PROFILE: (右)北村匠海 (左)内山拓也

2月12〜22日に開催された、第76回ベルリン国際映画祭。パノラマ部門で上映された映画『しびれ』の終映後、エンドロールが流れると、会場には鳴り止まない拍手が巻き起こった。その熱狂の中心にいたのは、内山拓也監督と俳優・北村匠海だ。監督が自身の経験を元に、十余年書き続けた渾身の脚本。失声症を抱える青年の20年を4人の俳優が演じ繋ぐという野心的な試みの中で、成年期を担った北村匠海は自らに「3つのルール」を課した。——タトゥーを取らず、できるだけ眠らず、監督にNOを言わない。内山監督の「心中しようぜ」という熱い言葉から始まったという現場で、2人が表現の限界に挑み描こうとしたものとは?
小さな世界の、大きな物語
――まず映画を作ることになったきっかけについて教えてください。なぜ「今」自伝的映画を作る必要があったのか。地元・新潟のある町のミクロな世界の出来事を選んだ背景を教えて下さい。
内山拓也(以下、内山):小さな世界の大きな物語を撮りたいという構想が最初にありました。自分のルーツに繋がることが最も個人的でありながら、最もクリエイティブな行為だと感じたんです。個人的な経験に根ざしている部分とそれを映画的な文脈として再構築して客観な提示をしたいと着想しました。よく「社会を描く」という言葉がありますが、それは社会のまざまざとした何かを映すということではなくて。人と人がいれば、その関係性の中で社会が生まれる。その最初で最小の単位が家族で。そこから立脚すると自ずとその背景が見えてくる。今の時代にとって小さなところから見つめ直さないといけないと思ったのがきっかけです。
北村匠海(以下、北村):半ば脚本をラブレターとして受け取った感覚があります。この作品の中で、色々と内山監督と話していく中で印象的だったのは「この作品で、心中しようぜ」という言葉です。
――なぜ北村匠海さんに彼を演じてもらう必要があったのでしょうか。
内山:まず純粋に、彼の目にずっと惹かれていました。「眼差し」が重要な映画だったので、北村匠海である必要があった一番の所以です。出会う前は間接的にテレビの人としてみていて、出会ってからも彼は小さな世界を大きな場所で描くことにチャレンジしているという稀有な存在だと思っていました。同世代でありながら、彼がみている世界を通してなら主人公・大地を体現できると確信していました。彼の俳優人生20年の節目がこの作品であることは、やっぱり特別な縁とタイミングであったんだと感じています。
――「失声症」という制限がある役を演じるところで脚本を受け取って、どういう風にこの役を演じてみようと思われたんでしょうか。
北村:役者として、声を発さないのは逆に可能性を秘めている。自分の成せる表現として無限大の可能性があると感じた。「何かを失うこと」ではじめて見えるもの、聴こえてくることがある。現場でこれまでの大地が紡いできた時間を自分が感じていくしかない。そこにワクワクが詰まっていました。
――なるほど。具体的に演技する上で心がけてたことは?
北村: 内山監督が人生で最初に書いた脚本で、半・自伝だというところも全て含めて。僕はもうその内山監督が発する言葉、感じていることだったり、見ている景色に絶対にこの現場では「ノー」を出さないこと。僕が思う大地はカメラの前でやり続けるから、そこも監督が道を作ってくれと。それは大地という役柄でしか成し得ない。台詞に執着したら、成し得ないことかもしれないとこの現場で思いました。自分に課したルールは「寝ないこと」「タトゥーを取らないこと」「監督にノーと言わないこと」だけ。ずっと大地としてい続けたかったので。自分は10日前後の撮影でしたけど、工夫して。
――寝ない?
北村:そうです。肉体的にも精神的にも自分を追い詰めたかった。それが映像として残るかはわからなかったけれども。擬似的にでも大地がこれまでの人生で感じてきたような痛みを与えないといけなかった。そして現場を信じて、飛び込むだけだと。
「脚本を超えた、見たことのない景色を見てみたい」
――大地という役は、幼少期を演じた穐本陽月さん、少年時代を演じた加藤庵次さん、榎本司さんを経て、北村さんが最後の成年期を演じられる役でした。 大地の役作りにおいて、他の方たちとの整合性を保つ上で難しかったところはありますか ?
北村:当時僕は「あんぱん」の撮影の最中でしたので現場を見ることができず。その分、宮沢さんをはじめとしてこれまでの3人の大地が作り上げてきた空気がありました。それ以外でも、スタンバイ中にヘアメイクの方やスタイリストの方が大地の話をずっとしていて。俳優陣と制作サイドの人間が双方共に大地を見守り続けてきた空気が現場に流れてました。こちらから歩み寄らなくても、自分が現場に飛び込めば大地になれる確信を初日に感じました。
――現場で母親役の宮沢りえさんと父親役の永瀬正敏さんとどんなコミュニケーションをとられたんですか?
北村:僕は各シーンにおいて誰とも肉声でコミュニケーション取っていません。大地自身が声を失っている分、内山監督以外視界に入れないように……。ただもう本当に演技者として宮沢さんも永瀬さんもやっぱり凄まじいなって。全部のシーンが濃かったですね。
内山:宮沢さんと永瀬さんのシーンは、僕含めて結構スタッフが震えながら見ているというか、落涙しながら見ている人もたくさんいました。映画のシーン数自体は多くありませんが、映画制作の醍醐味を感じるようなシーンばかりで、現場全体が神秘的といいますか、静謐で、ずっと愛に包まれていました。
北村:率直に言うと、両親ともに別のキツさがあった。本当にお話をしたのはポスターを撮った時ぐらいで。 きつかったですね。「宮沢さん。明るい!」って(笑)。演技中は、お互いそういう空気では全くなかったので。
――監督から特に何かメッセージを伝えたり、あるいは全体を通してこうしてほしいと伝えたシーンはあったんですか?
内山:全体を通して、誰に対してでもこうしてほしいという言い方はしていません。「脚本を超えた、見たことのない景色を見てみたい」という気持ちでおりましたから。最終的にその人に宿るものを一番信じたいと思っていました。
――なぜ全編フイルムで撮ることにこだわったのでしょうか?
内山:例えば押入れから昔のカメラを発掘したとして、現像したフィルムには思いもよらない年代が刻まれている。 フィルムには時間が凝縮されるように眠っていて、時間を閉じ込めている感覚です。表面上の記録ではなく、その奥を映し出すような感覚です。もちろん物理的には、大地の20年間がスライフ・オブ・ライフとして断片的に映っているわけですが、 でもその 20年間を一緒に味わったような体感があって。その体感をそのままに、時間や空気を凝縮させました。
――同時に身体的な作品だと思いました。撮り方が手ぶれも含めて生々しくて。そこによってヒリヒリする(痺れる)感覚も意図的に選択したのかなと思っていたところだったので。
北村:大地がとある目的を果たすために、さまようシーンがあるんですけど、内山監督と撮影監督の光岡さんと事前に話した時に「絶対についていくので、どこ行ってもいいです」みたいな。そこは信頼感がありましたね。
――パーソナルな映画ではある分、客観性を維持するのが難しいかと思ったのですが、その辺はどう保っていたんでしょうか?
内山:大地の背中、もしくは横顔を追い続けていれば、その先に世界が広がっています。大地を映すとその先にある海が見える。その先には社会が見えて、その先には時代が見えるかもしれない。登場人物、あるいは映画そのものが物語る時、その関係性は密接に絡み合います。生きることは人々の政治的抵抗でもあり、全ては人々の営みから立脚します。映画は時に世の中を、あるいは文化を、あるいは政治そのものを動かす力があります。それがエンターテイメントの力であり、働きかけだと思います。「しびれ」では、大地の姿や眼差しを映し出しながら行動の観察をし、世の中に対して“今はこんな時代なんだ“ということをお客さんが自ずと体感することで、追体験の先に自分に返ってくる、見つめ直しがあってほしいと願いました。僕は大地を見つめるという客観性を取り入れることを気をつけました。
――ミクロな主観的な世界を描く上でリファレンスはあったのでしょうか?
内山:改めてこの作品を撮る時に、ジャン・ルノワールやロベール・ブレッソンの映画を観返したんです。彼らは、主観的とも言われるほどに密着して撮影しているのですが、それが観察している客観性があるなと思えて。 それは映画的な視座だと思います。今作はある種の節目で、決して決着ではないんですけど、自分の分岐点の作品だと思っていて。そういう意味では映画から恩恵を受けて、スタイリストの道を捨てて、映画業界に飛び込んだ約10年が経過した今、「映画がなければ僕はこの世にいない」と感じる瞬間は確実にあります。映画に生かされた自分にとって、映画への感謝でもあり、恩返しの作品でもあると思っています。
鑑賞者の人生の数だけ、見方がある。
――ベルリン国際映画祭で上映されて、濃密な集中力を観客に感じました。実際に今回、この会場で観客と一緒に見た感想を聞かせてください。
北村:監督と携わったスタッフの4人が並んで、僕らが作った映画をベルリンの地で観てるんだと思ったら、途中から不思議な気持ちで。 集中力が伝わって、嬉しかったですし。主観/客観の話から言うと、僕は大地をもう究極の主観で生きていたし、 大地を通じて内山監督を常に重ねる日々だったんで。「内山監督、大地、よかったな」という……。公式上映を終えた今、客観的になれている感じがあります。 会場に来てくれた皆さんが、のめりこんでるのを感じれば感じるほど、自分の気持ちが楽になる感覚がありました。緊張が解けるという意味ではなくて、僕らが作ったものを受け入れてもらえた実感がありました。
内山:撮影稿となった脚本には58シーンしかない中で、皆さんがどこで映画に入っていくのかを意識していました。映像や音が研ぎ澄まされる瞬間に、会場全体が感じ取ってくれている空気が充満していました。そこで感じた空気を吸収して、持ち帰りたいと思いました。素直にエンドロール中から拍手が起きて、非常に喜ばしい時間でした。
――ベルリン国際映画祭は三大国際映画祭の中で社会性が強いもの時代性が強いものが評価される傾向になる。しかもパノラマ部門は革新性が重視される中で、国際的に認められたということになります。 新潟の小さな町の話が、世界の人に認められたことに関して、出品されたことへの受け止めについて教えてください。
北村:作り手の思いはもちろんあるけど、やっぱり受け取る人の人生、つまり人との関わり方だったりで、本当に見え方が一つじゃないと思っていて。むしろそれがエンタメのあるべき姿だと思うんです。 だから星の数ほどに映画が生まれるし、それにやっぱり五点満点がつかないのがエンターテイメント。
でも高評価していただけることは、ある意味、観てくれる方々が、なんかしらの形で自分ごとにしてくれている。自分に置き換えられる要素がこの作品の中に詰まっている。それが家族という、最小単位の社会だとか。でも僕はやっぱり大きく捉えると「愛の話」だと思うから。人は誰しも誰かから生まれてきて。僕は家庭環境が幸せで、裕福ではないけど、何不自由なくここまで生きてきました。それでも、この作品には自分ごとにできる要素がすごいあるから。国境を超えたというのは、今それが必要とされているということ。愛というものを再認識できる作品なんだと思います。
◾️映画「しびれ」
2026年9月25日公開
監督・脚本・原案:内山拓也
出演:北村匠海、宮沢りえ、榎本司、加藤庵次、穐本陽月、赤間麻里子、永瀬正敏
配給:ナカチカピクチャーズ
https://shibire.jp/