PROFILE: 冥丁(MEITEI)

環境や記憶、身体感覚から音を立ち上げる音楽家、冥丁(Meitei)。広島での10年を経て、現在は京都を拠点に活動している。ライブを経て再構築された最新作「瑪瑙(めのう)」を4月17日にリリースし、18日には京都・清水寺で奉納演奏を行うなど、その表現は“場”との関係性へと拡張しつつある。
しばしばアンビエントと評されるが、その制作はジャンルに依存しない。自身の実感を起点に音を紡ぐ姿勢の延長にあるのが、冥丁が提唱する“失日本(Lost Japanese mood)“という概念だ。それは既存の日本像ではなく、個人の記憶や原風景に根ざした曖昧で不安定な感覚。京都という土地で、その感覚はどのように更新されているのか。現在地と今後の展望を聞いた。
京都で過ごした時間の層

――京都を拠点にした現在の環境は、これまでの制作とどう接続していますか?
冥丁:京都に住むのは今回で3度目なんですが、「戻ってきた」というよりも、時間の層にもう一度入っていくような感覚があります。同じ街でも、大学時代、20代、そして今とで見え方がまったく違う。街自体は大きく変わっていないのに、人の空気や振る舞いが変化していて、それが新鮮なんです。
今住んでいる京町家も象徴的で、一階は昼でも暗くて、庭にだけ上から光が落ちてくる。そのコントラストの中にいると、視覚というより身体的に「光と影の分離」を感じるんです。それが音にどう変わるのかはまだ分からないですが、内部で何かが動いている感覚はあります。
――制作における環境の役割は?
冥丁:自分の場合、音楽は環境から切り離せないですね。広島での10年は、尾道や瀬戸内海の風景がそのまま音に影響しています。「古風」や「怪談」は、あの土地がなければ生まれていない。
例えば広島は平和教育が身近なので、“平和 (Heiwa)”や“廣島(Hiroshima)”も自然に出てきたものです。テーマを設定したというより、生活の中で考えていたことがそのまま音になった。
制作というよりは、「受け取る」という感覚に近い。街を歩いて、匂いや湿度、光の具合を体感して、それをどう音に置き換えるかを試していく。環境が変われば音も変わるはずなので、京都での生活がどう影響するのかは自分でも興味があります。
――その姿勢は、ジャンルやシーンとの距離の取り方にも表れているようです。
冥丁:そうですね。結果的にアンビエントと呼ばれることはありますが、自分では一度もアンビエントを作ろうと思ったことはないんです。ジャンルに対する意識はかなり希薄だと思います。
20代の頃、音楽制作を始めた時期に機材を揃えても全く曲ができなかった時期がありました。そのときに気づいたのが、自分がずっと誰かのフォロワーでしかなかったということ。欧米の音楽を聴いて、それをかっこいいと思って、その延長で何かを作ろうとしていたけど、それでは自分の音楽にはならない。それで一度、持っていた機材をほとんど手放して、Macだけで制作するようにしたんです。極端なやり方だったと思いますけど、その時に初めて、自分の中に残るものは何なのかを見ようとした。それが今の制作の起点になっています。
――かなり思い切ったんですね。
冥丁:当時はアナログが好きで、テープやMTRもいくつも持っていましたけど、機材が増えるほど曲ができなくなったんです。なぜかと考えた時に、すべて過去の偉大なミュージシャンの延長線上にあるものだった。自分の発想ではなくて、誰かの文脈に依存していたんですよね。今でも基本はシンプルで、「キューベース(Cubase)」だけで完結しています。必要最低限の環境で、自分の発想に集中するためです。
――どこかアルチザン的な側面も感じます。
冥丁:自分では意識していないですが、結果としてそう見えるのかもしれません。音楽シーンには既存の価値基準があって、「いい音楽」とか「かっこいい」とされるものがあります。でも、その基準だと、どうしても誰かの延長線上にしかならない。さきほどのアナログ機材を一掃した理由も何が残るのかを確かめたかったから。自分の歴史、自分の視点から音を作る。それを突き詰めると、結果的に職人的に見えるのかもしれませんが、意識としてはむしろ個人史に近いですね。
例えば、京都の宇多野という場所に広沢池という池があって、夏の夜に行くと、すごく独特な香りがするんですよ。もちろん客観的に証明できるものではないんですけど、自分にとっては強く印象に残る匂い。ここでは昔から歌人が訪れて、月を詠んだりしている場所でもある。そういう歴史的な文脈と、自分がその場で感じた感覚が重なったときに、「一句詠む」という行為が、自分にとっては「一曲作る」ことに置き換わったんです。この体験が元になって“池(Ike)“ができたんですけど、誰かの音楽を参照して作るのではなく、自分がその場で感じたものをそのまま音にする。その方法が、この頃から明確になっていった気がします。
個人史から立ち上がる“失日本”

――個人史的な音楽制作は、どのように形成されたのでしょうか?
冥丁:きっかけはシンプルで、ギターを弾いていた頃は好きなミュージシャンの影響から抜け出せなかったから。そこで初めて「自分は何を作りたいのか」を考えたんです。
京都に移ってからは、街をひたすら歩きました。音楽を聴くのではなく、風景や匂い、空気を感じたまま音に置き換える。“誰か“の音楽からではなく、自分が見たものから音を作るプロセスです。
――その延長に“失日本“という概念がある。
冥丁:その感覚に近づいていったんだと思います。京都を歩きながらずっと考えていたのは、「日本とは何か?」という問いでした。既存の定義に違和感があったんです。伝統音楽や商業音楽が日本とされるけれど、自分にとっての日本は、もっと個人的で、曖昧で、不安定なもの。
例えば、自分の場合は、子どもの頃に寂れた祠が近所にあって、それを見ながら育ったんですが、この原風景は自分にとっての事実。その事実を表現する方が、よほどリアルなんじゃないかと思ったんですよ。売れないとか、かっこ悪いという理由は、むしろ不自然。重要なのは、世の中にある正しさではなく個人の実感です。主流か非主流かではなく、その人の中にある事実。“失日本“は、そういう個人的な事実を音として提示するための考え方でした。
――過去への視線や広島での10年といった時間の蓄積もこれまでの作品に影響していると思うのですが、単純な懐古から生まれているわけではないとも感じました。
冥丁:作品で辿ると、「怪談」と「小町」、EPの「夜分」は、楽曲的にも一部重なっている部分があります。ただ、それ以上に大きな共通点として、この3作はすべて第三者の楽曲からのサンプリングを一切していません。「怪談」の朗読も含め、音の素材はすべて自分で用意しました。
この時期は、自分の手持ちの要素だけで答えを提示しようとしていた段階だったと思います。自分の中にある“日本の見え方”を、そのまま差し出すような感覚。ただ、それは非常に個人的な作業でもあり、内側だけで完結してしまう危うさも感じていました。どこまでいっても主観に留まってしまう。だからこそ別の方法が必要だと思い、広島で制作した「古風」では、初めて第三者の音楽をサンプリングとして取り入れました。すでに存在している“日本的な音”をあえて重ねることで、自分の内側から出てきた日本像との距離が生まれ、結果として複数の視点を内包する構造になったと思います。それまでとは明確に異なるアプローチでした。
――音楽もですが、例えば「泉涌(せんにゅう)」で制作した写真集のような視覚表現も、その延長線上にあると捉えられますか?
冥丁:そうですね。「泉涌」では、登録有形文化財である別府の竹瓦温泉を撮影したんですが、あの写真を見た海外の友人が「薄気味悪くて汚い風呂だ」と言ったんです。でもそれはその人にとっての正直な感覚で、否定するものではない。むしろ、そう見えるという事実があるからこそ、自分はあの写真を出すべきだと思ったんです。自分が感じたものと他者が感じるもののズレ。その両方が並んだときに、初めて見えてくるものがある。「泉涌」は写真家の岡本裕志さんと一緒に制作を進めていったんですが、音楽だけでなく視覚も含めて一つの文脈を作るという意味では、自分にとっても転換点でした。
――アンビエントとしての海外評価については、どう受け止めていますか?
冥丁:正直に言うと、こういう音楽でも成立するんだという驚きはありました。ただ、自分としてはアンビエントをやっているつもりはなかったので、なぜそう評価されるのかは疑問でした。さらに海外だとアンビエントやニューエイジの文脈で語られることが多い一方で、日本ではロックバンドと一緒にブッキングされる方が多い。評価のズレがある中で感じるのは、ジャンルよりも個人性です。商業的か非商業的といった、誰かが定義した物差しではなく、その人自身が見たもの。その強度に対して人は反応しているのではないかと思っています。
――音の作り方においても、そうした個人的な感覚が反映されているように思います。
冥丁:かなり意識しています。一般的に「良い音」とされるものは、輪郭がはっきりしていて強度がある。でも僕はそれをあえて選ばない。例えば、リズムもシーケンスで揃えるのではなく、手で一つずつ打ち込む。そうすると必ずブレるんですが、そのブレをそのまま残す。均一ではない、不安定な状態を保つことが重要です。
――意図的に音の強度を増したくないと。
冥丁:そうそう。結果として音圧は出ないし、弱い音になるんですけど、そのほうが全体の密度や没入感は出ますよね。音を前に出すのではなく、少し奥に置くことで、全体としての質量を感じてもらうことが、自分の中での「日本的な音」のイメージに近いですね。
ライブが変えた音の構造
――新作の「瑪瑙」はライブを経て再構築された、従来の制作とは異なるアプローチです。
冥丁:これまでの作品はコンセプトを先に立てて、そのための音を組み上げていました。でも「瑪瑙」は逆で、ライブの中で変化していった楽曲を収録しています。実は34歳までライブをやったことがなかったんです。初めてステージに立った時、自分の音楽が全くライブ向きじゃないと気づいて、そこからアレンジを変え続けて、どの形がいいのかを探っていきました。何十回も演奏する中で形が変わっていって。エイブルトン(Ableton)でサンプルを再構築しながら毎回少しずつ違う演奏をするという反復の中で、最終的な形が見えてきました。当初は違和感があったんですが、次第にデジタルでラウドな要素が加わっていって、その変化自体が「瑪瑙」というアルバムにまとまったという感覚です。
例えば冒頭の“覇王(haō)”は、明らかにステージ経験から生まれた曲。2022年にヨーロッパツアーから帰ってきて、国内で初めて演奏したときに、ああいうタイプの曲がすごく機能したんです。そのとき初めて「ステージのために曲を作る」という感覚が湧きました。「瑪瑙」にはそういった経験がすべて入っています。スタジオだけでは生まれなかった音ですね。
――内省的な制作とライブでの他者との関係の両方を経験した今、どちらに重心を置いていますか?
冥丁:本音を言うと、作曲している時間が一番好きです。こもって音と向き合う時間が一番純粋ですね。ただ、「瑪瑙」に関しては他者の反応を経て完成しているので、これまでとは違う意味での確信があります。1人で完結する制作と、他者を通じて磨かれる制作の両方が必要なのかもしれません。

――4月18日の奉納演奏の構成についてはどのように考えていますか?
冥丁:清水寺での奉納演奏を公に行うのは今回が初めてですが、過去に一度経験しています。ただ、それを“集大成“として特別な何かを見せる場だとは捉えていません。演奏の形態も大きく変えるつもりはなく、最終的にどう結実するかはその場に委ねられる部分が大きい。作品を意図的に“変容させる“というより、環境の中で自然にどう変わるのかを受け入れる感覚に近いです。
当日は、観音様と向き合って演奏することになると思います。観客に向けたパフォーマンスでありながら、同時に“場に対して行うもの“でもあるという前提が、通常のライブとは異なる意識を生んでいると思います。だからこそ、特別な表現を加えるのではなく、これまで積み重ねてきたものを率直に差し出すことが自分の役割だと考えています。機材や演出も普段と変えず、アレンジや即興に生まれる揺らぎも含めて、“いつも通り“の延長として臨むつもりです。一方で、この場の意味については考えています。これまでこうした場所に立ってきたのは、伝統性や商業性、あるいは歴史的な正当性といった、明確な位置づけを持つ人たちだったはずです。
そうした中で、自分のような存在にご縁が巡ってきた理由は何なのか。もしかすると、今の社会は単一の“正しさ“を求めていないのかもしれない。あるいは、これまで機能してきた価値基準に対する違和感が、別の選択を生んでいる可能性もあると感じています。正しさが1つでないように、選ばれる理由もまた1つではない。その前提を受け入れた上で、自分がここに立つ意味に誠実に向き合うというのが今回の奉納演奏に対するスタンスです。
――今後の表現や取り組みたい領域について教えてください。
冥丁:次の作品についてはまだ何も決まっていませんが、今の京都での生活が反映されるのは確実なので、「古風」編で表現した音量感や疾走感のある表現は出てこないでしょうね。それよりも、音楽単体ではなく企画として表現していきたい気持ちが強いですね。音楽、写真、空間を含めた総体として提示する。“失日本“というテーマも、音楽だけではなく複数のレイヤーで見せていく必要があると思っています。
日本的な場所での表現をさらに深めていきたい。寺院や歴史的空間での公演など、その場所の雰囲気と音楽を同期させるように、そうした場所でどのような音が立ち上がるのか。その違和感や不安定さも含めて、表現として成立させたいと思っています。
音楽は聴くもの、演奏するものというだけでなく、何かを作用させる媒体にもなり得る。その可能性をこれからも探っていきたいです。
PHOTOS:Y.SAKURAI
MEITEI・冥丁/SHIN-OIRAN・新花魁 (Official Video)
MUSIC:MEITEI・冥丁
FILM:Kouichi Toya
Ⓟ & © 2026 KITCHEN. LABEL

■トラックリスト
1. 覇王(未発表新曲)
2. 新花魁(古風 2020年「花魁Ⅰ」再編成)
3. 新貞奴(古風 2020年「貞奴」再編成)
4. 新和蝋燭(古風Ⅲ 2023年「和蝋燭」 再編成)
5. 旧劇(古風Ⅱ 2021年「修羅雪姫」「黒澤明」再編成)
6. 新花魁Ⅱ(古風 2020年「花魁Ⅱ」再編成)
7. 新江戸川乱歩(古風Ⅲ 2023年「江戸川乱歩」再編成)
CD 3520円
LP 5940円
■奉納演奏
日程:4月18日
会場:音羽山 清水寺 本堂舞台
住所:京都府京都市東山区清水1-294
時間:19:30(開場)、20:30(開演)
料金:8000円(本堂舞台 着席席)、5000円(本堂舞台 スタンディング)、4000円(奥の院 着席席)