ファッション

被災した縫製工場、岩手モリヤ社長が見た「日本のアパレルの10年」 #あれから私は

 2011年3月11日、後にドラマ「あまちゃん」で知られることになる、海と山に囲まれた岩手県久慈市には高さ14メートルを超える津波が押し寄せた。600棟の家屋が被災し、死者・行方不明者は6人だった。市内の縫製工場、岩手モリヤにも津波が駐車場にまで迫り、ある従業員は家屋が流された。「WWDジャパン」は2011年の3月28日号で、震災から一週間後の3月18日に同社が早くも稼働を再開したことを伝えている。

 あれから10年。岩手モリヤの森奥信孝社長(67)は、今も忙しい日々を送っている。久慈市と隣の二戸市の縫製工場に呼びかけ、「北いわてアパレル産業振興会」を結成。地場発のファクトリーブランドを作ったり、ファッションショーを開催したりと、岩手発のものづくりを発信してきた。

 1988年創業の岩手モリヤは、月に約4000着のコートやジャケットを生産している。生産するアイテムは、業界ではいわゆる“プレタ”と呼ばれる高級ゾーンで、ジャケットで5〜8万円以上、コートだと10万円前後になる。主要な取引先はトゥモローランドやレリアン、三陽商会など。

 同社はもともと、婦人服の縫製工場としては卓越した技術で知られる企業だった。一時期技能実習生を採用したこともあったがすぐに止めて、ずっと地元雇用を続けており、現在も従業員の大半は地元久慈市の出身だ。難易度の高さで知られる、厚生労働省認定の国家資格である1級の婦人服製造の技能士を10人、2級だと26人も抱える。震災前に100人以上いた従業員は現在83人にまで減っているものの、技能士の資格保有者は4割を超える縫製工場はそう多くない。高価で知られる自動ハンガーシステムであるイートンや最新鋭の3DCAD、生地試験、従業員一人ひとりにタブレットを配布するなど、設備投資にも力を入れてきた。

 森奥社長の目から見て、日本のアパレル産業は何が変わり、何が変わらなかったのか。

WWDジャパン(以下、WWD):東日本大震災から10年。一番大きな変化は何でしょう?

森奥信孝・社長(以下、森奥):日本のアパレル産業が縮小したことです。海外生産がさらに増える一方で、日本の縫製産業が支える“メードインジャパン”はどんどん減っていて、縫製産業の従事者の数は10年前と比較すると3割も減っています。現場で仕事をしていると業界全体として、アパレル側にモノ作りが分かる人が本当に減ったな、と。

WWD:先行きは厳しいそうですね。

森奥:いや、希望は全然捨ててないですよ。だって、日本のファッションは日本で作らないと成立しないじゃない?これから日本のアパレルやブランドが生き残って成長するためには海外に出る必要がある。そのときに必要なのは何ですか?日本のもの作りですよ。われわれ縫製業は、胸を張ってブランドと一緒に“これがメードインジャパンだ!”と製品を世界に発信したい。

WWD:日本のもの作りの強さとは?

森奥:例えば岩手モリヤでは、前身頃、後ろ身頃、両袖のアーム部分にクセ取りという、アイロンでフォルムを作る工程を入れています。これは工賃の多い少ないにかかわらず、全アイテムを対象にした標準工程です。作業時間としては20〜30分ほどですが、これを入れるか入れないかで、製品になったときのフォルムやシルエットの美しさが全然変わってくる。当社にとっては標準工程で仕様書にも入れていないですし、当然工賃には反映されない。当社の場合は他にも、ほぼ全商品の生地試験もやります。同じ品番の生地でも色が違うだけで、縮率などが変わるからです。当社は最新の3DCADソフトを入れていて、その生地試験の結果を見ながら、取引先からもらったCADデータをこちらで修正します。そうすればいい製品を作れるし、不良品の発生率も下がる。ではなぜそんなことをやっているか。それはいいものを作りたいからです。取引先から求められているからではないんです。こうした細かいこだわりは例を上げればキリがない。これは当社だけじゃないですよ。少なくとも私の知っている久慈の縫製工場はどこもそうしたテクニックをたくさん持っている。自主的に誇りを持ってやっているんです。だから強い。

WWD:にも関わらず、もう随分前から日本の縫製産業は減少し続けています。なぜでしょう?

森奥:それはグローバル化や海外企業の技術力の向上など、いろいろあると思いますよ。日本の縫製産業だって技能実習生を入れることで、延命を図ってきたようなところもある。でも、縮小の一因として日本全体でモノづくりの現場を軽視してきた部分も小さくない。

WWD:昔は違ったのでしょうか?

森奥:昔はこだわりの強いパタンナーやデザイナーがたくさんいて、よく彼ら/彼女らも工場に来て、あれこれ注文をつけたり、あーでもない、こうでもないと一緒になって考えたりしたものです。実際、先ほどの「クセ取り」工程はそうしたブランドのパタンナーと当社のベテラン縫製技能士とのディスカッションから生まれたアイデアです。それを経営者の私が工場としての付加価値を上げるために、当社の標準的な工程にした。先ほど10分の工程だと言いましたが、縫製工場の経営者は誰もが、一着あたりの生産性を1秒でも短くしようとしている中で、この10分は大きい。それでもやっているのは、いい服が作れれば、その一念です。

WWD:10年前の東日本大震災のことを教えてください。

森奥:当社は幸いにも工場の敷地の一部が浸水しただけで、直接的な被害はそう大きくはなかった。それでも従業員の中には家が流された人もいたし、すぐ裏手にあった久慈ソーイングさんは津波が直撃して工場はメチャクチャになった。振り返ってみても、被害が少なかったのは僥倖です。地震が起こった直後、うちの会社はすぐに裏手の高台に従業員を全員避難させました。あのときに帰宅させていたら、津波の被害に合っていたかもしれない。震災から一週間はライフラインが止まり、私も避難所で生活していました。わずか一週間で再稼働できたのは、ラッキーだったとしか言いようがない。いま振り返ってみても、地震そのものよりも、やはり影響が大きかったのは津波です。工場が津波を被った、被っていないかでかなり違う。

WWD:当時はどんな支援があったのでしょう?

森奥:県や市、それに多くのアパレル企業からも支援をいただきました。本当に感謝しています。震災から1ヵ月後に上京して支援をお願いした際には、ある有力な取引先のトップはその場で社員を集めて「とにかく出せるオーダーを出しなさい」と言ってくれた。ある小さなブランドも「一型しか出せませんが」と言いながら、オーダーを出してくれました。嬉しかった。復興を考えた場合、仕事をもらうことが何よりも大きな支援になったからです。

森奥:その一方で、あるアパレルの生産担当役員に「海外に出す分の数%でもいいから発注を回してほしい。それが非常に大きな支援になる」とお願いしたら、即座に「無理だね。うちも苦しいから」と断られたこともあった。取り付く島もなかった。悲しさもありましたが、それ以上に悔しかった。こちらは必死に日本で作り、日本のもの作りを守りたい、と思ってやってきましたが、実際にアパレル側はそうではなかったと感じたからです。これは当社だけじゃない。実際に久慈の同業者の中には納入が遅れた分の補償を求められた企業もあって、これには久慈の縫製企業が一丸となって阻止しました。どこかで日本のアパレルは、日本でのもの作りを自分の都合のいいようにしか考えていないところがある。それはこの10年、縫製産業が減り続ける一因にもなっていると感じています。

WWD:どうすればいいのでしょう?

森奥:冒頭にも言いましたが、デザイナーとパタンナー、縫製工場が一体となったもの作りが必要です。では、どうするか。すでに現場では、量産できるように仕様を提案するなど、生産の仕方を提案することも多いんです。日本製は確かに高い。でも、こんなこと海外の工場とできますか?そもそも海外の工場が受注元から来た仕様以上の付加価値を提案する、なんてことしませんよ。だからこれからは工場の時代だと思っています。当社には一級技能士が10人もいて、中には40年以上のキャリアがあって自分でパターンを引ける技能士もいる。

森奥:現在の3DCADソフトは、3Dのグラフィックには目を見張るものがあります。けどモデリストがトワルで作ってきたパターンメイキングを、CAD上の3Dデータの操作に置き換えられて、それをそのまま2D(型紙)に落とし込める3DCADソフトはないんです。でもそれができれば、当社の一級技能士がパターンメイキングもできるようになる。これは大きい。工数を劇的に減らすことができる。そうなると、小ロット
多品種の服作りも可能になるかもしれない。

WWD:未来は明るいですか?

森奥:明るいですよ。そう信じています。でも、足元は不透明で、グラグラしている。実は3月までは医療用ガウンでしのいできましたが、その後の4月5月は受注がほとんどないような状態です。当社は大半が地元雇用で、こちらに家があって家族もいる。県や地域をまたぐような流動性がないから、もし当社が倒産したら、こうした人材は埋もれることになる。これまで倒産した縫製工場はすべてそうやって、貴重な技術が失われてきたのです。それだけは絶対避けないと。明るい未来のために、生き残る必要がある。そのために必要なのは、日本のアパレルメーカーの姿勢です。それが、いま問われているのだと思います。

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