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伝説のバイヤー、笠原安代が振り返る新入社員時代 コロナ後の世界にファッションができることは?

 新型コロナウイルス感染症拡大で世界中が大混乱の中にありますが、時は春。新たな一歩を踏み出す人も多い時期です。ファッション業界に足を踏み入れたものの、コロナに伴う不測の事態に不安を感じていたり、「この業界に未来はあるのか?」と考え込んでしまったりしている新入社員、若手スタッフも少なくないと思います。そんなときに耳を傾けたいのが業界の頼れる先輩の言葉。ここでは、セレクトショップ「アクアガール(AQUAGIRL)」などを率いてきた伝説のバイヤー、ディレクターで、そのセンスや人柄に業界内でもファンの多い笠原安代さんに、自身の若手社員時代を振り返ってもらいました。先輩のキャリアの築き方を知ることは、これからファッションの世界で羽ばたこうとしている人にとって参考になるはず。同時に、コロナショックの中でファッション業界が果たす役割については、若手以外が聞いても励まされる内容です。

WWD:笠原さんは大学卒業後、大丸(当時)に入社して、出身地である神戸の大丸に勤めました。どんな新入社員で、どんな仕事をしていましたか?

笠原安代ファッションディレクター(以下、笠原):入社後すぐは婦人服のヤングカジュアル、半年後にはミセスカジュアルに配属されて、店頭で販売など行っていました。勉強しなければいけないことが山積みで、本当に大変でしたね。取引先ブランドの販売員の見よう見まねで接客を行っていましたが、特にミセスカジュアル売り場のお客さまは自分の母親とほぼ同世代でとても難しかった。今も研修では、「聞き上手になりなさい」「知ったかぶりはしない方がいい」と販売員に伝えていますが、それは私自身の経験から思うことです。入社2年目は、どういうわけか販促や宣伝、マーケティングのチームに異動することになりました。「購買行動を調べるために若い消費者を組織化してほしい」「母の日・父の日の販促は全社で何をするべきか」といったお題が次から次へと降ってくるので、ここでもまた目の前の仕事を一つ一つ解決することに必死でした。

WWD:日中は忙しく働きつつ、それが終わると大阪の上田安子服飾専門学校の夜間クラスにも通われていたと聞きます。それはどんな考えから?

笠原:服が好きで百貨店に入社したけれど、ファッションの知識がなさすぎました。販促の仕事では、さまざまな部署の先輩社員に話を聞いて情報を集めてくる必要があったんですが、知識という後ろ楯がないとダメだと痛感したんです。乗り越えるために本をたくさん読みましたし、服飾の専門学校にも通いました。上司や先輩が薦めてくれた本を読んだときは自主的に感想文を書いて渡すようにしていて、そうした中で師匠のような人にも恵まれました。専門学校は、自分から上司に「表層的ではないファッションの知識を得たい」と訴えて通わせてもらったものです。当時は会社が社員研修にかなりお金をかけていたので、そういう面でとてもいい時代だったなとは思います。

WWD:大丸に入社して間もなく、男女雇用機会均等法が制定(1986年に施行)されました。ファッション業界では最近もセクハラが問題になりましたが、笠原さん自身は女性として、理不尽な思いをしたことはありましたか?

笠原:大丸に入社したのは、実は男女の待遇差がなかったからなんです。当時の就職は高卒、短大卒、四大卒とで分かれていましたが、大丸は高卒と大卒との待遇差はあったかもしれないけど、男女の待遇差はなかった。私は特段フェミニストだったわけではないけれど、同じ職種なのに女だからというだけで男性とお給料が違うというのは、純粋に「なんで?」って。母親が公務員だったので、男女一緒に働くということが自分の中で自然だったんだと思います。当時は同業の百貨店でも入社時点から男女の待遇差があるところもあって、そういうところに入社してもきっとおもしろくないだろうなと考えたんです。私は転職したので、あのまま会社にいたらどうなっていたかは分からない。もしかしたら、「ガラスの天井」を感じることもあったかもしれません。ただ、当時の同期や年の近い先輩で優秀だった方は、女性も今役員などになっています。もちろん、キャリアの中で理不尽なことも目にしてきました。同じチームの後輩や部下からもセクハラで相談を受けることはあったし、その対応には心をくだいてきました。もしも今セクハラに悩んでいる人がいたら、一人だけで心を痛めずに、身近な先輩や上司に相談してほしい。「相談しろだなんて当たり前のこと、みんな分かっている」と思われるかもしれませんが、抱え込んでしまうのが一番よくないから伝えたいんです。最近、若いスタッフと話した際に、セクハラに直面した際には同期や年の近い人たちと(セクハラにあたる)LINEなどの画面を共有して、セクハラは許さないというムードを作るという人もいました。それもたくましくていいなと思います。とにかく、誰かに相談してほしい。これは女性に限った話ではありません。

WWD:確かに、男女問わずパワハラなどの問題もあります。

笠原:自分がどれだけ真面目に働いていても、変な人に当たってしまったら問題に巻き込まれる可能性はあります。だから誰かに相談することが大事。業種によらず、ビジネスはどうしても過去のデータに捕われがちで、見たことのないプランに対してOKはなかなか出ないものです。それを説得しようとする過程でのパワハラめいたことは、私も経験してきました。「お前は趣味でファッションやっているのか」と幹部に怒鳴られたこともある。私はそれをバネにして見返してやろうと思ってやってきましたが、そういうときに大事なのは武器と仲間ですね。武器はさきほど話したような知識や、それに裏打ちされた説得力。仲間は一緒にこれをやり切りましょうって頑張れるチームのこと。こうやって振り返ってみると、私の20代って結構暴れん坊だったなと思いますね(笑)。

WWD:その後、ミラノ駐在員やバイヤーを経て大丸を退社し、「アクアガール」(ワールド)のバイヤー、ディレクターに転身しました。夢をつかむために心掛けてきたことはありますか?

笠原:私は夢を大きく設定して、そこに向かって進んできたわけじゃないんです。タイミングごとに「これをやってみないか?」と私を導いてくださる人が出てきた。目の前のことに一生懸命取り組んで、自分自身の問題意識に集中していると次の扉が見えてきます。それをどんどん開けてきました。だから、ものすごく大きな夢があるわけじゃなくても、今ある仕事に真剣に立ち向かう中で道を切り開くこともできると知ってほしい。とりあえず、心掛けているのは来る依頼を拒まないこと。「えっ?」と思う内容の依頼もありますよ(笑)。でも一度やってみる。その依頼に直接応えることはできなくても、何か違う形につながるかもしれませんから。

WWD:バイヤーやディレクターという職種を目指す若手社員も多いです。どんなスキルがあると仕事をするうえで有利ですか?

笠原:今って、デザイナーや作り手が直接消費者とつながって、商品を売ることができる時代です。そんな時代において、バイヤーやディレクターの存在意義って何だろうとはよく考えています。私の答えは、作る人も買う人もよりハッピーになるように働くこと。そのために必要なスキルはコミュニケーション能力です。ではそのコミュニケーション能力とは何かという話になりますが、私が大切だと思っているのは、立場や経歴、職種などを超えて、あらゆる人にちゃんと伝える手段を持つこと。思いを形にしていく手段を持つことです。それをさらにかみ砕くと、説得力だったり、すぐに動き出せる行動力だったり、理不尽なときにも諦めない力だったり、礼儀正しさだったりします。コミュニケーション能力として、SNSやアプリに精通していることや、語学ができるといったことももちろん大事ですが、それだけではないと私は思う。これって、大丸での駆け出し時代に販促の仕事をする中で大切だと痛感したこととも重なります。

WWD:コロナショックの中で、「ファッションについて語るなんて不謹慎」といったムードも世の中にはあります。こんな状況下でファッションができることって、あるのでしょうか?

笠原:「アクアガール」時代の顧客受注会で、お医者さんや看護師さんなど、医療関係に従事するお客さまが夢のようにすてきな服を楽しんでいらっしゃったことが印象に残っています。(コロナ対応に限らず)戦っている人ほど美しいものを欲していて、それがあるからまた戦えるんだと思う。だから私はファッションが不謹慎だとは思いません。第一次世界大戦が終わった1920年代って、アールデコやモダンガールが生まれ、後のファッション史や美術史に大きな影響を残しました。当時モダンガール、モダンボーイと呼ばれて文化を作った人たちは、今でいうミレニアル世代やZ世代だったと思うんです。コロナショックによって、前年実績をもとにしたビジネス設計はもうできなくなりました。大変なことですけど、面白い時代とも言えるはず。もちろん大人は、「前年と比べられないなら一昨年と比べて」とか「家賃から逆算すると」とか言うでしょう。そういう冷静な視点も大切ですが、(コロナショックは)若い人が柔軟な思考で時代を塗り替えていくチャンスになり得ると思います。同時にそれは、若い人だけに限った話でもない。ムッシュ・クリスチャン・ディオール(Christian Dior)が自身のメゾンを開いたのは、第二次世界大戦後。40歳を過ぎてからです。年齢は関係ない。世界規模の危機のあとに美しいものが生まれてきたというのは歴史上の事実。だから、悲観し過ぎることなく、前向きでいたいと思っています。


【笠原さんが自宅待機中の若手社員に薦めるこの1冊】

「モードの体系」:「社会人2年目の私に、上司が薦めてくれた本。変化し続けるファッションの変化の理由を捉えることは難しくて不可解ですが、それゆえ私はファッションの魅力にはまっていきました」

【それ以外にも…】

「イヴ・サンローラン 喝采と孤独の間で」:「現代のファッションシステムを振り返り、今後のあり方を問う一冊。『アクアガール』バイヤー就任間もないころ、パリコレで隣席になったファッションジャーナリストの平川武治さんに薦められました」

「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか」:「経営におけるアートとサイエンスという考えを、社会人1年目から意識し実践することはファッションビジネスの未来を思考する一助になるはず」

「『感動』に不況はない」:「小林章一アルビオン社長に迫った本。リーマンショック後の不況の中で、ファッション業界が価格偏重になり悩んでいた時に読んだ本です」