ファッション

「世界にギブバックするため、サーフィンをもっとメジャーに」サーファー興梠サラが「MSGM」をまとう 「ユニコーン・アスリート」Vol.1


 競技に⼈⽣や⻘春を賭けている選⼿たちが、社会から多くのサポートを得られるような「⽂化」を育てていきたい。そういった思いから、「ユニコーン・アスリート」企画を立ち上げた。なかでも社会人や学生生活と両立させながらマイナースポーツで活動するアスリートたちの背景や魅⼒を、より多くの⼈に伝えていきたい。そんな彼らのストーリーをファッションで表現し、個⼈のキャリアやアスリートとしてのブランディングにつながっていくよう、ひとつのきっかけを与えていければ。
今回は、リハビリのためにサーフィンを始めた興梠サラ(こうろぎ・さら)が「MSGM」で海に出た。

興梠サラ/サーファー
PROFILE:(こうろぎ・さら)1996年10月21日、カリフォルニア生まれ。14歳の時に脊柱側湾症を患い、リハビリのためにサーフィンを始める。16歳でカリフォルニア州の大会で優勝。バークレー大学のビジネス科を卒業後、世界各地の大会に参加しながら、NPO法人「ベリー フィフティ」を通じて日本とアジア新興国の学生たちをサポートする。好きなファッションは、ストリート、ビジネスカジュアル、クラッシースタイル。自身を表す漢字は「流」

 私にはかけがえのない瞬間がある。それは、チューブ(波のトンネル)に入る時。なんどトライしてもあの快感は決して忘れられない。海では同じ波は二度と来ない。だからこそ、その一瞬に賭ける思いが強く働く。リハビリのために始めたサーフィンが、人生のメインストリートとなっているのは、そんな自然の壮大さに惹かれたから。強者と弱者に加え、「持っているか、持っていないか」の運試し的な要素が大きいスポーツというのも性に合っているのかもしれない。

 自分がなりたい人間は、愛を大切にする、誠実で正直な人。それらを形にして世界にギブバックしていくには、サーフィンというスポーツをもっとメジャーにしていかなければならない。その手段のひとつとして、ファッションは大切なツールだと考えている。スケボーから生まれたスタイルは、いまではハイファッションの世界でも重要な役割を果たしている。サーフィンでも質の高い流行を生み出していくために、いろいろと試行錯誤している。たくさんの人に伝えるためには、一種懸命に練習をして、もっと強くなって、いい成績を残すことが大事。それが自分達の発信にもつながることだから。

 私は常に波のあるところにいる。春はカリフォルニア、秋は日本、冬はハワイ。夢は世界中どこにいても、「興梠サラ」という個性のダイバーシティを持ちながら、いろんな人とつながっていくこと。MLBとNPBの架け橋となった祖父(アイク生原:本名は生原昭宏。福岡県出身。ロサンゼルス・ドジャースの球団職員として日米間の野球交流に尽力。2002年野球殿堂入り)のような存在になりたい。近い将来は、慈善事業がビジネスとして稼げるようなシステムを作りたい。サーフィンのコミュニティで皆がハッピーになれるような。

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