ファッション
連載 ヒキタミワの水玉上海

上海の2大洋菓子の秘密【ヒキタミワの水玉上海】

1993年から上海在住のライターでメイクアップアーティストでもあるヒキタミワさんの「水玉上海」は、ファッションやビューティの最新トレンドや人気のグルメ&ライフスタイル情報をベテランの業界人目線でお届けします。今回は上海を代表する2大洋菓子である「胡蝶酥(フーディエスー)」と「牛軋糖(ニウガータン)」について。戦前からの「国際都市」上海の姿を映し出しています。

日本から「フレンチ上海」の著者
にむらじゅんこさんを招いたトークイベント

オールド上海の代表的な二大洋菓子、胡蝶酥(フーディエスー/パルミエ=フランス風のパイ菓子)と牛軋糖(ニウガータン/ヌガー )の存在感が増している。豫園(ユーユエン)や田子坊(ティエンズファン)といった観光スポットを久しぶりに散歩してみたら、そのバリエーションにせよ、お店の数にせよ、以前より格段に進化していることに気づいた。胡蝶酥は、蝶々の形のパイ。牛軋糖はミルク入りヌガー。どちらもフランス人が住んでいたエリア「フランス租界」で食べられ、一世紀以上経っても上海人に愛され続けている。そのルーツを知りたくて、「フレンチ上海」(平凡社)の著者にむらじゅんこ教授(関西学院大学)をお呼びしてレクチャー&試食会「上海の洋風お菓子&料理の秘密に迫る」を企画した。

胡蝶酥は日本人的に言うならば「源氏パイ上海版」なのだが、フランスでは「パルミエ(椰子の実)」、ドイツでは「豚の耳」、スペインでは「メガネ」などと呼ばれ、ロシアでも売られている。だが、だれがいつ上海に伝えたのかは謎らしい。にむら先生によれば、アルメニア人大虐殺(1915-1917年)で、上海に逃げてきたチャッカリアン兄弟が普及させた可能性が高いとか。兄弟が開いたパン・ケーキ店「老大昌(ラオダーチャン)」は、淮海路の国泰電影院の対面にあり、昔も今も愛されている息の長いお店だ。上海に亡命ユダヤ人や亡命ロシア人が多かったと聞いたことはあったが、亡命アルメニア人もいたとは! かつてはビザもパスポートも不要で行き来できた国際都市・上海の懐の深さを感じさせるお菓子である。

さて、もうひとつの牛軋糖。この上海ヌガーの普及の背景には牛乳推奨があったはず。西欧人たちの食習慣にバターやミルクは欠かせないものだったし、滋養強壮のためにミルクは強く推奨された。「nougat(ヌガー)」という言葉自体はフランス語だが、実はヌガーには二種類あり、泡立てた卵白が入ったものが「白ヌガー」で、ナッツ類を砂糖やハチミツで固めたものが「黒ヌガー」。卵白の代わりにミルクを入れたものは、厳密には「ヌガー」ではないものの、ヌガーに見立てているところが上海ヌガーの日本や台湾との共通点(不二家の「ミルキー」、森永の「ヌガー」など)である。

また、ピーナッツや胡麻の入った、べっこう飴「花生芝麻酥(フアシェンジーマースー)」「麻薄酥(マーボースー)」が中国やベトナムではよく食べられているが、フランス人はこれを「ヌガー・シノワ」と今でも呼んでいる。つまり、西洋人の視点からは、これらのべっこう飴は「黒ヌガー」なのだ。にむら教授によれば、「花生芝麻酥」や「麻薄酥」も、シルクロード経由でも、海のシルクロード経由で中国に伝播していてもおかしくないのだという。中華菓子だと信じ込んでいたこれらがまさかフレンチ菓子だったことに驚きを隠せない。

レクチャーを聞きつつ、私たちは、トローネ(イタリアのヌガー)と牛軋糖を食べ比べ、国際飯店の胡蝶酥(4時間並んで購入)、ボルシチの上海版「羅宋湯(ロウソンタン)」(亡命ロシア・スープ)や土豆沙拉(トゥードウシャラー)(日本のポテトサラダに激似)も試食した。グローバルな近代のうねりの中で誕生した上海の歴史と文化交渉を知識としてだけでなく、舌でも味わうことができ、大満足の会となった。

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