
アパレル業界では長らく「服はネットで売れない」と言われてきた。そんな常識を覆し、日本のファッションECをけん引してきたのが「ゾゾタウン(ZOZOTOWN)」だ。2004年12月開設から20年、数々の挑戦と転機を経て今日のプラットフォームへと成長してきた。黎明期の苦労から新領域への挑戦まで、その舞台裏を「ゾゾタウン」の立ち上げに携わった武藤貴宣 ZOZOファッションチアリーダーと、松田健ブランド営業本部長の2人のキーパーソンとともに振り返る。
【黎明期:2004〜06年】「ECで服は売れない」どころか門前払い
WWD:当時は「ECで服は売れない」と言われていました。そんな中でブランドをどう口説き、どのような出来事が黎明期のマイルストーンになったのでしょうか?
武藤貴宣(以下、武藤):2004年12月に「ゾゾタウン」をオープンしました。最初は27ショップ・250ブランドの取り扱いでスタートしました。それまでバラバラに運営していたショップ別の通販サイトを統一IDにまとめるところから始めたんです。当時の会社名はスタートトゥデイで、音楽のCD・レコードの通販と並行してアパレルを販売していました。スタッフも10〜20人程度。音楽と親和性の高いストリート系ブランドを扱っていました。

2004年の「ゾゾタウン」開始時のサイト画像
WWD:開設当初の売れ行きは?
武藤:よく売れました。それでも当時は「通販」という言葉自体が嫌がられて、営業のアポすら取れず苦労しました。ゾゾタウンの売り上げ実績を見せたり、取り扱いブランドのラインアップを説明したり、毎日のように根気強く丁寧にブランドと会話することで少しずつ開拓していきました。午前中に社員全員で出荷作業をして、時間があるときには午後から全員で都内へ営業に行っていました。ブランドの展示会では、人が少ない時間でないとアポイントが取れなかったり、発注数に上限が設けられるなど。本当に苦労の連続でした。われわれの強みは、常にユーザー視点を大事にし、お客さまの顔を思い浮かべながら運営を続けることで、売れるものが分かっていたこと。また、ブランドや商品の背景にある“想い”を深く理解し、その魅力をサイト上できちんと伝えることも重視していました。ブランドには、「通販でも売れる」体験をしてもらうことで拡大を目指しました。
WWD:その中で、2005年のユナイテッドアローズとの取引が転機になった。
武藤:営業をしていると、ユナイテッドアローズ(UA)がとても重要な存在なことが分かってきました。妻がUAで働いていたということもあり、奇跡的に創業者の重松理さんにアポイントが取れた。UA側もECを研究していたタイミングで、1週間後には千葉のオフィスに来てくれました。当時はまだ「ゾゾタウン」をオープンする前で、訪問してくれるのはヤマト運輸さんくらい。一緒に未来の話をしたり、倉庫として使っていたUSMハラーの棚を見て「かっこいいね」と言ってくれたりしました。その後、取締役会でプレゼンの機会をいただいたことで、取引の実現に大きく進みました。ゾゾタウンオープン時は同社の一部ショップが出店し、05年に「ユナイテッドアローズ」が出店しました。

自社セレクトショップ「EPROZE」のCG画像
WWD:サイトのUIや、3Dグラフィックへのこだわりも印象的でした。なぜそこまで時間とコストをかけたのでしょうか?
武藤:「ゾゾタウン」という名前は“想像(SOZO)”と“創造(SOZO)”の2つの“ZO”をとり、その名の通り、私たちは“想像と創造の行き交う街”をつくりたかったんです。参加するショップに、ネット上の架空の街に入ってもらうようなイメージです。リアル店舗ではできないことを実現するため、精巧なCGでモックをつくり、4カットくらいのバーチャルショップを構築しました。お金も時間もかかりましたが、それを見せながらブランドに対して「バーチャル上で理想の店をつくりませんか?」という提案をしていったんです。それが結果的に、ただ“売る場所”ではなく“ファッションに触れる場所”としてブランドの格を上げる、と考えてくれるブランドが出てきました。ユーザーにとっては「買い物自体が楽しくなるような体験」を設計しつつ、ブランドにとっては「独自の世界観を保ちながら共存できる」、そんな場所・空間を目指したんです。

武藤さんと松田さん
武藤貴宣 ZOZOファッションチアリーダー(左)
PROFILE:(むとう・たかのぶ)東京情報大学卒業後、東光オーエーシステムを経て、2002年にスタートトゥデイ(現ZOZO)に入社。アパレルブランドの新規営業を担当。オリジナルセレクトショップ「ZICUE」「DEDUE」「HYBAA」のバイヤーなどを経て、新規営業先開拓を担当。2007年6月に取締役就任。EC事業部門でのテナント出店ブランドの運営・管理を行うストア運営管理部と商品の買い付けを行うストア企画開発部を統括。19年5月よりEC事業本部の管掌執行役員を務め、22年2月にファッションチアリーダー就任
松田健 ZOZOブランド営業本部 本部長(右)
PROFILE:(まつだ・けん)広告代理店勤務を経て、2008年にスタートトゥデイ(現ZOZO)入社。WEAR事業をはじめ多数の事業を経験した後、新規出店や出店ブランドのサポートなどを行うEC事業本部で営業を担当。2021年から現職
2004〜06年の主なトピックス
2004年12月 「ゾゾタウン」オープン
「“想像”と“創造”の行き交う街」というコンセプトで「ゾゾタウン」がオープン。当時は27ショップ・250ブランドの取り扱いでスタート
2005年 ユナイテッドアローズ、ビームスがオープン
日本を代表するセレクトショップが同時オープン
★2005年3月期:アクティブ会員数10万人を突破(11万9452人)
2005年 「ゾゾブック(ZOZOBOOK)」創刊
「ゾゾタウン」ユーザーに無料配布をしたカタログブック。企画から編集をほぼ自前で制作。掲載商品には2次元コードをつけて携帯電話から購入できるように
2006年 「ゾゾタワー(ZOZOTOWER)」「ゾゾレジデンス(ZOZORESIDENCE)」オープン
「ゾゾタウン」への出店増に伴い、ショップやブランドを集約した「タワー」を“街”の中にオープン。「ゾゾレジデンス」はファッション好きのコミュニティとして招待制の居住型SNS(2008年11月に終了)。
【勃興期:2007〜10年】「ファッションECプラットフォーム」の
原型はもうそこにあった!?

2009年(左)と2012年(右)の「ゾゾタウン」のサイト画像
WWD:「ゾゾピープル」「ゾゾウォーカー」など、当時はかなり多くのアイデアやサービスを実装していた。しかも必ずしも通販と連動しないようなサービスも多い。どう生まれ、なぜ実装したのか?
武藤:基本的には「面白いからやろうぜ」という感覚でしたね(笑)。「ゾゾナビ」は、全国のファッションの店をリスト化し、地図上にまとめた“ファッション版イエローページ”。ファッションの情報を全部ネット上にデータベース化してやろうと思っていて、当時から「ゾゾタウンを見ればファッションのことは何でも分かるようにする」ってことを本気で考えていた。損得勘定はあまりなく、むしろ「なんでこんなことを?」と不思議がられたこともありました。
武藤:「ゾゾレジデンス」は今でいう会員制のSNSで、ショップやスタッフも多く使っていた。著名人によるブログサービス「ゾゾウォーカー」はユナイテッドアローズ創業者の重松理さんや「デビロック」デザイナーの遠藤(憲昭)さんを筆頭に、多彩な顔ぶれの業界人・クリエイターが参加していました。「ゾゾレジデンス」のグラフィックは、インテリアデザイナーの片山正通さんに手掛けていただきました。

インテリアデザイナーの片山正通さんがデザインした「ゾゾレジデンス」のグラフィック
WWD:当時から「プラットフォーム」という意識があった?
武藤:正直、意識していたわけではありません。ただ「ゾゾナビ」のように直接的には1円も生まない仕組みでも、結果的にユーザーやブランドのためになればいい。そういう考え方が自然と積み重なって、今のZOZOの基盤につながっているのだと思います。

2010年の初代「ゾゾヴィラ」のサイト画像
WWD:2007年に「ゾゾリゾート」をオープンし、その後「ゾゾプレス」「ゾゾヴィラ」(いずれも2010年)へと展開。2009年には初のテレビCM、10年にはリゾートの全面リニューアルもあった。
武藤:この時期は一気にお客さまが増えて、モバイルの利用も急速に伸びてきました。常にA/Bテストを繰り返しながら、機能性とデザイン性の両立を探っていましたね。中でも「ゾゾヴィラ」はハイブランドのための高級ラインで、最初に参加いただいたのが「アンダーカバー」でした。CGを駆使して城を表現するなど、ぜいたくな世界観を打ち出し、ファッション業界からも注目を浴びることができました。

CGの街並み
WWD:個人的には「ゾゾプレス」が印象に残っている。
武藤:「ゾゾプレス」はブログ全盛の時期に立ち上げた読み物コンテンツです。6つのカテゴリーを設け、撮影からディレクション、執筆まで自分たちで担当しました。平日はなんと毎日更新していて、情報発信の重要なコンテンツでしたね。
WWD:2010年には早くもユナイテッドアローズとの在庫連携がスタートした。
武藤:業界全体で「在庫」は大きな課題でした。それをテクノロジーで解決できないかと考えたのがきっかけです。ブランドと在庫を一元管理できたら面白いのでは、と。創業当初から「物流×IT」をずっとやってきていたので、本来であれば他社とのつなぎ込みに莫大なノウハウやお金、リソースが必要なところも、当社はけっこうあっさりできました。
2007〜10年の主なトピックス

「ゾゾピープル」(左)と「ゾゾナビ」(右)
2007年 「ゾゾナビ(ZOZONAVI)」開始
いわゆるファッション情報に特化したイエローページ。地域やブランドから全国のショップ情報を検索できる総合ショップリストサービス(14年11月に「WEAR」に統合、15年3月にサービス終了)
2007年 「ゾゾウォーカー(ZOZOWALKER)」開始
いわゆる著名人ブログ。ユナイテッドアローズ創業者の重松理氏らを筆頭に業界の大物からインフルエンサー、アーティスト、スケーターなどインフルエンサーが多く参加した(08年12月に「ゾゾピープル」に統合)
2007年 サイトを「ゾゾリゾート(ZOZORESORT)」としてリニューアル
「ゾゾタウン」を含む各種サービスを統合したインターネット上のリゾートとしてリニューアル
2008年 「ゾゾピープル(ZOZOPEOPLE)」開始
ヒト・コト(日記)・モノ(アイテム)に特化した情報発信サイト(14年11月に「WEAR」に統合)
2010年 「ゾゾヴィラ(ZOZOVILLA)」オープン
「ゾゾリゾート」内の新たな“島”として、デザイナーズブランドやラグジュアリーブランドを展開するサイト(14年11月、「ゾゾタウン」に統合)
2010年 「ゾゾリゾート」リニューアル
インターネット上の「街」というコンセプトを一新し、たくさんの「人」の想いや意見、表現が行き交うファッション総合サイトを目指し大幅リニューアル
2010年 「ゾゾプレス」開始
カジュアルやモードなど6ジャンルの最新ファッション情報を、雑誌の1 ページに見立てて発信(12年5月サービス終了)
【本格拡大期:2011〜15年】ECの普及とともに「ゾゾタウン」も飛躍

賛同した680ブランドの名前を入れた東日本大震災時のチャリティーTシャツと2014年に誕生し今や定番となった「ゾゾ箱」
WWD:2011年3月11日の東日本大震災のとき、「チャリティーTシャツ」はファッション業界に大きなインパクトがあった。どのように始まったのか?
松田健(以下、松田):「自分たちに何ができるか」という議論で、(前代表の)前澤(友作)さんのアイデアで「チャリティーTシャツをやろう」と決まりプロジェクトが始動しました。出勤できるメンバーをかき集めて、ブランドに電話をかけ、ブランド名入りのTシャツ販売に協力をお願いしました。
WWD:震災直後という中で、混乱や戸惑いは?
松田:社内では日ごろからチャリティーや突発的なプロジェクトを経験していたので、決まった瞬間に一丸となって動けました。それ以上に心を打たれたのは、ブランドの皆さんの対応です。自社の名前を他社の製品に載せるのは本来なら簡単なことではありません。しかも震災直後という状況にもかかわらず、最終的には680のブランドに賛同していただけた。ブランドとのつながりを強く実感でき、本当にうれしかったですね。
武藤:最終的に国内外で約17万枚を販売しました。街を歩いていると、実際に着ている人を何人も見かけましたし、取引先や知人からも「街で見たよ」とよく声をかけられました。自分たちが動けば、社会にポジティブなインパクトを与えられるんだと実感した出来事でした。
WWD:14年には「ゾゾ箱」が登場した。今でこそ独自デザインの梱包箱は一般的だが、当時はかなり珍しかった。誕生の経緯は?
松田:ゾゾは創業以来、「オフィスも倉庫もかっこよく」という文化がありました。その流れで「箱もかっこよく」というのは自然なことで、なにかきっかけがあったというわけではなかった。ただ、実際にやってみると想像以上の反響で、街中で配送業者が運んでいるときはもちろん、例えばマンションの段ボール置き場でさえ目立つ。ブランド発信の一環としても非常に効果が大きかったですね。
武藤:ただ、コストは大幅に上がりました(笑)。でもそれがZOZOらしさでもある。まずはやってみて、お客さまに喜んでいただければ、その後でコストダウンに取り組む。アートとサイエンスのバランスはいつも意識していました。そうした積み重ねがあるからこそ、今も続けられているんだと思います。
2011〜15年の主なトピックス
2011年 東日本チャリティーTシャツ
3月15〜31日まで680の賛同ブランドの名前を入れたチャリティーTシャツを予約販売。1着2100円で販売し、2000円を寄付。販売総数は17万6988枚、寄付金総額は3億5397万6000円、購入者総数は9万4270人だった。
★2011年3月期:アクティブ会員数100万人を突破(121万6698人)
2012年 初のリアルイベント「ゾゾコレ(ZOZOCOLLE)」開催
千葉・幕張メッセで初の一般顧客向け合同ファッション展示会を開催。約200ブランドが出店
2012年 「ゾゾユーズド(ZOZOUSED)」オープン
ブランド古着のセレクトショップとして「ZOZOUSED」をオープン
2014年 即日配送サービスを開始
東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県を対象にサービスを開始(現在は40都道府県が対象)
2014年 「ZOZO箱」による配送開始
一般的な段ボール梱包から、黒地に「ZOZOTOWN」のロゴが印字された「ZOZO箱」が誕生。当時ECサイトが独自性の高い梱包箱を使うことは珍しかった
★2014年3月期:アクティブ会員数200万人を突破(203万6803人)
【2016年〜現在】テクノロジーをフックに新時代へ

ゾゾスーツ(左上)とゾゾマット(右上)、ゾゾグラス(左下)、ゾゾ箱(右下)
WWD:2017年に「ゾゾスーツ」の配布を開始した。ファッション業界という枠を超えて、日本中で大きな話題になった。当時、社内ではどんな反応が?
武藤:超盛り上がっていました。それまでとは違って、ファッションに関心のない人からも「ZOZOってすごいよね」と声をかけられることも多く、友人知人との飲み会では鉄板ネタで、とにかく「すごいことになっている」と実感していました(笑)。
松田:営業の現場としても「ファッション」を超えて、いろいろな場所に届いたことはとても大きかった。それまではファッションECという枠での評価軸だったのが、「ZOZOはすごい技術や面白い発想を持っている」と、テクノロジー企業としてのブランディングや評価につながった。
WWD:「ゾゾスーツ」の技術をベースに、20年に足の3D計測ツール「ゾゾマット」、21年には肌の色を診断できる「ゾゾグラス」を、こちらも無料配布した。「ゾゾマット」ではシューズの専門モール「ゾゾシューズ」を、「ゾゾグラス」ではコスメ専門モールの「ゾゾコスメ」の開設につなげた。
松田:会社として15年以降はアパレル中心の成長にフォーカスしていた中で、新たなカテゴリを開拓する必要があった時期でした。「ゾゾマット」や「ゾゾグラス」はテクノロジーを活用することで接点のなかった企業やブランドにアプローチできた。特にグローバルブランドや企業から、かなり興味を持ってもらえた。当社の立ち位置を、グローバル目線で再定義することもできたことは大きかったですね。
WWD:コロナ禍をきっかけに店頭支援のOMOプラットフォーム「ゾゾモ」もスタートした。「ゾゾタウン」上で、店頭の在庫を確認でき、店頭への送客などを行うといった仕組みだ。
松田:コロナ禍で緊急事態宣言が出て、不要不急の外出ができなくなり、リアル店舗が中心だったアパレル企業の多くがとても苦しんでいました。少し前からはファッション業界全体でECと実店舗の両立は課題でしたが、コロナ禍でさらに顕在化した。なのでブランドと直接やりとりしている営業の立場からすると、ブランドの方々に何かできることはないか、そういった議論がものすごく多かった。「ゾゾモ」はそういった視点が中心にありました。
WWD:ブランド支援という観点では、サービスに生産支援プラットフォーム「メイドバイゾゾ(Made by ZOZO)」がある。
武藤:アパレルビジネスにとって「在庫問題」は長年の課題でした。「ゾゾスーツ」やプライベートブランド事業に接点を持ったことで生産のノウハウを培い、当社自体がサプライチェーン全体の課題解決に繋がる仕組みを考えられるようになった。ファッションブランドの在庫リスクゼロを目指す「メイドバイゾゾ」は、今後も大きなポテンシャルを持っていると考えています。
WWD:最後に、改めてこの20年を振り返ると?
武藤:「売れない」と言われた時代から、ECが当たり前になったこの20年を振り返ると、話しきれていないことも含めてほんとうにいろいろなことをやってきたんだなと思いました。初期はブランド側にもECに対する不安や懸念があったと思います。そんな中でも出店し、ともにチャレンジしてくださったブランドの皆さまの存在は大きいです。私たちも、そんなブランドの皆さまが“「ゾゾタウン」で買ってほしい”と思っていただけるような売り場づくりを徹底してきました。さまざまな積み重ねで迎えられた20周年ですが、企業理念の「世界中をカッコよく、世界中に笑顔を。」の実現に向けて、この先の10年、20年も「ゾゾタウン」が愛されるように進化を続けていきたいです。
松田:20年の歩みの中で、「ゾゾタウン」は時代の変化に合わせて形を変えてきましたが、どんなに仕組みやテクノロジーが進化しても、その中心にいるのはブランドの皆さまやお客さま、当社のスタッフを含む「人」であることは変わっていません。その多くの「人」の思いや期待を常にナナメウエに越えていく「ゾゾタウン」であり続けることが、皆さまへの恩返しになると信じています。人間で言えばハタチになったわけですが、あまり大人になりすぎずに、ファッション業界の成長に貢献し続けられるような挑戦を続けていきます。
2016〜24年の主なトピックス
2017年 「ゾゾスーツ」の配布開始
採寸用ボディースーツ「ゾゾスーツ」(初代)を無料配布。その後、同年にプライベートブランドをスタート。ファッション業界にとどまらず、日本全体で大きな話題に
★2017年3月期:アクティブ会員数500万人を突破(511万2861人)
2018年 「ゾゾアド(ZOZOAD)」本格開始
「ゾゾタウン」の検索結果ページなどのPR枠に対象商品を表示する検索連動広告。いわゆるリテールメディア事業を本格的に開始
2019年 MSP(マルチサイズプラットフォーム)事業を開始
ゾゾスーツで得た100万件以上の体形データを活用して、ユーザーの身長・体重に応じた最適なサイズを展開するプラットフォームを出店ブランドに提供
2019年 「いつでも買い替え割」提供開始
過去にZOZOTOWNで購入したアイテムをいつでもZOZOポイントと交換できる下取りサービス
2019年9月 創業者の前澤友作氏が電撃退任
創業者の前澤氏が退任し、同時にヤフー(現LINEヤフー)の傘下入り
2019年 「ゾゾタウン ペイペイモール店」(現「ゾゾタウン ヤフー店」)オープン
ヤフー(現LINEヤフー)が運営する「ペイペイモール」に「ゾゾタウン」が出店
2020年 「ゾゾシューズ(ZOZOSHOES)」オープン
独自開発した足の3D計測用マット「ゾゾマット」を無料配布。ユーザーは「ゾゾマット」を使うことで正確な足のサイズを計測できるように。ほどなく「ゾゾタウン」内に靴の専門モール「ゾゾシューズ」をスタート
2021年1月 「ゾゾグラス(ZOZOGLASS)」配布開始
フェイスカラー計測ツール「ゾゾグラス」を無料配布。肌の色を分析し、オンラインでも自分に似合うコスメを選べるという仕組みを開発
2021年3月 「ゾゾコスメ(ZOZOCOSME)」「ゾゾヴィラ」をオープン
「ゾゾタウン」の大規模リニューアルと同時に、コスメ専門モール「ゾゾコスメ」をオープン。また、ラグジュアリー&デザイナーズゾーン「ゾゾヴィラ」を復活オープン
2021年11月 「ゾゾモ(ZOZOMO)」開始
「ゾゾタウン」とブランドの実店舗をつなぐOMOプラットフォーム。リアル店舗の在庫を「ゾゾタウン」上で確認できるサービスなどを開始
2022年8月 「メイドバイゾゾ(Made by ZOZO)」開始
「メイドバイゾゾ」はブランドへの商品企画提案から生産までを提供し、受注から最短10日で発送まで行う生産支援プラットフォーム。ファッションブランドの在庫リスクゼロを目指す
★2023年3月期:アクティブ会員数1000万人を突破(1019万2333人)
★現在(2025年3月期)はアクティブ会員数1100万人を突破(1140万3391人)