ファッション

ドリス・ヴァン・ノッテンがベネチアで語る現在地 「人生には“美”が必要だ」

2025年春夏メンズ・コレクションを最後に、1986年に設立した自身のブランド「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」のデザイナー職を退いたドリス・ヴァン・ノッテン。ファッションの第一線から距離を置いた現在は、ドリス・ヴァン・ノッテン財団(Fondazione Dries Van Noten)を通じて活動の領域を広げる一方、ブランドとも程よい距離感で関わり続けている。そんなドリスが、新たな活動の現在地とファッションへの思いをWWDに語った。

財団を通して広げる新たな探究

ドリス・ヴァン・ノッテン財団は、ドリスと長年のパートナーであるパトリック・ヴァンゲルウェ(Patrick Vangheluwe)が設立。アートやデザイン、建築、写真、音楽、食など、幅広い分野から著名なクリエイターと新進気鋭の才能を一堂に集め、つなぐことを目的としている。ドリスにとって同財団は、、これまでファッションを通じて続けてきた“美”の探究を、より幅広い表現領域へと広げる新たな活動の場でもある。

そして、同財団として初の展覧会「ジ・オンリー・トゥルー・プロテスト・イズ・ビューティー(The Only True Protest Is Beauty)」が、イタリア・ベネチアで4月に開幕し、10月4日まで開催中だ。会場は、15世紀にベネチア貴族のピザーニ家のために建てられた歴史的建造物「パラッツォ ピザーニ モレッタ(Palazzo Pisani Moretta)」で、キュレーションはドリス自身が手掛けながら、“アントワープ シックス(The Antwerp Six)”を世界へと送り出した立役者として知られるヘールト・ブルロート(Geert Bruloot)が助言役として参加。ファッションをはじめ、ジュエリーやアート、写真、家具、ガラス、陶芸など、200点以上の作品を20室にわたって展示している。こうした異なるクリエイティブ分野の交わりを軸とする同展について、ドリスはこれまでに寄せられた反響への喜びを語った。

「初めての展覧会だから、人々が単に建造物を見に来るのか、それとも私たちの思考のプロセスや、アートとクラフトマンシップを融合させる繊細な試みに興味を持ってくれるのかは分からなかったが、これほどの反応は予想していなかった。展覧会のコンセプトは、本当に多くの人々の心に響いているようで、感情を動かされて会場を後にし、『考えさせられた』と言ってくれる人もいた。私にとって、それ以上にうれしい褒め言葉はない」

「ジ・オンリー・トゥルー・プロテスト・イズ・ビューティー」というタイトルは、アメリカのシンガー・ソングライターで政治活動家としても知られたフィル・オクス(Phil Ochs)の言葉に由来。美を“挑発や変革を促す触媒”として捉える、今回の展覧会の方向性を示している。

「本当に偶然、この言葉に出合ったんだ。全文は、『In such ugly times, the only true protest is beauty(これほど醜い時代において、唯一の真の抗議は美である)』というもの。このプロジェクトをスタートした当初から仮タイトルとして使っていたが、当時は『今より悪くなることなんてあり得ない。展覧会を開催する頃には、世界はもう少し良い場所になっているだろう』と考えていたからだ。だが、展覧会の完成後も世界情勢に照らしてその言葉は依然として意味を持っていたため、タイトルとして残すことを決めた。それでも、ネガティブな言葉を出発点に、6カ月間も展覧会に取り組むのは避けたかったから、冒頭のフレーズだけを外すことにしたんだ。その代わりに、展覧会では“美”を『答えではなく問いとして、現実から逃避するためのものではなく、現実と向き合うための方法』として捉えた。誰の人生には“美”が必要だ。それは、目を覚ました時にカーテンの隙間から差し込む一筋の光かもしれないし、愛する人やペットを見つめることかもしれない。実にさまざまなものが、“美”になり得る。だが、美しいことと、きれいなことは同じではないとも思っている。“美”は時に人に問いを投げかけるものであり、理解するために学ばなければならないこともある。そして“美”は常に変化していくもので、ファッションもそのひとつだろう」

そんなファッションの展示エリアでは、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)のオートクチュール作品が、フレスコ画で彩られた「パラッツォ ピザーニ モレッタ」の内装と呼応する。また、「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」のクリエイションや、ヘアアーティストのジュリアン・ディス(Julien d’Ys)によるヘッドピースは、新世代の才能による作品と共存。その1人が、パレスチナ人デザイナーのアイハム・ハッサン(Ayham Hassan)で、伝統的な刺しゅうやテキスタイルに光を当てたコレクションを通して、自身の文化的アイデンティティーをあらためて提示している。

また、展示の着想源について、ドリスは「私はいつも周囲を見ている」と話す。

「いつだってスマートフォンやインスタグラムを見ているし、展覧会にも足を運ぶ。本もたくさん読むし、紙の雑誌が大好きだ。私はとても好奇心が強くて、目にしたものに心を動かされれば写真を撮り、ファイルに保存している。だから、本格的に準備を始める前から、私が“昔から愛してきたもの”と呼んでいる、現代アーティストのスティーブン・シアラー(Steven Shearer)の写真や、私にとってアイドルのような存在であるラクロワの作品など、展示作品のおよそ半分は決まっていた。まずはそれらを各部屋に配置してみると、作品と空間の間、あるいは作品同士の間に対話が生まれていく。そして、それぞれの部屋で伝えたいストーリーに沿うように、新たな作品を加えていったんだ」

最大の課題のひとつは時間だったというが、ドリスは「『パラッツォ ピザーニ モレッタ』を購入したのが、展覧会のわずか1年前だったので、すべてを本当に急いで進めなければならなかった。だが、『以前は、年に4回もファッションショーをやっていたのだから、6カ月で展覧会を作ることだってできるだろう』と思ったんだ」と冗談めかして笑う。

デザイナー職を退いた現在地

また、ファッションの世界ならではの高揚感を懐かしむことはないかと尋ねると、ドリスは現在の立場ならではの利点を語った。

「今でもファッションショーを見るのが好きだし、シーンの動きを追うのも好きだが、恋しいとはならない。なぜなら、ある意味で最も恵まれた立場にいると思うから。会社には未だに足を運び、店舗のデザインやコレクションへのアドバイス、ビューティーや香水にも引き続き携わっている。だから完全に離れたわけではなく、程よい距離感を保てているんだ」

自身の後任であるクリエイティブ・ディレクターのジュリアン・クロスナー(Julian Klausner)については、「素晴らしい仕事をしている」と称賛する一方で、一般的な意味での“引退”という考え方は、ドリスとパートナーのヴァンゲルウェには「決して魅力的なものではなかった」と話す。

「ブランドを離れる時、仕事をせず、ボートを買い、その上でのんびり過ごそうなどとは考えておらず、何か別のことをしたいと思っていた。私は人とつながりながら仕事を続けたかった。特に若い世代の人たちとね」

それは、展覧会という枠組みを超え、クラフトマンシップを促進するためにさまざまな形式を取り入れることを意味する。そのひとつとして展覧会終了後、財団は3日間にわたる音楽フェスティバルを開催する予定だ。ここでも、一流のピアニストから地元の音楽院の学生、近隣に暮らす子どもたちまで幅広く迎え、さまざまなジャンルの音楽を披露するという。

さらにドリスは、「パラッツォ ピザーニ モレッタ」で14カ月にわたる改修工事を実施。温度・湿度管理やバリアフリー対応などを整え、これまで私的だった歴史的建造物を公共空間へと転換することを目指す。その間、11月からは財団が所有する別会場「スタジオ・サン・ポーロ(Studio San Polo)」を拠点に、小規模な展覧会などを開催する予定だ。加えて、「ベネチアでまだ使われていないような場所を見つけたい」と語り、学校との連携にも意欲を示している。

「最初は地元ベルギーでの構想だったが、人生のほとんどを暮らしてきたからこそ、自分たちが幸せだと思える別の国での開催を考えた。私たちは昔からイタリアが大好きで、ローマやフィレンツェも候補だったが、最終的にたどり着いたのがベネチアだ。暮らすには素晴らしい街で、とても社交的な街でもある。観光客が多すぎると思われがちだが、実際には簡単にその喧騒から離れることができる。そして、車も、自転車も、信号もないという事実は、暮らしを大きく変えるんだ。それに、とても民主的な街でもあり、誰もが歩くか、水上バスに乗らなければならない。そう、黒い窓のリムジンに乗り、人目から隠れることはできないんだ」

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