サステナビリティ

教えて!パタゴニアさん 連載第1回 環境問題に取り組むことになったきっかけ

 サステナビリティ先進企業として知られるパタゴニア(PATAGONIA)。クライマー、スキーヤー、サーファー、カヤッカーであり鍛冶職人でもあるイヴォン・シュイナード(Yvon Chouinard)が1973年米国カリフォルニアのベンチュラに創業しました。パタゴニアは環境や人権、社会の幅広い問題を、ビジネスを通じて解決する道を模索することで知られており、1970年代には環境団体の支援をはじめ、80年代には自社でのサステナビリティへの取り組みを本格化。90年代には、コットンをオーガニックコットンに切り替え、ペットボトルを再生したポリエステルでフリースを開発しています。今でこそ、多くの企業が取り組んでいることをずいぶんも前から行っていました。そんなパタゴニアのアクションにはヒントが多いはず――と考えて「WWDJAPAN.com」では「教えて!パタゴニアさん」と題して、パタゴニアの担当者に今知りたい疑問を聞く連載をスタートします。でもその前にー―プロローグとしてそもそもこうした問題に取り組むことになったきっかけは何だったのかをひも解きます。

 その歩みは、パタゴニアの前身、クライミングギアの製造を始めたころにさかのぼります。1957年、シュイナード氏は繰り返し使用できるギアを作りはじめ、その後自身や仲間のためにクライミングの道具を鍛造する小さな会社、シュイナード・イクイップメント社を立ち上げました。当時、大きな岸壁へのクライミングに挑むときは何百本ものピトン(岩を登るときにクラックと呼ばれる割れ目にハンマーで打ち込み、かぎの役割をするもの)という金属製の道具が必要でしたが、当時のものは軟鉄製。一度ハンマーで打ち込んだら引き抜けず、岩壁に放置したまま降りるしかありませんでした。シュイナード氏は独学で鍛造を学び始め、刈り取り機についていた刃で最初のピトンを作りました。このピトンのうわさはすぐに広まり、仲間からの注文が殺到しました。

 シュイナード・イクイップメント社は1970年ごろには米国最大のクライミングギアのサプライヤーになっていたそうです。しかし同時に、そのギアが岩を傷つけていました。脆いクラックでは、ピトンを打ち込むときや回収する時に繰り返しハンマーでたたくため、自然のままだった岩が破損していたのです。シュイナード氏は2、3年前の夏には無垢だった岩が激しく変容しているのを目の当たりにし、ピトン事業をやめる決断をしました。これが、パタゴニアが長年にわたって歩む環境配慮の道を歩きはじめた瞬間でした。

 ピトンの代替品として、ハンマーを使用せずに手でクラックに押し込むことができるアルミ製の「チョック」を製造し、72年にシュイナード・イクイップメント社初のカタログに掲載して使用方法を紹介しました。このカタログの冒頭には、これまで製造してきたピトンが環境に及ぼす悪影響を紹介し、「クリーンクライミングに関するエッセイ」としてシエラのクライマーのダグ・ロビンソン(Doug Robinson)氏がチョックの使い方を説きました――「キーワードは“クリーン”。プロテクションとしてナッツとスリングだけを使用して登ることをクリーンクライミングと提唱したい。クライマーにより損なわれていない岩はクリーンであり、ハンマーでピトンを繰り返し打ち込んだり、引き抜いたりせず、次のクライマーがより自然な形で岩を経験できるためクリーンであり、またクライマーのプロテクションがほとんど痕跡を残さないという理由でクリーンである。クリーンとはつまり岩の形状を変えないことであり、人間が本来のクライミングに近づく第一歩でもある」。

 シュイナード氏は会社の運営を社員に任せて、製品のフィールドテストを行い、新しいアイデアを持ち帰るため、ヒマラヤや南米の極地環境で自社製品の摩耗試験を繰り返すようになりました。その過程で環境と社会の荒廃を目にするようになり、人口増加で森や草原が消えてゆくアフリカの状況、地球温暖化により氷河が解け始めている様子、アメリカとの軍事戦争に負けまいとロシアが自国の大半の自然を破壊している話などを会社に持ち帰りました。

きっかけは地元ベンチュラ・リバーの環境回復

 そして、パタゴニアが環境団体の支援を始めたのは70年代初めのこと。シュイナード氏が友人と地元の映画館にサーフィン映画を観に行ったときに、上映後に若いサーファーが観客に「市議会の公聴会に出席して、市当局の計画するベンチュラ川河口の水路計画と開発に反対の発言を行ってほしい」と呼びかけました。

 そこで数人の仲間とともに公聴会に出て、「この地域で最高のサーフポイントであるベンチュラ川河口の、いい波が失われるかもしれない」と抗議しました。シュイナード氏たちの頭にもおぼろげながら、ここがスチールヘッド(降海型ニジマス)の一大生息域だったという記憶がありました。実際に40年代には年間4000~5000匹ほどが遡上していましたが、その後ダムが2つ建設されたことで水の流れが変わり、雨の多い冬場以外は河口から流れ出すのは汚水処理施設からの排水だけになっていました。

 公聴会では、「川はもう死んでおり河口の流量を増やしても鳥などの野生生物やサーフポイントの状態が変化することはない」と市側の専門家複数名が証言しました。すると、若い大学院生のマーク・キャベリが、川岸で撮影した写真のスライドを上映し、ヤナギに営巣する鳥や水生のマスクラット、ミズヘビ、河口域で産卵するウナギなどの様子を次々に映し出しました。銀化したスチールヘッドが映ったときには、皆が立ち上がって歓声を上げました。“死んだ”はずの川に、数十匹のスチールヘッドが産卵に来ていたのです。結果、開発計画は撤回されます。シュイナード氏はマークに机と私書箱、若干の資金を与え、ベンチュラ・リバーを守る戦いを支援することにしました。

 この活動で、「草の根の活動で成果をあげられること」と「傷んだ生息域も努力次第で回復できること」を学びました。この経験から、シュイナード氏は動植物の生息域を守る活動やよみがえらせる活動をしている小さな団体に寄付をするようになります。86年には毎年利益の10%を寄付すると宣言。その後支援額を増やし、売上高の1%か税引前利益の10%いずれか多い方を寄付するとして、今に至ります。

 全米規模のキャンペーンに乗り出したのは88年。ヨセミテ渓谷の都会化を避ける基本計画を支援しました。その後はサケや川の再生を支援、遺伝子組み換え作物に反対、ワイルドランドプロジェクトを支持、アルプスに汚染物質をまきちらすトラックの通行に反対するなど、さまざまなキャンペーンを展開し、環境問題への関与を深めてゆきます。そして、社外の危機だけでなく、自社でもサステナビリティへの取り組みを始めます。

 84年には古紙のリサイクルを開始し、カタログも古紙配合率の高い再生紙に切り替えました。“シンチラ・フリース”の素材として使うリサイクルポリエステルを、ウェルマン社(Wellman)やモルデン・ミルズ社(Malden Mills)と共同開発を進め、1リットルのペットボトル25本から“シンチラ・フリース・ジャケット”1枚を作れるようにするなど、先駆的な取り組みを進めました。

教えてくれた人:太宰初夏(だざい・ういか)/コミュニケーション& PR担当:神奈川県出身。植樹活動を行うNPOでボランティアを行いながら八王子や神田のアウトドア用品店で勤務。その後カナダに留学。留学時に「パタゴニア」のバンクーバー店のゼロウエイストマーケットの取り組みに刺激を受けて、帰国直後の2017年、パタゴニア日本支社へ入社。好きなアウトドアアクティビティはトレイルランニングと山歩き。自身で行うサステナビリティへの取り組みはマイボトル、マイバッグ、カトラリーを持ち歩くほか、植樹ボランティアも行っている

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