ファッション

メルローズ50周年記念スペシャル対談 トップランナーに聞く「ファッション半世紀」

メルローズ50周年記念の連載企画「メルローズと私」のスタートに先立ち、メルローズ前社長の武内一志ビギホールディングス社長と、日本のファッションを50年間見つめてきたユナイテッドアローズ創業者の重松理名誉会長の対談を企画した。

「洋服は着るのではなく、着こなす」

WWD:お二人の出会いは?

重松理ユナイテッドアローズ名誉会長(以下、重松):共通の知人を介してお会いしたのが最初です。その後プライベートでも食事にいくようになりました。私の妻が「マルティニーク」が好きでお店での買い物に付き合っていたこともあったので、お会いする以前から武内さんのことは知っていました。「マルティニーク」は、武内さんが立ち上げられたセレクトショップですね。

武内一志ビギホールディングス社長(以下、武内):はい。メルローズの母体であるビギは1970年代から80年代のDCブランドの火付け役で、デザイナーの世界観の強い服を仕掛けてきました。しかし80年代後半から90年代になるとブームは下火となり、海外のブランドやライフスタイルを提案するセレクトショップが若者の人気を集めます。そのトップランナーがユナイテッドアローズでした。初期のユナイテッドアローズのことをよく覚えていますが、店内には“大人のおもちゃ箱”のような高揚感がありました。スタッフさんにもオーラがあり、何よりも知識豊富で洋服のことを何でも教えてくれた。「洋服は着るのではなく、着こなすんだ」と、強く影響を受けました。自分もいつかセレクトショップを作ることが夢になり、2000年に立ち上げたのが「マルティニーク」でした。

東京の風俗と文化が変わる瞬間を演出した

WWD:創立当時のビギやメルローズについて、お二人の印象を教えてください。

重松:私は73年に社会人となり、今年でメルローズと同じく、ファッションの仕事を始めてちょうど50年になります。70年代初頭は、洗練されたブランドといえばインポートでした。そんな中、パルコや西武百貨店の「カプセル」が日本の最先端のブランドを取り上げ、中でも(メルローズの前身である)ビギはひときわ輝いていました。

当時、アパレルメーカーの多くは神田や日本橋の繊維問屋街に事務所を構え、百貨店や専門店に卸売りしていました。その時代に、ビギやメルローズはすでに表参道にブティックを出店していたのです。表参道がファッションの街になったのも、ビギやメルローズの力が大きい。表参道沿いにあった石垣造りの「ビギ」の1号店は、60年代のロンドンの影響も受けていてとてもかっこ良かった。同潤会青山アパートメントにあったニット専門の「メルローズ」の1号店にも行ったことがあると思います。今振り返れば、東京の風俗と文化が変わる瞬間でした。「日本のブランドがかっこいい」ということが新鮮だったのです。

武内:僕は重松さんより年下なのでまだ学生でしたが、テレビドラマ「傷だらけの天使」(74~75年)で「ビギ」を知りました。菊池武夫先生がデザインを手がけていた頃の「ビギ」が衣装提供をしており、ブランドがドラマに衣装提供をすることもそうですが、主演のショーケン(萩原健一)の洗練されたファッションに衝撃を受けました。

学生時代には親に「参考書を買う」と嘘をついておこづかいをもらい、「ビギ」に買い物に行きました(笑)。同潤会の「メルローズ」でも、面白いニットが売っていたので購入していました。

DCブランドからセレクトショップの時代へ

重松:その頃はちょうどビギやメルローズを代表に、日本にも社名を冠したブランドが出てきた時代。私は最初の3年は婦人アパレルメーカーで働いていましたが、社名がブランド名になることに驚きを覚えました。武内さんは、最初はビギに入社したのですよね。

武内:はい。85年にビギに入社し、最初はメンズデザイナーとして働いていました。ようやく仕事に慣れてきた92年、ビギの創業者の大楠(祐二)に「ウィメンズデザインもやってみないか」と背中を押され、グループのメルローズに移籍したのが転機になりました。

DCブランドの後にインポートブランド、セレクトショップと次々と新しい潮流が出てきて、ファッション業界は混沌としていました。僕はビンテージアイテムを中心に、オリジナルとセレクトアイテムを取り扱うウィメンズのセレクトショップ「マルティニーク」と「ティアラ」を立ち上げました。それまでメルローズの出店先は百貨店が多かったのですが、路面店やファッションビルへも販路を広げたのです。重松さんやユナイテッドアローズからも、もちろん影響を受けてのことでした。

重松:メルローズとユナイテッドアローズでの協業はありませんが、私とメルローズとのつながりは、英ブランド「ジョンスメドレー」にもあります(メルローズは18年にジョンスメドレーを輸入販売するリーミルズエージェンシーを子会社化)。セレクトショップに欠かせないブランドで、買い付けもしていました。私自身も大好きで、今は見ない古いタグの時代からのニットを何枚も持っています。

互いに刺激し合い、高めていく

武内:そうですね。235周年を迎えた際の「ジョンスメドレー」のホームページでは、重松さんに愛好家としてご登場いただきました。昨年のピンクハウスの50周年記念展にも多忙の合間を縫ってお越しいただき、メルローズの歴史をいつもしっかり見てくださることに心から感謝しています。

WWD:ビギやメルローズとユナイテッドアローズは、互いに刺激し合い、発展しているのが面白いですね。メルローズには「服―それはあくまで着る人のためにある」というフィロソフィーがあります。これは半世紀の歴史で根付いたのでしょうか。長くビジネスを続けるために大切にすることはありますか。

武内:昔からビギはデザイナーによる個性の際立ったブランドがそろっていました。一方、メルローズはより広い市場を意識し、柔らかい感じのテイストで、多くの方々に愛される服を作る。手に取ったときの気持ちの高まり、袖を通したときのワクワクやドキドキ。長くアパレルビジネスを存続させていくために「まだ見ぬ景色を、お客様にどれだけ見せることができるか」を大切にしてきました。僕はメルローズの経営からは退きましたが、今も脈々と受け継がれていると思います。

WWD:重松さんは昨年、自身が立ち上げられた日本服飾文化振興財団の書籍「日本現代服飾文化史 ジャパンファッション クロニクル インサイトガイド1945~2021」でも、日本のファッションの変遷をまとめられています。ビギやメルローズがけん引したDCブームをはじめさまざまな過去のファッションを記録されていますね。

重松:日本のファッション史は本当に豊かでバラエティに富んでいます。「こんなにも豊かだったのだ」ということを広く伝えたかったのが、出版のきっかけでした。一方でファッションは年々ミニマル化して、引き算になっています。新しい人たちにもっと足し算のファッションを楽しんでほしいと思っています。ファッションは不滅ですから。

TEXT : MAMI OSUGI
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メルローズ
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