「推し」という言葉が定着した今、「推す側/推される側」の距離もまた、以前より可視化されるようになった。10月2日公開の映画「逃げろお嬢さん」で井口理が演じる康太は、元アイドル・舞子(深川麻衣)を“推す”青年だ。普段は、King Gnuのボーカルとして“推される側”にいる井口は、この物語をどう受け止めたのか。俳優としての変化、SNSとの距離、“推される側”として感じてきた戸惑いまで聞いた。
「いい意味で力が抜けてきた」
この数年での変化
——最近は、舞台やドラマなど俳優としての活躍も増えたように感じます。伊藤ちひろ監督とのタッグも3作目ですよね。
井口理(以下、井口):伊藤監督との出会いは、映画「劇場」でお世話になった行定勲監督主催の忘年会だったんですけれど、これだけ長くかかわらせていただくことになるとは思いませんでした。
——井口さんはその昔、「バンドが軌道に乗ってくると、自分の感覚が死んでいくんじゃないかって怖くなるから、芝居をやっている」という話をされていたと思うのですが、ご自身としては俳優業の向き合い方は変わりましたか?
井口:生意気なこと言ってますね(笑)。前はもっと、意固地だったような気がします。音楽をやりながらお芝居をやっていると、「こういう枠」みたいなイメージが湧いてくると思うんです。星野源さんはじめ、どちらでも活躍されている方もいらっしゃるし。その固定観念にがんじがらめになっていた時期があったのですが、今は純粋に芝居を楽しめているような気がします。
——きっかけがあったのですか。
井口:あらゆることに、いい意味で力が抜けてきました。年齢もあるかも……? 今回は、撮影場所が地元に近かったことも大きかったかもしれません。最初のシーンのロケ地は、実家から数キロの見知ったエリアで、帰省したような感覚でした。実家にも顔出しましたし。知らない土地が舞台だったら、もう少し気を張っていたと思います。
心に残っている「手紙」に書いてあったこと
——今回、井口さんが演じた康太は、「推し」である元アイドル・舞子のために奔走するキャラクターです。康太に共感した部分ってありましたか?
井口:康太は、今どき珍しい純朴でピュアな青年で、自分とはかなり違うキャラクターだと思っています。僕は、本心とは裏腹な行動をとることも多いんですけど、康太は一心不乱に舞子のことを信じきっているし、まっすぐ。仕事柄、立場としては自分は舞子のほうが近い。でも康太を見ていて、ファンの人に「こう思われたいな」と思いました。
——こう思われたい?
井口:舞子を神格化せずに、一人の人間として信じようとしている感じが「いいな」と思いました。例えば、恩師とか、お世話になった先輩とか、会わなくても大事な人って誰にでもいるじゃないですか。康太はそういう人たちみたいに舞子のことを思っている。勝手にですけど。
——逆に井口さんも、誰かにとってそういう存在になっていると感じたことはありますか? 記憶に刻まれた経験とか。
井口:うーん……。何年も前なんですけど、「King Gnuの曲を聴いたことで、高校を辞めて別の道を選ぶことができました」と手紙を書いてくれた方がいました。すごく真摯な文章で、逆にこちらが「音楽を続けてきてよかったな」と思わされて、今でも心に残っています。
——逆に、井口さん自身は「誰かを推す」ことってあります?
井口:ほとんどないと思います。「この作品が好き」「この曲が好き」という気持ちはあるけれど、「人」そのものまでに興味が行き着かないというか、「この人の音が好きだな」止まりのことのほうが多いです。
——なぜでしょう。
井口:うーん……「画面越しの情報だけで、その人の何が分かるんだろう?」と思ってしまうからかも。
もちろん、ポルノグラフィティの岡野さんは、学生の頃から「この人の歌は最高だ」と思って何度もカラオケで歌ってきましたし、実際にお会いして「素敵な方だ」とも思いました。でも、その感覚も「推し」とはちょっと違う気がします。
応援の形って人それぞれだから難しいですよね。ライブに全部通ったり、グッズをたくさん買って愛でる人もいる。でも、それだけが応援の在り方ではない。お金を落とすわけじゃないけど、学生時代にすごくよく聴いていて、大人になった今はたまに思い出す存在。それは「推し」じゃないのか……とか。とはいえ、そうやって買い支えてくれる方で自分の仕事が成り立っているので、わがままなことを言ってます。でも「推し」や「推し活」という言葉はそもそも論、あまり好きな言葉ではありません。芸能、エンタメの世界の人間が、大衆にお金を払わせるために定義付けした綺麗事ですから。
SNSの距離感と、しんどさ
——康太はSNSもやっていません。今の「推し活」とSNSは切り離せないものでもありますが、井口さんはSNSをどう捉えていますか?
井口:最近のSNSって気持ち悪くなってきているような気がしていて。インプレッションに応じてお金が稼げるようになってきたあたりから、一線を越えてしまった感じがありますね。「目立つために過激な発言をしてもいい」という姿勢を感じる瞬間が増えてきて、人の心ってここにはもうないんだなぁと。
違う方向だと、何か起きた時に気持ちを表明することを求められることにも違和感を覚えています。誰かを悼んだり、懐かしんだりすることって、自分の心の中で完結してもいいと思うし、求められてやることではないので。
そういうこともあって、最近は特にXを見る頻度が減りました。情報解禁した時ぐらいかなぁ。怒られていないか確認するツールになってます。
——そうしたSNSのあり方と、「逃げろお嬢さん」はどこか対照的ですね。
井口:そうですね。出会うはずのなかった康太と舞子が実際に会って、向き合って話す。SNSや世間の評価とは別の場所で、2人の関係が動いていく。「逃げろお嬢さん」は、今話したところに切り込んでいる気がします。
推しと対話する状況に巡り会えることはめったにないですけれど、顔を合わせた時に、フィルターなしに相手を信じられるかを問うてくる。僕自身、この作品に携わって、自分の中で腑に落ちたところがたくさんありました。
——井口さんは、画面越しに「井口理」という像を見られることに、どう向き合ってきましたか? 過去に「この世界に入ってから失ったものの方が大きい」と、話されていたので、舞子と似た摩耗感があったように感じたので。
井口:そんな発言をしてたんですか?(苦笑)。いつ話したんだろう……。
——2021年頃だったかと思います。
井口:あー……その頃は、仕事も死ぬほど忙しくておかしくなっていた時期だったんだと思います。昔は死ぬほど売れたいと思っていたから、売れたら嬉しいはずなんですけどね。実際にそうなってみると、向けられる好意には気持ちいい部分もあれば、気持ち悪い部分もあった。実家に帰った時に、母親から「知り合いにサイン書いて」と頼まれて喧嘩したこともありました。親は別に悪くないってわかってるのに、イライラしてしまう。今はもう少し落ち着いて受け止められるようになりました。
——そういう時期、悪い方向に転がらなかったのはなぜだと思います?
井口:周りに恵まれていたんだと思います。バンドメンバーやそれを取り巻く仲間、家族。「世間がどんなに何かを言おうと、自分は信じていたい」っていう気持ちになれる人がいる。信じてもらうよりも、信じられる存在が、大きかったんだと思います。作品の話で言うと、康太の「信じる」という気持ちに触れて舞子が救われていくのも、そこなのかなと思います。
——舞子にも違った未来があったかもしれない。
井口:そうそう。でも舞子は康太と出会ったことで、これからの人生も変わっていくかも知れません。
——ひるがえって、これからどういう姿勢で「井口理」として人前に立ちたいですか?
井口:できるだけ、本心に近い生き方をしたいですね。舞子は、きっとアイドルとして生きる中でそういう人間的な自然の部分を失ってしまった人だと思うので。でもこれは芸能界だけの話じゃなくて、会社員の場合は、取引先にはいい顔をしなきゃいけないこともあるだろうし、教室の空気を読んで疲れてる学生だっている。だから舞子に自分を重ねられる人は多いと思います。
例えば、楽しくないのに無理して笑う必要はないと思うんです。自分の場合は、素でテレビに映ることもあって、「態度が悪い」とお叱りをいただくこともあるんですが、疲れている時は疲れているし、悔しかったら悔しがればいいかなと最近は思うようになってます。
——病むほどではない程度に。
井口:近すぎず、でもちゃんと届くような関係でいられたらいい。ずっと追い続けなくても、昔好きだった人が今も大切な存在であることはある。康太と舞子の関係を見ていると、人を思う気持ちって、時間や距離だけでは測れないものなんだなと思います。
PHOTOS:TAKUYA MAEDA(TRON)
STYLING:SHOHEI KASHIMA(W)
HAIR & MAKEUP:KAZUMA KIMURA(skavati)
パンツ3万7400円/saby(mina official 03-6823-5074)
作品概要
親の仕事を継ぎ、つつましやかに温泉宿を営む康太(井口理)。いつもの日常の中、ある小道で前を走る車の様子がおかしい。心配した康太が車を止めると、運転していたのは、高校時代から康太が推している元アイドル”鮎川舞子”(深川麻衣)だった!しかしテレビのニュース速報では、舞子の夫が薬物で逮捕され、舞子自身も疑惑の中行方不明になっているとの報道を見たばかり……。混乱する康太だったが、これまで康太の人生を照らし続けてくれた推しである舞子に、今自分ができることを全うしようと心に決める。
◾️「逃げろお嬢さん」
全国公開中
出演:井口 理(King Gnu) 深川麻衣
浅香航大 河井青葉 田中偉登
原作:吉田修一「逃げろお嬢さん」(『逃亡小説集』所収・角川文庫/KADOKAWA 刊)
監督・脚本:伊藤ちひろ
配給:NAKACHIKA
◎コピーライト:©️2026 吉田修一/KADOKAWA/In Her Room
https://nigeroojosan.com/






