ファッション

マークスタイラー秋山社長に聞く 「私がNEXT LEADER世代だったころ」vol.3

 「WWDJAPAN」はルミネと共に、ファッション&ビューティ業界の次世代を応援するプロジェクト「MOVE ON」を開始した。「WWDJAPAN」が2017年に立ち上げ、業界の未来を担う人材を讃えてきた企画「NEXT LEADER」も、今年は「MOVE ON」の中で実施する。受賞者は「WWDJAPAN」2月14日号で発表すると共に、3月2日に開催する「Next Generations Forum」にも登壇いただく予定だ。「MOVE ON」企画の一環として、業界の有力企業の経営者に、自身がNEXT LEADER世代(20〜30代)だったころを連載形式で振り返ってもらった。第3回は、「マーキュリーデュオ(MERCURYDUO)」「ラグナムーン(LAGUNAMOON)」など若い女性に支持されるアパレルブランドを多数有する、マークスタイラーの秋山正則社長。

WWD:自身の若い頃について教えてほしい。

秋山正則マークスタイラー社長(以下、秋山):ファッション好きの、どこにでもいる学生だった。時代はDCブーム(1980年代)ど真ん中。週末はディスコ通いで、女の子にモテるために渋谷パルコで「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」の服を買ったり、「傷だらけの天使」のショーケン(俳優の故・萩原健一)に憧れて、代官山の「メンズビギ(MEN’S BIGI)に通ったりもした。大学を出て特にやりたいこともなかったけれど、ファッションはずっと好きだった。それで偶然新聞広告で見つけたアパレルメーカーの求人に応募し、4、5回の面接の末に採用された。それが松田(光弘)先生のニコルだった。

WWD:ニコルではまずどんな仕事をしたのか。

秋山:配属は「ニコル(NICOLE)」や「ニコルクラブ(NICOLE CLUB)」といった花形ブランドではなく、社内で唯一の赤字ブランドだった。華やかなファッション業界に憧れて入社したが、待っていたのは地味な作業の連続。周りの人気ブランドに配属された同期は、事業も順調で、すぐに部下や後輩がついた。だが僕のブランドには人員補充もなく、いつまでたっても下働きのまま。仕事は全然楽にならなかった。今となっては、これも「ラッキー」だったと思えるけれど。

WWD:それはなぜか。

秋山:アパレルメーカーの仕事の「イロハ」を学べたからだ。僕は、自分のいたブランドを社内で売り上げナンバーワンにしてやろうと本気で思い、やれることは全部やった。当時はMDという概念もなく、デザイナーの作りたいものがそのまま商品化される時代。でも僕はシルク100%の商品サンプルをデザイナーに持っていって、「もっと安い素材で作った方が売れる」と提案して、石を投げつけられそうにもなった(笑)。パタンナーは、デザイナーが考えた服を形にするのは大変だとぶつぶつ文句を言いながら、合間にパターンの引き方を教えてくれた。生産担当者のおかげで、素材や縫製にも詳しくなった。営業も手薄だったから、ハイエースに在庫を積み、僕も都内の店舗に納品に回った。すると、販売員からお客さまの生の声をたくさん聞くことができた。

 次第に、アパレルメーカーの仕事内容だけでなく、ポジションによって違う仕事への向き合い方や考えの違いを、少しずつ理解できるようになっていった。僕はそれらを翻訳し伝達するハブ的な役割を担うようになった。すると事業部は、いつしか僕を中心にうまく回るようになった。現場の店長とデザイナー、それぞれの言い分を聞いて商品企画に落とし込む。すると何十枚の売れ行きだったものが、何千枚と売れるようになった。店舗に納品する際、店長が「秋山が持ってきたのなら、売ってやる」と言ってくれるようになった。ブランドの業績は徐々に伸びていった。

 それぞれの立場や考えを理解して、人と人を“つなぐ”ことができる人間は、当時に限らずいつの時代も必要とされる存在だ。そして、仕事に対して真正面から打ち込んでいると、周りの人は信頼してくれるようにもなる。それが僕がニコルで得た最大の学びだ。

目の前の仕事に誠実に取り組めば
信頼とチャンスが得られる

WWD:その後は渋谷109ブーム(1990年代)の火付け役だった「ココルル(COCOLULU)」の運営やフェイクデリック(現バロックジャパンリミテッド)の「マウジー(MOUSSY)」「スライ(SLY)」の立ち上げにも携わった。

秋山:僕が(運営会社の)エクシブから「ココルル」に誘われたのは、ニコルをやめて少し経って、セレクトショップのオリジナル商品を作るOEM会社で仕事をしていたころ。せいぜい数千円の商品で、月に数億円という売り上げを叩き出す店というから、初めはとても信じられなかった。だが(渋谷109の)こぢんまりとした店内に若い女性がすし詰めになり、商品を引っつかんでいく様子を見て、時代の変化を知った。「ココルル」のカリスマ店員だった植田みずき(現バロックジャパンリミテッドクリエイティブ・ディレクター)が「ザ・シェルター トーキョー(THE SHEL’TTER TOKYO)」1号店を原宿に出す際には、一緒に店舗の壁面をコンクリートで塗ったことを思い出す。その後はマークスタイラーで荻原桃子と「ムルーア(MURUA)」を立ち上げ、会社もここまで大きくなった。ニコルをやめた直後はハワイに古着店を作り、のんびりとビジネスをやっていくつもりだったが、こんなことになってしまった(笑)。

WWD:常に流行のキーマンと深く関わることができたのは、なぜなのか。

秋山:意識してやってきたわけではない。僕がこれまでやってきた仕事に信頼を置いてくれた人たちが、自然とその場所に「運んで」くれた。仕事はたとえつまらないことでも、創意工夫してやり遂げてきた自負があるし、こういうことは必ず誰かが見てくれているものだ。世の中の仕事は「できる/できない」「やりたい/やりたくない」の四象限から成り立っている。自分が心から好きで、しかも得意な仕事に巡り合えたのなら、それは幸運なこと。だが世の中はそんな人ばかりじゃないし、天職に近づくには、目の前に与えられた仕事を誠実にこなしていくことが近道。当の僕も、この仕事がまだ天職かどうかは確信がない。

WWD:ネクストリーダー世代へのメッセージを。

秋山:向上心を持って頑張るあなたたちの足を引っ張る人もいるだろう。僕もニコルで社内ナンバーワンブランドを目指していたころ、「できるわけないよ」「もし昇進したら責任ばかり増えて大変だよ」ということをささやいてくる同僚がいた。そういった声を振り切るにはそれなりの犠牲がいる。僕は20代後半から30代前半にかけて係長、課長と昇進したが、そのころには飲みに誘ってくれる同期も先輩もいなくなった(笑)。ただそれ以上に得るものがあった。自分のいるステージが上がると、一緒に仕事をすることさえ恥ずかしいような、すごい人と出くわす。そういう人に食らいつき、同じレベルまで自分を成長させる。するとまた「敵わないな」という人が現れる。この繰り返しで僕は強くなった。多少の生きづらさやプレッシャーは、成長できる環境にいるなら仕方がない。そこから逃げて「平凡」で終わらず、突き抜けてほしい。

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