Fashion. Beauty. Business.
素晴らしき偏愛の世界
「ビクトリノックス」の偏愛コレクターのお話、こちらはプレス向けイベントでマーケティングの担当者さんから「明日は、ファンの方が集まるんです。話長〜いけど、面白いですよ(笑)」と教えていただき、形になりました。「実際、どれがどう使えるのか覚えきれないんですけどね(笑)。開く時も順番通りじゃないときれいに広がらない」と本人も言っているのに、愛さずにはいられない。その理由は何でしょう?読み進め、考えてみると、アナタのブランドにも勝見ケイさんのような人が現れるかもしれませんよ(笑)。
【偏愛コレクターズの世界】アーミーナイフ200本収集、勝見ケイが語る「ビクトリノックス」愛
コレクターと呼ばれる人たちの物欲は限りない。新連載「偏愛コレクターズの世界」では、その偏愛ぶりに迫るとともに、さまざまな業界で活躍するコレクターたちの思いを探る。
第1回は、スイスを代表するナイフメーカー「ビクトリノックス(VICTORINOX)」を長年愛する勝見ケイが、190点ものコレクションを披露してくれた。同氏はイラストレーターで、バンド「シェリフ(SHERIFF)」のドラマーでもあり、ナイフとは遠い職業に思える。しかし定番のマルチツールからアーミーナイフ、時計、限定品やノベルティーまで、日本のブランドスタッフも「写真でしか見たことがない」という貴重なアイテムが並ぶ。勝見はこれまでも中学生時代のモデルガンに始まり、「スウォッチ(SWATCH)」1000点、「G-SHOCK」600点などを集めてきた。限定品とあればわざわざ海外へ行き、個数限定ものは2個買いする。物欲を追求し続ける先にあるものとは?
欲しいものなら、標高3466mの高山も登頂!
――日本でも珍しいものがあるそうだが、コレクションについて教えてほしい。
勝見ケイ(以下、勝見):今回持参した190点のナイフは、コレクションするようになってから約15年分のアイテムです。迷彩柄の“スイスチャンプ”は、こう見えて33種類のナイフやはさみが入っているんですよ。実際、どれがどう使えるのか覚えきれないんですけどね(笑)。開く時も順番通りじゃないときれいに広がらない。面白いですよね。“I.N.O.X.メカニカルウォッチ”は木製のストラップが他にないデザインで気に入っています。“レスキューツール”はスイスで買ったもの。当時はまだ日本では販売されていなかったんだけど、通常のモデルにないツールがあったり、暗闇で光る仕様になっていたり、実用性もあってお土産感覚で購入しました。ほかにスイスで買ったものは、標高3466mにあるユングフラウヨッホという山の頂上でしか買えないデザインのマルチツール。これが欲しくてスイスまで行きました。海外の限定品を集めることも、グローバルブランドならではの楽しみ。最近購入したものは、子どもの頃から大好きな「マッハ GoGoGo」とのコラボデザイン。うれしくてすぐに買いに行きました。
――数ある中でも、特に自慢したいアイテムは?
勝見:一番レアなのは、創業125周年記念として、「ビクトリノックス」が1891年にスイス軍に納品した最初のオリジナル・ソルジャーナイフのレプリカを発売したもの。高級素材を使って複製されていて、4シリーズある中の一つで、それぞれ世界で1884個のみ。そのうちの「0756」を証明するシリアルナンバーもついた特製のボックスには、当時の製作図面も入っています。ほかにも、クリストファー・レイバーン(Christopher Raeburn)が手掛けたマルチナイフは男心をくすぐる逸品。スイス軍が使っていたというビンテージの毛布やジャケットの素材を用いたパッケージも大事にしています。双方の価値を見出すコラボレーションはコレクターを魅了してくれますよね。世界でも数量限定の“ダマスカス・ナイフ”は毎年発売されるのが楽しみで、特に2011年と19年のモデルはお気に入りです。「ビクトリノックス」でも珍しく、刃に柄が入っているところがカッコいい。これも職人技が光る一級品ですね。
きっかけはエンライトメントとのコラボデザイン
――「ビクトリノックス」のナイフを集めるようになったきっかけとは?
勝見:「ビクトリノックス」との出合いは実はアパレルから。2005年に青山にあった店舗へアパレルを見に訪れた時、アーティストコラボの限定マルチツールを見つけました。日本人アーティストと組んだ6点で、特に惹かれたのが、女性のイラストが描かれたエンライトメント(ENLIGHTENMENT)のもの。僕が「ビクトリノックス」に魅了されたきっかけです。それ以来、新作をチェックしており、日本限定の商品もたくさんあって、企画力がすごくいいんです。“トモ(TOMO)”という四角いマルチツールも日本からグローバルに採用されています。小さなノベルティーにさえも企業努力が見えるんですよね。
――エンライトメントとのコラボや“レスキューツール”など、同じものが2つあったり、同じモデルを全色持っていたりしますね。使い分けは?また、これほどの数をどのように保管していますか?
勝見:貴重なものや思い入れがあるものは2つ購入していますね。1つはカバンに入れて実際に使って、もう1つは保管用なんです。集めたコレクションは衣装や楽器と同じトランクルームに入れています。ときどきは開いて見ますが、大事なものは大体開けずに保管したままです。今回の取材で初めて開けたものもたくさんありますよ。
――いつも持ち歩いているアイテムはありますか?
勝見:“スイスカード”というカード型のマルチツールです。カードサイズでコンパクトなんですが、つまようじや爪やすり、ボールペンなど8つのツールがあるんですよね。服のほつれを見つければハサミですぐに切ることができるし、小さいから扱いやすい。シンプルなデザインの「ザ・コンビニ(THE CONVENI)」(ジュンのコンセプトショップ)コラボを常にバッグに入れています。
コレクションを止められないのはワクワクさせられるから
――職人技が光る、「ビクトリノックス」のナイフにこだわる理由は?
勝見:使う人やあらゆるシーンを考え抜いた、多機能で実用的なツールが「ビクトリノックス」の認知されているポイントではありますが、僕の場合はファッション性やアート性に惹かれるんです。イラストレーターやアーティストとして活動している点から、見た目の印象や色味、デザインは僕にとって欠かせないポイントです。エンライトメントとコラボしたマルチツールに出合って以来、「ビクトリノックス」の道具としての機能性に加えて、デザイン性を兼ね備えた圧倒的な表現力にいつもワクワクさせられます。ファッションと同じように、常に新しいデザインに出合えることがコレクションを止められない理由ですね。次にどんなデザインが発表されるのかなって待ち遠しくて仕方ない。
――最後に勝見さんにとって、好きなものを追い求めるということとは?
勝見:コレクションすることはゴールまでの道のりが楽しい。ひとつひとつのアイテムに思い出が詰まっている。好きなものを集めてきた歴史は私だけのものです。
雑誌編集とアパレル、巨匠二人からのメッセージとは? 【UA重松理×石川次郎対談 最終回VOL.5】
ユナイテッドアローズの名誉会長で、日本服飾文化振興財団の理事長を務める重松理が、「ポパイ」「ブルータス」「ターザン」などの創刊編集長を務めた雑誌の編集者である石川次郎氏と組み、今年3月に「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」(発行・講談社エディトリアル)を発行した。二人のレジェンドは、なぜタッグを組み、書籍を発行したのか。最終回のテーマは、「過去とこれからのムーブメントの作り方」。二人からこれからを担う若い世代へのメッセージとは?
VOL.4はこちら
――今の流れからすると、これはもう、書籍の第2弾、もしかしたら、第3弾もありそうですね(笑)。
重松:(笑)。自分は本当に、遊び場のこともやりたいし、インフルエンサーの変遷もやりたいんですよね。裏原宿から生まれたインフルエンサーが今のランウェイを引っ張っているなんて、本当に面白いですよね。そこもまとめたいなとか。大変なんですけど、それを全部やってから引退しようかなと思っています。
――今、インフルエンサーの話が出てきましたが、お二人が考えるムーブメントのつくり方とは?
石川:雑誌編集者の立場でいうと、ムーブメントを作ろうと思って仕事をしたことはないんですよ。外国のムーブメントをそのまま紹介することが大切だと。日本で同じようなことを巻き起こしたいといった大それた考えはとくになかったんです。僕たちがやったことをもとに、その道のプロが「じゃあ、日本でもロックコンサートをしよう」とか、「この街をもっと面白くしよう」という動きはありましたけどね。雑誌の編集者はそこまでは考えられないですし、見せちゃったら終わりというか。常に新しいものを探して、知らせて、終わり。そこから先のムーブメントは結果的に起きても、自分たちがやった仕事ではないという思いはどこかにあるんですね。
――意図していなかったけれども、結果としてムーブメントになったということはありますが、それは結果論であって、スタンスは異なる、ということですね。では、特に注目してきたインフルエンサーとは?
重松:たくさんいますよね。今、あげきれないので、一つのものにまとめたほうがいいと思っているぐらいなので(笑)。われわれの時代には、ビートルズもいたし、ジョン・レノンのメガネも買いましたし。だからミュージシャンはかなり多いと思うんです。今はミュージシャンもあると思いますが、女優さんやアイドルグループだったり、多種多様で商業的に売らんかなという仕組みを作る人たちが考えることなので、多岐にわたっていますね。
石川:これまで自分が面白がって取材した人たちは、今でいうインフルエンサーなんだなという気がしますね。僕が興味を持ってアプローチをして、取材させてください、一緒になんかやりましょう、といった人はけっこうインフルエンサーでしたね。自分がインフルエンサーではないから、インフルエンサーと一緒に仕事をしたいんです。編集者になってすぐに会いたかった人は何人かいましたが、その中の一人が伊丹十三さんでした。当時は伊丹一三という名前で。映画はまだ撮っていなかったけれど、書いているエッセーがすごく面白かった。世の中に広く影響を与えはしないかもしれないけれど、この人の面白さはわかる人にはわかるだろうなと。それでいきいなり公衆電話から電話をした。「平凡パンチですが」「取材ですか?」「取材させてもらいたいです」「僕、高いですよ」と。一瞬、えっと思ったけれど、「高くても僕がお金払うわけではないから大丈夫です。いくらでもいってください」みたいな感じで。そうしたらあちらも面白がってくれて、すぐ会ってくれた。案の定、面白い人でしたね。
小林泰彦さんとは僕が編集者になって1カ月後に、それまで全く知らなかった彼にアプローチをしました。彼が描いたものを見た瞬間に、「この人と仕事がしたい」「この人と一緒に外国に行きたい」と思ったから。それは一種の彼にインフルエンサーとしての要素を感じたんでしょうね。片岡義男さんもテディ片岡という名のコラムニストだったけど、言うことはすごく面白かったし、アメリカの面白い話をたくさん知っていました。言われてみれば、自分の編集者人生はインフルエンサーとのつきあいだったなと思いますね。本当に親しくしていただいた方はその後みんな活躍された。横尾忠則さんもデビューしたばかりでまだ有名ではなかったけど、編集会議で「横尾忠則さんをフィーチャーしたい」と話したら、「俺もそう思う」と手を挙げたいという人が2人いた。同期の編集者の椎根和と今野雄二。それを見て木滑編集長が、「そんな面白いと思うんだったら3人で付き合って、それぞれの視点で取り上げろ」と。それで、横尾さんに「毎週パンチに出てもらいますよ」とお願いして本当に毎週取り上げた。あんな大きな存在になっちゃうとは思わなかったけれど、彼も大変なインフルエンサーですよね。
――インフルエンサーや面白い人の見つけ方とは?
石川:いつもキョロキョロしていましたよ。自分にないものを持っている、自分が逆立ちしても出来ないことをやる人は面白いですよ。小林さんのように絵は描けないし、横尾さんの発想は、僕の中からは絶対に生まれない。編集者というのは真っ白でいいと思っている。そういう人たちといかに付き合うか。自分がお願いしたときに、手伝ってくれる人が何人いるかが、一種の編集者が持つべき力じゃないかなと思っています。
――今回のコラムを書いていただいた方々、イラストを描いていただいた方々、提供いただいた方々もめちゃめちゃ贅沢ですね。小林さんに穂積さん、大橋歩さん、カメラマンの立木義浩さん、片岡義男さん、甘糟りり子さんなどなど。
石川:皆さん、すぐにOKしてくれた。編集者としての財産ですよね。最初はあまり外部の方々の原稿を入れる予定はなくて、編集部で全部書こうと思っていたんですが、このテーマに関してはやっぱりこの人に書かせたいな、という気がどんどん出てきてしまった。
――この本は、ファッションに携わってきた方々や若い方々に、ファッションの歴史を後世に残したい、伝えていきたいという、ある種、お二人の遺言のようなものだととらえています。最後に、改めてメッセージをお願いします。
重松:自分はあんまりないんですよね。若い人にどうだとかこうだとか。でも、もっと勇気をもって、もっと冒険をしてほしいと思っています。そういうことを言うとダサイと言われるかもしれないし、今はそういう時代なのかもしれないけれど、車も欲しくない、海外も行きたくないんだろうから、何したいんだろうなと思いますよね。でも、世代が違うから仕方ないし、否定はしませんが。もう一つ、これまでやり残したこととして、副代表理事を務める日本和文化振興プロジェクトをはじめとしていまいくつか取り組んでいることでもあるのですが、和文化をもっと意識してほしい、興味をもってほしいですね。それだけです。
石川:僕はもう82歳になるのですが、80歳を超えて、しかもコロナ禍真っ最中という大変な時期に、こういった面白い仕事をいただいたのはとてもありがたくて、幸せを感じました。つくづく思ったのは、紙の印刷の本はやっぱり面白い。本を作る仕事をあまりされてきたことがない財団の方々と一緒に仕事をしましたが、校正刷りの段階では順番が滅茶苦茶に出てきて、財団の皆さんもページを見開きごとに順不同でチェックしていた。だから作っている最中は本全体の構成や流れはわかんないわけですよ。でも、それが一冊の本になって出てきたときに、みなさんが驚きを感じられているな、ということがよく伝わってきた。あぁ、本の面白さを感じていただけているな、とすごく嬉しかったですね。本をパラパラとめくっていくと、流れや、本独特の感覚が間違いなく存在しているんです。本や雑誌が古いメディアだととらえられて、デジタルやSNSの時代になっていると言われかもしれないけれど、そんなことはない。これがまた新しく感じる逆転現象が生まれています。僕の一番小さな孫が今11歳で、女の子なんだけれど、生まれたときからスマートフォンがあり、周りはデジタルだらけという環境にいます。取り扱い説明書なんてなくてもスマホもパソコンもタブレットもどんどん触って使っている。それを見ると、じいさんは一種不思議な感覚がするけれど、逆にその子たちからしてみると、紙の本は新しいメディアなんです。本屋に連れていくと、夢中になって本を見ている。アナログな本の方が新しさを感じるという逆転現象が起きているんでしょうね。だから、本や雑誌がただの古臭いメディアになるなんていうことを考えたくない。新しさは出せるはず。「時代が違うから」とか「デジタルにやられている」とか言わないこと。編集者なんだから、雑誌づくりの楽しさを体験してほしいですね。

「日本現代服飾文化史 ジャパンファッションクロニクル インサイトガイド 1945~2021」
【Contents】
1. 1945-1950年 貧しい時代でもお洒落がしたかった
2. 1950-1959年 ファッションが動き出した
3. 1960-1969年 ファッションに自由がやって来た
4. 1970-1979年 経済成長が支えたファッション
5. 1980-1989年 おしゃれのエネルギーが頂点に!
6. 1990-2000年 流行はストリートから生まれてくる
7. 2000-2009年 誰もがセレブ気分になれた時代
8. 2010-2021年 ファッションの多様化は続く
「WWDJAPAN」12月22日&29日合併号は、創業90周年を迎えた吉田カバン総力特集です。「ポーター(PORTER)」「ラゲッジレーベル(LUGGAGE LABEL)」「POTR」の3ブランドを擁し、日本を代表するカバンメーカー・吉田のモノ作りに迫ります。日本が誇る伝統技術を持つカバン職人たちと深い関係を築きながら、最先端の技術・素材を使い名だたるデザイナーズブランドとコラボレーションする相反した性質はどんな文脈から生まれているのでしょうか。