PROFILE: デルフィーヌ・ジェルク/ゲラン専属調香師兼フレグランス クリエイション ディレクター

「ゲラン(GUERLAIN)」は8月28日、新作フレグランス“ルール ブルー オーデパルファン”(30mL、1万2320円/50mL、1万7600円)を発売する。1912年に誕生した初代“ルール ブルー”は、日の出前と日の入り後、空が深い青色に染まる時間帯「ブルーアワー(フランス語でルールブルー)」をコンセプトにした香りだ。当時、ゲラン3代目調香師ジャック・ゲラン(Jacques Guerlain)はまるで印象派の絵画のような情景に感動し、アイリスやバイオレット、バニラによって移ろう空の美しさと感情の揺らぎを表現した。100年以上経った今も、メゾンを象徴する名香として親しまれている。
今回発売する新作は、初代“ルール ブルー”の再解釈ではない。同じブルーアワーという情景を出発点に、ゲラン専属調香師兼フレグランス クリエイション ディレクターのデルフィーヌ・ジェルク(Delphine Jelk)が新たな香りとして創作した。発売を前に来日したジェルク調香師に、創作の背景や香りに込めた思いを聞いた。
「ブルーアワー」から受け取る感情は変わらない
WWD:ブルーアワーという情景から新たな香りを作ろうと思った理由は?
デルフィーヌ・ジェルク=ゲラン専属調香師(以下、ジェルク):“ルール ブルー”は私が大好きなフレグランスの一つです。特に肌に残る香りが好きで、どこか赤ちゃん向けのボディーケア商品を思わせるような優しさがあります。ジャック・ゲランが生み出したフレグランスの魂を尊重しながらも、新しい香りを作りたいという思いがありました。
WWD:今回のクリエーションで最も大切にしたことは?
ジェルク:私にとってブルーアワーは、繊細な感情の動きを象徴する時間です。束の間の現象なので、周囲の美しさに敏感でなければ見逃してしまいます。その詩的で微妙な感覚を香りで描き出したいと思いました。ブルーアワーから受け取る感情自体は、1912年当時も今も変わっていないと思います。ただ現在は香料のパレットがはるかに豊かになり、その感情を表現する方法が広がりました。
私は印象派の絵画において、青のさまざまなグラデーションや輪郭の曖昧さに魅力を感じています。そこにはシャープな直線ではなく柔らかな表現があり、優美で穏やかな女性らしさがにじんでいます。そうした世界観を香りへ落とし込みたかったのです。
オゾニックアコードで「空の香り」を表現
WWD:オゾニックアコードを採用した理由は?
ジェルク:ジャック・ゲランのクリエイションを尊重することが重要でした。同時に、新しいフレグランスを作りたいとも考えていました。オゾニックアコードを構成するカスカロンという香料が、私の思い描く「空の香り」を表現するのに最適でした。「ゲラン」で使うのは初めてではありませんが、これほど大胆な量を用いたのは初めてです。これまではフレッシュさを加えるために少量だけ使用していましたが、今回は澄んだ空気、息吹、そして青空を表現するために香りの中心に据えました。
WWD:この香りでどのような感情を表現したのか?
ジェルク:日が沈み、夜が訪れる直前の時間です。少し肌寒くなり、ジャケットが欲しくなるような瞬間。そこには何かが起こりそうな予感や、身震いするような高揚感、そしてスリルがある。その震えのような感覚を表現したいと思いました。
WWD:ジャック・ゲランが新作の“ルール ブルー”を香ったら、どのような反応を抱くと思うか?
ジェルク:きっと共感してくれると思います。私自身が“ルール ブルー 1912”を嗅いだ時に、彼が何を表現しようとしたのかを感じられるからです。ブルーアワーを表現するために、アイリス、オレンジブロッサム、バニラを採用したのは最良の選択だったと思います。そこから生まれる柔らかさや静けさ、ロマンティシズムは変わりません。そこに足りなかった空の香りを、現代の香料によって加えることができました。だから彼も喜んでくれるのではないかと思います。
WWD:ジャック・ゲランの精神を守るために、あえて変えなかった部分は?
ジェルク:ボトルのデザインです。私は香りを作る時にムードボードを作り、アイデアや美意識を可視化することを大切にしています。今回、最初にムードボードへ貼ったのは、「バカラ(BACCARAT)」製クリスタルボトルに収められた“ルール ブルー”の写真でした。“ルール ブルー”が別のボトルに入っている姿は考えられません。
香りは自分自身のためにまとうものへ

WWD:“ルール ブルー 1912”が誕生した時代と現在では、香りに求められる価値はどのように変化したと感じている?
ジェルク:12年当時は、現代ほどフレグランスの選択肢がありませんでした。香りは社会的な地位を示すものであり、女性らしさや官能性を表現する手段でもありました。今では、その役割は変わりつつあります。人々は香りを周囲のためではなく、自分自身のためにまとうようになっています。気分を高めたり、心のバランスを整えたりするためです。
特にコロナ禍を経て、多くの人が嗅覚の重要性に気づきました。嗅覚を失うことで気分が落ち込んでしまった人もいます。香りにはウェルビーイングを支える力があり、人々はその価値を改めて認識するようになっています。
WWD:この香りを通して、女性たちにどのような感情を抱いてほしいか?
ジェルク:自分らしさを感じてほしいです。私は、女性が官能性を引き出すためにフレグランスをつけなければならないとは考えていません。むしろ人生に立ち向かうためのお守りのようにまとってほしい。気分をリフレッシュし、自分自身のウェルビーイングにつながる香りであってほしいのです。香りには人を前向きにし、自信や活力を与える役割があります。フレグランスは、自分自身をより良い状態へ導くための秘密兵器のような存在です。
ボトルには、暁と夕闇の空を思わせるブルーのグラデーションを採用しましたが、「男の子はブルー、女の子はピンク」という時代は終わったと考えています。私自身ピンクは好きですが、四六時中そういう気分というわけではありません。女性はもっと複雑で多面的な存在です。青は空の色であり、静けさと信頼の色。この香りもまた、一つのイメージに女性を当てはめるためではなく、それぞれが自分らしくいるための香りであってほしいと思っています。
ヘリテージと現代をつなぐ調香師の仕事
WWD:歴史ある作品と同じコンセプトから新たな香りを創作する上で、どのような挑戦があったか?
ジェルク:ゲランの調香師兼フレグランス クリエイション ディレクターを務めるということは、常にブランドの歴史的な遺産と現代との間に橋を架けることだと思っています。そして私はその仕事が大好きです。私は今を生きる女性として、今を生きる女性へ向けたフレグランスを作りたいと考えています。一方で、「ゲラン」には非常にユニークな遺産があり、それは常に私にインスピレーションを与えてくれます。
長年ゲランで専属調香師として働いてきたので、今ではブランドの遺産は自分の一部のような感覚になっています。新しいフレグランスを生み出すことはいつも挑戦ですが、同時に「ゲラン」の歴史や価値観が自分の中に自然に息づいているのが当たり前になっています。
WWD:近年は多くのラグジュアリーメゾンがヘリテージやアーカイブに注目している。過去の作品をオマージュし、今改めて世に送り出す意義をどのように捉えている?
ジェルク:「ゲラン」には長い歴史があり、宝物のようなアーカイブが数多くあります。ヘリテージにオマージュを捧げることは重要な責務です。そうしなければ歴史は忘れられてしまうかもしれません。今回のような新しい香りを発表することで、“ルール ブルー 1912”にもまた光が当たる。それは大きな意義だと感じています。
WWD:“ルール ブルー 1912”を愛してきたファンと、この香りで初めてブランドに触れる人、それぞれにどのような体験を届けたいか?
ジェルク:長年“ルール ブルー 1912”を愛してきた人は、ぜひそのまま愛用し続けてほしいです。一方で新たにブランドを知る人には、どちらも楽しんでほしい。新しい香りはオリジナルに取って代わるものではなく、それぞれに異なる魅力があると思っています。
WWD:さらに100年先、“ルール ブルー”はどのような存在になっていると想像するか?
ジェルク:私は、次の100年も愛されるフレグランスを目指して作りました。100年後には、また別の調香師が新しい香りを生み出しているかもしれません。その頃には、今は存在しない新たな香料が誕生している可能性もあります。時代が変わっても、人々がブルーアワーに心を動かされることは変わらないのではないでしょうか。