「プロエンザ スクーラー」を手掛けるラザロ・ヘルナンデス(左)とジャック・マッコロー。2015 -16年秋冬コレクションから、メランジェ・ツイードのセットアップを着用したモデルと
パーソンズ・スクールの1回生のころに出会ったラザロ・ヘルナンデスとジャック・マッコローは在学中の1998年に「プロエンザスクーラー(PROENZA SCHOULER)」を立ち上げ、フレッシュな新人デザイナーとして注目を集めた。2003‐04年秋冬コレクションでデビューした同ブランドは今年、設立13年目を迎える。ニューヨークを代表するデザイナーとしての地位を確立した2人が、ブランド設立から現在までの道のりを振り返る。
パーソンズ・スクール在学当時を思い返し、「教師たちからは嫌われていたよ。『美大生のための服なんか作ってないで、もっとウエアラブルなセットアップでもデザインしてみろ』ってね。そんなのは絶対イヤだっていう気持ちは今も続いているよ。誰もが好んでくれるコレクションなんて作れるわけがない。気に入ってくれる人がいれば、嫌われることもある」とヘルナンデス。
「学生時代に自分のブランドを始めた子たちは皆、“脱構築”にハマッてたよね。ビンテージをリメイクしたり、Tシャツを引きちぎったりしただけなのに、自分のことを“デザイナーだ”って言い張ってるんだ。だからそのころの僕たちにとっての一番の反抗は、限りなく構築的なものを作ることだった。特にクリスチャン・ディオールが好きで、今も参考にしている」とマッコロー。ヘルナンデスは、「クチュールをやることが逆にパンクだった。皆と違うことをやるのがね。例えば、コルセットほど構築的なものはないでしょ?それにメンズのパンツを合わせるのがイケてたし、僕たちにとって、ハイとローを組み合わせるというのはそういうことだった。でも90’sキッズだったからグランジも大好きだった。グランジらしい、オーバーサイズでいい加減なピースと、最高にエレガントで繊細なピースの組み合わせが好きだった」と話す。
学生時代、ヘルナンデスは「マイケル・コース(MICHAEL KORS)」で、マッコローは「マークジェイコブス(MARC JACOBS)」でインターンとして経験を積んだ。「卒業コレクションのために、僕はマイケルに最高の生地をもらえるように頼んだし、ジャックはマークに工場へのアクセス権が欲しいと頼んでいた。コレクションを発表した後、バーニーズニューヨークから『コレクションを見せてほしい』という電話が来た。周りで1番背が高くてスリムな女友達を捕まえて、モデルをしてもらったんだ。あとでバーニーズから『コレクションを買いたい』とメールが届いたときはすぐに理解できなかったよ。『先日お見せしたあの服をですか?』と聞いたら、『あの服ではなく、あれを型に生産したものを売ってほしいのだ』って返信が来た。最初は“生産”することがどういうことなのか分からなかったけど、とりあえず友人を全員集めて、皆で必死に服を縫って、それをタクシーに乗せてバーニーズに運んだんだ。最高の夏だったよ」とヘルナンデスは振り返る。
「プロエンザスクーラー」の顧客像は明確だという。「芸術やファッション、音楽、演劇に造詣があり、ラグジュアリーとファッションのクリエイティビティーにも興味を持っている女性。かつ、どこかノンシャランな雰囲気があるんだ」。
「プロエンザ スクーラー」2015-16年秋冬コレクション 全ルック ▶︎
「プロエンザ スクーラー」2015年プレフォール・コレクション 全ルック ▶︎
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ビジネスの転機
ミッドカーフのスカートやボトムスと部分的なファー使いが多く見られた2015-16年秋冬コレクションから
プレタポルテの売り上げ全体の60%を占めるプレ・コレクションについては、「プレ・コレクションの制作ほど販売に直結していて、顧客の声を反映するクリエイションは他にない。MDやセールス担当の人たちと仕事をするから、プレタポルテとは全く違うプロセス。でも、プレが売れるおかげで、僕たちは年に2回のコレクションで自由なクリエイションを楽しむことができる」とヘルナンデス。
「バッグの発表でビジネスが大きく変わった」と話す2人は、2009年に初のバッグ、“ピーエス・ワン”をローンチした。不況のさなかでプレタポルテの売り上げが振るわないビジネスを救ったのもこのバッグで、ブランドが本格的に成長を始めたのもこのころだという。現在ではプレタポルテとアクセサリーの売り上げはほぼ半々だ。
「プロエンザスクーラー」のビジネス規模は約8500万ドル(約100億3000万円)とされており、世界の250店舗に販路を持つ。直営店はニューヨークに2店、ソウルに3店、バンコクに2店、香港とシンガポールに1店ずつの合計9店を運営する。近いうちに東京にもショップオープンを予定している。クラブ21や韓国の新世界百貨店との協業が功を奏し、アジアでの拡大が実現した同ブランドだが、今後はヨーロッパへの出店も望んでいるようだ。フレグランスビジネスへの進出を示唆するだけでなく、将来的にはメンズウエアのローンチも視野に入れているという。
「プロエンザスクーラー」は11年からセオリーのアンドリュー・ローゼン創業者兼最高経営責任者(CEO)と投資会社アーヴィング・プレイス・キャピタルのジョン・ハワードCEOの出資を受け、後に株式50%を売却している。2人は「僕たちをサポートしてくれている人たちは、クリエイション面で自由にさせてくれれば彼らにも見返りがあることに気付いてくれたと思うよ」と話す。
「ビジネスの運営というのは本当に大変なんだ。ショーの開催のために取られる時間はすごいし、毎日ミーティング続きだし、プレスや小売りの心配もしなきゃいけないし、人間関係もね......。芸術や映画関係の友人たちは時間の縛りがないからうらやましいよ。でも映画の場合、駄作を発表すれば名誉挽回するのに5年はかかる。その点、ファッションは3カ月後に全く新しくて面白いコレクションが発表できれば一瞬で挽回できる」と語った。
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ブランドのルーツと今後の展望
デビューして間もない2003年、ニューヨークのスタジオで「プロエンザ スクーラー」の 商品を紹介するマッコロー(左)とヘルナンデス
「プロエンザスクーラー」というブランド名は、デザイナー2人の母の旧姓を組み合わせたものだ。彼らは最近、キューバを旅し、ヘルナンデスの母方の親戚であるプロエンザ家を訪ねたという。「プロエンザ家の最高齢のおじいさんに僕たちの仕事を説明したら、『それはザラみたいなものなのか?』って言われたよ。全然違うし、そもそも何でザラを知ってるんだろう」とヘルナンデスは笑った。
今後、有名ブランドのデザイナーに就任する可能性について問われると、2人はすでにいくつかのブランドからオファーを受けていると認めた。だがマッコローは、「長い歴史と伝統を持つメゾンでの仕事には興味があるし、クリエイションの幅が広がるという点でその資金力も魅力的だ。でも、今の僕たちが大切に育てたいのは『プロエンザスクーラー』であって、1年の半分を別のブランドで過ごすようになれば必然的にそれができなくなる」と否定的だ。
最後に彼らは、駆け出しのデザイナーへのメッセージを送った。「今はいろんなデザイナーがいて、いろんなブランドがあって、皆が自分の存在を必死に主張している。人とカブらない明確なビジョンとメッセージがなければすぐに紛れてしまうし、人の注意を引くのは難しい」とマッコロー。ヘルナンデスは、「僕たちはグローバルなブランドを作るつもりなんてなかった。服を作って、それを友人に着せたいというピュアな気持ちから始まったブランドだ。今は競争が激しいから、自分がどういうデザイナーなのかを理解して、そのメッセージを積極的に打ち出していかないと生き残れない」と話した。