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HUGENが貫くインディペンデントな音楽活動——葛藤を経て「仕事の人」からアーティストとして自分の表現を取り戻すまで

PROFILE: HUGEN

PROFILE: 2024年始動。TP(Vo/PC)を中心で構成される音楽プロジェクト。エレクトロミュージックを軸に、民族音楽や民謡などの要素を交えたオルタナティブな楽曲を制作している。縁や愛、優しさ——身近な感情や風景を、気取らずに言葉に乗せて歌うTPの歌詞も特徴のひとつ。結成2年目にして「フジロック '25」の「ROOKIE A GO-GO」に出演。NHK Eテレドラマ「聞けなかった あのこと」では主題歌も手がけた。ライブ活動や制作を精力的に展開中。

音楽で食べていく。自分の曲を、たくさんの人に聴いてもらう。そんな願いが少しずつ叶う中で、「俺、何してるんだろう?」と思う日がやってきた——。トラックメーカーのTPは、バンド活動やライブハウスの店長、City Your Cityのヒット、CM音楽の制作と、さまざまな活動を続けてきた。仕事が増える喜びの一方で、自分の表現から遠ざかっている感覚もあったという。そこからもう一度歌いはじめ、生まれたのがHUGENだ。9月16日にリリースした1stフルアルバム「風神通り」では、電子音楽の精緻なビートと、どこか懐かしい土着的な響きが交わる。そこには、かつて持て余していた歌声も、仕事で培った制作技法も流れ込んでいる。制作費の支払いに驚き、仲間への対価を考え、4年後の「コーチェラ」を口にする。自分の音楽を続けるために、何を選び、誰と作っていくのか。「今は最高ですね」と笑うHUGENに、現在地にたどりつくまでの紆余曲折を聞いた。

音楽を始めたきっかけ

——アルバム「風神通り」は実験的なのにポップで、すばらしい作品だと思いました。その音楽が生まれるまでと、活動のあり方について伺いたいです。TPさんは、いまHUGENとしての活動とそれ以外の仕事はどのくらいのバランスなんですか?

TP:クライアントワークもやっていますけど、今年は前よりHUGENのほうに舵を切ろうと思っています。HUGENも仕事になってきたので。自分のやりたいことが、そのまま仕事にもなってきているというか。今はHUGENが6割、クライアントワークが4割くらいですかね。

——そこに至るまでには、いろんな時期があったと思います。

TP:自分のアーティスト活動をちゃんとやれていなかった時期もあったので。「仕事の人になっちゃった」という感覚がずっとあったんです。ようやく最近はアーティストとして見てもらえるようになって、嬉しいですね。精神的にも、今は最高です(笑)。

——そもそも、音楽を始めたのはいつ頃だったんですか?

TP:19歳とか20歳ぐらい。地元は福井県の敦賀なんですけど、音楽を始めたのは上京してから。子どもの頃からいろいろ聴いていたわけでもないんです。ただ、母親にカラオケで「歌がうまいね」って言われたことは、ずっと頭に残っていました。高校時代はRADWIMPSが好きで。あとコブクロとかを聴きつつ、ピンク・フロイドでイギリスっぽい気持ちになる、みたいな(笑)。

——よく分からない組み合わせですね(笑)。将来、音楽を仕事にしたいとは?

TP:考えていなかったです。普通に地元の工場に就職して、3カ月ぐらいで辞めたくなっちゃって。辞めるきっかけが欲しくて、「音楽をやります」って言ったんですよ。その時はギターも何もやっていなかったんですけど。東京で「RADWIMPSセッション」というイベントがあって、当時「mixi」で参加者を集めていたのを見て。福井から2回ぐらい行きました。そういう流れもあって上京して、そこで出会った友達とギターを買いに行ったんです。「バンド組もうよ」みたいな。大学生っぽいじゃないですか。僕は大学生じゃなかったんですけど(笑)。

——働きながら、バンドを始めたんですか?

TP:居酒屋バーみたいなところで働いてました。最初は下手で、コピーバンドをやったりして。その頃は、凛として時雨にハマっていましたね。一方で、レディオ・ヘッドが好きになって、「Radiohead Night」というイベントにも行っていたんです。そこで出会ったDJの友達が、ドープなものやノイズっぽいもの、クラブミュージックをめちゃくちゃたくさん教えてくれて。聴く音楽が、そういった方向にも傾倒していった。居酒屋のバイト先に来たお客さんが、たまたま「術ノ穴」というレーベルの関係者だったこともあって。そこから、後にCitu Your Cityを組むK-Overさんとも出会うことになったんです。

大宮「ヒソミネ」の店長で
築いた人とのつながり

——ご自身の音楽は、バンドを組んでいた時から変わっていったんですか?

TP:バンドが解散して、僕とギターのメンバーだけが残ったんです。そうなると、打ち込みでしか曲を作れない。だったら、今さらバンドっぽい音楽をやってもな、と思うようになった。それで、さっき言ったクラブサウンド——例えばマウント・キンビーやジェイムス・ブレイクが好きになって。ビートを作るうちに、どんどんそっちに夢中になっていきました。22、23歳ぐらいですね。機材もGarageBandからNative InstrumentsのMASCHINEに移って、ビート作りにますますハマっていったのも大きかったです。

ただ、今度はライブをやる場所がなくて。探していたら、K-Overさんが大宮の「ヒソミネ」というライブハウスを紹介してくれたんです。当時できたばかりで、アンビエントをやる人もいるし、いろんな音楽が受け入れられる箱だったんですよ。自分の音楽も「すごいね」って言ってもらえたりして。

——好きな音楽を演奏できる場所に出会ったことが、大きかったのでは。

TP:本当に好きだったのは、途中からそっちの音楽だったんだと思います。ただ、それをやれる場所があること自体、知らなかった。聴いているのはビートミュージックだけど、ライブではギターを鳴らす、という人は周りにも結構いたんですよね。ライブはエモいほうがかっこいい、と思っていたところもあった(笑)。「ヒソミネ」で自分の曲を聴いてもらって、みんなから「すごい」って言われて、「あ、間違っていないのかも」と思えたんです。そこで店長にもなりました。

——その頃も歌っていたんですか?

TP:アコギの弾き語りをやった後に、バキバキのビートをやっていました。意味が分からないって言われながら(笑)。ボーカルをやりたいという夢はあったんですけど、曲にうまく混ぜられなかったんですよ。おじいちゃんが詩吟をやっていたからというのもあるんですけど、歌うと、どうしてもこぶしっぽいものが入っちゃう。ジェイムス・ブレイクみたいにやりたいのに、ちょっと和っぽいというか、くさい感じになっちゃうんです。だから当時は、歌とビートを別物にしていましたね。

——ライブハウスの店長として働いた経験は、その後にもつながってそうですよね。

TP:いろんな人と出会いましたよ。Tempalayなんかは、まだライブを2、3回ぐらいしかやっていなかった頃から一緒にいて、CDを聴かせてくれて。「最高じゃん、これは売らせなきゃ!」みたいな感じで、「フジロック」にも帯同しました。インディペンデントで活動する感覚は、ライブハウスで教えてもらったかもしれないです。給料は安いなと思ってましたけど(笑)。でも、人脈という意味では爆裂に広がりましたね。音楽を作って食えるかは分からなくても、音楽に関わる仕事で飯を食ってはいけるな、という感覚もありました。

音楽で食べていくために選んだ道

——曲を作る仕事は、どうやって入ってくるようになったんですか?

TP:バンドメンバー募集サイトで出会った女の子が、「メゾン キツネ(MAISON KITSUNE)」で働いていたんです。その子と音楽をやったり、友達を紹介してもらったりしていました。同じ頃、K-Overさんと「ちょっとポップスをやってみようか」って、City Your Cityも始めていて。「術ノ穴」でもちょこちょこCM音楽の仕事があったんですけど、その子が「友達に監督がいるんだけど、連れてきていい?」って。連れてきてくれたのが、山田智和さんだったんです。山田さんが僕の音楽を「めっちゃいい」って言ってくれて、一緒にやろうとなりました。それから山田さんの仕事をいろいろやらせてもらって。そうしたら「山田智和さんと仕事をしているんですか?」という感じで、ほかのCMの仕事も来るようになったんです。自分の意図とは違う方向に、どんどん進んでいきました。

——専業になったのは、いつ頃なんですか?

TP:27、28歳ぐらいで店長を辞めてからです。その頃、ブッキングを増やしてほしいという話があって、頑張ってやりきったんですけど、疲弊しちゃって。今でもお世話になっているし、関係は良好なんですけどね。それで、工場を辞めた時と同じなんですけど、「音楽だけで食っていきたいんです」と言って辞めました。その時は、CMの仕事も増えていて、それだけで食っていきますって言っちゃったから、そうするしかない。それで頑張って仕事としての音楽活動をやりましたね。営業も自分でして。実は、その頃に結婚もしたんです。仕事も預金残高も少ないなかで、奥さんのお父さんに「結婚します」って(笑)。

——生活も変わる中で、作り続けていくしかないと。

TP:というか、音楽でお金をもらえること自体、僕にはすごいことだったんです。今もそう思っていますけど。City Your Cityと並行してCM音楽家としてやりつつ、その後には、「術ノ穴」経由で水曜日のカンパネラの(マネージャー兼ディレクターの)福永(泰朋)さんを紹介してもらって。4s4ki(アサキ)ちゃんと一緒に内田珠鈴ちゃんをプロデュースする仕事も、3年間くらいやりました。いろんな音楽を作るのは楽しかったですよ。昔は「俺、何でもできるんじゃないかな」って思っていた時期もあった。実際は全然できていなかったんですけど(笑)、歌ものについてもよく分からないまま、頑張ってずっと作り続けてた。今は、前より理解できるようになってきたと思います。

——City Your Cityでは、多くの人に聴かれるようになりました。その反響は、どう受け止めていましたか?

TP:K-Overさんがボーカルで、もともと2人ともアンダーグラウンドな音楽をやっていたんです。それで、「ちょっと一発当ててみようか」って作ってみた曲が反応がよくて、めちゃくちゃ聴かれるようになった。そうなると「続けるしかないじゃん」って。でも、2作目ぐらいの時に「あれ、俺、何してるんだろう?」と思ったんです。それまではバキバキのビートに、エクスペリメンタルな要素も入れた音楽を作っていたわけですよね。TREKKIE TRAXの人たちと一緒にやったり、野外で即興のビートライブをしたりしていました。そこから突然City Your Cityでポップスの方向にいったので、周りからも「どうしたの?」みたいな感じで。でも認知は一気に広がったから、余計に「俺って何なんだろう?」って思うようになった。もっといろいろできるのに、と思いながらやっていました。City Your Cityは今はすごく好きなんですけど、あの頃は辛かった。

——クライアントワークは楽しめていたんですか?

TP:まず、お金をもらえるのが嬉しかった。それと、そもそも映像に音楽をつけるのが好きなんですよ。山田さんとか、好きな監督の映像に音楽をつけるのは、めちゃくちゃ楽しくて。City Your Cityで溜まった鬱憤を、そっちで解放していた気もします。それも仕事としてどうなんだろうって、今は思いますけど(笑)。

——自分の作品が聴かれ、音楽の仕事も増える。外からは順調に見えても、気持ちは複雑だったと。

TP:一番辛かったのは、City Your Cityが終わって、プロデュースとCMだけになったあたりです。自分の活動をしている間は、なんとか自我を保っていた。でも、それが終わったら「本当にそっちの人になっちゃったんだな」って。アーティストになりたくて音楽を始めたはずなのに、と思っていました。誰かに紹介される時に「この人、何でもできるんだよ」って言われるのが、すごく苦しくて。「CMの作家なんですね」って言われるのも嫌。本当はアーティストとしてもっとできるのにって。友達と酒を飲んで、「俺、本当はもっといろいろできるんだけどな」って愚痴ってました(苦笑)。

HUGENとしての活動スタート

——その後、再び自分の活動へ向かうきっかけはあったんでしょうか。

TP:その頃、ESME MORIくんやケンモチヒデフミさんらとよく飲んでいたんです。ケンモチさんもMORIくんも、仕事がいっぱいあって、めちゃくちゃ忙しいのにちゃんと自分の活動もやってる。忙しさで言ったら、僕のほうが忙しくないはずなのに、オリジナルをやれていない。それで「俺も絶対やるわ」って、みんなに言っていうようになった。でも、なかなかできなくて。それも辛かったですね。周りのそういった人たちを尊敬していたし、羨ましかった。2人の姿を見ていたことも、HUGENを始めるきっかけのひとつです。

——実際に動き出したのは?

TP:コロナが大きかったです。仕事が全部飛んで、珠鈴ちゃんのプロデュースも終わった。「そろそろ本当に好きなことをやらないと、もう時間がない」と思ったんです。年齢的にも。最初はビートミュージックをやろうとしたんですけど、いろんなことが自分の中で見えちゃっているというか。実際に作ってみて、「これじゃないかもしれないな」と思ったんですよね。それで自分って何なんだろうと考えた時に、やっぱりボーカルなのかなって戻っていったんです。ずっと歌ってなかったんですけど、もう一度歌い始めようと思った。それがHUGENの原型です。形になったのは、コロナが落ち着いてきた頃だったかな。

——昔は混ぜられなかった歌とビートが、今はHUGENで一緒に鳴っていますね。ちなみに、土着的な要素はどういったルーツから来ているんですか?

TP:実は、土着的な音楽に詳しいわけではないんですよ。「なんちゃって土着ミュージック」みたいな気持ちもちょっとあって。ただ、日本っぽいものを音楽にしているという意味では、細野晴臣さんがすごく好きです。YMOもそうですけど、音楽とコンセプト、世界観ごと作っている感じが好き。漫画っぽいというか。細野さんみたいなことをやりたかったんですけど、そのままパクってもしょうがないので、自分なりの回答を作りたかった。「風神通り」や「桜源郷」の歌詞も、漫画を描くような感じで書いてます。普段の生活とは違う仮想の世界。「千と千尋の神隠し」みたいなイメージですね。伝統音楽を深く追いかけているというより、僕はポップスが好きなんです。いろんなものがうまく混ざっている音楽を作りたくて。

——HUGENの作品を聴いていると、自然の風景が浮かぶんですよね。

TP:それは、音楽作家としてやっていた時期が長いから、というのもあると思います。映像を見ながら音楽を作っていたので、HUGENでもそうやっている。CMや映画も見ますし、Instagramの動画の切り抜きも保存していて、それらを見ながら曲を作る。僕の場合、リファレンスは音楽より映像なんですよね。音がその映像に合うか、合わないかをやっているんです。

——そういうことなんですね。いろんな景色が浮かぶので、各地を旅行されてるのかなと思ったりしました。それくらい、風景と繋がった楽曲だと感じます。

TP:ずっと家にいます(笑)。家で映像を見ながら打ち込みをしてる。作家をやっていたからなのか、当たり前のようにやっていますね。

——仕事で続けてきたことが、今の音楽の作り方にもつながっているかもしれないと。福井の地元で、何か思い出に残っている景色はありますか?

TP:子どもの頃、おじいちゃんに毎日のように釣りに連れていかれていたんです。あまり楽しくはなかったんですけど。長いな、みたいな。今となってはいい思い出ですけどね。「白灯台」に出てくる釣りスポットや、そこに行く道、テトラポッドとか山や海もそうですけど、地元の風景は印象に残っています。

——音楽のキャリアで経験されてきたことも多いし、HUGENの音楽性はこれからも広がっていきそうですね。

TP:まだいろいろやれることがあると思います。今回も「納豆、水、卵」や「流れゆく」には、違うジャンルの要素を結構入れていて、トラックメーカーとして頑張った作品でもあるんです。パブリックイメージを気にすると、「HUGENってこういう音楽だよね」という方向に寄っていっちゃう。でも、それはあんまり楽しくない。今みたいな曲も作ると思いますけど、いろいろやっていきたいです。

インディペンデントな音楽活動

——今はHUGENが活動の6割というお話でしたが、制作費もご自身で負担しているんですよね?

TP:そうですね。今回アルバム制作やMV制作、ワンマンライブもあって、支払いにちょっとビビっています(苦笑)。「これ、一人でやる金額じゃないかもな」って。全部で300万円……いや、350万円ぐらいかな。規模としては安いのかもしれないですけど、バンドではなく一人でやっているので。入ってくるお金もありますけど、収支は結構きついです。ただ、そういうことを自分でやれているのもインディペンデントな感じがありますよね。

——お金をどこに使うかという判断を、ご自身ですることになりますよね。

TP:あと、人にちゃんとお返しできることが大きいんです。会社だと予算を詰めたり削ったりして、支払いが「しょっぱいな」と感じることもある。そういうことで、その後の関係が悪くなることもあるじゃないですか。僕も若い頃そういう経験をしてきたので。搾取されたとまでは言わないですけど、そう感じることも多かった。自分がインディペンデントでやるなら、払える分はちゃんと払おうと思っています。若い頃に嫌だったことを、自分はあまりやりたくない。そうしていると、周りとの関係もいい感じになってきている気がする。ちゃんと対価を払うことは大切だと思います。

——今後もインディペンデントで続けるつもりですか?

TP:よっぽどのことがない限りは。メジャーやレーベルは、結局は手段だと思うんですよ。所属したから売れるわけではないし、規模が大きくなると、関わる人たちにもお金を還元しなきゃいけない。長くやるうちに、自分のやりたいこととずれていく例も見てきました。それ自体が悪いとは思わないですけど、自分が今の年齢でやることとしては違うかもしれない。圧倒的な資金力が必要になる瞬間が来たら、その時は考えると思いますけどね。でも、今は自分でできています。

——一方で、全部を一人で抱えるということでもないんですよね?

TP:外部の人に発注したり、業務委託で協力してくれる人を探したりできたらと思っています。映像チームもいるし、メール対応の人にも入ってもらった。SNS担当も探したいんですけどね。もう自分が社長みたいな感じで、みんなと一緒にやるというか。実際、今年は株式会社としても動き始めています。今年から来年にかけて、その体制作りが鍵になるのかなと思っていますね。

——HUGENの活動を振り返ってみて、リスナーが増えるきっかけになった出来事はありましたか?

TP:ずっと、ぬるぬるぬるぬる伸びている感じです(笑)。高橋李空さんが作ってくれた「パッピドゥ / Pappidoo」のアニメーションのMVでまた少し聴かれるようになったり。今回の「風神通り」も、一般的なリスナーの方に少し届いてきた感じがあります。ちょこちょこ小さいバズが起きつつ、ライブを頑張っていたので、そこでの認知が上がってきた。小バズ、小バズ、ライブ、ライブ、ライブ、みたいな感じですね(笑)。逆に言うと、爆発的に伸びている感覚はないです。一気に跳ねる人たちを羨ましいなと思いながら見ていますけど、自分にできることとして、いい曲といいMVを作ることしかないので。ちゃんと質の高いものを目指そうと思っています。

——これからの大きな目標はありますか?

TP:4年後に「コーチェラ」に出るって、ずっと言ってるんですよ。もともとフェスに出る年次計画を考えていて、2年目には「フジロック」の「ROOKIE A GO-GO」に出るって決めていた。そこには出られたので。最初は3年目にコーチェラと思っていたんですけど、さすがに夢物語すぎるなって。でも、自分のテンションを上げるには、大きな目標を口にしないとダメだなと思うんです。4年間あれば、いろんなことが起こりそうですし。

——どんな広がり方で、海外を目指したいですか?

TP:日本のトップのアーティストが出演するルートとは、別の軸でもいいと思っています。メインステージでなくてもいい。日本代表として行くより、海外で知られたアーティストが、たまたま日本人だった、という感じ。それを4年ぐらいかけて作りたいですね。でも、今年と来年は日本での活動を固める必要がある。海外はお金がかかるんですよ。僕がメンバーと行くなら、ギャラや旅費を含めて500万円ぐらいになっちゃったりする。海外をドサ回りするようなやり方を今の僕がしたら、一人で破産しちゃう。まず日本での軸をバチッと固めて、協力者を増やし、予算を確保する。日本から発信する土壌を作って、行ける形が整ったら海外に行く。今年と来年は準備をして、再来年ぐらいには何回か行けていたらいいなと思っています。

——実際に、海外とのつながりもでき始めているんですよね。

TP:韓国や台湾からは、ちょこちょこアプローチされています。まだ具体的なライブの話が来ているわけではないんですけど。高橋李空さんは、大学生の頃にHUGENのMVを作ってくれたんですよ。それを見たBalming TigerのSan Yawnさんが、高橋さんにMVを依頼したらしくて。そのつながりで、向こうからも連絡をもらいました。そういうことがあったりするんですよね。来年はアジアでの活動も視野に入れています。助成金も使えるかもしれないし、いろんな方法を考えたい。でも、まずはとにかくいいものを作ることですね。好きなことをやる。人を大切にする。音楽では尖る。そういう方針です。

——これから活動を始める人、続け方に悩んでいる人に向けて、振り返って「これはやっておいてよかった」と思うことはありますか?

TP:好きなことはずっとやったほうがいい、ということですね。あと、変に尖るのは、あまり意味がないかもしれない。人が離れていくので。それでも守ってくれる人がいたらいいですけど、そうじゃないと難しいと思います。僕はもう、素のままでやっている。それに、音楽業界で売れている人たちと接していて思うのは、見た目は尖っていても話すとしっかりしている人ばかりで。やっぱり、「人は大切にしたほうがいい」というのはすごく思います。

——今日の話でも、人との関係が何度も次の展開を生んでいましたね。

TP:人は大切にしようとしてきたので。それが巡り巡って、「顔が広いですね」って言われるようになったのかもしれないです。こっちに行っても知り合いがいるし、あっちにもいる。助けてもらえることも多いんですよ。

——今日お話を聞いていても、いわゆる尖った印象は受けませんでした。

TP:本当ですか? でも、音楽に関しては尖っていると思いますよ(笑)。

——そう、それがHUGENに出ていると思う。よく聴くと尖っているけれど、でもすごくポップじゃないですか。いろんな人が入ってこられる。

TP:HUGENって、トラックはこだわりが強くて結構バキッとしているけど、歌詞はちょっと湘南乃風チックなんですよね(笑)。あの組み合わせって、めちゃくちゃ尖っていると思うんですよ、俺は。すかしているバンドには絶対負けないぞ、という気持ちはあります。HUGENは、自分では尖っているつもり。ただ、分かりにくい尖り方をしているだけで。そこに反応してもらえるのは、嬉しいですね。

——今日お話を聞いて、TPという音楽家は10年後、20年後、30年後もずっと何かしら活動を続けている人なんだろうなと思いました。

TP:ああ、本当ですか。そうですね。いや、もう本当に音楽は大好きです。日々、救われているので。音楽は最高ですよ。

PHOTOS:MASASHI URA

1stフルアルバム「風神通り」

◾️HUGEN 1stフルアルバム「風神通り」
2026年9月16日リリース
Tracklist:
1. 風神通り
2. 納豆、水、卵
3. 流れゆく
4. 街の声
5. 実家
6. 龍の国
7. 音楽
8. kokoro
9. めのはな
10. 白灯台
配信リンク
https://linkco.re/QgntaeV6?lang=ja

公式サイト
https://www.tpsound.jp/hugen-hp

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