ジュエリーブランド「ヒロタカ(HIROTAKA)」は今年、創業15周年を迎えた。同ブランドは、デザイナーの井上寛崇が2010年、ニューヨークで初のコレクションを発表し本格デビュー。無駄を削ぎ落とした新感覚のジュエリーはたちまち現地のエディターやセレブリティの間で話題になり、日本でも着実にファンを増やしていった。ここでは、「ヒロタカ」を象徴する“イヤーカフ”誕生秘話やクリエイションへのこだわりをはじめ、井上自身の幼少期の思い出や未来の夢を交えながら紹介する。
幼少期に芽生えた反骨精神
PROFILE:1971年生まれ。高校卒業後に渡米し、その後パリへ移住。帰国し、国内の宝飾企業でハイジュエリーデザインや商品企画に携わり、研さんを積む。2007年にオーダーメードのアトリエを設立。10年にニューヨークで発コレクションを発表し本格デビュー。14年に東京へ拠点を移し、表参道ヒルズに初の旗艦店をオープン。現在は、日本を含む8カ国で展開し、国内では約100店舗で販売されている PHOTO:SHUHEI SHINE
井上の原点は、幼少期に触れたファッションやアート、神話などにある。母が個人輸入していた伊「ヴォーグ」や植物図鑑などを眺めて育った彼は、「王侯貴族のジュエリーに強く引かれた。熱帯雨林に生息する動物や植物にも魅了された」と話す。一方で、祖父も父も医師という家庭環境は厳しく、“後を継ぐのが当たり前”という価値観で育った。だが、彼は医師の道を選ばず、高校卒業後にカリフォルニア州立大学へ留学し、卒業後に帰国し、IT企業に就職した。28歳の時に、自分らしい生き方を模索するためにパリに渡り、そこで出会ったジュエリーコレクターがきっかけで、ジュエリーの世界に進む。帰国後は、宝飾企業に入社し、宝石やハイジュエリー製作について学んだ。「ハイジュエリーを手掛けていたからこそ、その後の表現に生かされていると思う」と井上。2007年に独立したが、ビジネスは容易ではなかった。そこで彼は、「日本の市場だけでなく、海外でチャレンジしよう」と一念発起しニューヨークに飛んだ。
アイコニックなイヤーカフの誕生秘話
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つてもないまま飛び込んだニューヨーク。百貨店「ヘンリ ベンデル」のバイヤーにジュエリーを見てもらったことで転機が訪れた。「18金のジュエリーは高すぎる」と言われ、10金を使用した値ごろ感のある“ファッション·ファイン”へ方向転換を決めた。そして10年、ホテルでトランクショーを開催し、チャンスが訪れた。10金とアコヤパールを組み合わせたジュエリーがファッション関係者の口コミにより知られ、多くの人が来場。井上は「あの瞬間が、『ヒロタカ』の始まりだった」と当時を振り返る。13年には「バーニーズ ニューヨーク」での販売が始まり、ブランドは勢いに乗る。メット·ガラでスタイリストのローレル·パンティンが「ヒロタカ」のリングを着け、SNSに投稿したのをきっかけに、セレブリティーの間でも人気が高まったのだ。
ブランドを象徴するイヤーカフは、ニューヨークでの会話から生まれた。当時ファッション関係者の多くが耳の内側にピアス(インナーコンク)をしていたが、「痛い」という声が多かった。そこで彼は11年、穴を開けなくてもピアスに見えるジュエリーを考案。耳に沿って下がるように設計された独自構造は、快適な着け心地とレイヤードの美しさを両立。まるで耳を一つのミュージアムに仕立てるようなアーティスティックなスタイリングを可能にする現在の“イヤーカフ”の原形が誕生した。、瞬く間にファッション業界で広がり16年には、15個以上のピアスを重ね着けしたキャンペーンビジュアルが仏「ヴォーグ」に掲載され大反響を呼ぶ。「耳元をアートのように飾りたいとディレクションしたビジュアル。それにより“イヤーカフ=『ヒロタカ』”が世界中に広まった」。
そぎ落として表現する“引き算”が生む美学
海外で日本人が手掛けるブランドに問われるのは“日本的な要素”だ。井上はその問いに“引き算”と答える。「多くの要素を積み重ね、そこからそぎ落として最後に残ったものを表現する。デザインの“抽象度を上げる”ことが大切だ」。例えば、“ベルーガ”シリーズは、チョウザメの姿そのものではなく、鱗の中のキャビアのイメージを抽出して表現している。
井上が美学に掲げるのは“オリジナリティーと反骨精神”だ。それを形にしたのが、15周年記念の新作“パンクチャー”。耳の後ろから装着する“バックスピア”ピアス”は、シックであると同時にパンクの要素もある。「耳に穴を開けてまで自分を飾りたいという衝動は、根源的なものだ。
大人になった今も、その反骨心をエレガントに表現し続けたい。紙とペンを持ち歩き、常にスケッチをしている。私のクリエイションの始まりはすべて落書きから」と語るように、井上にとってクリエイションは日常の一部だ。その情熱を支えるのは、ピュアな“子ども心”だという。
右脳と左脳を駆使して
迎えた周年と今後の夢
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井上がユニークなのは、クリエイションとビジネス両方に携わっている点だ。創作に没頭しながらも、ビジネス面では論理的な視点を同時に働かせている。「右脳と左脳をバランスよく使うことが大事。抽象的な思考と数字を見る冷静さを保つことでブランドを続けてこられた」。
15周年の節目に、ラボグロウンダイヤモンドを用いた新ライン“エル·エー·ブラウン”が登場した。「自由に肩の力を抜いて、日常的にダイヤモンドを楽しんでほしいという思いを込めた」。彼の視線はさらに未来へと向かう。「パリに小さな店舗を持ちたい。以前住んでいたマレ地区は、ブランドを始めようと決心した原点だ。もう一つの夢は、毎年、夏のバカンス期間中に南仏サントロペでポップアップを開くこと。これからも軽やかに遊び心を大切にしながら新たな挑戦をしていきたい」。
Maison Hirotaka 麻布台ヒルズ店
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