ファッション

“世界一売れたスニーカー”スタン・スミス本人が語る有名人ならではの苦労エピソード

 「アディダス オリジナルス(ADIDAS ORIGINALS)」が東京・原宿のバンクギャラリー(BANK GALLERY)で5月8日まで行っている体験型展覧会“交差点|交差展”の開催に合わせ、ブランドを代表する名作スニーカー“スタンスミス”のネーミングの由来となったアメリカ人の元テニスプレーヤー、スタン・スミス氏が来日した。1972年にウィンブルドン選手権を制覇し、87年には国際テニス殿堂入りした名選手に、世界的なヒットアイテム誕生の秘話を聞いた。

WWDジャパン(以下、WWD):今や世界中で人気の“スタンスミス”だが、誕生の経緯は?

スタン・スミス(以下、スミス):1965年に、アディダス創設者アディ・ダスラーの息子であるホルスト・ダスラーが、フランス人テニスプレーヤーのロバート・ハイレットとともにテニスシューズを開発したのが“スタンスミス”の原点だ。それまでテニスシューズと言えばキャンバス素材が一般的だった。彼らが共同開発したレザーのテニスシューズは、当時ではハイテクだったんだよ。

WWD:当時のモデルから、どのように現在の“スタンスミス”へと進化したのか?

スミス:シューズが誕生した65年からは、ロバート・ハイレットの名を冠した“ハイレット”という名前で販売していた。それから70年代に入り、アディダスがアメリカのマーケットに進出するために、アメリカの有名人をプロモーションに起用する必要があった。そこで当時ナンバーワンのテニスプレーヤーだった私に声が掛かったんだ。それから“ハイレット”は連名の“スタンスミス・ハイレット”になったが、しばらくして私だけの名前になった。デザインはアキレス腱周辺を保護するためにヒール部分を高くし、シュータンはズレを防ぐために大きくした。当初アディダスとは3年間の契約だったが、今は44年間も一緒にやらせてもらっている。さらに“スタンスミス”はシューズだけではなく、ウエアや時計なども販売するようになり、多くの人に愛されるようになった。

[rel][item title="【関連記事】スタン・スミス本人が来日 「アディダス」が約700足のアーカイブが見られる展覧会を開催" href="https://www.wwdjapan.com/fashion/2016/04/27/00020426.html" img="https://www.wwdjapan.com/fashion/files/2016/04/27/160427-adidas-001.jpg"][/rel]

次ページ:“スタンスミス”を履いたプレイヤーVSスタン・スミス本人。結果は? ▶

関連タグの最新記事

最新号紹介

WWDJAPAN Weekly

Timeless, Yet New 変わらない吉田、世界を変える【WWDBEAUTY付録:今こそ立ち上がれ、日本化粧品】

「WWDJAPAN」12月22日&29日合併号は、創業90周年を迎えた吉田カバン総力特集です。「ポーター(PORTER)」「ラゲッジレーベル(LUGGAGE LABEL)」「POTR」の3ブランドを擁し、日本を代表するカバンメーカー・吉田のモノ作りに迫ります。日本が誇る伝統技術を持つカバン職人たちと深い関係を築きながら、最先端の技術・素材を使い名だたるデザイナーズブランドとコラボレーションする相反…

詳細/購入はこちら

CONNECT WITH US モーニングダイジェスト
最新の業界ニュースを毎朝解説

前日のダイジェスト、読むべき業界ニュースを記者が選定し、解説を添えて毎朝お届けします(月曜〜金曜の平日配信、祝日・年末年始を除く)。 記事のアクセスランキングや週刊誌「WWDJAPAN Weekly」最新号も確認できます。

ご登録いただくと弊社のプライバシーポリシーに同意したことになります。 This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.

メルマガ会員の登録が完了しました。