一時は“飛ぶ鳥を落とす勢い”だった時計ブランド「エベル(EBEL)」が、モバードグループ(MOVADO GROUP)から独立系ウオッチメーカーのモントル ジュルヌ(MONTRES JOURNE)とシャネル(CHANEL)、ピエール・ジャック(Pierre Jacques)=ドゥ・ベトゥーン(DE BETHUNE)名誉会長の3者から成る戦略的バイヤーグループに売却された。これから同グループの手で、かつての栄光を取り戻すための新たな投資やリブランディングが行われる。
かつては「ロレックス」のライバル
セレブ広告の先駆け的存在
「エベル」は1980年代から90年代の時計業界を知る者なら絶対に忘れられない存在だ。このブランドは、11年にスイスの時計産業の中心地ラ・ショー・ド・フォンでウジェーヌ・ブルム(Eugene Blum)とその妻のアリス・レヴィ(Alice Levy)が創業。以降、ブルム家の同族経営で飛躍的な成長を遂げ、「時の建築家」というキャッチコピーとともにスポーティでエレガントな製品を展開。世界的にも大人気で70年代後半から90年代前半は「スイスNo.3の時計ブランド」とされ、「『ロレックス(ROLEX)』のライバル」と言われていたほど。人気&実力ともスイスの上位を占めるメジャーブランドだった。クォーツ化にもいち早く対応。アメリカの人気テレビドラマ「特捜刑事マイアミ・バイス」(1984〜89)のスポンサーも務め、ドン・ジョンソン(Don Johnson)やフィリップ・マイケル・トーマス(Philip Michael Thomas)が着用。テニスのボリス・ベッカー(Boris Becker)やステファン・エドベリ(Stefan Edberg)、F1ドライバーのニキ・ラウダ(Niki Lauda)やアラン・プロスト(Alain Prost)を広告キャラクターに起用するなど、セレブ広告の先駆けでもあった。
その美しいデザインは、今も輝きを失っていない。80年代に登場した“スポーツウェーブ”や“クラシックウェーブ”などのケース一体型のブレスレットは、コマとコマの間隔を極限まで詰めながら、とてもしなやかで腕のカーブに優しくなじむ完璧な構造。現代の最新のブレスレットと変わらぬ美しさや優れたフィット感を実現していた。
さらに「エベル」は90年代の機械式時計ブームも先取りする存在だった。同社は82年、「ゼニス(ZENITH)」の機械式クロノグラフムーブメント「エル・プリメロ」のデッドストックを買い取り、搭載したクロノグラフを発売。これが当時生産中止になっていた「エル・プリメロ」復活のきっかけになったというのは、時計愛好家の間ではあまりにも有名だ。その後「ロレックス」が「エル・プリメロ」をベースにした自動巻きの“コスモグラフ デイトナ”を発売すると、「エベル」は95年、まったく新しい完全自社製クロノグラフムーブメントを開発して搭載モデル“モデュロール”を発売した。「エベル」はマニュファクチュール(完全自社製)ムーブメントのブームも先取りしていたのだ。96年にラ・ショー・ド・フォンのファクトリーを訪れたとき、その品質管理やデザインにはつくづく感心したし、同社は「時の建築家」を名乗るブランドにふさわしくル・コルビジェ(Le Corbusier)が建てた名建築をゲストハウスとして活用していて、「文化を大切にする時計ブランドだ」と大いに感銘を受けた。
運命は一気に暗転
売却から「残念な歴史」に
ところが94年から「エベル」の運命が一気に暗転する。時計事業以外にも映画・テレビ・スポーツ事業などを多角的に積極展開していた創業家ブルム一族の3代目ピエール・アラン・ブルム(Pierre Alain Blum)最高経営責任者(CEO)がこうした事業に失敗し、当時「ブレゲ(BREGUET)」ブランドを傘下に置いていた投資会社のインベストコープ(INVESTCORP)に売却せざるを得なくなったのだ。そして、ここから現在まで続く「エベル」の「残念な歴史」が始まる。
インベストコープの元でも「エベル」はしばらくビッグブランドだった。99年、インベストコープは「エベル」をLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)に売却。LVMHの傘下に入ったと知ったとき、誰もは「『エベル』はさらに発展するだろう」と思ったものだ。だがLVMH傘下で「エベル」は迷走していく。市場シェアは年を追うごとに加速度的にダウンして底なしの時代を迎えた。2004年にはLVMHは「エベル」を主にアメリカ向けのクォーツモデルを主力にするモバードグループに売却する。日本の正規輸入販売代理店も、こうした経緯の中でどんどん交代した。1990年代初めまでは和光の子会社のウインペックス(解散に伴い撤退)、続いて日本シイベルへグナー(現DKSHジャパン)やLVMHジャパン、そして2012年から現在は精密加工機なども取り扱うムラキの時計部に引き継がれたが、00年以降は取り扱う時計専門店や百貨店も激減。もはや「エベル」の栄光を知る人は、時計業界でもマネージャークラスのベテランだけ、という状況になっている。
モバードグループが何とか再生しようと努力したことは間違いない。だが同グループにとって「エベル」のブランドバリューはあまりに大き過ぎた。「モバード」よりもブランドポジションは上だし、総合時計ブランドとしての規模もはるかに大きい。本気で再生しようとすれば、莫大な投資が不可欠だ。しかし「モバード」と「エベル」はどちらも「都会的な洗練されたデザイン」が持ち味で、競合する部分があまりに多い。正直、持て余してしまった、というのが真相だろう。
しかし今回、天才独立時計師のフランソワ・ポール・ジュルヌ(François Paul Journe)が創立し、「シャネル」を主要株主とする時計ブランド「F.P. ジュルヌ」が主導し、やはり時計愛好家から絶対的な支持を集めてきた「ドゥ・べトゥーン(DE BETHUNE)」のピエール・ジャック元CEOが参画するという体制なら、数多くあるアーカイブピースをモチーフに、デザインでもメカニズムでも最高峰の時計作りを行なえる。
その場合、道は大きく分けてふたつある。ひとつは、デザインコードが強力に確立された「シャネル」の時計とはまったく違う、「時の建築家」と言われたかつてのアーカイブピースをデザインのモチーフにした総合時計ブランドとして再生すること。そしてもうひとつが、やはり「エベル」のエレガントなアーカイブピースのデザインをモチーフにした複雑時計コレクションを展開すること。「F.P. ジュルヌ」と「ドゥ・べトゥーン」の人材、技術力をもってすれば、このふたつも同時に可能だ。まずは新生「エベル」からどんな新作が登場するのか。これから目が離せない。