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外交官からデザイナーに転身 ドイツのアトリエで学んだ「懐の深い」モノ作り

 2019-20年秋冬にスタートする「ゴーシュ ザ シームスター(GORSCHE THE SEEMSTER以下、ゴーシュ)」は、ビンテージライクな素材感とマニアックなディテールが光る、玄人好みなモノ作りが特徴だ。同ブランドを手掛ける鈴木詠一デザイナーが、ドイツのテーラードが得意なブランド「フランク・リーダー(FRANK LEDER)」出身と聞けば納得がいく。美しいコートのシルエットやシャツの端正な面構えには、ドイツのアトリエで学んだ技術が生きている。

 35歳にして初のコレクションを発表した鈴木デザイナーの経歴をさらに紐解けば、「フランク・リーダー」のアトリエで修行を積む前は、外交官だったというから驚きだ。20代にメキシコ、その後ボリビアへと渡った。キャリアが軌道に乗り始めた29歳の秋、ふと立ち寄った町の仕立屋で人生が大きく動いた。海外と日本をつなぐという使命を背中から下ろし、畑違いの服作りの世界へと飛び込んだ理由を聞いた。

WWD:まず、外交官とはどのような職業なのでしょうか?

鈴木詠一「ゴーシュ」デザイナー(以下、鈴木):簡単に言えば、交渉や交流を通じ、諸外国とよりよい関係を作るための仕事をしています。私は大使や外務省幹部への道が続くキャリア組ではありませんでしたが、海外の赴任地では日本の代表として振る舞うことが求められ、高い語学力や専門知識が必要でした。私の場合は25歳からメキシコ大使館に1年、ボリビア大使館に3年半駐在していました。英語とスペイン語を駆使し、主に会計や通信業などに従事していました。

WWD:外交官を辞めるのは勇気のいる決断だったのでは?

鈴木:(外交官時代は)それなりのお金は頂いていましたし、大きな使命感のある仕事だったので、やりがいはありました。しかしそれ以上に、クリエイティブなモノ作りの世界に引きつけられてしまいました。ボリビアに住んでいた当時、家の近くに小さな仕立屋がありました。もともと服は好きだったのですが、駐在中は日本にいたときと違って自分が着たいものも手に入らない生活が続いていて、きっと服に飢えていたのでしょうね。ふらっと立ち寄って、自分の着たい服を、自分で作らせて下さいとお願いしました。ところが、やってみたら全くできない。一朝一夕でどうにかなるようなものじゃないと感じました。でもこの難しさが逆にすごく面白いとも感じて。仕立屋を出るころには、もう転身する決意を固めていました。

WWD:服作りの基礎はどのように学んだ?

鈴木:まずは稼いだお金を学費に充てて、学校で服作りを学びました。運良く(ロンドンの)セント・マーチン美術大学のメンズウエア科に合格できたのですが、自分の肌には合わないと感じました。学べたのは、アートやマーケティング、リサーチなど服作りの周辺のことばかりだったんです。自分がやりたいのは服作りなのに、違うことを学ぶために高額な学費を払う必要はないなと感じ、もどかしい思いをしていました。

WWD:「フランク・リーダー」との出合いは?

鈴木:セント・マーチンでの2年目が終わる秋休みに、友達が見ていたルックの写真をのぞきこんだら、何とも言えぬ重厚な雰囲気で、「これはすごい」と衝撃を受けたことを覚えています。それが「フランク・リーダー」の服でした。すぐさまアトリエに電話を掛けて、つたないドイツ語で「働かせてほしい」と伝えたところ、(デザイナーの)フランクから二つ返事で「いいよ」と(笑)。最初の3カ月間は、雑用がメインでしたが、職場には私とフランクを含めて3人しかいなかったので、彼との距離も近くて、服のデザインにまつわることも色々と教わることができました。この修行は、服作りの過程の全てを学ぶ貴重な機会になりました。その後は計3年半、主にパターンメイキングをやらせてもらっていました。

WWD:フランクは厳しかった?

鈴木:彼は「やりたいようにやればいいよ」というスタンスだったので、その言葉通り私も自由にやっていました。「ゴーシュ」の今回のコレクションも、ドイツでの修行の合間に作った30型です。彼は色々な意味で本当に器の大きい人で、コートの裏地にパンツのディテールをデザインしてしまったり、ラペルに針金を入れてしまったりと、はちゃめちゃです。作品の中には、こんなの着れないよというものもありました(笑)。でも彼のおかげで「ファッションって自由なんだ」と心の底から思いましたし、そんなフランクのモノ作りに心酔している人がいました。時間や手間がかかっても、やりたいことをやり通せば、共感してくれる人は必ずいるのだと感じました。

WWD:どうして独立・帰国したのですか?

鈴木:モノ作りを通じて、地元の岩手を活性化したいという思いがあるからです。ゆくゆくは、岩手の職人さんと組んで服を作っていきたいと考えています。実はフランクが母国のドイツへ戻って服を作っているのも、同じような理由からだそうで、その点にも影響を受けています。だから独立すると打ち明けたときも、快く送り出してくれましたね。

WWD:今後のモノ作りの方針は?

鈴木:私は服飾の外の世界から来た新参者ですが、それをうまくアドバンテージにできたらと思っています。しばらくは信頼のおけるセレクトショップを販路にしていきます。多くのデザイナーは、お店からの商品の受注に最低数量を設けるといいますが、現状は考えていません。たとえ用意できる生地が数メートルしかなくても、それで作った服を着たいという人がいれば作りたい。個々のお店とのコミュニケーションを密にして、別注アイテムにも積極的に取り組んでいきたいです。それがフランクに学んだ懐の深さであり、職人らしさであると思っています。

WWD:「ゴーシュ」はどのように変わっていく?

鈴木:現状のデザインやパターンはフランクに影響を受けている部分が大いにあります。これからはヨーロッパに定期的に足を運び、そこで見つけたビンテージの服や街を歩くおしゃれな紳士たちを目に焼き付け、服作りをする上でのフィルターにしていきたいです。修行中は、現地の生地屋さんと良い関係を築くこともできました。今後のコレクションは、彼らから仕入れられるユニークな生地と日本の生地を織り混ぜて、より面白みのあるモノ作りができたらと考えています。

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