ファッション

義足製作からシューズ販売員へ 医療知識を駆使、足から延ばす健康寿命 京王百貨店小川直子

 かつては人生60年時代と言われていたが、今では人生100年時代に突入している。街を見ていると元気なシニア層が増えた。だが、高齢になると足腰の強さが寿命にも直結してくるらしい。高齢者に限らず、少々歩きにくいがデザインに一目ぼれして買った靴なのに、結局まったく履かない……とか、出かける時は痛くなかったのに一日歩き周り、帰る頃には足が痛くて憂鬱になる……なんていうこともあるのではないだろうか。京王百貨店新宿店婦人靴売場の小川直子さんは、約16年に渡り、義足の設計・開発・製作に関わってきたユニークな経歴を持つ。小川さんは、デザインと機能の両面を考えて選ぶ必要がある“靴の販売”に未来を感じたという。

―建築設計から義足製作、さらに靴の販売へ至った経緯は?

小川直子さん(以下、小川):最初の設備設計の仕事は立て続けに2社も傾き、それなら義手や義足製作で設計の知識が役に立つだろうと医療業界に行きました。入社した義肢装具制作会社は独創性に富み、患者に寄り添い、パーツが合わなければ何度でも修正して良いものを作ろうとする会社でした。ですが、この会社も利益面の問題で経営者が変わることになり、大変悩みましたが医療業界から離れてみることにしました。

―医療業界の方が、収入や業界的にも安定しているようにも思うのですが……。

小川:介護業界も考えましたが、今まで培ってきた知識を生かせることを仕事にしたかったんです。販売職は未知の仕事でしたが、改めて自分に何ができるかと考えたときに「靴も医療の延長上にある」と思ったんです。義足を作っていた時から患者さんに「どんな靴を履いたらいい?」という相談をされたこともあり、担当ではなかったですが整形靴も会社で作っていたので、そこで得た知識を生かせるとも思いました。また、前職の企業は長い間、「患者さんの人生をより良くしていこう」という強い思いがあったので、同業他社へ転職したところで、仕事のギャップに自分自身がストレスをためてしまうと思ったのです。

―「誰かの助けになりたい」という思いが強いのですね。販売職も共通することが多いと思うのですが、実際に働いてみてどうでしたか?

小川:勤めたばかりの頃は、帰宅したら疲れてすぐ寝ていました(笑)。想像以上に接客というのがエネルギーをとても使う仕事だと分かりました。でも仕事は本当に楽しくて、同僚からは「そんなにいつも笑顔じゃなくてもいいんだよ」と指摘されるくらい、自然と笑みがこぼれていました。売り場の先輩は「疲労?なんのこと?」みたいな雰囲気でにこやかな顔をして店頭に立っていて、販売員は本当にすごいなぁと思っていましたね(笑)。前職では一人の患者さんと何度もお会いすることになるので、初対面の方と会うような“エネルギー”を使うことが少ないんです。店頭は常に初めましてが多く、その都度エネルギーを使うのを実感していました。

―よく取材で「お客様から元気もらうこともあれば、元気を与えることもある」と聞きます。この仕事はお客さまとエネルギーを交換し合う仕事なんですよね。

小川:販売員さんからの接客なしでネットで買い物ができるようになった現代でわざわざ店頭に来るのは、そこで発生するコミュニケーションも楽しみたいという方も結構な割合でいらっしゃいます。だからこそ、販売員が単なる買い物以外の付加価値を与えられないなら、それは販売員として致命的です。なので、この仕事を始めた当初は、ファッションの知識がほとんどなかった分だけ、医療や健康面から考えた靴の選び方の知識を付加価値として生かそうと考えました。ただ、ファッションの選び方と違い、医療の場合は「適合」という考え方で靴を選ぶため、始めた頃は大変でした。

―『適合』ですか?

小川:医療の観点から言えば、緩い靴を履いていたら歩きにくいですし、転倒の恐れもあるので、できれば足のサイズや形にピッタリ合ったモノ、要は「適合」した靴を履くべきという考え方なんです。でも、一般的な靴のフィッティングだとデザインの好みと並んで、きつめが好き、ゆるめが好きといった具合にお客さま一人ひとりの履き心地の好みを加味しますよね。だから、それを一律で「適合していません」と切り捨てるわけにはいきません。店頭ではお客様のご要望やお好みのフィット感をうかがった上で、落としどころとしてその時のベストなサイズ提案を心がけています。最初の頃はそのお客さまの気持ちやニーズが分からず、とにかく余計なことは言わないようにしよう、気持ちよくお買い上げしてもらおうとだけしていました。

―人によっては足を大きく見せたいから大きい靴を選ぶ方もいますし、健康のことや歩行のことを考えると適合するサイズを履いていただいたほうが良いですよね。もどかしい。

小川:例えば義足の場合、今残っている筋や腱を痛めず、健康寿命を延ばして生活していくためここを重心線にしようと決めるのですが、理想の重心線では患者さんが筋肉をすごく使うことになり、とても疲れるんです。だから義足をつけたくないということもあります。100%適合する義足でも使わなければ意味がないので、患者さんと担当医と相談し、リハビリの進行具合、筋や腱の状態を考えながら落としどころを決めて製作していました。こうした仕事のやり方は今の仕事にも生かされています。私が今、売り場でチャレンジしているのが「お客様の健康寿命を延ばす」というコト。「私は24cmよ」と言い切るお客様の足を実際に計測すると22cmということは普通によくありますし、誤差が1cm以上というのもざら。適合していないから、と22cmの靴をお勧めしても、お客さまからは「2cmも小さいから」と拒否されますし、購入しても履かない可能性があります。そこで、落としどころとして「23cmにしてみてはいかがですか?」と提案し、歩きやすさを実感することで少しずつお客様の心を動かし、最終的には適合している22cmを履いていただけるように誘導していくのです。

―ほう!一見、誤魔化しているようにも思えますが、最終的にはお客様が健康で生き生きとした生活が送れるようになるということですよね。

小川:そうですね。ご年配の方ほどご自身のサイズの思い込みが強いので、一回の接客ではお客さまの気持ちを汲み取りきれません。それ自体は医療の現場でも同じだったのですが、前職の知識を用いつつ接客ができるのは、売り場の同僚や仲間の理解があり、個人の能力を伸ばそうとしてくれるから。既製靴の知識がなかったので、勉強会に参加できるようにシフトをやり繰りしてもらったり、とても感謝しています。他店やシューズメーカーではこんな働き方はできなかっただろうと思います。

―客層が幅広い百貨店だからこそ、お客様の健康を考えた接客が必要だったのかもしれませんね。

小川:最近、マネージャーと健康寿命と平均寿命、QOLについて話をすることがあります。日本の健康寿命と平均寿命の差が、男性は約9年、女性は約13年と大きな差があるのです。医療関係に話を聞くと「足腰が弱るとおしまい」と言います。私もその通りだと思っていて、前職時代に、寝たきりの人が起き上れたり、車いす生活の方が立てるようになり、視線の高さが変わると生きるモチベーションが変わるのを目の当たりにしてきたので、立って歩けることの大切さを実感しています。お客さまが好きなデザインで、かつ歩きやすい靴を提供することで、健康寿命と平均寿命の差を縮められれば、お買い物も楽しめるし、人生も豊かになって、とても良いことなのじゃないかと思うのです。

―仰る通りです!

小川:京王百貨店に行けば知識のあるシューフィッターがいるから、靴を買って、館内でお食事でもして、楽しんでいただき、健康寿命まで延びる。そう考えたら、とてもやりがいがある仕事だと思いました。QOLを高めるためにその婦人靴売り場として、大々的に何ができるかと打ち出すわけではなく、一客一客の接客を丁寧にすること、お客様に合った商品を提案することしかないですが、とても意義のある仕事だと思っています。

―素晴らしい考え方ですね。

小川:でも、まだまだ先輩方に比べたら、勉強が足りていません。勉強になる方々ばかりに囲まれているので、日々、学ばせていただいています。

―先輩方の接客のスゴイところは?

小川:ファーストアプローチとか、例えば私が声をかけて失敗してもその後に先輩が声を掛けると上手くいく。タイミングは今だったのか!と見極めがまだ甘い。商品知識も幅広く、その中からお客様の要望と上手くすり合わせて提案していくところ。あと、表現の仕方ですね。例えば「外反母趾で親指が出て恥ずかしい」という否定的な言葉でも上手くキャッチして、「それならお客様にはこういう形がお勧めです。収まりが良いのでお試しください」とサラリと口に出せるのが素晴らしいです。

―ベテランのなせる技って感じですね。最後に今後の目標を教えてください。

小川:先ほどもお話ししたQOL、お客様の人生にも関われる接客、靴の提供を日々多くのお客様にできればいいなと思っています。百貨店だからこそ、メーカーの垣根を越えて提案することができますので、売り場にあるすべての靴を使いながら、より良い一足を一人でも多くのお客様に提案できるように、日々積み重ねていきたいなと思っています。

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