その2人が加わったことで、脚本や人物像、あるいは他の部分に変化はありましたか?

ガス:変わったことがあるとすれば、資金面ですね。企画を始めた当初、私が人々に見せていたのは、そもそも一般的な形式の脚本ではありませんでした。70ページほどしかなく、当時としてはまだ珍しかったMacで、さまざまな書体を使って書いていたんです。出資を検討する人たちには、かなり奇妙な脚本に見えたと思います。そのため、当初は50万ドル程度の予算で作ることになるだろうと考えていました。ところが、リヴァーとキアヌが参加したことで企画への注目が高まり、多くの資金を集められるようになった。映画会社であるニュー・ラインも関心を示し、最終的には約250万ドルの製作費を確保することができました。ただ、物語そのものは変わっていません。2人の参加によって規模は大きくなりましたが、作ったのは最初から構想していたのと同じものです。

ニュー・クィア・シネマの再評価

——現在では本作は、ニュー・クィア・シネマを代表する一本として語られています。日本でも去年グレッグ・アラキの映画がリバイバルされるなどニュー・クィア・シネマの再評価の機運が高まっていますが、監督ご自身は、自らの作品とその潮流との関係をどのように捉えていますか。

ガス:いわゆる「ニュー・クィア・シネマ」という潮流に対して、私は少し先行するような位置にいたのだと思います。私が「マラノーチェ」を作った頃、ビル・シャーウッド監督のゲイ映画「Parting Glances」(86)や、レズビアンのロマンスを描いた「ビビアンの旅立ち」(85)がサンダンス映画祭に出品されていました。同性愛を描いた作品がすでにあるからか、私の作品はサンダンスには選ばれず、ベルリン国際映画祭へ行くことになったんです。ベルリンには「カラヴァッジオ」(86)を出品していたデレク・ジャーマンもいました。彼は、いわばイギリスのクィア映画を牽引していた存在です。そのように、当時はクィアの人々の生活を新しい形で描く映画監督が、各地から少しずつ現れ始めているという感覚がありました。

その後、「マイ・プライベート・アイダホ」を完成させた頃には、私は審査員としてサンダンスに参加していました。「ドラッグストア・カウボーイ」はすでに公開され、「マラノーチェ」もアメリカ国内外のゲイ映画祭で上映されていました。そこにグレッグ・アラキやトッド・ヘインズ、トム・ケイリン、クリストファー・ミュンチといった監督たちが次々と現れたんです。彼らの多くがサンダンスに集まり、一つのムーブメントが形になり始めていました。トッドの「ポイズン」(91)が審査員大賞を受賞したことも、その動きを強く印象づけたと思います。

翌年にはさらに多くの映画監督が加わり、デレク・ジャーマンもサンダンスを訪れました。クィアの映画作家たちが集まるパネルディスカッションも開かれ、そこで起きていた動きが「ニュー・クィア・シネマ」として認識されるようになっていったんです。ですから私は、その潮流に少し先行しながら、その誕生にも接していた中間的な立場だったのだと思います。ただ、「ニュー・クィア・シネマ」という呼び名をより鮮明に体現していたのは、私より少し若い世代の映画監督たちだったという感覚があります。

——最後に、最近公開されたクィア作品で印象に残っているものを教えてもらえますか。

ガス:たくさんありますよ。いまはテレビシリーズもありますから。例えば「ヒーテッド・ライバルリー」(25)はすごく良かった。あとは……ああ、作品のリストを持ってくればよかった。それくらいたくさんあるんです。今年のカンヌにも、大規模なゲイの物語が2本ありました。「La bola negra」(26)と、ルーカス・ドン監督の「Coward」(26)です。前者はスペインの作品で、驚くほど大きな予算をかけて、ゲイの登場人物たちを描いていました。どちらも、とても印象に残っています。

公開情報

◾️「マイ・プライベート・アイダホ デジタルリマスター版」

8月7日からシネマート新宿、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
製作総指揮・監督・脚本:ガス・ヴァン・サント
製作:ローリー・パーカー
原作:ウィリアム・シェイクスピア「ヘンリー四世 第1部」「ヘンリー四世 第2部」「ヘンリー五世」
出演:リヴァー・フェニックス キアヌ・リーヴス
(1991年/カラー/アメリカ/104分/DCP/原題:My Own Private Idaho)
配給:weber CINEMA CLUB
配給協力:TOMORROW Films.
PG12

◾️ドラッグストア・カウボーイ デジタルリマスター版」

9月18日からシネマート新宿、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー

公式サイト

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