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アカデミー賞受賞作「ANORA アノーラ」のショーン・ベイカー 「誰かが気分を害することがあっても、リアルに語ることが大事」

PROFILE: ショーン・ベイカー/映画監督

PROFILE: この20年で八本のインディー長編映画を生み出したシナリオライター、監督、製作者、編集者。前作「レッド・ロケット」(21)は第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でプレミア上映。「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」(17)は第70回カンヌ国際映画祭監督週間でプレミア上映、国際的に高い評価を得た。「タンジェリン」(15)は第31回サンダンス国際映画祭でプレミア上映され、インディペンデント・スピリット賞で作品賞、監督賞を含む4部門にノミネート、2つのゴッサム・インディペンデント賞を受賞した。「チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密」(12)は第28回インディペンデント・スピリット賞ロバート・アルトマン賞を受賞、それに先立つ2作品「Take out」(04)、「Prince of Broadway」(08)は共にインディペンデント・スピリット賞のジョン・カサヴェテス賞を受賞している。

ショーン・ベイカー(Sean Baker)はインディペンデントの映画作家として、アメリカ社会に生きる弱者たちに光を当てて、物語を描き続けてきた。最新作「ANORA アノーラ」は、ニューヨークのブルックリンでストリップダンサーをしながら暮らすロシア系アメリカ人・アノーラ(マイキー・マディソン)のシンデレラストーリーと、その先を描く物語だ。2月28日の日本公開直後、第97回アカデミー賞で5部門受賞という最高のお土産を携えて3度目の来日を果たしたベイカー監督に、単独インタビューを行った。

※本インタビューでは物語の結末に触れています。未見の方はご注意ください。

アカデミー賞を受賞して今思うこと

アカデミー賞の数カ月前、「ANORA アノーラ」は第77回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した。「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」や「バービー」などの脚本・監督作でジェンダーロールについての価値観をアップデートし続けるグレタ・ガーウィグが審査委員長なので驚きはなかったが、高齢白人男性が多数を占める投票者たちが、ショーン・ベイカーにオスカーを与えたことはうれしいサプライズだった。こちらの勝手な戸惑いを踏まえて「オスカーを欲しいと思ったことはありますか?」と質問すると、ベイカー監督は「これは今まで一度も話したことがないのですが……」と切り出した。

「今、思い出しました。ニューヨーク大学の入学試験でエッセイの課題があり、私は自分がオスカーを受賞した設定でスピーチを書いて提出したんです。つまり質問に対する答えは『イエス』です。その後、私はインディーズの映画作家としてのキャリアを歩み始めたので、私が作っていたタイプの映画ではオスカー受賞は難しいのかなと思っていましたが、こうしてオスカーは私たちのところに来てくれました。あのエッセイ、探し出さなくては(笑)」(ショーン・ベイカー、以下同)。

やはり自分とは縁遠い賞として認識していたようだが、「ANORA アノーラ」は6部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演女優賞(マイキー・マディソン)、脚本賞、編集賞の5部門でオスカーを獲得した。逃した部門は助演男優賞(ユーリー・ボリソフ)のみという高打率だ。最多ノミネートの「エミリア・ペレス」が、主演女優のSNSにおける過去の発言が問題視されたことで賞レースから脱落したという見立てもあるが、ベイカー監督はアカデミー賞が「ANORA アノーラ」を歓迎したことをどう分析しているのだろうか。

「ここ数日間、私たちはそれを分析しています。そこに数式があるならば、また受賞を狙うために知っておきたいので(笑)。まだ分析は終わっていませんが、潮目が大きく変わったとは思います。ご存知の通りつい最近、投票権を持つアカデミー会員に多くの若い会員が加わりました。その影響もあるのかなと思います。そしておそらく昨今の観客が、映画に、エンターテインメントに求めるものが変わってきている。この作品にどのような要素があったのかというと、現代的なテーマを、今現在起きていることのように描いてはいますが、作り方としてはクラシカルな手法をとっている。それがひとつ功を奏したのかなと思います。特殊効果を使わず、フィルムで撮っている。1970〜80年代の映画に大きな影響とインスピレーションを受けている映画なので、観客に『ああ、こういう映画、昔あったな』と思い出させることができ、観客はこういう映画をもっと見たいと思うのだと思います」。

「お茶を濁すような描写はしたくなかった」

ベイカー監督は、70年代の映画からスタイルと感受性において影響を受けていると発言している。ハリウッドのニュー・シネマだけでなく、同時期のイタリアやスペイン、日本の映画にも。ベイカー監督が主演のマイキー・マディソンに、梶芽衣子主演の「女囚701号 さそり」を参考資料として渡したというエピソードから分かるように、本作における性描写やアクションシーンはストレートでパワフル、そしてエンターテイニングだ。今回の「ANORA アノーラ」にそのエッセンスを採用した理由とは。

「今回のテーマを描くにあたり、お茶を濁すような描写はしたくなかったので、70〜80年代のスタイルを採る必要がありました。『こんなふうに描いたらちょっと反感を買ってしまうだろうか?』という心配をすることなく、真正面から描きたかったんです。最近は映画、そしておそらくメディア自体がとても安全で穏やかになってしまっていて、『誰かのトリガーになりそうだからこういう表現は避けて、もっと優しくマイルドに描こう』という傾向がありますが、私はそういう流れに食傷気味です。いい意味で挑発的なストーリーテリングは、決してヘイトを込めたものではなく、誰かが気分を害することがあっても、リアルなストーリーをリアルに語ることが大事だと思っているので、今回のようなアプローチになりました。『G-rated(一般視聴者向け/全年齢対象)でいこう』というマインドセットにはもう飽き飽きです」。

セックスワーカーに関する映画を作る理由

「ANORA アノーラ」の主人公は、ロシアにルーツを持つアメリカ人女性のアノーラだ。ニューヨークのブルックリンに暮らす彼女は、ストリップダンサーを生業としている。ベイカー監督は、孤独な老婦人と交流する若いポルノ女優(「チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密」)、トランスジェンダーの娼婦(「タンジェリン」)、貧困に追い込まれて売春を始めるシングルマザー(「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」)、落ちぶれた元ポルノスター(「レッド・ロケット」)など、社会の片隅にいるセックスワーカーの人生にフォーカスを当てて物語を生み出してきた。この題材がフィルモグラフィーの半分を占めるとなると、個人的に相当強い思い入れがあるのではないか……? とどうしても思ってしまう。

「正直に言うと、セックスワーカーに関する映画を5本連続で制作することを望んでいたわけではありません。作品を撮っていく中で、彼らの世界をずいぶん時間をかけて広範囲にわたりリサーチしてきたので、1つの映画が有機的に次の映画につながっていった結果、5本の映画になりました。そうは言っても私の意図は、最初に『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』を作ったときから変わっていません。この職業に対する偏見はフェアではないという、私のリアクションが映画になっていると言えます。私の意図は、これらのキャラクターに人間味を持たせ、普遍的なテーマにおいて彼らに当てはまる物語を作ること。それを少しずつでも実現したいと思っています」。

「タンジェリン」で来日した際のインタビューで、ベイカー監督は筆者に「まだ語られていない物語を語りたい」とコメントした。今回彼は、ニューヨークの、ロシア系やウクライナ系の住民が多く住むリトル・オデッサと呼ばれるエリアを舞台に、ストリップダンサーのアノーラが孤軍奮闘する物語を生み出した。どんな目にあっても屈することなく、心身ともに強靭なアノーラの勇姿に「いいぞ!」と拍手喝采しながら見ていたら、ラストシーンで彼女が初めて子どものように泣きじゃくったときに、強くなければ生き抜けなかった彼女の半生が伝わってきて号泣せずにはいられなかった。だが筆者は、アノーラがロシア人男性・イゴール(「コンパートメントNo.6」のユーリー・ボリソフ!)の前でようやく自分の感情を解放できたという意味で、ラストシーンをハッピーエンドだと受け取った。片や、恋愛が成就しなかったという意味でアンハッピーエンドだと解釈したという人にも会った。ベイカー監督にそれを伝えた上で「どちらの意図で作りましたか?」と尋ねると、「そのように解釈が分かれたということが非常にうれしいです」とこの日一番の笑顔を見せた。

「なぜならば、オープンエンディング(解釈を観客に委ねる結末)にしたつもりだからです。私自身は、おそらくその中間にいると思います。彼女の人生は明らかに不当に扱われてきたという意味で悲劇的ですが、最後のシーンは一人の人間と人間が真につながった瞬間だと思っているので、私はそこに希望を見いだしています」。

本作のイゴールは、「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」でウィレム・デフォーが演じたモーテルの管理人・ボビーにも重なる、主人公である女性を利用も搾取もしない、守護天使のような存在だ。それはそのまま、世界の片隅にいる弱者に対するショーン・ベイカーのスタンスに重なって見えてくる。

「『あの2人を自分の分身だと思っているでしょ』というツイートはよく見かけました(笑)。私はまったくそんなつもりはなくて、あくまでもストーリーの中で観客が最も共感できる、ニュートラルで倫理基準となるキャラクターとして置きました。『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』や『ANORA アノーラ』を見て、『主人公は私だ』と思う人は決して多くないと思うんです。ボビーやイゴールは、そういう観客が物語に入り込むための入り口になってくれるキャラクターであり、彼らの主人公に対する感情を通して、観客は主人公とのつながりを感じると思っています」。

「配信のための作品は、絶対に作りません」

インディーズの映画作家として彼が作るものは、ストーリーやキャラクター、設定は変わっても、その根底に流れるものも、世界に対する彼の眼差しも一貫している。だが、カンヌとアカデミー賞を受賞したことで環境はどうしたって変わるだろう。まず、企画のオファーはたくさん届いているのか? そして、アカデミー賞のスピーチで映画館に対する愛を語っていたベイカー監督が、配信作品を手掛ける可能性は?

「最初の質問への答えとしては、意外とオファーは来ていません。私は自分がインディーズの映画作家であり、自分で脚本を書いて、企画して、プロデューサーも務める監督であるということを声高に言ってきたからか、オファーしても断られると思われているのかもしれません(笑)。もちろん少しはオファーをいただいていて、それはすごくうれしいオファーであったりもします。これからの映画作りの話をすると、パルムドールの受賞と『ANORA アノーラ』の成功により、我々は、我々が作りたい映画を、我々が作りたい方法で作り続けることができるんだ、という自信になりました。なので、今までのやり方を変えるつもりはありません。そして配信のための作品は、絶対に作りません。映画作家たちは劇場で観るための作品を作っているし、少なくとも私は劇場で観るという観賞の形態が、映画にとってベストだと思っています。その価値観は今後も変わりません。劇場公開から6カ月後に配信されて、ホームエンターテインメントとして観られるという副次的な楽しみ方はされても構いません。でも私は映画館で上映するための映画を作りたいし、劇場ならではの共同体験を提供したいと思っているので、その思いをリスペクトしてくれる配給会社とだけ組みたいと思っています」。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

「ANORA アノーラ」

NYでストリップダンサーをしながら暮らす“アニー”ことアノーラは、職場のクラブでロシア人の御曹司、イヴァンと出会う。彼がロシアに帰るまでの7日間、1万5000ドルで“契約彼女”になったアニー。パーティーにショッピング、贅沢三昧の日々を過ごした2人は休暇の締めくくりにラスベガスの教会で衝動的に結婚。幸せ絶頂の2人だったが、息子が娼婦と結婚したと噂を聞いたロシアの両親は猛反対。結婚を阻止すべく、屈強な男たちを息子の邸宅へと送り込む。ほどなくして、イヴァンの両親がロシアから到着。空から舞い降りてきた厳しい現実を前に、アニーの物語の第2章が幕を開ける――。

■「ANORA アノーラ」
全国公開中
監督・脚本・編集:ショーン・ベイカー 
製作:ショーン・ベイカー、アレックス・ココ、サマンサ・クァン
出演:マイキー・マディソン、マーク・エイデルシュテイン、ユーリー・ボリソフ、カレン・カラグリアン、ヴァチェ・トヴマシアン
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
2024 年/アメリカ/カラー/シネスコ/5.1ch/139分/英語・ロシア語/R18+  
©2024 Focus Features LLC. All Rights Reserved. ©Universal Pictures
https://www.anora.jp

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