アダストリアはこのほど、2025年の「全体店長会」をパシフィコ横浜で開催した。グループブランド各店の店長や要職者ら約3600人を前に、木村治社長が連結売上高3000億円を見据えた「5回目のチェンジ」について語った。
「業界3位のアダストリア」
油断や驕りがあった?
木村社長は冒頭、直近に発表された第3四半期(24年3〜11月)連結業績について言及。「売上高は過去最高だったが、秋物の消化遅れや海外・飲食事業の苦戦により減益だった。1月、2月も厳しい状況が続いている」と述べた。「為替の影響、人件費の増加などもあるが、最終的な責任は社長である私や経営陣にある」とし、「毎日店舗で売上を作っている皆さんには、本当に申し訳ない」と続けた。
さらに「この1年、テレビや本などで『アパレル業界3位のアダストリア』としてたくさん取り上げられたが、もしかしたら油断や驕りがあったのかもしれない」と反省の弁。「もう一度初心に立ち返り、これまで以上に現場とのコミュニケーションを大切にし、数字を作っていきたい」と決意を示すとともに、改めて売上高3000億円を見据えた「5回目のチェンジ」について語った。
木村社長が語る“チェンジ”とは、アダストリアが創業以来、市場環境の変化に対応するために繰り返してきた事業モデルの変革を指す。1つ目に、紳士服小売業からメンズカジュアル業態「ベガ」への業態転換(1973年)。2つ目に、ジーンズカジュアルショップ「ポイント」のスタートとチェーンオペレーションシステムの導入(82年)。3つ目に、OEM・ODM生産体制への移行と「ローリーズ ファーム」のストアブランド展開の開始(97年)。そして商品企画から生産、販売までを一貫する垂直統合型のSPA(製造小売)ビジネスの確立(2010年)だ。
「5回目のチェンジ」なぜ必要?
では今なぜ、再び「チェンジ」が必要なタイミングなのか。「日本では急速に人口減少が進んでいる。アパレル市場ではシェアの奪い合いによる業界再編がさらに進む。技術の進歩も想像よりずっと早く、お客さまの消費行動も大きく変わるだろう。こうした環境変化の中で、僕らが“なくてはならない企業”であるために、すべきことは一つ。小売業を超えた『プレイファッション・プラットフォーマー』として進化していくことだ」。
プレイファッション・プラットフォーマーへの変革とは、「現場で培ったお客さまとのつながりを、リアル・デジタルの両面でオープンに広げていく」というもの。木村社長はこの変革を支える重要な考えの一つに、まず「ID×LTV」を挙げた。「IDとは、僕らがつながっているお客さまのデータ、つまり顧客基盤のこと。顧客のLTV(生涯顧客価値)を高めるには、僕らとお客さまが強くつながることが不可欠。お客さまと日々向き合う皆さん(店舗スタッフ)にしかできないこと。つまり、5回目のチェンジは店舗から始まる」。
「アンドエスティ」から広げる輪
さらに顧客だけでなく、取引先企業とのつながりを深めていく。昨年10月、アダストリアは自社ECを「ドットエスティ」から「アンドエスティ」に名称変更し、同名の運営子会社を設立した。すでに22年から他社ブランドの取り扱いを開始し、現在17社22ブランドが出店しているが、「オープン化をさらに加速する」と木村社長は話す。「社員が持っている販売スキルやコミュニケーション能力、センスや感性を活用したい企業はたくさんいるし、どんどん仲間にしていく。あらゆる架け橋となり、ワクワクを生み出していく」。
こうした考えの下、この3月には、アダストリア本体のBtoB事業である「ビジネスプロデュース事業」と「デジタルソリューション事業」をアンドエスティに移管する。昨年は、イトーヨーカドーの衣料品平場をプロデュースした「ファウンドグッド」、「ピーチジョン」との協業によるアパレルラインなどの企業間コラボに取り組んだが、こういった協業事例をアンドエスティから積極的に生み出していく考えだ。また国内市場の縮小に対応するため、グループとして東南アジアや中国、台湾などへの進出を加速していくが、アンドエスティの越境EC機能を強化し、海外のファンのハブとする構想もある。
最後に木村社長は、「これまでの4回のチェンジは、すべてファッション小売の枠組みの中での変革だった。しかし今回は、業界を超えた領域のプレイヤーを巻き込むプラットフォーマーへ進化する、事業構造そのものの変革。これは、アダストリアにとって初めての挑戦だ」と語り、現場への奮起を呼び掛けた。