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ヴァージル・アブローに寄せられた追悼文を訳しながら考えたこと【翻訳日記:今を読み解くキーワード 第3回】

 「WWDJAPAN」の翻訳担当による連載「翻訳日記:イマを読み解くキーワード」では、翻訳した米国版「WWD」のニュースを引用し、その言葉が日本語や英語でどのように使われているかなどを考察。注目のニュースから英語的な感覚を養い、物事を新たな角度から見るきっかけを提供する。連載を担当するのは、「WWDJAPAN」で翻訳を主に手掛ける先輩Kと後輩M。気づけば翻訳の道に入ってはや四半世紀の先輩Kと、入社2年目でミレニアルとZ世代の狭間を生きる日英バイリンガルの後輩Mが交換日記を交わすように話を深めていく。

 3回目のテーマは追悼文の翻訳。ニュース記事でありながらも、故人への思いなどの感情を表現した文章を翻訳する際の苦悩や、追悼文を巡る成り立ちや文化的背景などの裏話を語る。11月28日に急逝したヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)に寄せられた業界人や著名人らのコメントを起点に考える。

後輩M:今回は私が苦戦に苦戦を重ねた、追悼文の翻訳についてお話ししたいと思います。28日にヴァージルが亡くなった際、あまりに急であったことへの衝撃や、彼が残した功績・仕事を称えるため多くの著名人や業界人らが追悼の言葉をSNSで呟いたり、米「WWD」に寄せたりしました。WWDJAPANではウェブ記事としてもまとめたほか、急遽特集ページを作るなどしました。

先輩K:本当に突然の訃報で、私も驚きました。故人に敬意を払いながら、悼む方々の気持ちも表し、かつニュース媒体のコメントであることをバランスよく成立させるのは難しいですよね。

後輩M:そもそも今回このテーマにしよう!と思ったきっかけは、「I miss you(アイ ミス ユー)」の翻訳でした。寂しい気持ちや会いたい気持ちを表現するために日常的にもよく使う言葉なのですが、だからこそ改めて翻訳に向き合った時に「どう訳したら良いのだろう!?」と頭が真っ白になってしまったんです。

先輩K:一般的には、そのまま「〇〇がいなくて寂しい」という風に訳すことが多いです。

後輩M:はい。生活から故人がいなくなって寂しいことを表すには適切だと思うので、記事でも基本的にはそのように訳しました。もしくは「惜しまれる」などと書きましたが、「I miss you」はもっと能動的で、「ずっと愛しているよ!」くらいの熱量がこもっている感覚があって……。

先輩K:そもそも日本の文化では「愛している」と日常的に口にすることはあまりないですし、日本の新聞や報道で「愛」という言葉を目にすることは少ないというのもあって、適訳がないのかもしれません。原文に「love」とあっても、企業トップの話であれば「敬愛」や「尊敬」と翻訳するケースがほとんどです。

後輩M:夏目漱石が「I love you(愛している)」を「月がきれいですね」と訳しなさいと学生に教えたという都市伝説がありますが、それぐらい意訳して、「I miss you」も「私の心はあなたのものよ」はどうかなんて考え出す始末でした。

先輩K:あくまでニュース記事で、小説の翻訳ではないということは念頭におきましょう(笑)。本当はどういう思いが込められているのかなど、本人にしか分からない、事実の裏付けが取れない部分を勝手に翻訳するわけにもいかないですもんね。

後輩M:はい。もう一つ表現に頭を抱えたのが、「Rest in Power(レスト イン パワー)」でした。「安らかにお眠りください」という追悼の言葉は、英語では「Rest in Peace(レスト イン ピース)」、または略して「R.I.P」と書かれるのが一般的です。亡くなっている方に対してあまり使われない「Power(パワー)」をどのように追悼の言葉として表現すべきか悩みました。

先輩K:アメリカ公民権運動の中で、黒人活動家によって発せられた黒人結集のスローガンに「ブラックパワー」はよく使われており、そこからきている言い回しですね。俳優のチャドウィック・ボーズマン(Chadwick Boseman)氏が亡くなったときに、この言い回しをよく見かけました。生前に人種差別や偏見、社会問題と闘った人を讃える意味で、安らかに、そしてブラックパワーの誇りや力を胸に眠ってください、というニュアンスが込められています。公開している記事では「力とともにお眠りください」と訳しています。

後輩M:ブラックコミュニティーのこれまでの歩みや闘いといった、社会的・文化的背景を知らないと訳せないですね。

先輩K:ボーズマン氏が主演を務めた「ブラックパンサー(Black Panther)」は、メジャーな作品では初めての黒人スーパーヒーロー映画でした。アメリカに生きるブラックコミュニティーに勇気や感動、夢を与えたという点でとてもエンパワリングなものだったんです。そのような背景もあって、彼が亡くなったときに多くの方が使ったのだと思います。

後輩M:ヴァージルもそういう存在だったわけですよね。

先輩K:本当にそうでしたね。ラグジュアリーブランドの多くは欧州を拠点に長い歴史を持っていますが、米国出身の黒人として、そうしたメゾンの代表的な存在の一つである「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のメンズ・アーティスティック・ディレクターを務めたのはまさに快挙でした。

後輩M:背景知識も汲み取った翻訳が追悼文ではなおさら大切ということですね。ほかにも追悼文で多く使われた言葉は、「My heart goes out to your family」「My thoughts are with your family and friends」というものでした。これも、「寄り添っているニュアンスをどう訳そう?」と考えさせられました。

先輩K:これは気持ちのこもっている言葉であると同時に、追悼の際の定形文でもあるので、日本語でそれに該当する「ご家族にお悔やみを申し上げます」などとしています。話者の社会的な立場や故人との関係性などによって、日本語として不自然でないように訳すことが重要です。直訳的な意味としては、「ご家族の皆さまのことを思う」ですね。

後輩M:英語独特なのかはわかりませんが、「Thinking of you=あなたのことを考えている」というのは愛情表現の一つですよね。例えば、私が海外にいる友達に日本から連絡をとるときも、「I think about you a lot!」(物理的に離れていてもあなたを思っているし、気持ちはいつも一緒だよ!)と言うことで愛情を表現しますが、日本語にはない言い方のように感じます。

先輩K:一緒にいない時も相手のことを気にかけていて、「私の心はあなたのそばにいるよ」と伝えるという愛情表現ですね。

後輩M:訃報を訳しながら、ヴァージルは本当にたくさんの人々から愛されていたんだと感じました。悲しいニュースにまだ実感もわかない人も多いと思いますが、彼がこの業界に見せてくれた夢や後進に示した道は、多くの人々の心に残って若者たちを勇気づけていくと思います。

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