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「染め」をプリントする
着物も染織も好きです。本物の絞り染めの一点一点違う味わい深さがないことは十分承知ですが、「コス」がプリントして洋服にすることで、多くの人が手に取りやすくなっています。ルックを見る限り、素敵だなと思う仕上がりです。
私が住む新宿区は「染めの街」。神田川と妙正寺川沿いには、今も染め屋さんや湯のし屋さん、染み抜き屋さんなどが残り、存続のために頑張っています。こういう取り組みがきっかけで、染織(織りも含む)に興味を持つ人が増えるのは、とてもいいことだと思います。
「コス」が京都の絞り染め職人とコラボ 衰退する工芸技術を広めるきっかけに

ロンドン発の「コス(COS)」はこのほど、京都の絞り染め職人の田端和樹とコラボレーションしたカプセルコレクションを発表した。6月5日から「コス」青山店、マリン アンド ウォーク ヨコハマ店、東京・台場のダイバーシティ店および公式ECサイトで販売する。発売を記念し5月30日には京都芸術大学で、国内外のプレスや学生を招いた絞り染めの体験ワークショップとトークイベントを開催した。
絞り染めは1000年以上の歴史を持つ染め技術で、水資源に恵まれた京都で大きく発展した。田端は従来絹地に限られていた「京鹿の子絞り」の技術を受け継ぎながら、綿や麻などさまざまな生地に応用し独自の「たばた絞り」を考案した人物だ。「コス」はコレクションのテーマである「自然」を表現する方法として、鮮やかな色彩や有機的な模様が特徴の絞り染めに着目。カリン・グスタフソン(Karin Gustafsson)=デザイン・ディレクターは、「絞り染めを採用するには、私たちの力だけでは本来の良さ表現しきれないと思った。そこで日本の職人と協業しこの伝統のすばらしさを世の中に伝えていくことが重要だと考えた」と話す。インスタグラムで田端の作品を見つけたことをきっかけにオファー。約1年の製作期間をかけて完成した。
「手筋絞り」や「雪花絞り」で生み出す模様を落とし込んだ14点
コレクションは田端がデザインした4つの模様を、メンズとウィメンズ、アクセサリーの14点のアイテムにプリントや織りで落とし込んだ。透けるシアサッカー素材のワイドパンツ(2万3500円)と半袖シャツ(1万8500円)のセットアップは、じゃばら状に折った布に糸を巻きつけて独特な縞模様を生み出す「手筋絞り」のデザインを施した。太陽のようなオレンジで染め上げたカフタンドレス(3万1000円)は、絞りの線がさまざまな方向を向くように配置し、不ぞろいな模様の味を際立たせた。100%シルクのスカーフ(価格未定)には、雪の結晶のような模様が特徴の「雪花絞り」で柄をデザインした。
絞り染めは糸の巻きつけ具合や染める角度などによって模様の出方が毎回異なり、細部に職人の技が問われる。田端は「コス」からのオーダーに沿って「完璧すぎず、不ぞろいすぎない絶妙なバランスを目指した」と説明。グスタフソン=デザイン・ディレクターは、「田端氏が生み出す柄は力強さがあると同時に穏やかな印象を受けた。タイムレスなデザインに重きを置く『コス』のファッションと通ずるものがあった」とコメントした。
従来絞り染めは1点1点手作業で行うため製作できる点数は限られる。加えてプリントでは絞りのかすれやにじみの表現が難しいとされる。今回両者が協力してそうした細部の味をプリントで忠実に再現することで、絞りならではの風合いを担保しながら量産することが叶った。田端は「職人が見ても本物と区別がつかないほどの仕上がりになった」と出来を語る。
74歳で若手、後継者不足の産業を広めるきっかけに
京都芸術大学で開催したイベントでは、田端による絞り染めのデモンストレーションや、実際に参加者が布を糸で縛るワークショップなどを行った。後半は田端が工房で働く4人の学生インターンと共にそれぞれの柄に込めた思いや試行錯誤を繰り返した過程について語った。
また後継者不足の現状についても言及。技術の習得に時間がかかることや、着物の需要が縮小するなかで活かせる仕事が減っていることなどが原因だと言う。田端は「私が継いだ時点では74歳だった父が若手と呼ばれるような状況で、今44歳の私の、横にも下にも人材がいない」と課題を語る。「手仕事だけでは届けられる範囲が限られている。今回のコラボが世界中の人々に絞り染めを知ってもらえるいい機会になるはずだ」と意義を語った。
グスタフソン=デザイン・ディレクターは、「私たちは工芸やモノ作りのオリジナリティーを尊重する。まだ具体的な計画はないが、今後も日本の職人との協業の可能性は探っていきたい」と話した。
人間国宝の友禅作家、森口邦彦が見出した「作家 須藤玲子」
PROFILE: 森口邦彦/友禅作家

森口氏と須藤さんとの出会い
須藤はこれまでに、多くの人と出会い、その出会いを原動力にして布づくりを加速させてきた。全国各地の生産者、先端技術の研究者、協働する建築家やインテリアデザイナー、須藤の布の価値を大いに認めるクライアント……。
そして須藤は、同じく「日本の布」に関わる要人たちとも親交を深めている。そのひとりが、友禅作家であり重要無形文化財(人間国宝)の森口邦彦氏だ。アメリカ、イギリス、フランス、スイス、香港。須藤は日本国内のみならず、世界各地で展覧会を開催してきた。その第一歩となったのは2001年、京都芸術センターで開催された「布・技と術」と題した展覧会だ。このとき須藤に白羽の矢を立てたのが、ほかでもない森口氏なのである。
2000年に開館した京都芸術センターの設立前から関わり運営委員長を務めていた森口氏が、東京・六本木の「NUNO」の店舗を訪ねたのは2000年。「8月22日です」。当時の手帳を見返しながら森口氏が言う。開館一周年を記念する展覧会の候補に須藤の名前が挙がっていた。「須藤さんが運転する自動車にトラブルがあったらしく、約束の時間になってもやって来ない。ですが待つ間に店内をくまなく見せてもらえ、膨大な仕事の一環を垣間見ました。テキスタイルデザインという仕事への情熱に、深く感動したのをおぼえています」(森口氏)。なんと車のタイヤがパンクしたという須藤が遅れること45分、そのときの彼女の慌てぶりを思うとこちらまで胸が締め付けられそうになるが、森口氏の目に映る須藤は違っていて、「布づくりへの情熱とはおよそかけ離れた涼しげな感じで、この素敵なギャップになにがしかの可能性を抱き、個展のお願いをしました」。
須藤以外にも候補はいたそうなのだが、この時間で森口氏の心は決まった。「なんの迷いもありませんでした。こんな人が京都にいてくれてもいいのにな。そう思う気持ちと、須藤さんのような方が東京から来ることが、京都にとっていい刺激になるのではという気持ちがありました。仕事への情熱に加えて、作ったものを最後まできちんと売り切るという姿勢にも僕は感銘を受けた。自分の『テキスタイル観』を芯に持ちながら、改革を続けている。その姿勢を京都の人たちに見てもらわなければ。そう思ったんです」。着物の商習慣を知り抜いている森口氏だからこそ、須藤の潔さと信念の強さに大きな魅力を感じたのだろう。
森口氏が後押しした「作家 須藤玲子」を誕生させた「一言」
森口氏からのオファーを受け、ほどなく展覧会開催を快諾した須藤だが、ひとつの葛藤を抱えることになる。それは「展覧会に自分の名前が入ること」。「NUNO」には1984年の設立当初から携わっていたものの、そもそもはテキスタイルデザイナー新井淳一氏が立ち上げたブランドだった。1987年に新井氏が退き、須藤が「NUNO」の中心となる。それでも須藤にとってNUNO=新井氏であり、その布を守り、作るのが自分の使命だと当時は強く思っていた。それなのに自分の名前を表舞台に出すことに、抵抗を感じたのだという。須藤は「森口先生から『須藤玲子という名前を入れるべき』と言われて。最初は抵抗したのですが、『誰が絵を描いているの?誰が決めているの?』とも言われて、ハッとしました」と振り返る。
「この展覧会をきっかけに世界に飛び立ってもらおうと思っていましたから、名前が付いてないといけない。彼女にとってこれが初めて開く展覧会というのは、僕にとっても大きな意味がありました。まだ誰も評価していない、一番フレッシュな創作を行っている人物を京都で紹介するのだという思いもありました。そして未評価のものを評価する能力と度量が京都にはある。僕はそう思っているんです」(森口氏)。
初の個展は「工業製品でありながらアート」を体現した展覧会に
京都芸術センターは廃校になった「明倫小学校」を活用した、芸術振興のための拠点である。かつて呉服問屋が軒を連ねた土地である室町通りにあり、ふたつの元講堂、作法室と呼ばれる畳敷きの空間、そして校庭と、施設のほぼすべてを用いてテキスタイルを展示した。鴨川や桂川でかつて行われていた友禅流しの風景を再現するかのようにテキスタイルを浮遊させたり、音と映像をからめてテキスタイルを見せたり、「布の茶室」をつくったり、京丹後の職人たちと研究開発した生分解性プラスチック素材のテキスタイルを展示したりと、現在の須藤の活動につながる礎のような展示となった。
「工業製品でありながらアートでもあるという須藤さんのテキスタイルの特性がとてもよくあらわれていて、高らかな思想のある展覧会でした。僕はすべての人の理解は得られなくてもいい、何人かの人がわかればいいと思っていました。展覧会は『再生産』が大事だと僕は考えます。見に来た人が確かななにかを受けとめて、その人の創造に加味されることが大事。須藤さんの展覧会は、その力を存分に放っていました。布というのは人格と一緒になって存在するのが本来の姿。須藤さんは周りの協力を得ながら、だけど須藤さんにしかできない布を作り出す。それは彼女の人格のなせる技です」(森口氏)。
写真家の井上隆雄の写真がもたらしたもの
そしてこの展覧会を記録した図録を、森口氏は非常に高く評価している。「カメラマンは井上隆雄さん、彼は他界しましたが僕にとっても大切な親友のひとりでした。京都市立芸術大学で漆を学び、写真家になったという経歴の持ち主で、彼女の資質を見抜いて、それを写真に写し取った。陰まで含まれた写真です。いわゆる『ふつうの布』だったら、彼もあんな風には撮らなかったでしょう。グラフィックデザインの西岡勉さんも井上さんの写真に応えている。須藤さんがもともと持っていた国際的な感覚が、展覧会そのものと図録によって翼を得て、世界へと飛び立つきっかけになったと感じています」。
伝統を革新する2人
森口氏は幾何学模様を用いて唯一無二の文様を作り出し、「伝統」と「革新」を両立させてきた。その創作活動は着物という範疇を超えて、三越のショッピングバッグをデザインするなど、芸術と生活を結びつける役割も果たしている。伝統美である友禅の世界に生きながら、「テキスタイルの未来」のあるべき姿を見いだそうとさまざまな会議やコンペティションの運営に関わり、多くの人と議論を交わし、新しい世界を描くためには分野の枠組みは不要だと説いてきた。その自由な思考と確かな視点が須藤を見いだし、活動のステージをぐんと引き上げた。ふたりは出会うべくして出会い、テキスタイルの可能性を広げたのではないだろうか。森口氏の話を聞いていると、そんな思いに包まれる。第一線で活躍するひとは、創作への意欲や情熱にあふれていることに加えて、見いだし見いだされる才能を備えていると感じるが、森口氏と須藤のふたりは、まさにその才能のかたまりと言えるだろう。
「WWDJAPAN」12月22日&29日合併号は、創業90周年を迎えた吉田カバン総力特集です。「ポーター(PORTER)」「ラゲッジレーベル(LUGGAGE LABEL)」「POTR」の3ブランドを擁し、日本を代表するカバンメーカー・吉田のモノ作りに迫ります。日本が誇る伝統技術を持つカバン職人たちと深い関係を築きながら、最先端の技術・素材を使い名だたるデザイナーズブランドとコラボレーションする相反した性質はどんな文脈から生まれているのでしょうか。