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「終わりは近い」――杉本博司が「絶滅写真」で示した人間への視線

PROFILE: 杉本博司/現代美術家

PROFILE: (すぎもと・ひろし)1948年東京都生まれ。70年に渡米し、74年からニューヨークと東京を行き来しながら制作を続ける。「海景」「劇場」「ジオラマ」などの代表作で知られ、写真を軸に建築や舞台芸術へと表現領域を広げている。2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞、13年フランス芸術文化勲章オフィシエ受勲、17年文化功労者、23年日本芸術院会員に選出。08年に建築設計事務所「新素材研究所」、09年に公益財団法人小田原文化財団を設立。17年には文化施設「江之浦測候所」を開設した PHOTO:NOAM LEVINGER、「相模湾、江之浦」2025年 ©Hiroshi Sugimoto Courtesy of Gallery Koyanagi(作品)

現代美術作家・杉本博司の大規模個展「杉本博司 絶滅写真」が、9月13日まで東京国立近代美術館の1階企画展ギャラリーで開催中だ。国内の美術館で21年ぶりとなる写真を中心とした本展は、1970年代後半から現在までの約60点の銀塩写真を通じて、「絶滅」という壮大なテーマを問いかける。公式図録で本人が「生前葬」と記すように、単なる回顧展ではない。自身の創作と写真というメディア、さらには人類の営みそのものを見つめ直すというものだ。

「何を残すべきなのか」という杉本博司への問いかけ

会期中、杉本にメール取材を行い、「何を残すべきなのか」「時代を超えて残るものとは何か」「現在のファスト消費社会をどう見ているか」という3つの問いを投げかけた。その最初の回答は、取材の前提そのものを問い直す一文から始まっていた。「まず、この取材テーマが、人間中心主義的な考え方ではないでしょうか」。

メールはこう続く。「価値というものを人間がどうこうできるという考えそのものが、上から目線だと思うのです。人間が傲慢の限りを尽くして、この地球を痛めつけているということを認識しないといけない。人間は動物界、生命界の生命体の一種に過ぎないのに、たまたま増えすぎて地球そのものが壊れかけようとしている。価値があるものを人間が定義しようとする、そういう人間の上から目線を改め、悔い改めることが必要なフェーズに来ている。これがこのテーマ全体への答えとなっていると思いますね」。

「何を残すべきか」という問いに対し、杉本は答えを提示するのではなく、その問いの前提そのものを問い返した。その視点を携えて展示を巡ると、見え方が変わってくる。約60点の作品は単なる代表作の集積ではない。「絶滅」というテーマを通して人類の営みを俯瞰する、1つの大きな物語として立ち現れてくる。

絶滅へとつながる、過去の傑作が結集した会場

本展は3つの章、全13シリーズで構成されている。1970年代後半の初期作品から現在に至る約60点の銀塩写真が、緩やかに時系列に沿って並ぶ。その1つ1つをたどることで、半世紀にわたる杉本の思想と創作の軌跡が浮かび上がる。これまでの作品の集大成と言っても過言ではないラインアップだ。

第1章のテーマは「時間・光・記憶」。1970〜80年代に着手され、杉本の評価を確立した「ジオラマ」「劇場」「海景」の3シリーズから始まる。デビュー作「ジオラマ」は、地球上の生物の生態をリアルに再現したアメリカ自然史博物館の展示を撮影したシリーズ。動くものの姿を止めてみせる写真を使い、逆説的に動かない剥製の姿を“あたかも命ある動物の一瞬の様子”のように見せている。

1本の映画を始まりから終わりまで長時間露光で撮影した「劇場」、世界各地の水平線を同じ構図で撮影し続けてきた「海景」。これらは、もはや説明不要なほど有名なシリーズかもしれない。

第2章「観念の形」では、人間の知性や想像力が作り出したさまざまな「かたち」を主題に、90年代末から展開された「観念の形」や「スタイアライズド・スカルプチャー」などのシリーズが続く。

「スタイアライズド・スカルプチャー」では、「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」や「ディオール(DIOR)」「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」など、名だたるブランドによるオートクチュール・コレクションのルックを撮影。「人体とそれを包む人工皮膚を近代彫刻としてみる」という彼ならではの視点で写真に収めている。

最後に待ち受ける第3章「絶滅写真」では、「前写真、時間記録装置」や「フォトジェニック・ドローイング」など、銀塩写真というメディアの始原へと立ち返る作品を展示する。さらに、ダイアナ・フランセス(Diana Frances)元英国皇太子妃や昭和天皇ら著名人をかたどったろう人形を被写体とした「肖像」シリーズや、プリズムによる分光実験を再現し、光の色彩を観測した近作「Opticks」が並ぶ。全6シリーズを通して、「絶滅」というテーマが多角的に示されている。

広々とした会場に、整然と並ぶ大判の写真作品の数々は圧巻だ。それらを「絶滅」というテーマから俯瞰すると、時代を超えて彼の作品を貫く1つの視点が見えてくる。文明や人間そのものが絶滅へと向かう過程を写し取り、そのアーカイブとして機能しているということだ。

古代より人類は文明を築き、繁栄を重ねてきた。しかし、その発展は地球全体の生態系との均衡を崩しながら進んできた歴史でもある。そうした人類史を振り返るような展示構成になっている。大都市における建築、着飾るためのファッション、放電実験から発展した電気の発明。その全てが、何かを失いながら終焉へと向かってきた人類の歩みを象徴しているようだ。

また、サテライト会場となる同館所蔵品ギャラリー3階では、未公開資料「スギモトノート」を展示している。作品の着想や撮影、暗室作業など、制作の過程が克明に記されたノートだ。その多くは技術的な記録だが、ところどころに添えられた詩的なメモからは、杉本ならではの思考の軌跡もうかがえる。

一方、1階の展示室では、作品ごとに狂歌が添えられている。ユーモアや皮肉を交えた言葉は、作品を一義的に解説するのではなく、鑑賞者の想像を静かに広げていく。写真だけでは語り尽くせない杉本の思想が、言葉によっても立ち上がってくる。

写真に残すことの意味と矜持

展示を通して改めて印象に残ったのが、写真そのものが持つ力だ。本展のテーマである「絶滅」は、銀塩写真という技法を起点に、被写体となっている文明や文化、あるいは人類そのものへと射程を広げていく。そして、フィルム写真というメディアだからこそ、終焉へと向かう世界を記録し、表現できるのだと気付かされる。

そもそも、私たちの記憶など、曖昧なものだ。建築家の脳内にあるビジョンを再現するため、20世紀のモダニズム建築を写した「建築」シリーズがある。ピントの合っていない作品にどこか安心感や親近感を抱くのは、私たちの記憶そのものがぼんやりと曖昧なものだからかもしれない。

「『PHOTOGRAPHY』の訳語を『写真』としたのは、かなり異訳だったと思う。むしろ『光子画』の方がなじむのだが、やはり写真の持つ迫真性に人々は度肝を抜かれたのだろう。(中略)天皇の肖像画は古来より『御真影』とされてきた。写真は『御真影』を撮る装置として感得されただろう。しかも高貴な人々だけでなく、庶民の真の姿をも映す」。

杉本が展示に際して公式サイトに寄せたコメントにもある通り、写真はかつて“真実”を写すものであった。しかし、デジタル技術やAIの進化によって、写真そのものの真実性が失われ、その責任の所在はあやふやになりつつある。杉本はそのクオリティーと確からしさを失わないよう、半世紀にわたって時代の変化と向き合ってきた。時に手法を変えながら、写真そのものの探究を続けてきたのかもしれない。

だからこそ、そこに映る“真実”からは時代そのものが読み取れる。「海景を撮ることは、古代の人と現代の我々が同じ風景を見ているという悠久の時間を表現することなのだが、海そのものが壊されかけているという現実。それが目に見えてわかってしまう」。杉本のこの言葉は、本展全体を貫く視線そのものでもある。

今回の取材では、「時代を超えても残るもの、また残すべきものについて、どのように考えているのか」と尋ねた。「まず、自分(人間)が残らないかもしれないということをきちんと意識しないといけない」と杉本は答える。

そんな前提のもとで彼は世の中、そして写真というメディアと矜持と責任を持って職人的に向き合い、「残す」という丁寧かつ緻密な行為を続けてきたのだろう。だからこそ、その作品には人類、あるいは後世にとって計り知れない意義が宿っているように思える。

展示を踏まえて、私たちは終焉とどう向き合えばいいのか

会場で販売されている公式図録には、担当研究員・増田玲による「絶滅写真と竹橋」と題した論考が収録されている。その結びには、このような一節がある。「展示会場をあとにした観客は、美術館正面に皇居の濠端の木々を見るだろう。(中略)それを鏡板とするならば、展覧会を見終わって駅に向かう観客がわたる竹橋は、能舞台に欠かせないもう1つの設え、橋掛かりに見立てられるだろう」。

「絶滅」という壮大なテーマを読み解く上で、東京国立近代美術館という場所そのものを、能楽の演出やプロデュースを手掛けてきた杉本になぞらえてユニークに表現した文章だ。展示を巡っていると、どこか不思議な感覚に包まれる。能楽の物語の中へ迷い込み、悠久の時間軸へと誘われるような感覚だ。

しかし「Opticks」シリーズを通り過ぎ、「ジンズ(JINS)」が「シグマ(SIGMA)」と共同で制作した作品「CAMERA MAN」を最後に、展示は突然終わる。真っ暗な会場を出ると、エントランスの大きな窓から自然光が差し込み、一気に私たちを元いた現実へと引き戻す。根源的な問いだけを胸に残したまま建物を出ると、目の前には図録で語られていた竹橋が静かに架かっている。

前述の事前インタビューで杉本は「終焉」に対して、「何事にも始まりがあって終わりがあるということ」「諸行無常」などの表現を用いており、否定も肯定もせず、ただ受け入れているように見える。展示に寄せたコメントには「私は銀塩写真の寿命と私の寿命とが響き合っていることに幸せを感じている」とある。

ここで、3つの回答のうち、最後の問いを思い返す。「現在のファスト消費社会をどう見ているか」という質問だ。「終わりは近い」。最もシンプルな回答である。文面である以上その真意は断定できない。しかし、杉本の回答はどれも明確な“正解”を示すものではなく、考えるきっかけとなる問いそのもののようにも思えた。それは作品や展示においても同じ。彼は決して一様な正解を提示していない。さらに真意を聞いてみたいと思わせる一方で、それ以上の考える余白を残してくれたのだと思えば、これほど豊かなことはない。

「残すべきもの」と「その価値」は、一様に定義できるものはない。それ自体が人間本位な考え方なのかもしれない。しかし、残されてきた(あるいは誰かが残してきた)過去から、私たちは何を感じるのか。この先に待つ終焉の予兆とどう向き合うのか。それは作品や杉本の言葉に触れた私たち一人一人が考えるべきことなのだろう。それこそが、本展、そして杉本作品の大きな魅力なのかもしれない。

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