ファッション

原宿・竹下通りに43年続く「ブティック竹の子」 “竹の子族”やBLACKPINK、レディー・ガガも愛した名店

 原宿・竹下通りでひときわ目を引く、きらびやかな服がひしめく店が「ブティック竹の子」だ。同店は1979年のオープン以来、43年間にわたって婦人服や舞台衣装を販売し、変わりゆく原宿を見てきた。80年代前半には、野外でカラフルな衣装を身に着けて踊る若者たちの文化“竹の子族”の誕生にも大きく関わった。最近では、レディー・ガガ(Lady Gaga)が来店したという噂もある。同店に約30年間務めている黒田店長に、店の歴史から現在のあり方まで聞いた。

72歳の名物オーナーが築いた“竹の子族”文化

WWD:黒田店長はいつから「ブティック竹の子」に勤めている?

黒田店長(以下、黒田):私は30年近く勤めています。もともとはパターンを中心に服の勉強をしていて、デザインから製造、販売までを一貫して行うこの店が面白そうだと思ったんです。私は元竹の子族ではないですし、田舎の出身なのでどういう店なのかは全然知りませんでした。

WWD:創業者の大竹竹則オーナーはどんな人?

黒田:大竹オーナーは現在72歳です。もう店には立っていませんが、今でもデザインを一人で担当していて、店頭に並ぶ商品の半分は彼がデザインしたオリジナルのものです。

 子供の頃は、学校にお弁当を持っていけないほど貧しい暮らしをしていたと聞きました。でも足がすごく速くて、高校時代には地元・北海道の記録のほとんどを塗り替えるような陸上選手だったそうです。その後、ディスコやキャバレーなどの夜の世界に入って、水商売をしている人たちから注文を受けてオーダーメードの服を売り始めた。服作りのノウハウは、文化服装学院を卒業した知り合いに少し教えてもらっただけで、基本的には社員たちと実践しながら身に付けていったみたいです。

WWD:「ブティック竹の子」の始まりは?

黒田:実は1号店は桜上水店で、原宿は5〜6店舗目なんです。水商売の人にオーダーメードの服を売っていた流れで、婦人服を販売する「ブティック竹の子」1号店を桜上水に出店し、千歳烏山や中板橋など東京の住宅街を中心にお店を拡大しました。どこもオープン当初から好調で、月商1500万円を売り上げていたそうです。その後、ファッションの中心地に出店しようと、表参道と原宿にもオープンしました。どちらも小さいお店でしたが、全盛期は2店舗でそれぞれ1日35〜40万円を売り上げるほどになりました。一時は店内がすしづめ状態で、床が抜けたという話も聞きましたよ。

WWD:当時の運営体制は?

黒田:一番多い時で5店舗を運営していて、各店舗に店長の女の子が1〜2人ずついました。スタッフは全体でも10人以下だったはずです。各店舗の営業が終わってからみんなで集まり、売り上げの報告や商品のアイデア出しをしていたみたいですね。

WWD:竹の子族の衣装として親しまれたツーピースはどのようにして生まれた?

黒田:竹の子族の衣装“ハーレムスーツ”が完成したのは、表参道と原宿に店を出す前でした。普通の婦人服を中心に販売していながら、舞台衣装のように華やかなガウンが駆け出しのタレントやディスコに行く若者に売れるようになっていったんです。そんな状況を見て、若者みんなが踊りに行きたくなるような服を作れないかと考え始めたそうです。着心地が良くて動きやすいドルマンスリーブに、日本的な要素として、もんぺや法被の作りを掛け合わせたみたいですね。大竹オーナーは、ほかの人が考えられないようなものを作るんです。服の勉強をしていないからこそ、型にはまらないスタイルなんでしょうね。

WWD:竹の子族はどのように誕生した?

黒田:“ハーレムスーツ”は一着3000〜3500円で販売し、発売日に150着が完売するほど好評でした。表参道と原宿の店でも販売したら、“ハーレムスーツ”を着た若者が徐々に街に増えていき、半年ほどでメディアが彼らを“竹の子族”と呼ぶようになりました。彼らが外で踊り始めたのもきっかけがあります。大竹オーナーと親しくしていた男の子が、高校生だからという理由でディスコに入れてもらえず、店の前で音楽をかけて踊り出すようになっちゃったんです。同じような人がどんどん増えていくうちに、いつの間にか野外で踊る集団が“竹の子族”と呼ばれるようになっていました。大竹オーナーは“竹の子族の仕掛け人”と呼ばれるのが不本意だったみたいですけどね。

BLACK PINKにレディー・ガガ
各年代のスターたちが着用

WWD:竹の子族のブームが落ち着いてから、お店で扱うラインアップも変わった?

黒田:変わりましたね。時代を意識しつつ、変えていったんです。これまでのような独特のデザインは残しつつ、色味を抑えたものが増えました。戦略的に、若者に売れていたものとは逆を行ったんでしょう。また、昔は型数を絞っていたのですが、2000年前後から今ぐらいのバリエーションに拡充しました。ダンサー向けのものから、アイドルがステージで着る衣装、コスプレ要素のあるものまでそろえるようになりました。

WWD:レディー・ガガが来店したという噂も聞いた。

黒田:そうですね。以前からガガさんのスタイリストは来店していましたけど、本人も来日した時に店に来てくれました。当時は別のスタッフが対応しており、私はテレビ局から「ガガは何を買っていった?」と問い合わせを受けて知りました。ガガさんはうちで買った服をステージでも着てくれていたみたいですね。最近では浜崎あゆみさんがうちの衣装をアレンジして着ていたり、BLACKPINKが着ていたり。買ってもらった後はどう使おうがお客さまの自由ですし、うちは干渉しない主義なんです。

WWD:昨今は、どんなお客さんが来店することが多い?

黒田:最近は男女ともにステージ衣装を買いにくる、アイドルのお客さまが多いです。あとは芸人の方ですね。スタイリストが、衣装のスタイリング相談に来たり、若い服飾学生が勉強のために見に来たりすることもあります。みんなから「最初はこの店に入るのも勇気が必要だった」と言われますね。

WWD:歴史がある分、付き合いの長いお客さんも多いのでは?

黒田:そうですね。「昔、竹の子族だったんだよ!」と店に来てくれるおじさんやおばさんもいます。あと、若いお客さまがいつの間にか立派になっているケースもあります。竹の子族として踊っていた人がダンスの先生になり、発表会の衣装を毎年買いに来てくれるというつながりも、店を長く続けているからこそですね。最近では売れなかったアイドルの子がいつのまにか人気者になっていたり、服飾の勉強をしていた子がデザインの賞を取ったりしていました。私は、お客さまみんなを応援しています。

WWD:43年続いてきた「ブティック竹の子」の今後は?

黒田:「ブティック竹の子」一番のポリシーは、夢を売ること。ステージで着る人やそれを見た人、関わったみなさんが少しでも幸せな気持ちになったらいいですね。今後の目標は、それを何十年も続けていくことです。

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