(こづか やすひろ)愛知県出身。東京のテキスタイルコンバーターを経て、2009年に家業である小塚毛織に入社。15年5月社長に就任。25年にスタイレム瀧定大阪と共同でカナーレジャパンを設立し、社長に就任
小川良太/スタイレム瀧定大阪 83課 課長兼カナーレジャパン取締役
(おがわ・りょうた)1981年12月16日大阪府生まれ。関西大学法学部卒業後、2004年に入社。18〜21年83課課長、23年2月から再び現職。趣味は出張の移動時間の読書。ジャンルを問わず読むが、一番好きなのは人間心理を深く描写した夏目漱石の「こころ」
日本のテキスタイル産地が構造的な縮小に直面する中、異例とも言える形で誕生したのが、ションヘル織機に特化したテキスタイルメーカー「カナーレジャパン(CANALE JAPAN)」だ。同社は、長年ションヘル織機による独創的なテキスタイル開発を行ってきた織物職人である足立聖さんと、日本の服地卸の最大手スタイレム瀧定大阪、そして尾州のテキスタイルメーカーの小塚毛織が手を組む形で設立された。単なる取引関係を超え、「会社を一緒につくる」という選択に至った背景には、日本のものづくりに対する強い危機感があった。
設立の原点は「このままでは、技術が消える」
東京の服地卸を経て、家業である尾州産地の小塚毛織を2015年に継いだ小塚社長は、長らく続く産地の縮小に危機感をつのらせていた。「周辺では名門企業も含め、どんどん企業がなくなっていた。そうした中で出会ったのが、ションヘル織機を駆使してユニークなテキスタイルを生み出していた織物職人の足立さんだった。『絶対に誰の真似もしない』を貫き、唯一無二を突き進む足立さんは眩しい存在だった」。その一方で、その足立さんもションヘル織機を扱う現場の高齢化という課題を抱えていた。足立さんが外注していた工場の職人の多くが80代、90代に差しかかり、「あと5年、10年先を考えた時、この技術は確実に失われる」という現実が突きつけられていた。
そうした状況の中で、ちょうどコロナ禍も相まって小塚社長はある決断を下す。20年に自ら投資し、倉庫として使っていたかつての自社工場にションヘル織機を入れることにしたのだ。
スタイレムが“取引先”という関係を超えた理由
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ションヘル織機の導入とほぼ同じタイミングで現れたのが、スタイレム瀧定大阪の小川良太83課課長だった。小塚社長は当初、ションヘル工場を単独で運営するつもりだったが、「足立さんの作り出すテキスタイルは、とても独創的である分、販売する難易度も高い」とビジネスとして成立させる難しさも同時に見えていた。スタイレムの小川課長率いる83課は付加価値の高いテキスタイルを国内の有力ブランドに販売する中で「足立さんの噂を聞いて、連絡を取りションヘル工場を訪れると、その独創性の高さに圧倒された。同時に小塚社長の産地と技術を継続させたいという熱い思いにも共感した。単なる『仕入れ』にとどまらず、もう一歩踏み込みたい。そう思った」。
アグレッシブな社風で知られるスタイレムは前例にとらわれる企業ではなかったが、通常は「仕入れて、売る」立場である同社が、産地企業と共同で工場を運営するというのは異例中の異例。何としても実現したいという想いから、小川課長は小塚社長と入念にプランを練り、経営層に提案したところ、前向きに強く背中を押してくれた。「この15年で当社のビジネスは、かなりグローバルに広がっていたが、今でも仕入れの主力は日本。繊維産地を継続させるにはどうしたらいいのか?という問題意識や危機感は、現場の僕たちから経営層まで非常に強い。ゴーサインは驚くほど早かったです(笑)。それから幹部と一緒に何度も産地に足を運び、半年をかけて合弁会社の準備を行った」と振り返る。
世界で売る。「資本主義を超えた」新しいビジネスモデルへの挑戦
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カナーレジャパンの工場は、一般的な“最新設備の工場”とは異なる佇まいを見せる。設計を手がけたのは、長年付き合いのある地元の工務店。華美なデザインではなく、等身大で、どこか手作り感のある空間だ。「誰かがお金を出してセットアップしたわけではない。自分たちができる範囲で、走り回って形にした」工場であり、ショールームでもあるこの場所は、カナーレジャパンの思想を象徴している。
ションヘル織機の生産効率は高くない。商品によっては1日15メートル程度しか織れないこともある。小塚社長は「労働を時間で換算する資本主義の論理だけで見たら、明らかに効率が悪い。でも、日本にしかできない圧倒的なユニークネスがある」。そこで同社は、従来のBtoB一辺倒ではなく、イベントや直販、SNSを活用したBtoCにも取り組み始めた。年2回のイベントでは2日間で約100万円を売り上げることもあり、数字以上に“共感”が広がっているという。「生地そのものだけじゃなく、作る工程に興味を持ってくれる人が多い。作り手や背景も含めて、価値として伝わり始めている」。
カナーレジャパンの生地は、既存のカテゴリーに収まらない。極太糸や極細糸を自由に組み合わせ、学生のアイデアを製品化することもある。どこかで見たような生地ではなく、「足立さんの頭の中からしか生まれない」発想が形になっている。カナーレジャパンの取締役でもあるスタイレムの小川課長は「裂き織りの糸を当社で調達したり、欧州や米国などのスタイレムの海外拠点に商品のサンプルを送って販売したり、当社のグローバルネットワークもフル活用する。既存の取引先とも、これまでとは異なった発想での取り組みのオファーもいただいている。実は当初思っていた以上に、こちらの思いをくんだ上で、多くのお声がけをいただいている。手応えはかなりある」という。日本のものづくりの未来に一石を投じるプロジェクトは、まだ始まったばかりだ。