9月9〜13日にかけて、「ベルリン・アート・ウイーク(BERLIN ART WEEK)」が開催された。本イベントは、ベルリンの現代アートシーンにおける最大規模のイベントとして、毎年9月に開催されている。15周年を迎えた今年は、昨年を上回る125の美術館、ギャラリー、プライベートコレクション、プロジェクトスペースが参加。300以上のイベントに約20万人が来場した。
その中でも特に注目を集めた、「坂本龍一|音を視る 時を聴く(seeing sound, hearing time)」と、イタリア人アーティストのマウリツィオ・カテラン(Maurizio Cattelan)による「NIGHT」の2つの展覧会を紹介する。
晩年の作品にフォーカスした5つのサウンド・インスタレーション
19世紀に建てられた旧駅舎を再利用したハンブルガー・バーンホフ現代美術館(The Hamburger Bahnhof)では、「坂本龍一|音を視る 時を聴く」が開催されている。本展は、2023年に惜しくもこの世を去った坂本龍一によるヨーロッパ初の大規模な回顧展で、会期は来年6月まで。
展示ホールの1つである旧貨物施設の細長い導線に沿って、5つの展示室を順番に進みながら作品を体験する。各室は黒い布で覆われ、暗闇を進むと広い空間にそれぞれの作品が展示されている。5つのサウンド・インスタレーションには、計7作品が収められており、その多くは坂本の晩年に制作。2000年代初頭以降、ビジュアルアート、映画、メディアアートの分野で長年にわたり協働してきたアーティストたちとともに、聴覚と視覚を身体的、感情的な知覚へと結びつけるサウンド・スペースを作り上げている。
1つ目の展示室に進むと、1台のグランドピアノが現れる。暗がりの中で目を凝らすと、ピアノの下には水が張られている。これは、11年の東日本大震災とその後の津波によって大きな損傷を受けたピアノで、泥まみれのままの状態だ。坂本は宮城県の被災した学校でこの楽器を発見し、「自然によって調律されたピアノ」と表現した。
鍵盤は、デジタル化された地震の観測データに合わせて自動的に動く仕組みだ。世界各地で発生する地震の揺れが音へと変換され、楽器そのものが地球の振動を響かせる共鳴器となる。グランドピアノの上方に設置されたスクリーンには、降り積もる雪の映像が映し出され、音の源となる激しい地殻変動と静かな雪景色が、対照的な光景を生み出している。
© The Estate of Ryuichi Sakamoto / KAB Inc, Foto: Jacopo La Forgia
2つ目のインスタレーションは、天井からつるされた14チャンネルのスピーカーから、2017年にリリースされたアルバム「async」の楽曲が流れる。空間全体を包み込む立体的な音響が、イマーシブ体験を生み出す。同時に、壁一面の巨大なLEDスクリーンからは、映像作家の高谷史郎が制作した映像が映し出される。高谷は、アーティスト集団「ダムタイプ(Dumb Type)」のメンバーとしても知られており、坂本とは20年以上にわたり、共同制作を行い、本展の作品の多くに携わっている。
映像には、坂本が拠点にしていたニューヨークのスタジオにあるピアノや本、植物、楽器が登場する。写真は無数の線画へとシームレスに引き伸ばされ、流れるようにグラフィック化され、音とは同期しない視覚的な風景がリアルタイムで広がっていく。
3つ目のインスタレーション「Durmiente」(スペイン語で「眠る人」の意)は、坂本の楽曲「async–first light」に合わせて、タイの映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul)が制作した映像作品だ。本作は短いサイレントフィルムで、俳優のティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)がゆっくりと眠りに落ちていく姿が映し出され、体の動きや呼吸のわずかな変化を捉えている。眠りに落ちる瞬間を、現実と夢の世界を隔てる境界として描き、意識が徐々に薄れ、現実と夢の区別が曖昧になっていく感覚を表現している。
© The Estate of Ryuichi Sakamoto / KAB Inc, Foto: Jacopo La Forgia
高谷史郎と手掛けた舞台作品「TIME」をもとに制作された「TIME, TIME」は、水を張った空間を舞台に、その上に設置された3つの大型スクリーンに映像が映し出される。投影されるのは、雅楽器の笙を演奏する音楽家・宮田まゆみと、ダンサーで俳優の田中泯の姿。映像内で田中が語るテキストには、夏目漱石による「夢十夜」の「第一夜」と15世紀の能「邯鄲」から引用された文章が用いられている。それらは「TIME」から抜き出された映像のシークエンスとともに、ランダムな順序で再生される。
音と映像はスクリーンの間を自由に行き来し、始まりも終わりもない「音と時間の空間」を生み出す。時間の感覚が次第に曖昧になり、まるで夢の中にいるような感覚に包まれていく。
© The Estate of Ryuichi Sakamoto / KAB Inc, Foto: Jacopo La Forgia
最後は、坂本が長年にわたり共同制作を続けてきたカールステン・ニコライ(Carsten Nicolai)との映像・音響作品「PHOSPHENES」と「ENDO EXO」だ。どちらの作品にも、坂本の最後のアルバム「12」に収録された楽曲が使用されている。「12」は、21年から22年にかけて制作された音楽日記ともいわれるアルバムだ。
「PHOSPHENES」とは、目を閉じたときなどに知覚される光や色の現象を意味し、抽象的な視覚世界が坂本の奏でるシンセサイザーの音とともに展開されていく。一方、「ENDO EXO」は、ギリシャ語で「内側」と「外側」を意味する言葉に由来する。ニコライが自然史博物館などのコレクションに収蔵された動物の骨格や剥製の映像を組み合わせ、そこに坂本のピアノの旋律が重ねられる。この2作品は、科学に対する人間の好奇心だけでなく、人間が自然を所有し、支配しようとしてきた関係性についても探求している。
5つのサウンド・インスタレーションのほかにも、坂本がこれまでにリリースしてきたレコードが並ぶ展示や、ライブ映像、ドキュメンタリー映像を視聴できるスペースが設けられている。こうした展示を通して浮かび上がる、本展のテーマの1つが「時間」だ。坂本は生涯を通して、人はどのように時間を体験するのか、そして音楽はいかに時間の感じ方を変えることができるのか、という問いに関心を抱いていたという。
日本を代表する音楽家として世界で活躍し、71歳で生涯を終えた坂本。晩年の闘病生活の中で、残された時間とどのように向き合い、作品にどのような思いを込めたのか。何度でも足を運び、自分なりの答えを模索したくなる回顧展だ。
展示ホールを教会のような空間に変え、歴史や生と死を問いかける
デヴィッド・リンチ(David Lynch)監督の映画「マルホランド・ドライブ(Mulholland Drive)」に登場するクラブ「Silencio」を再現した会場で開催されたアフターパーティーも含め、大きな話題を呼んだのが、マウリツィオ・カテランによる展覧会「NIGHT」だ。2027年3月まで「ノイエ・ナショナルギャラリー(Neue Nationalgalerie)」で開催されている本展は、カテランにとってドイツ初の大規模個展。歴史、権力、記憶、アイデンティティー、信仰といったテーマを軸に、代表作と本展のために制作された新作が展示されている。
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)が設計した「ノイエ・ナショナルギャラリー」は、ガラスと鉄骨を用いたモダニズム建築の傑作として知られている。その建築に「儀式的なものがある」と語るカテランは、展示ホールを教会のような祈りや追悼を連想させる空間へと変貌させた。鑑賞者を驚かせる挑発的な演出や風刺的な作品、細部にまでこだわった展示方法も特徴だ。
エントランスには、ドイツを象徴する最も有名なモニュメントの1つ、ブランデンブルク門を模したオブジェが設置されている。その門をくぐるようにしてホールへと進む。これは本展のために制作された新作「Purgatory」で、タイトルはカトリック教会の教義における「煉獄(れんごく)」を意味する。
ブランデンブルク門を抜けると、目の前に布に覆われた等身大の9体の遺体を表現した彫刻作品が並ぶ。普遍的でありながら匿名の死を象徴し、水平に広がるモニュメントとなっている。カテランによる一連の大理石彫刻は、イタリアの伝統的な彫刻表現を用いている。
本展の中で圧倒的な存在感と挑発的な演出に驚いたのが、ホールの中央に置かれた彫刻「Him」だ。後ろから見ると、ひざまずいて祈りを捧げる少年のように見える。しかし、正面に回ると、その顔がナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)であることに気付く。ナチズムや戦争、分断、歴史的責任といった問題が今も人々の記憶に深く刻まれているベルリンで、無垢な少年の姿と歴史的な悪の象徴を重ね合わせることで、罪や責任、赦しについて観客に問いかける。
ヒトラーの彫刻が見上げる先には、輸送用の木箱の中で、磔刑を思わせる姿勢で吊り下げられた女性像「Dawn」がある。本物の人間と見間違えるほど精巧なその姿が、会場に漂う重苦しい空気をさらに強めている。
天井からつり下げられた馬の剥製「Novecento」には、実際の馬が使用されており、疲弊した1つの世紀を象徴する寓意的な作品として提示されている。さらに頭上を見上げると、「People」と題された数千羽ものハトの剥製が、天井の構造部分を埋め尽くしている。
展示はホール内にとどまらず、建物の屋上にまで及ぶ。美術館の正面から屋上を見上げると、太鼓を持って座る少年の姿と多数のハトの剥製を発見できる。これは、ギュンター・グラス(Gunter Grass)の小説「ブリキの太鼓」の主人公をモチーフにした、機械仕掛けの少年像「Never」だ。不規則に鳴らされる太鼓の音が、美術館の周辺に響き渡る。
ベルリンで開催される「NIGHT」は、幾重にも積み重なる歴史と、現在まで受け継がれる記憶を背景に展開される。壮大なものと個人的なもの、見えるものと見えないものを行き来する作品を通して、歴史的なイメージや象徴、その意味が時代とともにどのように受け継がれ、変化していくのかを鑑賞者に問いかける。
カテランは「NIGHT」というタイトルについて、次のように語っている。「夜とは、単に光がないということではなく、あくまでも1つの状態です。この展覧会は暗闇についてではなく、確かさを失うことについて表現しています。夜は一時的なものです。たとえまだ見えなくても、夜には朝が訪れる可能性が常に含まれています」。
「ベルリン・アート・ウイーク」は、坂本やカテランといった国際的に活躍するアーティストの作品を紹介する重要な場となっている。一方で、ベルリン州の財政難に伴う大幅な文化予算の削減により、イベント自体も公的助成金の一部を失い、今後の開催に不安を抱えているのも事実だ。