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「バーバリー」が日本拠点の若手アーティストを支援するプロジェクト始動 第1回は顧剣亨と䑓原蓉子

バーバリー(BURBERRY)」はこのほど、日本を拠点に活動する若手アーティストを支援するプログラム「Young Japan-based Artists」を始動した。京都市京セラ美術館で開催中の「テート美術館―YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」(~9月6日)への協賛の一環として実施するもので、第1回は顧剣亨(Kenryou Gu)と䑓原蓉子(Yoko Daihara)を選出。両者の作品は、同展の関連プログラムとして京セラ美術館新館の東山キューブで展示されている。京都を拠点に活動する顧剣亨に、森や時間、風景をめぐる制作について聞いた。

PROFILE: 顧剣亨/写真家

顧剣亨/写真家
PROFILE: (こ・けんりょう)1994年京都生まれ、上海育ち。京都芸術大学(元京都造形芸術大学)現代美術・写真コース卒業。大学在学中にフランス・アルル国立高等写真美術学校へ留学。現在、京都を拠点に活動中。主な個展に「Aperto18: Intervals of the afterimage」金沢21世紀美術館(金沢)、「Dimensions Unseen」Yumiko Chiba Associates(東京)、KYOTOGRAPHIE 2019「15972 Sampling」 SFERA(京都)など ©Kenryou Gu, Courtesy of Yumiko Chiba Associate

森に蓄積された時間と気候を記録する

――今回の作品について教えてください。

顧剣亨:「バーバリー」からの依頼は「気候」をテーマに制作してほしいというものでした。僕はこれまで「都市」「森」「波」という3つのシリーズを中心に制作してきており、その中で、「気候」というテーマには森がふさわしいと考えました。森は長い時間をかけて気候と相互作用しながら形成される存在です。私たちが見ている森は固定された風景ではなく、その動的な関係性が一瞬だけ可視化された状態にすぎません。このシリーズでは、その「一瞬」をどう記録できるかを考えています。

――作品では「時間」が重要なテーマになっています。時間をどのように捉えていますか。

顧剣亨:僕たちが普段考えている時間は「1時間」「1分」「1秒」といった、とても人間的な尺度です。けれど、僕たちが生きる空間には、さまざまな時間が流れています。人間だけでなく、植物や動物など、それぞれの生物に固有の時間があるし、建物のような無機物にも、その存在ならではの時間がある。異なる時間軸が重なり合う空間の中で、僕たちはどのようにものを見て、関わっているのかに興味があります。

そう考えるようになったきっかけの1つが、写真というメディアでした。僕は写真を中心に制作していますが、写真には人間の視覚とのずれがあると感じています。今はSNSやスマートフォンを通じて毎日膨大な写真を見ているので、その違和感に慣れてしまっていますが、写真には、人間が意識して見ている以上の情報が写り込みます。人間は見たいものを選んで見ていますが、写真はその周囲にあるものまで記録してしまう。

また、僕たちが生きている世界に、完全に止まっているものはありません。写真は一瞬を静止させて見せるメディアですが、それ自体が少し不自然だと感じています。僕たちの記憶も、静止画のように保存されているわけではなく、何コマかがつながった短い映像のような形で思い出されることが多い。少なくとも僕自身はそうです。写真というメディアについて考える中で、世界は本来、止まることなく動き続けているものだという感覚が強くなっていきました。

――時間はどのように風景として現れるのでしょうか。

顧剣亨:例えば観光地を思い出すときも、その場所そのものより、事前に見た写真や、自分で撮影した写真を思い浮かべていることが多い。でも実際の風景は、そうした一枚の写真のように固定されたものではありません。

代表作の一つである「Cityscape(シティスケープ)」は都市を題材にしていますが、僕は都市も森も、本質的には近い存在だと感じています。都市は一見すると動かないようでいて、常に変化し続けています。そこには独自のネットワークやコミュニケーション、ルールがあり、森と同じように一つのシステムとして存在している。都市の風景も、長い時間軸の中から、その瞬間だけをサンプリングした断面のようなものです。僕は、そうした動き続ける世界の一断面を、作品として記録しているのだと思います。

――森をモチーフにしているのは、自然への関心が出発点なのでしょうか。

顧剣亨:実は、特別森が好きなわけではありません。「自然を撮りたい」という感覚で作品をつくっているわけでもありません。僕が関心を持っているのは、森そのものよりも、そこに蓄積された情報や関係性です。その意味で 僕にとっては、都市と森はとても近い存在です。どちらも膨大な情報があふれている空間です。例えば、僕は上海をよく知っているので、上海を撮影した作品を見ると、「ここはあそこだ」「このビルだ」と多くの情報を読み取れます。でも、知らない都市の写真なら、一つの都市風景としてしか見えません。森も同じです。植物や森林の生態に詳しい人が森へ入れば、そこから圧倒的に多くの情報を読み取れる。一方、詳しくない人には「あそこに花が咲いていた」「木があった」くらいにしか見えないかもしれません。同じ景色を前にしていても、受け取れる情報量は、その人の経験によって大きく変わります。

――原生林に惹かれる理由は。

顧剣亨:原生林には、生態系の複雑さや多様性があります。以前、林業に携わる方から、「森は現在の姿を見るだけで過去と未来がわかる」と聞いたことがあります。例えば、林床にある小さな木々を見れば、大木が倒れた後にどう森が更新されていくのかが想像できますし、今残っている痕跡から、その森がどのような過去をたどってきたのかも読み取ることができます。

森には、そうした時間の痕跡が自然に蓄積されています。もちろん人間も自然の一部ですが、とりわけ手つかずの原生林には、過去と現在、そして未来が同時に存在しているような感覚があります。タイムカプセルという表現が適切かは分かりませんが、さまざまな時間が折り重なり、止まっている時間もあれば、流れている時間もあり、未来の姿まで見えてくるような感覚があります。そうした時間の重なりに強く惹かれています。

一歩引いた場所から世界を観察する

――今回の作品では気候や森を扱っていますが、環境問題をテーマにしているわけではないと。

顧剣亨:学生時代はPM2.5を題材に制作していましたが、作品をつくること自体が環境負荷を伴う以上、自分には環境問題を訴える立場は取れないと感じました。社会を変えようとメッセージを発するよりも、環境や気候がどのような風景として現れるのかを観察し、記録することに関心があります。

――作品からは対象との適度な距離も感じます。

顧剣亨:僕は、自分の感情や意思を前面に出して作品をつくるタイプではありません。怒りや悲しみといった情念を作品に込める作家もいますが、僕は自分自身をできるだけ引いた状態で制作したい。だから、森や都市とも少し距離を置きながら向き合っています。人間と森、人間と都市の関係を語ることよりも、僕たちが存在しているこの空間を、どう可視化し、どう記録するかに一番関心があります。

学生時代に先生から「これでは誰でもつくれる作品で、あなた自身が見えてこない」と言われたこともありました。でも、自分のアイデンティティや個人的な経験を出そうとしても、どこか無理があった。自分を語る代わりに、世界を観察し、その状態を作品として記録しているのだと思います。学生時代は、作品について「コンセプトは何か」「ロジックは何か」と繰り返し問われました。その問いから少し離れたくて、「考えないための作品」をつくったこともあります。でも結果的には、「コンセプトを取り除くこと」自体が一つのコンセプトになっていました。

制作では、まずルールを決めて、そのルールに従って作品をつくることが多いです。そのほうが再現性もありますし、毎回ゼロから発想するより、自分の性格にも合っています。

時間と記憶を織り込む「デジタルウィービング」

――森のシリーズでは、どのような方法で作品を制作しているのでしょうか。

顧剣亨:まだ試行錯誤している段階です。一つだけ決めているのは、必ず「同じ森」の写真を使うこと。例えば森の中を歩きながら4枚の写真を撮り、それらを織り込むこともありますし、4台のカメラを別々の場所に設置して、同じタイミングで撮影した4枚の写真を組み合わせることもあります。都市を題材にした「Cityscape」は、各都市で最も高いビルから四方を撮影し、それらを「デジタルウィービング」という独自の手法で一枚の作品へ織り込んでいます。作品のサイズや制作方法はあらかじめルールを決めて、僕はそれに従って作業するだけ。だから、極端に言えば、そのルールさえ共有すれば誰でも制作できる作品です。僕自身は、ルールに従ってイメージを生成する装置のような存在でありたいと思っています。

――写真を「織り込む」という手法には、どのような意味があるのでしょうか。

顧剣亨:一つは、時間を織り込みたいという思いがあります。都市も森も、その場にいるときは「あのビルがある」「あの植物がある」と、一つひとつの要素を認識しますが、その場所を離れると、細かな情報は統合され、一つの風景として記憶に残ります。その脳内に残る視覚イメージは、ストレートな写真よりも、複数の写真を織り込んだ状態のほうが近いのではないかという仮説から、この手法を用いています。

――「デジタルウィービング」は、どのような技法なのでしょうか。

顧剣亨:例えば4枚の写真を使う場合、それぞれの写真から均等にピクセルを抽出し、一枚の画像へと織り込んでいきます。完成した作品は情報量が非常に多く見えますが、実際には各写真の4分の3の情報を削除していて、残っているのは4分の1だけ。それでも、私たちの目には多くの情報が存在しているように感じられる。その感覚は、現代社会にも少し似ていると感じています。情報は膨大に存在していますが、私たちが実際に受け取れる情報は、そのごく一部に過ぎません。

また、作品に完全な均一性を求めているわけではありません。基本的には一定のルールでピクセルを削除していきますが、ときには削除する箇所を飛ばしたり、重ねてしまったりすることがあります。そうした人間的な「バグ」も、そのまま作品に残しています。

――作品を大きなサイズで制作する理由は。

顧剣亨:鑑賞する距離によって見え方が大きく変わるからです。織り込まれた写真は、それぞれ異なる距離で撮影されているため、一つの場所にピントを合わせると、別の写真の情報はぼやけてしまう。近づくと細部が揺らぎ、離れると、それまで見えなかった風景が立ち上がってくる。都市も森も、そのような視覚体験を意識して制作しています。人の身体よりも大きくすることで、鑑賞者は近づいたり、離れたり、立ち止まったりしながら作品を見る。その動きは、実際に森や都市を歩きながら風景を見る感覚に近いと思っています人間の視覚は時間をかけて環境に順応し、情報を拾い始めます。作品も同じように、しばらく見続けることで、ある瞬間から風景が立ち上がってくるような体験を目指しています。展示でもできるだけ自然光を生かしています。天候や時間帯によって作品の見え方が変化し、その場の環境そのものが作品の一部になるような展示を意識しています。

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